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天国の扉  作者: 藤井 紫
第四章 天使の子 悪魔の子
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43.【天国の扉】(二)

 二人は再び馬に乗り、街道を北東に進んだ。

 ほどなくして苔の生えた道標が立っていた。道標に書かれた異国の文字は、かすれて消えている。街道をはずれ森の奥へと道標の指す方向には、獣道が出来ていた。

 二人は馬から下りた。木漏れ日がきらきらと輝く緑の屋根の下、人が歩いた跡をたどって森の脇道を進んでいく。

 獣道からわざとはずれて歩くと、人に踏まれていない腐葉土の地面は柔かくふかふかしていた。サライは足元のやわらかい感触に夢中になり、ユースフから離れ踊るように先に進む。時折ユースフをふり返っては、楽しそうにほほ笑んだ。

 やがて目の前に三十パース(約十メートル)ほどの泉が広がった。その上だけ切り取られたような青い空が目に映る。ユースフは近くの木に馬を繋ぎとめた。

 そこが祈りの泉と呼ばれる浅い泉だった。

 透明度が高く、泉の回りを取り囲む木々が、まるで鏡のようにさかさまに映り込んでいた。揺らめく水の下にも青い空がある。深さは膝から腰位まで浸かる程度だが、中央に向かって少しずつ深くなっていた。二か所から湧き出す水が水面を小さく盛り上げ、水面にゆるやかな波動が生む。ふたつの波紋は重なり合い、不思議な円を描いていた。映り込んだ緑と空の色を、湧き水は止むことなく幻想的に攪拌(かくはん)し続けていた。

 映り込んだ空の下に、白銀や赤銅色の貨幣が沈んでいる事にサライは気がついた。

「ユースフ、あれは何? 何か丸いものがいっぱい沈んでるの」

 泉にはたくさんの貨幣が投げ込まれていた。泉に少し踏み入れば、それらは簡単に手に取れてしまいそうだ。だが、ここを訪れる巡礼者たちはこの幽玄な泉を見て、そのような事は出来なくなってしまうのだろう。

「あれは、金子(きんす)だ」

「き、ん、す?」

 貨幣を知らないサライに、ユースフは腰の袋から取り出したシュケムの銀貨を一枚手渡した。

「これは何をするもの?」

「金子は、ものの価値を計る物差しだ。皆、神に願いを叶えてもらうために、こうして喜捨しているんだろう」

 サライは、初めて目にする小さな丸い銀貨を、不思議そうに眺めていた。

「ここに神様がいるの? 神様はこのきんすを喜捨すれば願いを叶えてくれるの?」

 サライは子どものように純粋に問いかけてくる。その言葉にユースフは苦笑する。

「クライス信仰者は、こういった超自然的な夢幻の中に、神を見いだしているんだろうな」

 土地柄、水を大切にするシュケムや西大陸(モリス)の人間は、決して水に物を投げ込んだりはしないが、同じように【エブラの民】に夢幻を見いだす。全ての信仰の根本は同じ天使信仰だ。

「だけど、本当は金子に価値なんてないんだ。本当の価値というのは目には見えないものだ。人はそれを捨てれやしない。だから願いは叶わないかもしれない。本当に大切なものを捨てる位でないと、いくら神でも、願いなんて叶えてくれやしないだろうな」

