47.黒い異心(二)
ハリーファが【王の間】に戻ると、ソルが待ちわびていた。
「おかえり、ハリーファ皇子」
ソルはゆっくりと長椅子から立ち上がる。サライに似た顔で出迎えられ、ハリーファは言葉に詰まった。
「随分遅かったな。皇女さんと積もる話でもあったのか?」
テーブルの上には、ジェードの短剣が置かれたままだった。
「約束通り、短剣をここまで持ってきたんだ。残りの報酬をもらわねぇとな」
ソルの満足そうな笑みを受けて、ハリーファは寝室から薬筒を持ち出した。それをテーブルに立てて、自分も椅子に座る。
伸ばされた黒い手が、薬筒を取った。重さを確認したあと、ふたを外して中を確認する。納得した様子のソルは、薬筒を懐にしまうと、ハリーファの向かいの長椅子に再び腰をかけた。
すぐに帰るつもりではなさそうなソルに、ハリーファは語りかけた。
「もう来れないかと思っていたんだが、アーランを上手く利用したな」
「オレは報酬はきっちり頂戴するからな」
「アーランの母の病死の件、俺もだが、お前も疑われているぞ」
「ふん、バカ言ってろ」
ソルは眉をしかめた。
「オレが命を伸ばしてやってたくらいだってのに」
ソルの表情に不満は表れているが、いつも通り心の声は聞こえない。
アーランからハリーファの異能を聞かされたソルは、初めてハリーファに会った時からずっと、今でも心の内を隠し続けているのだろう。もう、ハリーファには他の理由を考えられなかった。
『今後、私たちの邪魔をしないで』
アーランの言った言葉を思い出し、ハリーファも眉間にシワが寄る。アーランとソル、おそらくラシードも、ハリーファに心の内を知られないように隠しているのだろう。
「それより、アーランの妊娠は、事実なのか? まだ十三歳だぞ」
アーランの懐妊は、短剣を持ち込むための偽りではないのかとハリーファは疑っていた。
「モリス信仰では女は十で成人なんだろ。何か問題あるか?」
「国の法では、成人は十四だ」
「そんなこと、法でどうにか出来るもんじゃねぇだろ。それに、嘘なんかじゃねぇよ。皇女さんが今日まで葬儀と葬儀礼拝に来られなかったのは、悪阻で調子が悪かったからだ。もし嘘で皇女さんを利用するだけなら、もっと早くに来られたんだ。葬儀礼拝の名目があれば、毎日でも皇宮へ来る理由になったんだからな」
三カ月もの間、皇宮に来れなかった理由を、ソルは口惜しそうにこぼした。
確かにソルの言う通りだった。
「それなら、晦日礼拝までは毎日でも来れるということか」
「いや、皇女さんはここに残る。オレが次に来るのは、晦日礼拝のある七日後だ」
もやもやするハリーファの気持ちなど知らず、ソルは話出した。
「今日は追加で報酬をもらわねぇとな。前に頼まれてた【エブラの民】の居場所、わかったぜ」
その言葉に、ハリーファは目を見開いた。座ったままソルの方に身を乗り出して、声を高めた。
「本当か! 【エブラの民】は何処にいるんだ? まだ生き残っていたのか?」
「……あ、ああ」
食い気味のハリーファの姿に、ソルの方が驚いて身を引いた。
「アルザグエの、ルブナンって言う部族が、真当な【エブラの民】の生き残りだ」
「まだ、生きているのか? お前は彼らに会ったのか?!」
ハリーファはソルの話に食い入った。しかし、ソルの方は少し残念そうに口をすぼめた。
「いや、オレが会ったわけじゃない。国境で集めた情報だ」
「……そうか」
ハリーファは、気持ちを落ち着けるために深く呼吸をした。
「ルブナンらは、土地を巡って何十年も争ってる他の部族と違って、海沿いに壁を建ててその中に定住してるらしい。外にはめったに出てこねぇらしいけど、たまに出てきたのを見た話だと、ルブナンたちは全員白い髪に白い服、それと瞳は菫色らしい。【エブラの民】で間違いないだろ?」
ハリーファは急に立ち上がった。【エブラの民】の場所がわかったら、ハリーファは居ても立っても居られなかった。
