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天国の扉  作者: 藤井 紫
第五章 呪われた兄弟
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60-2

 突然、机の上を黒い影が駆け抜けた。

「……何だ?!」

 シナーンが顔をしかめた。

 続いてもう一匹、白っぽい毛並みの猫が、それを追うようにして机を飛び越えた。

 その衝撃で、机の上の書類が宙に舞う。

「アサド?!」

 ジェードが猫の名前を呼ぶと、黒猫はニャアと短く鳴き、床に降りてジェードの足元にすり寄ってきた。

 ジェードはしゃがみ込み、自分の黒猫を抱き上げる。

 その間に、もう一匹の猫は素早く部屋の外へと逃げて行った。その直後、遠くで書類が一枚、はらりと舞い落ちた。

「おい、書類が……」

 シナーンは舌打ちし、乱暴に書類をかき集める。

「まったく……」

 ジェードは慌てて散らばった紙を拾い上げる。

 ふと、手に取った一枚に、見覚えのない文字が並んでいた。

(……これは、ファールークの文字?)

 ジェードはファールーク語が読めない。ハリーファに習ったのは、母国のヴァロニア語だけだ。

 しかし、その紙の中に、いくつかの知っている名前が並んでいた。

(ヴォード・フォン・ヴァロア……、ギリアン・フォン・ヴァロア……)

 そして、ファールーク語の【黒】(アスワド)の文字だった。

 ジェードの心臓が、鼓動を早めた。

(ヴォード、ギリアン……【黒】……?)

 だが、彼女はまだ、その全貌を理解することができなかった。




*   *   *   *   *




 夜の皇宮。

 ソルは【王の間】の前に立ち、音が鳴らないように鍵を開ける。

 そっと扉を押そうとした瞬間――

「ニャアアアアア!」

「……っっ?!」

 飛びかかってきた黒い影に、思わず声を上げそうになる。

(……何だ、お前は!)

 黒猫 がソルの足に絡みついてきた。

 暗闇の中で、まん丸く愛くるしい瞳が、じっと彼を見上げている。

(……なんなんだ)

 ソルは猫を抱え【王の間】へ忍び込み、そのままハリーファの前に現れた。

「……なんでお前は猫をつれて来たんだ?」

「入り口でコイツが襲ってきたんだよ」

 今まで宮廷内で黒猫は見たことがない。と言うことは、

「お前、アサドか?」

 ハリーファの問いかけに応えるかのように、猫はニャアと短く鳴いた。ソルを振りほどいて床に飛び降り、のんびりと毛繕いを始めた。

「ほら、約束の品だ」

 ソルは右腕に着けた腕輪を見せた。――それは確かに、長の腕にあったものだった。

 だが、それをソルが 自分の腕に着けたまま 持ってきたことに、ハリーファは 不敬な奴だと呆れた。

 本来、【エブラの民】の長が着けるものだ。それを身に着けるなど畏れ多い。だが、ソルはその末裔の血を(少し)引いている。

「これは、確かに【エブラの民】の鍵だ」

「そうか」

 ソルは腕輪を外し、ハリーファに渡した。

「墓に、もう一人、『忘れられた者』が一緒に埋葬されていたぜ」

 言いながら、ハリーファの反応を探る。

 ソルは今回もちゃんと調べてきている。一緒に埋葬されていたのは女なのは間違いない。

 ユースフの妻は、若いころに結婚したシュケム王国の王族の娘エイダ、ウバイド皇国の最期の皇帝の姉シャーミールの二人だ。

 どちらかわからないし、現実的に考えて、身分の高い女が同じ場所に墓を作るはずがない。きっとユースフの特別な愛人か何かなんだろう。

 だが、ハリーファも何も知らないようだった。

「一応、他のも持ってきた」

 ソルは袋の中から、一緒に埋葬されていた品を取り出し、テーブルに並べた。カチャカチャと金属音が鳴る。

 並べられた小物を見てハリーファは驚いたように目を見開いた。ランプの灯りを近づけてまじまじと眺める。

「それも、必要なら、研きかけてくるぜ?」

 ハリーファは、目の前の指輪と髪飾りに視線を奪われた。

(……これは……)

