6.朱鷺色の監獄
ファールーク皇国の皇都サンドラでは気温は年中同じで、真昼には四十度を越す暑気となる。
切り立った海岸沿いの高台に建てられた皇宮は、まわりをぐるりと城壁で囲まれた城砦となっていて、内地に向かって扇状に街が広がっていた。
宮廷内で最も大きな本宮は、見晴らしの良い東の海側に建てられていた。西の窓からは皇宮内も城下の街も見おろすことができる。下から見あげると、丸い大きな屋根があり、槍のような尖った塔が四方に建っている。アーチ状の柱が規則的に並ぶ回廊が建物のまわりに巡らされていた。
そして、宮廷の中には【王の間】とよばれる小さな建物があった。【王の間】とは皮肉で付けられた名で、本来の役目は監獄だった。
【王の間】のまわりは有刺鉄柵で囲まれ、窓にも鋳物の面格子がはめられている。外から中が見えないようにしているのか、またその逆なのか、窓の下には背の高い刃物の形の葉をした植物や、窓の格子をはうような蔦植物が植えられていた。
出入りの扉のすぐ外側には、鋳物の門扉までつけられている。
ここ十数年ほど使われていなかった【王の間】だったが、つい先日、聖地オス・ローから帰還した第二皇子のハリーファが、父親である宰相の命令でここに連れこまれた。
ハリーファの乳母役であるリューシャが【王の間】に行くと、入口に立っていた兵士は黙って施錠をはずした。
宮廷内で働く他の女と違い、リューシャだけは堂々と長い髪をさらしている。金の髪が背中で風にゆれ、彼女が通りすぎた後には花のような香りが残る。
中に入ると、入り口に飲料水をくんでおくための大きな水瓶が置いてある。リューシャはそのわきに置いてあったグラスで水をくむと、一口だけ口に含んで安全かどうかを確認した。
少し奥に進むとアーチ状の入り口があり、そこは応接室になっている。長椅子が二台、向かい合うように置かれ、椅子の大きさには合っていない丸いテーブルも置かれている。いつの間に清掃が入ったのか、テーブルの上、部屋の隅々まで埃一つない状態になっていた。
応接の奥の二枚戸の扉を開けて、リューシャはハリーファが寝かされている寝室へ入った。
寝室に入って目についたのは、壁に打ち込まれた拘束用の金具だった。明らかにそこに人を拘束しておくためのもので、とりあえず金具が開いた状態だったことに胸をなでおろした。
「ハリーファ様……」
ベッドで眠る少年に声をかけるが返事はない。深い眠りに落ちているようだ。
一体何が起こったのか、ハリーファの顔は傷だらけで、右頬の大きな刀傷に薬布が張られている。まるで地面を引きずりまわされたように、頭皮にも擦り傷があり、金の髪の下にところどこ出血の跡が見える。
首から下は掛布で見えないが、ちゃんと二本の手と足がついているのか心配になった。
「どうして、こんなひどいお怪我を……」
リューシャはハリーファの姿を見て両手で口元をおさえた。
「それに、こんなところに軟禁だなんて……」
リューシャは一人呟きながら室内を見まわした。
【王の間】へのハリーファ軟禁を命じたのは、この国の宰相でハリーファの父親だ。
砂色の本宮とは違い、この館は朱鷺色をしていた。内装には幾何学模様のタイルで装飾が施されており、長椅子やベッドなどの調度品も決して質素なものではない。
窓の外はぎらぎらと太陽が降りそそいでいたが、窓を隠す植物によって日差しはさえぎられ、室内は驚くほど快適だ。
本宮の片隅に与えられたハリーファの狭い部屋よりもここは快適かもしれないと、リューシャは心の中で考えた。
「どうしてハリーファ様ばかりこんな目に……」
口ではそう言ったが、おおよそ見当がついていた。リューシャは宰相の女奴隷だ。宰相の命令で生まれてまもなく母を亡くした第二皇子の乳母になった。それが他の妻たちは気に食わないらしい。
ハリーファが死ねば、皇子を死なせた罪でリューシャは失脚する。だが、逆にハリーファが成人する十二歳まで無事に育て上げれば、リューシャは宰相付きの女奴隷の中でも今まで以上の地位を得ることになる。
ハリーファは今回の事件前にも、一週間以上も謎の熱にうなされていた。それが本当に病だったかどうかわからない。
ハリーファの敵は異母たちだけではない。第一皇子のシナーンも、幼いころからハリーファをひどくいじめていた。ただ、こちらは陰湿な女たちに比べるとまだかわいいものであったし、最近シナーンは成人したのを機会にいじめはぱたりと止んでいる。
「……ファ、ティマ……?」
ハリーファはうっすらと目を開けリューシャを見てつぶやいた。
「あぁ、良かった……。お気づきになられて」
リューシャはそう言って涙を流した。傷だらけの顔のどこに触れたら良いかわからず、心配そうにハリーファを覗き込んだ。
「お母様の夢を見られていたのですか?」
リューシャは優しく声をかけたが、ハリーファは見慣れぬ部屋の様子に突然おびえだした。
天井はゆるやかに円形を描き、そこには茶色の焼煉瓦が埋め込まれている。焼煉瓦でほどこされた太陽や星の模様がハリーファの翠の瞳に映った。
「こ、こは……」
ハリーファの部屋とは違うことに気がついたようだ。にわかにハリーファの顔が引きつった。声にならないうめき声を出し、後ずさるようにベッドの上でもがき半身を起こした。
