56-2
「……それは、現状と一体何が違うと言うんだい? 我が国は、百年以上、いや、もっと前からファールークとの約束を守り続けて、今でも聖地への侵入は禁じている」
「それは今でもヴァロニア全土に伝わっているか? 二十年前や六十年前にヴァロニアからの不法な侵入が多々あったのはどう説明する? ヴァロニア王が不在の今、ヴァロニアを支配しているのは一体誰だ。領主か? それとも教会か?」
二十年前や六十年前にヴァロニアからの侵入など、ギリアンは耳にしたことがなかった。少年の言うことが、真実かどうかも疑わしい。
しかし、聖地方面の国境が閉ざされた後に印刷技術が出来たことによって、その結果、教会が力を強め始めたのは事実だ。王が居らず、姉弟で王位を争っている今、救いを求める人々が扉を叩くのは王族よりも教会だ。民の心は王族から離れてゆく。
「王権が弱くなったのは、父王の死も要因だったろうけど、教会が権威を強めたからだ。その原因は、君たちファールークが聖地への巡礼を封じたからだよ。
今では教会はファールークからの情報がほとんど届かないのを利用して、ファールーク皇国は聖地オス・ローを奪った暗黒の国だと教えを説いている。
東大陸は聖地巡礼を禁じられてから、何かがおかしくなってしまった」
「それは西大陸も同じだ。聖地を閉ざしてから西大陸もおかしくなったのだ」
「それならば……!」
ギリアンは思わず声を高めてしまった。ハッと気づいて、すぐに口を閉ざした。
「……聖地への侵入を完全に拒んでどうするつもりなんだい?」
ギリアンが問うと、シナーンは再び話し始めた。
「私は宰相として、聖地を復古させる。その邪魔を東大陸にされたくはない」
「聖地の復古?」
その言葉を聞いて、ギリアンの脳裏にヴィンセントの事が浮かんだ。聖地復古を望むシナーンと上手く協働できれば、いずれ離別することになるヴィンセントに道を繋げられるのではないかと思いがよぎる。
「どうやって……?」
「だからヴァロニア王の協力が必要なのだ」
シナーンはそのために未来のヴァロニア王として、利用しやすいと思われる自分を選んで連絡してきたのだろう。
「シナーン皇子。君は、聖地の本質を理解しているのかい?」
「貴殿は理解しているとでも?」
「僕は実際の聖地を目にしたことはない。でも答えはここに持っている」
そう言って、胸の前に手をあてた。
「君は聖地への侵入を拒んでいるけれど、僕は寧ろ国境が開放されることを望んでいる」
シナーンは何も答えず、ギリアンをにらむように見ていた。
「もし、ヴァロニアと聖地との国境が解放されたなら、僕の臣下には聖なる土地で決して血を流さないことを誓わせよう。僕が正式に王になったあかつきには、ヴァロニアの臣民全てがそれに従うことになる。もし従わなかった者がいたとすれば、それは僕の臣下ではないということだ。臣下でない者の首が落とされようと、賠償を求めたりはしない」
「……つまり、ファールークの支援は要らないと?」
シナーンの言葉に、ギリアンははっきりとうなずいた。
「僕の王位戴冠に、第三国の介入は不要だ」
ギリアンの返答に、シナーンは腕を組んだ。
「それに、将来、聖地復古に役立つ人材をヴァロニアからも送れると思うよ」
「ほう」
シナーンの腕組みが緩む。
「その代わりに、君に頼みたい事があるんだ。そして謝罪しなければならない事も」
「謝罪?」
「さっき、ヴァロニアから聖地への侵入は禁じていると言ったばかりだけど、実はニ年程前に一人、聖地に迷い込んでいるんだ。十五歳のジェード・ダークと言う名の少女だ。その娘を探してヴァロニアに返して欲しい」
話ながらギリアンはシナーンの表情を観察した。
ヴィンセントがジェードはラシードに保護されているのではないかと言っていた。宰相の従兄弟にあたるラシードとシナーンが懇意ならば、ジェードの動向を知っているに違いない。
シナーンの表情は特に変わった様子はなかった。しかし、周りの顔をうかがいながら育ってきたギリアンは、シナーンはジェードについてを何か知っているように感じられた。
