表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天国の扉  作者: 藤井 紫
第四章 天使の子 悪魔の子
129/193

49.ハリーファと似た男

 夕刻にメンフィスに戻ったソルは、いつものように真っ先にラシードの部屋を訪れた。

「おかえり、ソル」

 ラシードの声を聞いて安堵した。アーランが葬儀礼拝に行った後から病状が悪化していた主人も、今日は調子が良さそうだ。

 午前中の晦日礼拝で、ラシードより少し若い年齢の宰相の姿は、元気だった頃の主人を彷彿とさせた。このまま快方に向かえばと、心の片隅で願わずにはおられない。

「朝早くに出て行ったかと思ったら、夕方にはきっちり戻ってきて。毎日私の世話ばかりで大変だろう」

「何言ってんだ」

 ラシードからのねぎらいの言葉も、もうすっかり聞きなれてしまった。

「アーランはどうだった? 一緒に戻って来ていないのかい?」

「それが、皇女さん絶対安静だ。動いたら生まれちまうんだって」

「それは……心配だな。【天使】(モリス)よ、妻と子がどうか無事に……」

 ラシードは瞑目(めいもく)し祈りはじめた。ソルはその様子を黙って見つめる。

 病床についたころから、ラシードはこうして時々一人で祈っている。ソルには、その祈りがひどく孤独に思えてならない。

 ラシードは一体何に祈っているのだろう。この祈りは、本当に【天使】(モリス)とやらに届いているのだろうか。

 祈り続けるラシードの手は、肉が落ち、骨と筋が浮いている。その手を覆うように、ソルは自分の手を上から重ねた。昔はとても大きく感じた養父の手が、今は自分の手の中に納まってしまう。

 初めてアーランの懐妊を知った時は複雑な気持ちだったが、赤子が無事に生まれてくることを、今ではソルも心から願っている。アーランが生むのは()()()()()()なのだ。命を繋ぐことができるのは、女だけなのだと気づかされた出来事だった。

 祈りを終えたラシードは、組んだ手をほどき、ソルの髪を子どもにするようになでた。

 今のラシードは顔色も滑舌も良い。長く体を起こしていても疲れないようだ。

「今日はとても調子が良い。私も一緒にサンドラに行けば良かったかな」

「いや、捕まっちまうだろ」

従弟殿(ジャファル)【王】(ルクン)を殺した私を見逃したのは、偶然にも、皇宮内でハリーファ皇子が【王】として生まれたからだったのだろうな。もっと早くに気付いていれば……」

 ラシードが何のこと言っているのかわからず、ソルは少し首を傾いだ。

 ここしばらく臥せっていたラシードに、七日前の出来事を報告する。

「そういや、前にさ、ヴァロニアが二人の魔女(ウィッチ)を探してただろ? その魔女、見つけたんだ。名前が違うから二人いるんだと思ってたんだけどさ。その魔女、同じ人物で、しかもハリーファの女奴隷(ジャーリア)だった」

「ハリーファ皇子の女奴隷が、ヴァロニアの魔女(ウィッチ)?」

「うん、間違いねぇ。今日は皇宮で姿を見なかったけどな」

「……どういうことだ。やはりヴァロニアがハリーファ皇子に関与しているのか? ソル、その魔女探しの事だが、一つは王太子派のヘーンブルグ領主で、もう一つは反王太子派の王族の誰かが出したものだろう。

 おそらく、この魔女狩りは王太子を王位に就かせない為の切り札だ。ヴィンセントが王太子派につくことを阻止するためだったと、私は思うんだ。ヴィンセントがついた方が必ず勝つのだからな」

「なんだよ、そのヴィンセントってやつ……」

「ヴィンセント卿は、噂ではとても美男子で、そして冷酷な男だと聞いている。金の髪に宝石の様に美しい蒼い瞳の男らしいぞ。私も会ったことはないんだがね」

「ふぅん」

 目の色こそ違うが、金の髪と聞いてソルはハリーファの姿を思い浮かべた。改めて考えると、ハリーファもかなりの美少年だ。それでも、ハリーファは善良ではなくとも冷酷ではない。むしろ弱さを感じるくらいだった。

「もうヴィンセントは王太子派についたんだろ。だったら魔女を引き渡すとしたら王族の方かな?」

 確か、魔女と引き換えに身代金を出すと言った、身なりも良く、取引にも慣れていた方だ。

「魔女の取引は、お前の好きにすれば良いさ。ヴィンセント卿が動いた後になって、王族側に魔女を引き渡しても、状況が覆るとは思えん。しかし、オス・ローを復興させるには、東大陸(フロリス)内の争いをいかに長引かせるか。このままギリアン王太子をヴァロニアの王にして、ヴァロニアとシーランドの争いを継続させても良い。ギリアン王太子が王になるのを、リナリーとシーランドが阻止するはずだ。もしリナリーの子が王位についても、ヴァロニアの諸侯達が反乱を起こす。ヴァロニア内部で争いは続くだろう」

「じゃあ魔女はこっちの利益の多い方に引き渡すよ」

「しかし、魔女の事よりも、オス・ローを解放するためには、ハリーファ皇子をファールークから追放しなければならん」

「ハリーファを追放……? ……今日、ハリーファにラシードに会いに来るように言ったけど、あいつはダメだ。何を恐れてんのか知らねぇけど、皇宮から出たがらねぇんだ。皇宮からも出れないのに、ファールークから外に出るとは思えねぇよ」

