52-2
ローゼン領は大雪に見舞われ、新年から街は真っ白に染まっていた。
ホープは午前中の訓練の後、午後からは世話になっているクート家の厨房で、窯の横に運んできた薪を丁寧に積み上げていた。
厨房は朝食の時の火が残っていて、とても温かく、ホープは袖をまくりあげて仕事に勤しんでいた。
厨房の木の扉が開き、その場にとても似つかわしくない男が廊下から入ってきた。ヴィンセントは厨房の片隅で汗を流すホープを見つけると傍にやってきた。
「ホープ、これを」
そう言って差し出されたのは、四つに折りたたまれた紙だった。
「なんですか?」
「誕生日のプレゼントだ」
「……手紙?」
開けても良いのか、ホープは上目遣いにヴィンセントを見やると、ヴィンセントは穏やかにうなずいた。
「差出人はジェードだ」
「えっ?!」
ホープは思わず声をあげ、折りたたまれためずらしい手触りの紙を慌てて開いた。
『ママ パパ そして ホープ
愛てるわ』
それは、たった二行の手紙だ。読み終わるのは一瞬だった。
ホープは手紙の文面をしばらく眺め続けた。
日付は昨年の七月となっている。父親の名前も書かれている。ジェードは父親が亡くなったことは知らないのだ。ホープは、心の中の複雑な思いに鼻をすすった。
手放しに喜ばないホープを、ヴィンセントはじっと見つめてくる。
ヴィンセントに問われる前に、ホープは口を開いた。
「ジェードは読み書きは出来ないんです。これは偽物かもしれない。誰かがぼくをだまそうとしているのかもしれない」
ホープの冷静な判断に、ヴィンセントも頷いた。
「本物かどうかはわからないが、この手紙はファールーク皇国から届いたものだ」
「ファールーク……皇国……」
「ジェードは聖地ではなく、ファールーク皇国のどこかにいる、と言うことだ」
手紙の内容は家族に宛てられたものだったが、ヘーンブルグの領主へと届けられた。これは、ヴィンセントが一年前に出した捜索依頼への返事だろう。
この手紙は、ジェードを見つけたという合図だ。西大陸でしか採れない植物から作られた紙は、ジェードが聖地オス・ローのある中央の地を通り越して、西大陸にいると言うことを示している。
そして、本人が書いたかどうかは明らかではないが、ジェードが生きていることを示唆してきた。
「ジェードの自筆ではないとしても、この手紙はジェードが生きているというメッセージだ。ジェードの魔女疑惑を撤回するにはもう少し時間がかかりそうだが、私は約束は守る」
その言葉を聞いて、やっとホープの表情が明るくなった。
「ありがとうございます。でも、こんな手紙なくても、ぼくにはジェードが生きていることはわかるんです……」
口ではうまく説明できないが、双生児にしかわからない感覚だ。手紙を握りしめながら、ホープは目を閉じ、双子の姉の無事を心の中で祈った。
すると、不思議な感覚が生まれる。
『……ホープに手紙は届いたかしら』
そんな声が胸に聞こえてきた。
こういった事をヴィンセントに説明するのはとても難しいのだが、ホープは時々ジェードと感覚を共有したり、声が聞こえたりすることがある。
「ヴィンセント、あの、……やっぱりこの手紙、もしかしたら、本物かもしれません!」
「そうか。ならば、君が持っておくと良い」
「ありがとうございます」
ジェードが村に帰ってこれるように魔女の疑いを晴らすつもりだったのが、今では自分が何処に向かっているのかわからなくなる時ある。
だが、今黒髪の王太子に必要とされている事は、ホープがここにいてもいいという心の支えになっていた。
「では日没後にな。城で待っている」
「はいっ!」
ようやく、ホープは腹から声を出して返事をした。
ヴィンセントは城の会議室の窓辺から、城下の白い屋根を見下ろしていた。昼間に融けきらなかった雪の上に、また雪がちらついてきた。
(ジェードはファールーク皇国でヴァロニアの文字を読み書きできる誰かに、文字を教わったということか)
誰も居ない部屋で、ヴィンセントは独り考えた。