 それは、かつて サライが泉に落とした指輪 だった。それに、シュケムの君主から与えられた指輪、サライへ贈った髪飾りもあった。

 ハリーファは静かに目を閉じた。手が震えそうだったが、ソルの手前、なんとか平静を装った。

(……『忘れられた者』……アーディンが、サライを共に埋葬したのか)

 自分ユースフの死後、アーディンがそのような配慮をしてくれていたことを悟り、複雑な感情に襲われた。

 まず、最初に感じたのは驚きだ。

 ユースフはサライを密かに埋葬した。それは、彼女の存在を歴史から隠し、守るためだった。

 それなのに、自分の死後、アーディンがわざわざサライを同じ墓に埋葬していたとは。――この事実を知り、戸惑った。

 しかし、次第に感謝と安堵に変わっていった。

 ユースフにとってサライは特別な存在だった。それを知っていたのはアーディンだけなのだ。ユースフの死後も「サライを一人にしないように」と、独りで手を尽くしてくれたに違いない。

 己の過ちによって、歴史の闇に埋もれてしまった二人の繋がり。それが、アーディンの手によって結ばれたことに、 救われるような思いを感じた。

 しかし、同時に 後悔と切なさも押し寄せてきた。

 ユースフとして、 サライを救えなかった。

 もし、前世で違う選択をしていれば、彼女を苦しみの中で死なせることはなかったのではないか?

 今のハリーファとしての自分が、 本当にユースフの罪を清算できるのか?

 アーディンはサライとユースフを一緒にすることで、転生する後世の王に何かを伝えようとしていたのではないか?

 ならば、 今度こそ、自分は過去と向き合い、【エブラの民】を救わなければならない――

 サライの願いを継ぐのは、自分しかいない。

 ハリーファは墓に刻まれていたと言う『忘れられた者』に、

(俺はお前を忘れていない)

と心の中で誓った。

「ソル、頼みがある。この腕輪を、ルブナンの老人に返してやってくれ」

「そうだろうと思ってたぜ」

 ソルは軽く肩をすくめる。

 ハリーファは、改めてソルを見つめた。

 ソルにどうやってこれほどまでの借りを返せばいいのだろうか。

「ソル、お前の望むものはなんだ?」

 ラシードが死んだ今、この男は何を求めているのだろうか。金が欲しいのか? それとも……?

 その問いにソルが口を開いた。

「おいおい、【悪魔】みたいなこと言わないでくれよ」

 姿も【悪魔】(ラース)似ているハリーファに言われて、少し驚いたようだ。

「……俺は【悪魔】じゃない……」

「ほんとかよ……。【エブラの民】が【天使】の血筋だとか言ってたから、案外【悪魔】の血筋ってのもあるんじゃねぇか?」

 ソルは軽口で言ったが、ハリーファは全く笑えなかった。

「お前に何を還せば良い?」

「じゃあ、いつか、一回だけ、オレの頼みを聞いてもらえないか?」

「わかった。俺が出来る事ならな。だが、命だけはお前にはやれない」

「死なれちゃ困るんだよ」

「一回だけでいいのか?」

「あぁ。だけど、これから、あんたの異能と立場、利用はさせてもらうぜ。オレ達はあんたと仲間として振舞わないが、絶対に裏切らない。それは信じてくれ」

 ソルがオレ達と言うのは他に仲間がいるという事だ。アーランと、メンフィスに他にも仲間がいるのだろう。

「お前達は、一体、何をする気だ」

「本当にオレの心は聞こえてないんだな」

 ハリーファは黙って頷いた。

「オレは……ラシードの遺志を継ぐ」

 その言葉に、ハリーファは息をのむ。

「ラシードの遺志……?」

「ファールーク皇国の支配から聖地を解放するために、ファールーク皇国をぶっ潰す。そして聖地を復興する。それが、ラシードの目指してたことだ」

 ハリーファは拳を握った。

 『【エブラの民】を救う』というサライの願いと、ソルが目指す聖地復興――

 その二つは、一つに繋がるかもしれない。

 だが、その為には、シナーンの野望を阻止しなければならない。

「シナーンは、聖地を()()()()()()()()()()()復興しようとしている」

「でも、それだと、本当の『聖地』じゃねぇんだ。わかるだろ?」

 ソルの言葉に、ハリーファは深く頷いた。

「……俺は、もう二度と、あの時のような後悔をしたくない。今度こそ、過去を終わらせる」

 二人の共闘が始まろうとしていた。




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