52.十五歳の誕生日
1427年1月6日、ホープとジェードは十五歳の誕生日を別々の場所で迎えた。
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一月の六日目、ファールーク皇宮内は夜半にも新年の祝宴が続く。
十五歳の誕生日を迎えたジェードは、いつもより少し早く目が覚めた。
窓の外はうっすらと明るくなってきている。同じベッドの隣で、ルカはまだ眠っている。ジェードはルカを起こさないように、静かに着替えをすませ部屋を出た。
昨年の十一月から、ジェードはアーランの身の回りの世話をするために、【王の間】を出て他の家奴隷たちと一緒に生活していた。アーランの立場の問題で、ジェードは家奴隷としてアーランの世話をしなければならなかった。
ジェードがハリーファの元を去ったことを知ったシナーンは、ハリーファに『もっと優秀な奴隷』を無理矢理与えた。優秀な女奴隷と言うのはシナーンの乳姉弟だったようだ。
ハリーファの奴隷を辞めてからも、ジェードは早朝に一回だけ水を届けに【王の間】へ行く。
しかし、夜は【王の間】の扉が施錠されるようになったため、毎朝水瓶をそっと玄関前に置いていった。
この二ケ月間、ジェードとハリーファが顔を合わすことは一度もなかった。
だが、今朝は【王の間】の扉が開いていた。そしてその前にハリーファが立っていた。
「ハリ!?」
ハリーファは朝に弱いはずなので、驚いてうっかり大きな声を出してしまった。
ジェードの声を聞いて、ハリーファは人差し指を口の前に立てて、静かにしろと合図してくる。奥の部屋で、シナーンの女奴隷がまだ眠っているのだろう。
ジェードは小走りしてハリーファに駆け寄った。
「……えっと、この年があなたとあなたの家族と、ファールークの民に、喜びと幸せをもたらしますように」
小さな声で、教えてもらった新年の挨拶をする。それを聞いてハリーファは小さく笑った。昨年はそんな挨拶は知らなかったはずだ。
「ジェード、俺の家族はお前だ」
ハリーファの言葉に顔が熱くなった。この国の奴隷制度はともかく、ハリーファの奴隷を辞めた今でも、ジェードのことを『家族』だと思ってくれていたことは素直に嬉しく思えた。ハリーファはこんなことを口にする人だったのかと、少しくすぐったい気持ちになる。
「近くにいるのに、こんなに会えなくなるなんて思わなかったわ。でも、今日はハリに会えて、本当にうれしい」
ジェードは久しぶりに家族に会えたように喜んだ。ホープは双子なので自分にとっては何よりも特別な存在なのだが、ハリーファに会えて兄弟と会ったような温かい気持ちになった。
昨年ハリーファから贈られた鉄製の櫛で、ジェードは今日も黒髪をふわりとまとめあげている。
「今日はお前の生誕日だろう」
ハリーファが自分の誕生日を覚えてくれていたことに、ジェードは声をはずませた。
「十五歳よ」
ハリーファは握っていた手を開いて、ジェードに差し出した。真っ白な手のひらには四角い小さな金属のボタンがのっていた。
金属ボタンを見て、ジェードはハリーファの意図を理解した。昨年は誕生日の贈り物が遅れてしまったから、今年は遅れないように贈り物をくれたのだ。
「ありがとう。後で服に縫い付けるわ。これでこれから一年間病気にならないわ」
「こんな物でそんなに嬉しいものなのか?」
「もちろんよ!」
ハリーファの元を離れてから、たった二ケ月だったが、年末の買い物に家奴隷たちと皇宮を出て市場に出かけたり、今まで知らなかったファールークの生活を教えられたりしたようだ。
「わたし、もう行かなくちゃ」
本当はもっと話がしたいが、アーランが起きる前に、戻って朝の支度をしなければならない。
「待て、ジェード。頼みがある」
ハリーファは、立ち去ろうとするジェードの腕をつかんだ。
「アーランに伝えてくれ。俺が『ラシードに会いに行く』と言っていたと」
「わかったわ」
真剣な表情のハリーファに、ジェードはうなずいた。