ルースが読み書きが出来たのは異例だった。だからこそ領主の屋敷の女中になれたのだ。羊飼いのジェードは当然字が書けないと思い込んでいた。百年以上鎖国を続けるファールーク皇国で、ヴァロニアの文字を読み書きできる人物や家は限られてくる。
そして手元には、ジェードの手紙と一緒に届いた手紙がもう一通ある。ヘーンブルグ領主に宛てての密文書だった。これはホープには見せていない。
ヘーンブルグ領主に宛てられているため、ホープには黙っていたが、ヴィンセントにはこの手紙の内容を伝えるべきかどうか悩む相手がもう一人いた。
それは、ギリアンだ。
義理堅いギリアンのことだ。彼自身もホープの為に、ファールーク皇国に対してジェードの捜索を依頼しているに違いない。自分とは違い、王族独自の情報ルートもあるだろう。
ギリアンの方の取引相手はジェードを見つけることができたのだろうか。
その密文書には魔女を引き渡すための条件が書かれていた。ジェードを生きたまま引き渡すための条件だ。
差出人は書かれていないが、仲介人はメンフィスのラシードだと特定できている。ラシードならばヴァロニアの文字を読み書きできるので、ジェードはすでにラシードの手に渡っていると思われる。
そのラシードが、魔女の引き渡しにギリアンの王位戴冠を条件としてきた。
ラシードは以前二重王国制を推していたはずだ。リナリーの息子アンリを戴冠させたいはずだ。それがどういう理由で、アンリではなくギリアンの戴冠を推してきたのか、ヴィンセントは思案した。
「ラシード・アル・ハリード、ファールークの元《《第二皇子》》の息子か。何故ギリアンの戴冠を推してきた」
この相手は本当にラシードなのだろうかと疑念も沸く。もとよりラシードの動向に関係なく、ギリアンは必ず戴冠させるつもりなのだ。
コツコツと扉をノックがされ、思考が遮断された。ギリアンが入ってきた。
「ヴィンセント、少しいいかな」
黒髪の青年は、温かそうな毛織物の衣装を身につけていた。
「もちろん。君を待っていたんだ」
ヴィンセントは手紙を服の中に隠すと、窓辺からテーブルへと移動し、ギリアンと向かい合わせに座った。
「これを、見てくれないかな」
ギリアンの手には細く巻かれた小さな紙があった。それを受け取り、くるくると巻いた紙を横にひきのばすと、とても小さな文字で端的に文書が書かれていた。
「数日前に、僕宛に届いたんだ。まだ公にはしたくない」
細かい文字を、目をすがめながら読む。
「ファールーク皇国のシナーン皇子が、君との密会を望んでる? 本当か?」
ギリアンは黙って二回頷いた。
「僕がまだ《《王太子》》のうちに……らしいね。ファールークはここ二百年ほど鎖国政策を決め込んでいたのに、何故今こんな事を言ってきたんだろう」
「どうやらむこうも我々の動きを聞きつけたようだな」
魔女狩りの件が、ファールークのシナーン皇子の耳に入ったのだろうか。宰相ジャファルの従兄であるラシードは、皇族との繋がりも深いはずだ。
「姉上の罠という可能性はないかな?」
「いや、それはないだろう。しかし、シーランドとランス東部、そこにファールーク皇国まで敵に回すのは考え物だな」
ギリアンはテーブルについた手を顔の前で組み、ヴィンセントの話にいつものように二回頷いた。
「どうする気だ?」
「それを君に相談したかったんだけどね。ちょっと困ったことがあって」
ヴィンセントの蒼い視線をまっすぐに受け、ギリアンは困ったように笑う。
「僕の方からシナーン皇子に連絡を取る手段がない」
すでに相手に主導権を握られている状態であることを伝え、ギリアンはため息を漏らした。
日没を知らせるの鐘の音が、街の方から聞こえてきた。会議室に居た二人の耳にも鐘の音は届く。
「時間だな」
ヴィンセントの一言で、ギリアンは気持ちを切替えた。この後は、楽しい時間が待っている。
「そうだね、行こうか。ホープの誕生日を祝ってあげよう」
扉を開けると、石の廊下に反響して、弦楽器の楽しげな音が響いてきた。




