47-3
下りた先にまた扉があり、そこを抜けるとちょうど城門の横辺りに出てきた。その近くの馬停めには、宰相の馬によく似た黒い馬が繋がれている。
この馬の主はさっきの黒人少年だ。太陽はほぼ真上に来ていて、その黒馬の毛並みをますます黒く輝かせていた。
しかし、ジェードは黒馬には構わず城門へと小走りした。
門下に入ると、目の前が緑になって暗転した。
暗さに少し慣れてくると、顔見知りの門番の男と、黒髪の後ろ姿が見えた。
「待って!」
「……は?」
だんだん目が慣れてくる。ジェードの声を聞いて振り返ったのは、さっきの黒い肌の少年だった。
「あんた、ハリーファ皇子の?」
少年はジェードを見すがめてつぶやく。
人違いだったことにジェードはひどく肩を落とした。何と言っていいのかわからず立ち尽くす。
「お前はここから出ては駄目だ」
横の詰所から出てきた別の門番が、ジェードの前に立ちはだかった。
「ハリーファ殿下とその女奴隷は、ここから一歩たりと出すなとのご命令だ」
門番が少年とジェードの間に割って入り、ジェードに中に戻るように命令する。
あの男の人はきっと城下の方に行ってしまったのだろう。そんな都合よく出会えるはずがなかった。ジェードは門番に促されるままに、皇宮の中に足を向けた。
再び日差しの下に出ると、今度は目の前が痛いほど輝いた。まぶしくて辺りは真っ白になった。
「おい」
少年が追いかけてきてジェードの肩をつかんだ。思わずビクリとして体をすくめた。
「これ、あんたのだろ?」
黒人少年が手にした物を見て、ジェードは目を見開いた。少年の持っている手紙は、自分が祖国の家族に宛てて書いたものだ。
「どうしてあなたが持ってるの!?」
少年が勝手に持ち出したのではと疑念がわく。ジェードは手紙を取り返そうと手を伸ばしたが、少年はひらりとかわした。
後ろで睨んでいる二人の門番に聞こえない大きさで話しかけてきた。
「ハリーファ皇子に頼まれたんだよ。今度はこの手紙をヴァロニアまで届けてくれって」
先程、【王の間】で少年が国境まで何度か行ったと言っていた。この少年が、自分の聖典と短剣を、聖地で探し出してくれたのだと思い出した。
「あなたはヴァロニアに行けるの?」
「国境までならな。オレの馬は砂漠を超えれる」
「あなたの馬……?」
ジェードは振り向いて、馬停めに繋がれた黒い馬を見た。馬は主が戻ってくるのを期待してじっと二人の様子を見つめている。
「アキル、待たせたな」
少年が馬の名前を呼んだ。
少年に名を呼ばれ、馬の瞳がきらきらと輝く。宰相の黒馬に見た目はよく似ているが、性格はとても温厚そうだ。ジェードはこの馬に何度か話しかけたことがあった。
この少年は信用出来ないが、嘘をつかない馬のことなら信じられそうだ。
「この子、あなたのことがとても好きなのね」
「ああ、オレの主人の自慢の馬なんだ。姉弟みたいなもんだ」
少年の表情がとたんに子供っぽく変わった。嬉しそうに顔をほころばせ、優しく慈愛に満ちた瞳で自分の馬をなでる。甘えて顔をこすりつけてくる馬の首を抱くと、少年は馬の頬に唇を寄せた。
その表情は、やはりアルフェラツの姿を思い出させる。
「オレの名はソルだ。あんたは?」
うっかり見惚れていたところに声をかけられ、ジェードはあわてて答えた。
「ジェードよ」
「ジェード?」
ソルは右手を差し出しながら、ジェードの名を繰り返した。
ジェードは少し戸惑いながらも、右手を差し出した。瞬間、少年の手に力強く握られる。
ぎゅっと握ってきた黒い手は、ハリーファと同じように暖かかった。白人も黒人も違わないのだと安心した。その手の暖かさに、ジェードの警戒が緩む。
「変わった名前なんだな」
「……よく言われるわ。男の名前だから」
「兄弟は?」
「四人いたけど、上の姉は死んだの。弟とわたしは双子よ」
「双子の弟もここにいるのか?」
「いいえ、弟は国にいるわ」
「そうか。じゃあ、この手紙は弟に?」
家族に宛てたものだが、ジェードはこくりとうなづいた。
「じゃあな」
ソルはあっさりジェードに別れを告げると、馬を引いて城門へ向かう。
「あの……!」
「なんだ? 手紙の事なら任せとけって」
外に黒い髪の男の人がいないか見て欲しかったが、ジェードは頼むのをやめた。きっと皇族と同じ小麦色の肌の人びとが、城下ではたくさん生活しているのだろう。
「……お願いね」
ジェードは呼び止めたことを詫びるように、頭を小さく縦にふった。
少年が去った後、ジェードはさっき下りてきた階段を上り、再び四角い枠から外を覗いた。ソルの姿は見えないが、馬の鳴き声がジェードの耳に届く。
城壁の上にジェードの姿を見つけた海鳥たちがまた騒ぎ出したので、ジェードは、海鳥たちの声を聞いて上空を仰いだ。
さっきまで眩むほどの太陽だったはずが、海の方から急に黒い雲が流れてくる。
ジェードはまだ仕事中だったことを思い出した。ソルに邪魔をされてしまって、衣類を片付けないままだ。
ジェードは再び階段を下り、【王の間】へと急いだ。
* * * * *
サンドラの城下町をはずれたところで、ソルは馬の歩みを止めた。
「ジェードか。当たりだな」
黒髪黒目のヴァロニア人、さっき右手人差し指にあると言う傷跡も確認できた。あの女奴隷は、ヴァロニア人が探している一人目の魔女だ。
「双子ってことは、弟も探さないとな」
預かった手紙の中に、何か弟のことや、ハリーファとヴァロニアの繋がりが書かれているかもしれない。
ソルは手綱を放し、服の中から手紙を取り出すと、ためらうことなく紐を解いた。
『Mama, Papa, and Hope
I luv you.』
お世辞にも美麗な筆致とは言えない。自分が書いた方がまだましだと思えるようなつたない文字が並んでいる。
「……、これだけ?」
しかし、文末に添えられた署名を見て、ソルはにやりとした。
『Just.』
「ジュスト――。なるほどね、この綴で『ジェード』って読むのか。見つけたぜ、二人目の魔女も」
ヴァロニアからの二つの依頼の、魔女を二人見つけることができた。
それぞれの依頼主が一体誰なのか、そして何故その魔女がハリーファの女奴隷として皇宮にいるのか。
ハリーファとの関係も、もう少し続きそうだ。
下ってきた街をふり仰ぎ、その上に見える皇宮の尖った屋根をねめつける。
七日後にどんな手を打つべきか、照りつける太陽をあびながら、ソルは馬上で思案を巡らせた。