「お前は【エブラの民】の住む場所まで行けないか?」
「オレは南には入れない」
「そうか。お前の代わりに誰か南に行ける……」
大名士ラシードならソルの他にも奴隷がいるはずだ。南に入れる仲介人もいるだろう。ラシードが何かを企んでいるというなら、交渉次第でハリーファに力を貸してくれるのではないだろうか。
「ラシード……」
ハリーファのつぶやく声を聞いて、ソルの眉がぴくりと動いた。
「今日、ラシードは来ていないのか?」
その言葉に、ソルの表情が固まった。
「……来てねぇよ」
聖書を持ってきた時にも、少し落ち着かない様子だったこともあったが、心の中が伝わってこなくとも、ソルの動揺が見てとれる。
「ラシードは、晦日礼拝には来るか?」
「どうだろうな」
めずらしくソルの言葉が揺れた。
「葬儀礼拝はあと六日ある。それに、妻の母親の葬儀だ、晦日礼拝に出る義理もあるはずだ。残り七日のうちに、ラシードを【王の間】に連れて来い」
ハリーファの依頼を聞いて、ソルは視線を床に落とした。
「それは……約束できねぇな」
ハリーファはソルの横顔を見つめる。苦しそうな表情で、黒人少年が奥歯をかむ音が聞こえるようだった。
「ソル、ラシードが皇宮に来た記録は、俺の生まれた日が最後だ。それ以降、十三年間一度も皇宮へ来ていない。公にはされていないが、ラシードが来た日、ここで七歳の子どもが何者かに殺されている。その犯人は見つかっていない。
俺はアーランがラシードに嫁がされたのは何かおかしいとずっと思っていた。ラシードの事を調べて気付いたが、アーランはラシードの監視役なんだろう。さっきのアーランの様子だと、宰相の思うようにはなってないみたいだがな」
別にハリーファはラシードの過去の所業を責めるつもりも、今何をしようとしているのかなども興味はない。自分の悲願である【エブラの民】を呪いから救うと言う目的を達成したいだけだ。
「ラシードが何を企ててるのかは知らないが、おそらく俺はラシードの役に立つと思うぞ」
ハリーファにたたみかけられて、ソルはしばらく黙っていた。
やがて、深く長く息をはくと、ぐっと顔を上げた。声を低めてゆっくりと口を開く。
「脅しかよ、ハリーファ皇子……」
真っ直ぐにハリーファを見据える瞳は、やはり菫色に見える。【エブラの民】の瞳の色だ。
「オレは、家奴隷たちの噂どおり、最初はあんたのことを、てっきり可哀相な第二皇子なんだと思ってたよ。皇宮から出ることも許されねぇで、こそこそとオレを使いっ走りにするくらいだ。ロクな奴隷も持ってないってことだ。
あんたのことは、ただの金づる程度にしか思ってなかったけど、それは間違いだったな。
ラシードはオレの主人だ。ラシードがあんたと会うかどうか、オレが決められることじゃないが、……交渉はしてみる」
ソルはまだ煮え切らない態度だったが、ハリーファはうなずいた。
そしてハリーファは、壁際の棚の上の箱の中から何かを取り出してくると、ソルに差し出した。
「これを、ヴァロニアに届けて欲しい」
以前ジェードが家族に宛てて書いた手紙を、ソルに手渡した。巻いて折りたたんだ紙に、紐がかけられているが、封印はされていない。
「……ヴァロニア?」
そう聞いて、ソルはハリーファに不審な目を向けた。
「一番南のヘーンブルグ領だ」
「オレが行けるのは国境までだ。そこから先は保障できねぇぜ」
「だが、お前に頼めば何でも手に入るんだろ」
ハリーファは真顔で言う。
ソルはハリーファから手紙を受け取ると、少し眺めてから服の中にしまいこんだ。
「あんたの女奴隷さ、ヴァロニア人らしいな。……あんた、本当は何者だ。ヴァロニアの密偵なのか? それとも人質か? あんたこそ、独りで何を企んでる? 次来た時には話してもらうからな、【王】殿下」
ソルはそう言い残すと、【王の間】を出ていった。