シナーン皇子はまた胸の前で腕を組み直し声を低めた。
「皇国へ不法侵入した者は、全て死ぬ運命だ」
「だけど、その娘は生きている」
ギリアンの言葉に、シナーンの眉がピクリと動いた。
「何故断言できる? 仮に国境を越え中央の地に入ったとしても、貴国の馬では西大陸までの砂漠を越えられまい。ましてや徒歩では」
西大陸に行くには、粉砂漠を超えるための特殊な馬蹄をつけなければならないのだ。それはオス・ローの装蹄師の仕事だが、今の聖地にはいない。
「シナーン殿下は神秘的現象は信じる方かな?」
ギリアンの言葉に、シナーンは少し首を傾いだ。
「私は天使信仰者だ。天使も悪魔も、もちろん神魔も魔女も信じているとも」
ギリアンはくすりと笑った。
「それなら、この話も信じてもらえそうだね。実はその少女は、双生児なんだ。その片割れが不思議な力で、彼女の生存に確信を持っているんだ」
「双生児……?」
「行方不明の娘は、僕の大切な友人の双子の姉だ。友は彼女がヴァロニアへ帰還するのを望んでいる」
「そのような事、私に頼むことではないだろう。情報屋でも雇うのだな」
シナーンはすでにジェードの事を把握している可能性が高い。ジェードを利用される前にもっと情報を与えておかないと、ジェードの立場が危うくなると思い、ギリアンは話し続けた。
「だけど君は、これから王位を勝ち取らなければならない僕とは違う。君は正統なファールーク宰相の後継者だ。宰相の名で命じれば、たとえ死体でもすぐに見つけられるだろう?」
シナーンはどことなく不満げに話を聞いていた。死体でもとは言ったが、本当に死体を希望しているわけではないことぐらいは理解してくれているだろう。
「彼女を見つけたらヴァロニアの客人として饗して欲しい」
「天使に誓おう」
シナーンの誓いの言葉を聞いて内心ほっとした。
そしてギリアンは、さらに大切な事をシナーンに伝えるために言葉を続けた。シナーンは信仰の伝承も、神秘的現象にも信仰心があるようだ。
「六年前に火刑された魔女がいたんだけど、その魔女の残した予言では、これからいくつかの国が滅び、世界は変わるそうだよ」
「魔女……」
「一体、何処の国が滅びるんだろうね。いくつかと言うから、ひとつふたつは滅びるかもしれない。それがファールークとヴァロニアでなければ良いけど」
言いながらギリアンはうっすらと笑った。
「……魔女と言うのは、悪魔と契約して力を得た者の事だな。貴殿も黒髪だが、貴殿もその魔女なのか?」
シナーンの問いに、ギリアンは青い瞳でシナーンをにらんだ。
異国の皇子の言うように、この黒い髪が悪魔との契約の証で黒くなったものであるなら、母イザベラとの関係もきっと違ったのだろう。ただ、どちらにしても棘の道には違いなさそうだ。
心の奥が熱くなるのを抑えて、ギリアンは淡々と答えた。
「失礼、シナーン皇子。僕は本来神秘的現象はあまり信じない性質なんだ。魔女の存在も、双子の話も正直半信半疑だ。
でもね、僕は友人の望みは何でも叶えてやりたいし、偽魔女の予言通りに世界も変えてみせようと思ってる。亡き父の望んだ無血の方法とは違うが、僕には僕のやり方があるからね。これから東大陸ではたくさんの血が流れ、ヴァロニアと言う国も消えてしまうかもしれない。でも、ファールークの援助がなくても、僕は必ず新しい王になるよ」
たとえヴァロニアが滅びても、絶対に自分が次の王になると心を決めている。シーランドや姉リナリーよりも、ヴァロニアの王太子派を支持することが得策であると伝わっただろうか。
小麦色の肌の少年の表情からは読み取れなかった。
「シナーン皇子、今日、君に会えて良かった。君からまた連絡が来るのを待っているよ」
ギリアンは先に岩場から立ち上がって海を眺めた。
「もうあそこまで潮が来てる。思っていたより、話せる時間は短いものだね」
ジェードが生きてどこかで保護されていることはわかっている。近々、またシナーンから連絡がくるだろう。
最後はうまくギリアンが主導権を握る形になった。
相手の要求を飲むことなく、巧くジェードを探す交渉に繋げられたことに、ギリアンは密かに胸をなでおろした。