ジェードとアーランの関係も良好なのだろう。夫ラシードの話もアーランから少しは聞いてはいるようだ。
「それから、今日の昼に厩舎に来い」
そう言って、ハリーファはジェードの腕をそっと離した。
その日の午後。
第二皇子が女奴隷から乗馬を習っている、という噂が家奴隷たちに広まった。面白そうな話を聞きつけて、炎天の下、二人の姿を覗きに来る野次馬もいた。
厩舎に来いと言われてやってきたところ、馬丁が気の優しい二頭の馬を準備してくれていた。ジェードとハリーファはそれぞれ馬にまたがり、皇宮の敷地内をゆったりと散歩する。
ハリーファの服装は奴隷たちと変わらない簡素なものだが、金色の髪は日差しを浴びてキラキラと輝いていた。
ジェードのために、ハリーファは乗馬に付き合ってくれている。これも、きっと誕生日のお祝いなのだろう。
「ハリ、ありがとう。わたし、動物の中でも馬が一番好きよ」
ジェードと馴染みの家奴隷たちは、馬上に向かって声をかけてくる。茶々を入れられると、ジェードは馬にわざと荒く歩かせて見物人を追い払った。
「何か欲しい物はないのか? 俺に出来る事なら、俺が叶えてやる」
昨年の誕生日、ジェードは父親の短剣を取り戻したいと無理を言ってしまい、結局二人ともその日は少し辛い思いをしたのを思い出す。今年はそうならないようにと、ジェードは必死で考えた。
しかし、その無理だと思っていた父親の短剣も、ハリーファはどうにかして入手し、ジェードに渡してくれた。さらに、文字の読み書きも教えてくれた。そのおかげで故郷に手紙を出すことも叶ったのだ。
(今日はホープも誕生日ね。もうホープに手紙は届いたかしら)
ずいぶん前に書いた初めての手紙のことを思い出した。
今までにハリーファからもらったもの以上に、欲しいものは何も思い浮かばなかった。
「何もないわ」
「夜着は?」
「夜着なら、お下がりをもらったから大丈夫よ……」
以前、裸で寝ていた姿を見られたことを思い出し、気恥ずかしさにジェードの顔が染まる。
「そ、そうだわ、春にまた行商隊が来るでしょう? あの市場を、《《一緒に》》見に行きたいわ」
「マーケットを? そうだな、約束しよう」
ハリーファの返事を聞いて、ジェードの顔がほころんだ。
「でも、約束はダメよ。何かに誓って。だって、ここでは約束は守られないんでしょ」
「何に誓えばいいんだ」
二人は馬の背に揺られながら、他愛ない話を続けた。
「ハリは、馬に乗れないって聞いていたんだけど、初めてとは思えないわ。何でも出来るのね」
「初めてじゃない。二度目だ。家奴隷の噂をいちいち信じるな」
「そんなこと言うけど、彼女たちの言うことって大体正しいのよ。ここでの生活についても色々教えてもらったし、勉強にもなるわ」
確かにジェードの言うとおりでもあった。ハリーファの事についても、皇族付の奴隷よりも家奴隷たちの方が良く知っている。
「ジェード、あの黒人奴隷のことを、家奴隷たちは何か噂していなかったか?」
「……黒人奴隷って、……ソルのこと?」
「ああ」
ジェードがソルと会ったのは二回だけだった。まるで脅迫するように、櫛を外された事を思い出す。それ以降、ソルは皇宮に現れていないし、当然アーランの元にも来ていない。
「噂なんてとくに聞かないけど、ここに黒い肌の人が来るのは珍しいって、皆が言ってたわ」
「《《皆》》と言うのは、誰の事だ?」
「井戸端小屋とか、厨房とかの皆よ」
晦日礼拝の前から、ソルはいろんな場所で目撃されていたというのか。ハリーファと出会った場所のことを考えても、第四夫人の部屋の位置から考えても井戸や厨房付近をうろつくのは不自然だ。
昔【王】を殺したラシードは、ソルやアーランを使って一体何をしようとしているのだろうか。
「ジェード、周りを良く見て覚えろ。後で城下への抜け道を教える」
ハリーファはつぶやいた。
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