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天国の扉  作者: 藤井 紫
第一章 奴隷皇子と亡命の魔女
12/193

5-2

 目の前の女性が【天使】なのだと理解したとたん、声が震えうまく話せない。

『貴女がここに来たのは、貴女は自分の天命に従ったからです。贈り物をもらったからではありません。そして、私が貴女を許すことは出来ません』

 淡々と問いに答える天使の最後の言葉がジェードに突き刺さる。

 黒い天使を前に気持ちが焦る。

「……パパと、ママが、……わたしを追い出したのは、なぜですか……?」

『両親は貴女を生かしたかったのです』

「い、生かしたかった……? じゃあ、わたしは、村を出なければ死んでいたの……?」

『わかりません』

 黒い天使はゆるぎなく答えた。

「で、でも、天使様は、この世のすべてをご存知なのでは?」

『起こらなかったことは、私にもわからないのです』

「そ、そうなのですか……」

 では、起こったことはすべて知っているに違いない。ジェードは、今まで誰にも聞けなかったことを口に出した。

「ルー姉さんは……、本当に、魔女……だったのですか?」

『――いいえ』

 天使はさらりと否定した。

 四年前、姉を連れて行った王都の役人も、村人も、両親さえも、姉は魔女だったと言った。ジェードだけはルースが魔女ではないと言い続けたが、当時誰も耳をかしてはくれず、やがて自分も口にしなくなった。その時から心の一部分がずっと凍りついたままだ。

 今、天使がルースの魔女疑惑を晴らしてくれた気がして、ジェードは目が熱くなった。

「でも……、どうして、四年前……、姉を、救ってくれなかったの、ですか?」

 姉が魔女として捕らえられたとき、ジェードは天使に祈ったのだ。必死に祈って助けを求めたが、姉は助からなかった。きっとルース自身もジェード以上に救いを求めて祈り続けていたに違いない。

『ジェード。私にはあなたの姉を救うことも出来なければ、「死」なせることも出来ません』

「……そんな」

 当時村人や家族、天使さえも恨んだことをジェードは忘れていない。祈りで天使に酷い言葉をぶつけたこともあった。魔女疑惑を撤回させるにはどうすれば良いか、誰にもわからなかったので、あの時はただ祈ることしかできなかった。

『私がこの世のものに与えられるのは「生」だけ。救済や罪科(つみとが)は、人の心から生まれるものなのです』

 【天使】の言うとおりなのだとしたら、本当に恨むべき相手は【悪魔】の方なのだろうか。

『貴女の姉を殺したのは【悪魔】ではなく【人間】です』

 天使の言う通りだった。ルースを【悪魔】と関係を持った魔女(ウィッチ)として処刑したのは、王都ランスの役人だった。

 目に涙がうかぶ。大体、どうすれば魔女ではないことを証明できたというのだろうか。

「……魔女(ウィッチ)、というのは、本当に、この世に存在するのですか?」

『ええ。存在します』

 暑さのせいもあって、天使の言葉に目の前が揺れるのを感じた。

 聖地に来たというのに何も変わらない。ひどい無気力感が襲ってくる。この先どうしていいかもわからなかった。このまま村に帰っても良いのだろうか。

 心の中の祈りも天使には聞こえるのだから、天使には心の中も見透(みす)かされているに違いない。

『ジェード。貴女は、ご自分の天命に呼ばれここまで来たのです』

「……私の天命って、……何ですか?」

『もうすぐここに少年が来ます。彼を殺しなさい』

「……え?」

『少年を殺すのです』

「……殺、す……?」

 アルフェラツの言葉にジェードは言葉を失った。

『貴女はそのためにここに来たのです』

 天使が人殺しを命じるなんて事があるのだろうか。

「……人を、(あや)めることは、罪ではないのですか?」

『貴女の心が罪を生み出すとしても、持って生まれた天命は変わることはないでしょう』

「でも……、人を殺すなんて……できない」

 うろたえるジェードにアルフェラツは、

『その剣で』

 と、ジェードの腰に巻かれた短剣を指さした。荷物はすべて馬のそばに置いてきたが、革のベルトに父親から預かった短剣がぶら下がっていた。

 ジェードはふるえる手で短剣をベルトからはずし手に取った。

 しばらく押し黙ったままジェードは一人考えていた。

(人を殺すなんて、わたしに出来るの……?)

