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天国の扉  作者: 藤井 紫
第五章 呪われた兄弟
156/193

61-2

 シナーンの女奴隷となってから、ジェードは一日のほとんどの時間をシナーンの執務室で過ごしていた。

 ヴァロニア語をハリーファに習ったのが幸いだった。今や毎日目に入る書類のおかげで、確実にファールークの文字も読めるようになってきた。

 執務室の中を、風は穏やかに吹き抜ける。

 シナーンが食事に出ている間、部屋の整頓をしていたときのことだった。

 机上に積み上げられた書類を、ジェードは思わず息を呑みながら見つめた。

「……ヴァロニア王国宛の親書?」

 目を凝らし、震える手で紙をなぞる。


 ――ヴァロニア王国に対し、聖地復興のための協定を求める


 そこにファールーク語で記されていたのは、シナーンの恐ろしい計画だった。

 一見すれば、ファールークとヴァロニアが手を取り合う和平のように思える。しかし、本当は、ジェードの身柄の引き渡しを条件として、ヴァロニアを利用し、ファールークの覇権を東大陸(フロリス)まで広げる計画だった。

 ジェードは喉がひりつくような感覚を覚えた。

(聖地復興なんて、ただの口実なのね……)

 文末の日付を見ると、この密書はすでにヴァロニアへ送られている。

 もし本当に王太子がジェードの身柄を求めているのならば、ヴァロニアはシナーンの策略に嵌められるかもしれない。

 王太子やホープは、この罠に気づくことができるだろうか?

(何か手を打たないと……)

 ジェードは震える手で書類を元の場所に戻した。

 シナーンの目を欺きながら、慎重に動くしかない。

 ソルに頼んで自分をヴァロニアへ送ってもらう?

 いや、また【天使】が天命を果たすよう言ってくるかもしれない。

 ソルに頼んで手紙をホープに送る?

 いや、ソルに会うにはアーランに会わないといけないが、シナーンに監視されている。

(……わたし、何もできないの?)

 自由も力もない。自分では何もできないことに焦りと悔しさを覚えた。




 数日後。

 その日も、ジェードはシナーンの執務室にいた。

 密書が送られたヴァロニアからの返事は――なかった。

「ヴァロニアが慎重すぎる……」

 報告を受けたシナーンは、苛立ちを隠さなかった。

 それとは反対に、ジェードは王太子の冷静な対応に安堵した。

「ギリアンは交渉の場にすら立とうとしないのか」

 低くつぶやくその声には、冷たく鋭い苛立ちが滲んでいる。

「……ならば、別の方法で利用するまでだ」

(別の方法?)

 嫌な予感がする。ジェードの背筋に、恐怖が走る。

 ヴァロニアが動かないなら、シナーンがヴァロニアを動かざるを得ない状況を作るつもりなのだ。

 そして、その切り札となるのはジェードだ。

「ヴァロニアを焚きつけるには……そうだな」

 シナーンは淡々と続けた。

「ジェード、お前を公開の場に出す。侵入者として断罪する」

 静かすぎる声だった。炎が燃え盛るような怒気でも、感情的な嘲りでもない。まるで天気の話でもするような調子だ。

「わたしを殺したって、ヴァロニアは絶対に動かないわ。わたしはただの羊飼いだもの」

(……シナーンは、本気だわ)