「ねぇ、ユースフ。みんな知らないのかな。神様が願いを叶えてくれるのは……」

 そこまで言って、サライは珍しく自分から口をつぐんだ。

「死ぬ時だけなのにね」

 と、その後にひそかに紡いだ言葉は、ユースフには聞こえていなかった。

「サライ。お前は、何か願いはないのか?」

「お願い事? いっぱいあるよ」

 サライの口から出た予想外の言葉に、ユースフは少々驚いた。サライは『欲』という言葉とはかけ離れた存在だ。

 サライは一体どんな願いを持っているのだろう。何を望んでいるのだろうか。今日ここに連れてきた以外にも、自分がサライのためにしてやれることがあるのだろうか。

「いっぱいあるのか? 例えば何だ?」

「あのね、わたし、ユースフみたいな黒い髪になりたいし、こんな緑いっぱいのところに住んでみたいな」

 残念だが、どちらもユースフには叶えてやれそうにはない。やはりサライは普通の女たちとは違うと、心の中で肩を落とす。

「他にはないのか? 俺に出来る事だったら、俺が叶えてやるぞ」

「ホント? じゃあこれをちょうだい」

 サライは、さっき受け取った銀貨をユースフに見せた。

「あ、ああ」

 ユースフは首をかしげた。

「わたしも喜捨してみたいの。神様に」

 サライはうれしそうにほほ笑むと、ユースフから受け取った銀貨を泉に投げた。

 その時、銀貨を投げたサライの左手から、何かが一緒に飛び出した。

「あぁっ!」

「どうした?」

 サライは返事もせず、慌てて靴を脱いだ。トラウザーのすそを膝までまくりあげて、突然泉の中にばしゃばしゃと踏みいった。

「サライ!?」

 ユースフは、慌てて泉のふちに駆け寄った。サライは水の冷たさに小さな悲鳴をあげたが、どこか楽しそうだ。すぐに間違って投げてしまったものを見つけ、水中に手を伸ばした。

「祈りの泉も、お前にかかると台無しだな」

 サライの様子を見て、ユースフは声を出して笑った。この様子をヴァロニア人が見たら、神への冒涜(ぼうとく)だと言われてしまうかもしれない。しかし、いくらヴァロニア人の真似事をしてみたところで、サライにとってこの泉は美しい情景以上のものではないのだろう。サライを見て、ユースフは心の中で凝り固まっていたものがほぐされていくような、不思議な感覚を覚えた。

 ユースフは手を差し出して、サライを泉から引きあげた。

 つかんだサライの左手には、さっきまでしていた指輪がなかった。どうやら、指輪が抜けて一緒に投げ込んでしまったのだろう。ユースフはサライに指輪のことを問わずにいたが、本当はサライの指輪のことが気にかかって仕方がなかった。

 もしや、サライは誰かに嫁したのではないだろうか。今朝、指輪の存在に気づいたときから、ユースフの心にずっと引っかかっている。

「一体、何を落としたんだ?」

 今までの忍耐を投げ出して、さりげなくサライに問いかける。指輪だとわかっているくせに。

 しかし、サライはてらうことなく、左手ににぎっていた銀色の指輪をユースフに見せてきた。

「これよ」

 銀色の少し幅の細い指輪には、よく見ると表面に絵文字のようなものが刻まれている。サライの細い指には、その指輪は少し大きいような気がした。

「この指輪ね、この世で得たもの全部の象徴なの。天国への扉はとてもとても狭いから何か持っていると通れないの。だから、死んだときに、天国の扉を通るために『得たもの全部』この世に置いて行くの。さびしいけど、置いていったものはきっと誰かが引き継いでくれるから」

 サライの話から察すると、死んだ【エブラの民】からその指輪を引き継いだのだろうか。指輪がサライの小さな手の細い指に合っていないのもうなずけた。ユースフは懸念していたことが外れたことに安堵した。

「全てを捨てよ 天国の扉をくぐれば 別人に生まれ変わる。そう言う意味があるの」

 面白いでしょ? そんな表情で、サライはユースフを見つめた。

 エブラ信仰の教えの中にも、似たような節がある。きっと【エブラの民】は、信仰という抽象的なものを有形化しようとしているのだろう。

「あの服にもちゃんと意味があって……」

 サライは続けようとが、ユースフは聞こうとせず、首を横にふった。サライは、少し残念そうにおしゃべりをやめた。ユースフが、またいつものように、【壁】の中の事を知り過ぎないようにしているのだとサライも気がついた。

「ユースフも指輪をしてるけど、その指輪は何か意味があるの?」

 サライは自分のことを話すのをやめ、今度はユースフに問いかけた。


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