「ハリーファ様?」
リューシャは優しく声をかけながら眉根をよせた。
「ハリーファ様、もう大丈夫ですよ。ご安心くださいませ、ここは宮廷です」
青ざめたハリーファを安心させるように言葉をかけるが、ハリーファは目を見開き呼吸を荒げた。
「嫌だ! ここから出してくれ!!!」
突然声を張りあげてハリーファはベッドの上で暴れだした。
リューシャが押さえつけたが、はねのける勢いだ。もう十一歳になる少年を押さえつけるにはリューシャ一人の力では足りなくなっている。
入り口にいた見張りの兵士二人が室内の異変に気づき、部屋に入ってくると、リューシャに代わってハリーファを押さえた。
「ハリーファ様! ハリーファ様、落ち着いて!」
リューシャはハリーファを抱きとめるようにして落ち着かせようとしたが、兵士に捕らえられている両腕を離せと暴れ続けた。
結局、ハリーファは残り少ない体力を使い果たすまで暴れ続け、その後おとなしくなった。兵士たちは持ち場に戻り、リューシャはベッドの横の椅子に腰かけた。
ハリーファは天井を見つめて涙を流していた。
「ハリーファ様? ……聖地で、恐ろしい目にあわれたのですか?」
横でリューシャが心配して声をかける。しかし、ハリーファは答えず、リューシャの顔を見ようともしない。
「昨日、こんな御姿でお戻りになられて……。わたくしの所為でこんなことに……」
リューシャは、自分が目を放したすきにハリーファがいなくなったことに深く責任を感じていた。
「ハリーファ様の為に宰相様がすぐにお使いを出してくださったのですよ」
「どうして聖地なんかに向かわれたのですか? わたくしが聖地の御話などお聞かせしたから……?」
「ハリーファ様? お水をお持ちしましょうか?」
何を問いかけてもハリーファが答えないので、しばらくしてリューシャも何も言わなくなった。
ハリーファが再び眠りにつくのを見つめ、リューシャは自分の身の上を案じた。
(ハリーファ様が御無事で本当に良かった……。ハリーファ様の身に万一のことがあったら、もうわたくしは宰相様の御傍には居られなくなる。そんなことは絶対あってはならないわ……)
大小の格子を組み合わせた木枠の付いた窓から橙色の光が斜めに射しこみ、もう時間が夕刻になったことを知らせていた。
【王の間】の入り口でガチャリと大きな鍵をはずす音が聞こえ、ハリーファは目を開けた。
漆黒の髪と目をした小麦色の肌の長身の男が、憮然たる態度でハリーファが寝かされている寝室まで入ってきた。ハリーファの父親で宰相のジャファルだった。
ジャファルはリューシャとハリーファを見て二人をにらんだ。
「まだここに居たのか、リューシャ……」
リューシャは自分の主人に対して腰を落として深く頭を下げ、ハリーファには何も言わず部屋を出て行った。室内にはジャファルとハリーファの二人になった。
ジャファルは眉間にしわを寄せたまま、ベッドに近づくと横たわるハリーファを見おろし、じろりとにらみつけてきた。ハリーファも射るような視線をジャファルに返す。二人の視線がぶつかり、間に見えない火花が散った。
「父……上」
「命に別状は無いようだな、ハリーファ」
ハリーファの様子にジャファルは忌々しげに声のトーンを一段落とした。
「ハリーファよ、なぜ勝手に皇宮を出たりした? 何も知らないお前が一人では抜け出すことは無理だろう。誰の手引きがあったのだ?」
言うやいなやジャファルは答えなど待たず、ハリーファの手首を掴んで無理に身体を起こさせると、顔をきつくはたいた。
その勢いで、ハリーファはベッドから落ち、顔の傷から血がにじみ出た。
「っ…………」
まだ体力が戻らないハリーファは、立ち上がることもできず、無様に床にはいつくばった。血のにじむ顔だけを持ちあげて、父親をキッとにらんだ。
ジャファルは冷たい表情のまま、床にうつ伏せのハリーファの左足を容赦なく踏みつける。何かが折れる嫌な音が室内に響き、ハリーファの身体に激痛が走った。苦悶のあまり顔をしかめるがハリーファは叫び声をこらえた。その事が余計にジャファルの癇に障ったようであった。
「今後皇宮を出るような真似は、絶対に許さん」
そう言うと、今度はハリーファの右手首を踏みつけた。ハリーファが苦痛にうめき顔を歪めても、理不尽な行為をやめようとはしない。ハリーファの全身から汗がにじみ出た。
「十二まで待ってやろうと思っていたが、今後ここがそなたの部屋だ」
ジャファルが踏みつけていた足を退けると、ハリーファの右手首はあらぬ方向へ曲がっていた。
ハリーファは右手首と左足の激痛に身動きできず、ジャファルの激高する心の声もほとんど耳に入ってこなかった。
「治るまではここから出ずに大人しくしていろ」
ジャファルは自分の服の乱れを整え、【王の間】から立ち去っていった。床につっぷしたまま動けないでいるハリーファの耳にも、【王の間】を施錠する音が届いた。
ジャファルとリューシャの話す声が聞こえたが、二人の声は小さくなりやがて聞こえなくなった。
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