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天国の扉  作者: 藤井 紫
第五章 呪われた兄弟
147/193

57-2

 ジェードは【王の間】の前に立っていた。見張りの兵士が鍵を差し込み、扉の施錠を外す。

 マリカが不在の間、別の女奴隷がハリーファの食事を運んだのだが、ハリーファが寝室から出てこないため、ジェードがここに呼ばれた。

 ジェードは一人で応接に入った。テーブルの上には手つかずの食事のトレイが置かれていた。

 寝室の扉は閉まっている。朝に弱いハリーファのことだ、まだ寝ているのだろう。

「ハリ、まだ寝ているの?」

 扉をノックするが、返事はない。

 しばらく待ってから、そっと扉を開けた。きっとまだ寝ているに違いない——そう思って。

 だが、そこにいたのは——掛布に包まれた、人の形をした“何か”だった。

 ジェードは近づき、布をそっとめくる。

 ハリーファはいない。

 丸められた布が詰め込まれ、人が寝ているように見せかけられている。

(……これは? 一体どういうこと?)

 兵士が施錠を外したという事は、ハリーファが外に出ているはずはない。

 奥の部屋にも姿はなかった。

 食事を運んだ女奴隷も外の見張りも、ハリーファは【王の間】に居ると思っている。

(ハリ、どこへ行ったの? 戻ってくるわよね……?)

 扉の前に戻ると、見張りの兵士が声をかけてきた。

「出てこられたか?」

「あの、……今日は夕方まで寝てるようなの。わたし、夕食の時にもう一度様子を見に来るわ」

「そうしてくれ」

 兵士はジェードの目の前で、鍵をかけた。

「ハリーファ殿下のご様子は、シナーン殿下に伝えないといけないので、後で報告してくれるか?」

「えぇ」

 この兵士は見覚えがある。ジェードがここに来た時にも、【王の間】を見張っていた男だった。

「ねぇ。ハリのこと、一日中見張ってるの?」

「いや、前と同じで、昼だけ見張るように言われている。それに、ハリーファ皇子が外に出たければ、鍵はいつでも開けるように言われている」

 後半はジェードを安心させるつもりで言ってくれたのだろう。

 ジェードは平静を装いながら【王の間】から離れた。

 ハリーファは一体どこに居るのだろうか?

 兵士に見張られている【王の間】を抜け出して、皇宮内に留まっているとは思えない。

(外に行ったにちがいないわ……)

 ジェードは人目を盗みながら、抜け道へと向かった。


 皇宮の裏手にある水利設備への入り口辺りは、今日も人気はない。地下への階段を下り、扉を開け中に入った。

 今日は明かりを持ってきていないので、中は真っ暗で何も見えない。

 なんとか扉付近から差し込む外からの明かりで入り口付近だけは見えるが、かえって奥は何も見えなかった。

 以前通った道を思い出して一・二歩だけ奥に進むと、つま先に何かあたった。蹴飛ばした物はジャリと鈍い音を立てて、砂埃の床を滑る。

 ジェードは暗闇を手探りで探すと鍵を見つけた。明るい所に戻って確認する。

「これって……」

 多少飾りが違うが、さっき兵士が持っていた【王の間】の鍵の形と同じだ。

 ジェードは確信した。ハリーファはここから抜け出して皇宮の外に行ったのだ。

 春の行商の後、二度ほどソルがアーランを訪ねて来ていたし、ラシードに会いに行ったのかもしれない。

 戻って来るのは兵士の居ない夜の時間帯だろう。とにかく、ハリーファの脱走が誰にもばれないようにしなければ。

(無事に帰ってくるわよね……)

 ジェードは鍵を元あったあたりに戻すと、見つからないようにその場を離れた。

 



*   *   *   *   *




 夜が明ける頃、ソルとハリーファは国境の町へたどり着いた。

 南の国境に位置するこの町には、多くの人が集まっていたが、活気はない。

 市場を中心に広がる集落の周囲には、無数の布が張られ、その下で暮らすのは黒人ばかり。人々の顔には疲労が滲み、怪我を負っている者も多い。迷子になった子どもが泣き叫びながら親を探している。

「おかしいな。いつもはこんなんじゃねぇんだけどな……」

 ソルは眉をひそめ、街の様子を見渡した。

 町全体に不穏な空気が満ちている。人々の心の声がざわめき、悲痛な叫びが頭の奥に響く。

 人々の心のざわめきのやかましさにハリーファは思わず耳をふさいだ。だが、そんなことをしても、人々の心の中の不満や悲痛な叫びは頭に直接響いてくる。

 ハリーファは皇宮内でしか暮らしたことがないのだ。多くの人が居る町はこんなにもうるさいのかと苦渋の表情を浮かべる。

「おい、大丈夫か?」

「……大丈夫だ、なんでもない」

「案内人を探してくるから待ってろ」

 ソルがそう言い残し、街の奥へと消えた。

 ハリーファは馬の手綱を握りしめ、身を預けるように軽く寄りかかった。

 死の砂漠を超えるには、道を知る案内人が必要だ。季節によって通れる道は変わるため、現地の者の知恵なしでは進むことができない。

 ソルがいなくなった途端、ハリーファの周りに人が集まり始めた。白人が珍しいのだ。

「どこの仲介人(シムサール)だ?」

「頼む、南へ行って紛争を仲裁してくれ!」

 白い肌をしたハリーファを見て、人々は交渉人か何かと勘違いしているようだ。

 ハリーファはとっさに砂除けを引っ張り上げ、顔を隠す。

 それでも、次々と声がかかる。

「ズルクがアスワドの首領の息子を殺したせいなんだ!  それで南では大虐殺が起こってる」

「他の部族カビーラが仲裁に入ってるが、あいつら(アスワド)は頭がおかしい。狂ってやがる!」

「自分たちを【天使】の末裔とか言ってるしな」

「アスワドはルブナン以外はすべて敵だと思っているんだ」

 ハリーファは人々の訴えを聞きながら、内心で冷たく思う。

(……俺に言われても、どうしようもない)

「すまん、案内人を見つけられねぇ」

 ソルが戻ってきて、ハリーファの周りの人々を追い払った。

「星読みの占いのせいで、みんな南へ行くのを怖がっててさ」

「星読み?」

「なんか不吉な予兆だってよ。今回はあきらめるか? 案内人なしじゃ時間が足りねぇ」

「いや、早くここを離れたい……」

 ハリーファは顔を顰めながら答えた。


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