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天国の扉  作者: 藤井 紫
第一章 奴隷皇子と亡命の魔女
13/193

5-3

「居たぞ! こっちだ!! 急げ!」

 遠くから近づいてくる別の声が響いた。アルフェラツに集中していた少年の意識は、その声に邪魔された。

 瓦礫の上を走る複数の足音が聞こえてきたかと思うと、異国の服を着た男が数人向かってくるが見えた。その瞬間、少年の顔に怒りが浮かぶ。

「……くそっ」

 少年は舌打ちをすると、初めてジェードの方に顔を向けた。ジェードの手に握られた短剣を見てジェードにぶつかる勢いで駆けよってきた。

「貸せっ!」

 少年は怒鳴りながら強引にジェードから剣を奪い取った。短剣から手を離さなかったジェードは勢いよく地面に振り倒された。

 ジェードには構わず、少年は向かってくる男の方へ走って行く。

「駄目よっ! 返してっ!」

 ジェードはすぐに立ち上がると、体当たりして少年を止めた。二人は砂の上にもつれ込んでしばしもみ合いになった。

「返して!」

「何をする! 離せ!!」

 奪われた剣を取り返そうとしたジェードは、いとも簡単に少年に組み伏されてしまった。少年はジェードに馬乗りになり、右手で左手を、左手で右手を取り押さえた。短剣を取り返そうとジェードは暴れて必死で抵抗した。

 その時、少年の手に握られていた剣先が少年の右頬をサッとかすめた。

「……っ!!……」

 少年の真っ白な右頬に一瞬にして赤い縦線が浮き上がった。赤い線はじわじわと膨れ上がるとあごの方につたい、ジェードの顔上にポタポタと落ちてきた。少年の血の熱さにジェードはひるんで抵抗するのをやめた。

 少年はその瞬間を逃さず素早く離れると、切られた頬など気にもとめず、顔を真っ赤に染めたまま聞こえた声のほうに向き直った。

 三人の男が足場の悪い瓦礫の中を二人に近づいてくる。三人とも同じ服で、腰には皆大きな剣を携えていた。

「ハリーファ皇子!」

 男のうちの一人が少年に向かって叫んだ。

(……お、皇子!?)

 少年の後ろで地面にへたり込んだままのジェードは混乱した。ぬれた顔をそででぬぐうと、少年の真っ赤な血がついた。

 男のうち一人が、ハリーファと呼ばれた金の髪の少年に近づいてきた。

「ハリーファ皇子! ご無事ですか?」

 男はハリーファの前にうやうやしくひざまずいた。ハリーファの顔の傷を見ると、その後ろにいるジェードをにらみ付けてきた。さっきハリーファとジェードがもみ合っていたのを遠目に見たようだ。

「そのお顔のお怪我は、あの者の所ぎょ……」

 男がすべてを言い終わらないうちに言葉が途切れる。

 何が起こったかすぐには分からなかったが、ジェードからは、その男の末魔の形相がはっきりと見えた。

「……!!……」

 男のみぞおちにジェードの短剣が斜めに刺さっていた。一気に呼吸を断たれ、声も出ない。後から来た二人の男は、背後からその異変には気づいていなかった。

 刺された男はそのまま前方に倒れこんだ。そこで初めて、後から来た二人の男たちは仲間の異変に気がついた。

「おいっ! どうした!?」

 少年は男に突き刺した短剣を捨て置き、すかさず倒れた男の腰から剣を抜き取った。そしてその切っ先を二人の男たちに向けた。

「ハリーファ皇子!?」

「気でも触れましたか!」

 男の一人がすいっと音を立てて抜刀し少年に向ける。

「おい! 必ず生かして連れ帰れと、陛下からの命令だ!」

「奴隷皇子だ。それにもう切られてる」

 もう一人が制したが、抜刀した男は剣を振り上げると少年に切りかかった。

 びゅうと風の吹くような音がジェードの耳にも届いた。剣身が鞘をすべる音、砂地をこすった音を聞いて、ジェードは背筋に悪寒が走った。

 少年は敏捷な身のこなしでその剣筋をかわすと、両手で男のわき腹あたりを刺した。刺された男は苦痛にあえぎ、絶叫にも似た悲鳴をあげた。すかさず剣を男のわき腹から引き抜くと、間髪入れず喉をかっ切った。叫び声は止まり、代わりに男の首から血が噴き出し辺りは真っ赤に染まっていく。

 その血しぶきは少し離れていたジェードの所にまで届いた。男が地面に倒れてもなお血は噴き出し続け、砂と石畳の隙間に吸われていく。

「ハリーファ様、何を!? ……くそっ!」

 仲間が二人とも殺され、最後の男もとうとう剣を鞘から抜いた。少年の目から感じられるのは、狂気ではなく正気の殺意だった。

「やっとここまで来たのに……、俺は……」

 少年が独り語ちた。その翠の目には少年のものとは思えない鋭い光をたたえていた。

 ジェードは目の前で起こる戦慄の出来事に目をふせた。

 金属のぶつかり合う音と肉の切れる鈍い音が聞こえる。心の中で悲鳴をあげた。このまま少年が殺されてくれればと願った。


 しばらくしてまた人が倒れる音が聞こえ、ジェードはそっと目を開けた。

 立っていたのは呼吸を乱している少年だった。辺りは一面赤く染まり、返り血は少年の髪を茶色く染めしたたり落ちていた。

 嗅いだことのない血の匂いが広がり、遠くから馬のいななきが聞こえる。

 全身真っ赤に染まり地面に倒れている三人の男たちの顔は、皆ジェードの方を見ているようだった。その光景は、ジェードが暮らしてきた田舎の生活とはかけ離れすぎていた。

(い、いや……)

 まだ地面に倒れたままだったジェードは、腰が抜け、足が震え立ち上がることもできなかった。訳がわからず砂の上をもがいているだけだった。

 少年はジェードの方に向くと、天使の姿がないことに気が付いた。

「【エブラの民】よ! どこへ行かれた!」

 大声で叫びながら、折れた柱の影や崩れた壁の裏を探し回っている。

(天使様、……本当に、わたしはこの子を殺さないといけないの……?)

 少年は青白い顔でジェードをにらんできた。全身返り血に塗れ、剣を握る手からも血がしたたっている。

「貴様……」

 もうジェードの手元に父親の短剣もない。

 少年から殺意を感じ、ジェードは恐怖に襲われた。少年はゆっくりとジェードに近づいてくる。

 気が遠くなり、ジェードは熱くなった地面に抱き寄せられるかのように倒れこんだ。




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