 アルフェラツを見上げると、母親や姉を思い起こさせるような慈しみの表情をうかべジェードにほほ笑みかけている。

「天使様、もし……、出来なかったら、……わたしはどうなるのですか?」

『まだ起こっていない未来のことも、私にはわかりません』



 ジェードはずっとひざまずいたままだった。目の前の【天使】も動くことなく、ジェードの前に立ち続けていた。

 たいして時間は経っていないのに、ずいぶん長い時間だと錯覚(さっかく)してしまう。まわりは変わらず静かだった。

 村を出てから天使に出会うまで、誰にも会うことなく、聖地にも人の気配は全くない。出来ればこのまま誰も来ないでほしいと、ジェードは心の中で願った。

 しかし、そんなジェードの願いを破るように、砂の上を足を引きずる音が聞こえてきた。坂道を駆けあがってきたのか、荒い息づかいも聞こえる。

 その音にジェードは両目をきつく閉じた。短剣を胸の前できつく握りしめた。

(お願いだから、どうか、こっちに来ないで……)

 ジェードのこめかみに汗が流れた。隠れもできず、うずくまるように身を縮めてひざまずいていた。

 ザッザッと砂地を歩く足音はどんどんジェードに近づいてくる。そして、ジェードより少し離れたところで足音の主は歩みを止めた。

 はぁはぁと苦しそうな息づかいだけが聞こえてくる。

 ジェードは恐る恐る目を開けると、立ち上がらずふり返った。

 そして、背後に立つ人物の姿を見て息をのんだ。

 そこに居たのは、金色の髪に(みどり)の目をした少年だった。

(金色の髪……!?)

 薄汚れた白い半袖の服からは、自分よりももっと真っ白な腕が日差しを浴びている。

 その少年はまさしくジェードの頭の中でイメージしていた【天使】の姿そのものだ。少年の髪に光が降り注ぎ、濃い金色の髪はまぶしいほどに輝きを増していた。

「……【エブラの民】、……生きていたのか」

 少年がつぶやくように言葉をもらした。

 少年の視線はジェードを通りこし、その奥に凛と立つアルフェラツに向けられていた。ジェードのことなど全く視界に入っていないかのようだ。

 金の髪の少年は、ふらふらとおぼつかない足取りで、一歩ずつジェードの方に近づいてくる。少年の歩みに合わせて短い金の髪がゆらゆらと揺れる。

(なんてきれいなの……)

 黒い髪しかいないヘーンブルグで育ったジェードは、本物の金色の髪を見るのは初めてだった。少年の右頬には横一文字の傷痕がある。だが、それも気にならないほど絵のように秀麗な容姿だ。

 ジェードは少年の姿にくぎ付けになった。

 短剣を握り締めていた手が思わず緩んだ。

『ジェード』

 心に語りかけてきた天使の声に、ジェードはハッと我に返った。

(まさかこの子を? こんな天使みたいな子を?)

 少年だと言っていたが、天使が殺せと言うのだから、もっと恐ろしい人物が来ると思っていたのだ。予想外の少年の姿に、ジェードは驚きを隠せなかった。少年はジェードより少し背が低いくらいだ。年下かもしれない。

「【エブラの民】よ! 貴方達はまだここで暮らしているのですか!? まだ滅んではいなかったのですか!?」

 少年はアルフェラツに向かって叫んだ。少年の目にはジェードの姿は全く映っていない。

 アルフェラツは少年の問いかけには答えなかった。もしかすると、ジェードへと同じように少年の心の中に語りかけているのかもしれない。

 ジェードがアルフェラツを見上げると、アルフェラツはジェードを後押しするように目を伏せた。まさに少年を殺すチャンスだ。

(あの子を殺すのは、今しかない……)

 こめかみに滝のように汗が流れるのを感じながら、ジェードは短剣の柄をきつく握り締め、短剣を革の(さや)から抜きそっと立ち上がった。




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