「ハリーファ皇子がヴァロニアの誰かと繫がってるなら、人質としてでも引き取ってもらうのが良さそうだな」

 ラシードはそこでふと語るのを止めた。

 ソルは、目の奥が熱くなってくるのをこらえる。ラシードとこんなに話せるのは久しぶりだった。

「ソル?」

 少年は、無意識のうちに出来ていた眉間のしわを伸ばして、ラシードの黒い瞳を見つめ返す。

「オレ、ラシードに、聖地オス・ローを見せてやるから……」

 その言葉に、ラシードの口角のしわが深くなった。

「ありがとう。お前のような息子がいて、私は果報者だ、ソロモン」

 もうラシード以外が呼ぶことのない本当の名がくすぐったい。名を呼ばれて胸の奥が熱くなる。

「ソル、あの棚の、鍵付きの引き出しに入っている物を取ってくれないか」

「うん」

 鍵付きの引き出しは、その鍵自体が取手となる。刺さったままの鍵を直角にカタリと回し、引き出しを開けた。そこには紐で綴じられた表紙付きの紙束が入っていた。

「これか?」

「ああ、そうだ」

 ベッドに戻りラシードに紙束を手渡す。その表紙には1218という数字が記されていた。

「ここにファールークの呪いを解くヒントが書かれている。ハリーファ皇子が引き籠ってる理由もわかるだろう」

 ラシードは渡された紙束を開きもせずに、ソルの手に戻した。

 いつもアーランが座っていた椅子をベッドに近づけて座り、ソルは前のめりに受け取った紙の束をめくった。表紙の題に違わず、1218年の皇宮内の記録が記されているようだ。

 ソルはベッドにもたれかかるようにして、黙ってページをめくる。

 半分ほど流し読んだソルが、ポツリと呟く。

【宰相】(アーディン)と悪魔が契約とか御伽話かよ……。くだんねぇ慣習だな……」

 ばかばかしい……とソルは心の中ではつぶやいた。

「だが、そう言う因習は、大体どこの王家にもあるものだぞ」

「オレは悪魔(シャイターン)神魔(ジン)も信じねぇ」

 ラシードはハハッと笑った。

「そうだな。お前が天使(マラーク)さえも信じていないのは知っているよ」

 ラシードはソルの黒い髪に触れ、また優しくなでた。

 記録に目を通しているうちに、ソルの瞼はだんだんと重くなってきた。ここ数日間、ラシードの調子が悪かったこともあってずっと気が抜けなかったのだ。

「あの引き(こも)り皇子を、どうやって……だな……」

 眠気にあらがったが、髪をなでてくるラシードの手が暖かく、だんだんと口を動かすことも億劫(おっくう)になった。

 いつの間にか、ソルはラシードの傍らで眠っていた。




『本当に、望みは何もないのか?』

「私の望みは、息子が引き継いでくれるそうだ。生きること以外に、何も思い残すことはない」

 ラシードが誰かと話す声が、頭の上から聞こえる。ソルは転寝(うたたね)から目を覚ました。座ったままベッドに伏せていたため、首が痛だるく目もすぐに開いてくれない。

 そう言えば、夕食の準備をしていなかった。家奴隷が食事を持ってきているのだろう。それにしても周りが真っ暗で何も見えない。すっかり深夜になってしまったのだろうか。

「あぁ、一つだけあるな。妻の体が心配だ。私の子が無事に生まれるように……」

 夕方に聞いたような祈りの詞が、まどろむ頭の上から聞こえてくる。

 ソルは必死で瞼と頭を持ち上げた。その視線の先、ラシードのベッドの自分と反対側に、金髪の後姿があった。ベッドのふちに腰かけて、顔だけをラシードの方に向けている。

 その姿を確認して、いっきに目が覚めた。

(ハリーファ皇子!? なんでここに……)

 男の横顔はハリーファにそっくりだ。瞳も同じ翠色だった。しかし、ハリーファとは違って表情は明るく、ハリーファに感じる陰気臭さがまったくない。

 違う、ハリーファではない。そう気がついたが声が出なかった。

『ラシード・アル・ハリード、お前のその望み、確かに叶えよう』

 周囲は耳が痛いほどに静かで、謎の男の声は頭の中に反響する。

 金の髪の男はラシードの手を取ると、突然姿を消した。

 突風が起こり、静寂と暗闇が男とともに消え去った。窓の辺りだけがぼんやりと明るくなった。

「……ラシード、なんだ今のヤツ!?」

 男が窓の外に消えたのかと思い、ソルは窓へ走ると外へ身を乗り出した。細い逆三日月の光が薄雲をとうして、夜の街をゆるく照らしている。

「いない……」

 月の細さを見て、ソルは目の奥に痛みの種がくすぶるのを感じた。

「……っ」

 ふり返り、ソルはベッドに座ったままの主人にかけよった。暗闇に目が慣れて、ラシードの首が力なく前に傾いているのが見えた。

「ラ、ラシード……?」

 ベッドの上にすべり乗り、ラシードの肩に手を置くと、すぐに異変に気がついた。

「ラシード、ラシードッ……ッ……うう」

 ラシードはもう呼吸をしていない。

 ソルは子どものように、息が詰まるほど激しく泣いた。

 養父の体にすがりつくが、その両腕がソルの背を包み、抱きしめてくることはなかった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