45.つなぐもの
ソルはいつも、ここ一番で運が強いと自負するところがある。
中でも一番の幸運は、ラシードと出会えたことだ。
しかし、まだ短い人生を振り返ると、良いことと悪いことは、釣り合いをとろうとするように交互に訪れる。ラシードに出会う前には、目の前で父と母を失った。一番の悲運だ。おしなべて平均すると、結局のところ、良くも悪くもなくなる。
何かを得ようとすれば、何かを捨てなければならず、その許容量は人によって違う。そういったことによって、人生がうまくいったりいかなかったりするのだと、ソルは考えている。
そして、ラシードはソルの心の拠所ではあるが、信じているのは自分自身だ。ラシードは気づいているが、ソルは神など信じていない。
* * * * *
それにしても、ハリーファから受けるのは変な依頼ばかりだ。前回、オス・ローまで行かされたと思ったら、今回は葦ペンとインクと紙の調達を頼まれた。
今日は第四夫人との面会の前に、誰にも見つからないように【王の間】へ足を運ぶ。
「【エブラの民】?」
金色の髪の依頼人の前で、ソルは眉根をよせて、さも知らないと言った風に語尾をあげた。また突拍子もない依頼だ。
「昔、オス・ローに住んでいた、天使の末裔と呼ばれた一族だ」
「あぁ、天使の末裔のことか。なんか、ガキの御伽噺みたいな話は、聞いたことあるな。天使の末裔が聖地に来た人の病気を治すってやつだろ」
ソルの軽口にも、ハリーファは真剣な表情でうなずいた。
「宮廷内には、聖地崩壊後の【エブラの民】の資料は全くない。彼らがフロリスとの戦争に巻き込まれて滅んだという話も聞かない。市井では噂でも何でも【エブラの民】の情報はないか?」
ソルはラシードの真似をして、顎に手を当て考える素振りをみせた。
「オレもあんたの依頼で初めて聖地に行ったけど、今は人が住める状態じゃなかったぜ。【エブラの民】は元々はあそこに住んでたんだろ? メンフィスじゃ【エブラの民】どころか、聖地の話題なんか全く出てこないね」
ソルは知らない風に答えたが、聖地での不思議な出来事があって、あの時見た白髪の女について、すでに調べあげていた。実は【エブラの民】の居場所とされる場所も目星がついている。
こんな時に、やはり自分は運があるのだと確信する。そして、今すぐに答えるのは得策ではないと、知らないふりを続ける。
いつ、どのタイミングでハリーファに伝えるのが最も益が多いかを、頭の中で計算しながら次の言葉を考えた。こっちから聞きたい話もなんとしても聞きだしたい。
「何年か前に、あんたも聖地に行ったんだよなぁ?」
「ヴァロニア人に誘拐されたんだっけ?」
「……あの短剣と聖典は、誘拐犯のものなのか?」
ソルは 何気ない風 を装いながら、視線をじっくりとハリーファに絡ませた。
だが、ハリーファは何も答えなかった。
少しの間、沈黙。
まるで こちらの「心を読もう」としているかのような視線 をソルに向けてくる。
ソルは 平静を装いながら、内心では軽く舌打ちした。ラシードの言うとおり、ハリーファはどこかでヴァロニアと繋がっているはずだ。
しかし、ハリーファは何も答えず、黙ってソルを見ているだけだった。
時折、ハリーファから心を探るような視線を感じるのだ。どうやら、互いに腹の探り合いをしているのは間違いない。
あまり多くしゃべろうとしないハリーファの言葉を、短時間のうちに引き出すのは難しい。ソルのことを信頼していないのだろう。ハリーファは実際の年齢より、精神年齢が高いのだろうとソルは感じた。
敢えて、しかし自然に、ハリーファの琴線に触れるものがないか言葉を選ぶ。
「しっかし、いい歳して、あんな御伽噺を信じてるのか? 【エブラの民】に会えたら願いが叶うって言うらしいじゃねぇか。一体何の願いを叶えて欲しくて【エブラの民】を探してるんだ? やつらだってただの人間だ。そんな迷信信じるよりも、病気かケガなら、医者に診せた方がいい。なんなら、良い医者も紹介できるぜ?」
ハリーファが一瞬眉をひそめた後、ソルから目をそらした。
「俺は病気でも怪我でもない」
「そうか ? あんた、いつも歩き方が変だぜ。右足が悪いんだろ? それに、その顔の傷。もっと綺麗に消せる医者を知ってるぜ」
「足?」
ソルがそう言うと、ハリーファは目を細めて、怪訝な顔をソルに向けてきた。ほんのわずかだが、ハリーファは右足を引きずっていることを、自分では気づいてないのだろうか。
相手の弱点をわざわざ教えてしまったようだ。これが全てハリーファの計算なら、ハリーファは本当にたちが悪いと腹が立ってきた。
「じゃあ一体何を【エブラの民】に叶えてもらうつもりなんだ。オレに頼めないようなことなのか?」
自分の目的を果たすために、ハリーファとヴァロニアの繋がりをどうにかして聞き出したい。
「お前に頼んで手に入らないものはないんだったな」
余計なおしゃべりはするなと言うことのようだ。ソルはそれ以上詮索するのをあきらめた。
「わかったよ、【エブラの民】の居場所を調べれば良いんだろ」
幸い、ソルにはハリーファが求めている【エブラの民】の情報がある。
「次はいつ来れる?」
「アイシャ殿下の調子が良くねぇみたいなんで、すぐ来るつもりだ。薬の量も種類も増えてんだ」
ハリーファへの謁見と言う名目では宮廷に入れないので、ソルは今も他の用事のついでがないと、ハリーファのところには来られない。ソルの立場上、主人の妻の母親を利用するしかないことを、この依頼人は理解してくれているようだ。
「それとさ、まだ聖地に行った分の報酬を貰ってねぇんだけど」
大事なことを忘れるところだった。
「残りは短剣を受け取ってからだ」
依頼主の言葉に、ソルはチッと軽く舌打ちをした。あの時の報酬は、まだ五分の一しか貰っていないのだ。ラシードのために、少しでも多くシュケム製の阿片を手に入れたいと言うのに。
ソルのふてぶてしい態度を見て、ハリーファは意地悪そうに少し口角をあげた。
「短剣を持ち込めたら、打ち直しの分と、聖典の分も上乗せしてやる」
どうやら短剣を皇宮内に持ち込むために、ハリーファの力は借りられないということだ。
「無茶言うねぇ。でも、まぁいいや。オレの売り文句は嘘じゃねぇからな」
(こんなやつと仲良くなんか出来ねぇよ! ラシードめ!)
と、ソルは心の中で愚痴をこぼした。
しかし、顔ではにやりと笑ってみせる。ソルにもたもたしている時間はない。
自分とは対照的な外見の依頼人の少年に、挑戦的な視線を向けた。
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