 シナーンにとって、ジェードの命も交渉の道具でしかないのだ。出会った時から変わっていない。

「……本気?」

 ジェードは、震える声を押し殺しながら尋ねた。

「私はいつでも本気だ」

 シナーンは目を細め、ゆっくりと椅子に身を預けた。

「だいたい、王太子様が、わたしを饗すように言ったことの方が怪しいわ」

 ジェードは震える心を押し殺しながら、慎重に言葉を選んだ。

「私はまだお前がヴァロニアの貴族ではないのかと疑っているのだ」

「本当に王太子様が黒髪なら……」

 ジェードは、ふっと微笑んだ。

「だったら――わたしを殺すより、王太子を魔女(ウィッチ)に仕立て上げる方が、ヴァロニア全土が混乱すると思わない?」

 ジェードはシナーンの目を見つめた。

「……ほう?」

 シナーンは椅子に深くもたれかかり、指で机を軽く叩いた。

「それは、なかなか興味深いな。続けてみろ」

 一瞬、空気が張り詰める。

 シナーンがこの問いを発するということは、ジェード以外に決定的な切り札を持っていないということだ。

「お前の口から、どんな妙案が出てくるか聞いてみようじゃないか」

「ヴァロニアで黒髪が居るのは、ヘーンブルグ領だけよ。王都(ランス)の王太子様は金髪のはずよ。黒髪じゃないわ」

 ジェードは、シナーンの黒い瞳をまっすぐに見つめた。

「シナーンは、魔女(ウィッチ)になる方法を知ってるでしょう?」

「【悪魔】と契ると魔女(ウィッチ)となるんだろう。そして、髪の色が黒に変わるのだろう?」

 シナーンはジェードの黒髪をじっと見つめた。

「ええ。でも、わたしは魔女じゃないわ。この髪は生まれつきよ」

「ではギリアンは?」

「へーンブルクの人が王太子様を装ったのでなければ、王太子様は本当の魔女(ウィッチ)という事よ」

 ジェードは静かに続ける。

「『魔女狩り』は知ってる?」 

 シナーンは目を細め、わずかに口角を上げた。

「ああ、もちろんだ。だが、まさかそれを使って私を騙せるとは思っていないだろうな?」

「もし王太子様が魔女(ウィッチ)であると暴かれたら、王位継承に影響が出るわ」

 ジェードは、ゆっくりとシナーンを見つめた。

「だから、王太子様が魔女(ウィッチ)であると広める。それだけでいいの」

 シナーンはしばらく沈黙し、肘掛けに指をトントンと打ちつけた。

「確かに、魔女(ウィッチ)かどうか、ギリアンは答えをはぐらかしたな」

「それに、王太子様が魔女(ウィッチ)なら、その王太子様を、直接策略に嵌めるなんて無理よ。魔女(ウィッチ)を怒らせたら報復があるのよ。聞いたことない?」

 本当はジェードもよく知らない。これはハリーファから教わったことだ。

「【魔女の報復】か。確かに聞いたことはある」

 ここからが作り話だ。ルースのようにうまく話さなければならない。

「わたしは魔女(ウィッチ)じゃないのに村から追い出されたの」

「何故だ?」

「私も報復で魔女(ウィッチ)の呪いを受けてしまったからよ」

「呪い?」

 シナーンも息を飲む。

「実は、わたしの姉が本物の魔女(ウィッチ)になってしまって、【悪魔】の子を身籠ってしまったの……」

 ジェードは嘘の涙を目に浮かべた。

「それで?」

「……でも、わたしのせいでその子は生まれなかった。だから魔女(ウィッチ)の呪いを受けてしまったの」

 シナーンは黙ってジェードの話を聞いている。

「教会の先生に、聖地で【天使】様に会えば、魔女(ウィッチ)の呪いを解いてもらえるって言われたの。それで……」

 シナーンの表情が変わった。

「続けろ」

「聖地で【天使】様に会ったら言われたの。『ハリを殺したら願いを叶える』って」

 シナーンは、低く笑った。

「はっ、なるほど。それでお前はハリーファの命を狙っていたのか」

「……そうよ」

 作り話を混ぜながら、ジェードは話続けた。

「でも、もう魔女の呪いを解くのはあきらめたわ」

「どんな呪いだ?」

「……ヴァロニアに帰れない呪いよ」

 シナーンは微かに笑った。

「お前は、口が達者だな」

 ジェードは、心臓の高鳴りを隠しながら、小さく微笑んだ。

「……そうかしら?」

「私にそのような口をきくのはお前だけだ」

 シナーンは立ち上がると、机の上の書類を指で軽く払った。

「悪くない。お前の話は、意外と退屈しないな」

 ジェードは、息を呑んだ。

「今夜は気分がいいから、今回は見逃してやろう。次の話も考えておくことだな」

 その言葉に、ジェードは表情を失い、シナーンを睨みつけた。

 ――自分の力だけで命を繋ぎとめられたことに、ジェードは胸をなでおろした。



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