40-2
今回の旅で、オス・ローを訪れたソルは不思議な体験をした。突然太陽が欠けた。発作の周期が乱れ、死ぬ思いをし、不気味な白髪女と遭遇した。初めて訪れた聖地に良い印象などまったくない。
「聖地、聖地って。あんなところになんの価値があるっていうんだよ。あの場所は死んでる。まるで墓場みたいだったぜ」
「ソル、お前オス・ローを見てきたのか?」
意外そうにソルを見つめる視線に、ソルは黙ってうなずいた。
「そうか。お前の言うとおりだ。聖地は墓場なんだよ、ソル。だがな、聖地は【聖地】である事に意味がある。お前もいずれわかるさ。……しかし、どうしてまた聖地に? 随分寄り道だろうに」
「ハリーファ皇子の依頼でさ。聖地で探しものを頼まれたんだ」
「ハリーファ皇子に?」
「そう。いいお得意様なんだ」
ソルは主人のベッドからするりと降り、さっき床に放りだした荷包みを解いた。その中から短剣と聖典を取り出す。元居た場所に戻ると「これ、見てくれよ」とラシードに短剣を手渡した。
「聖地でその短剣を探すようにハリーファ皇子に頼まれたんだ。どう思う? ハリーファ皇子の失踪は二年ぐらい前の話だよな? 多分、その時の忘れ物だと思うんだけどさ……」
ラシードは革で出来た鞘から短剣を抜くと、目の前で手首をひねって舐めるように眺めた。
革製の鞘は二年の間砂と太陽に晒され、表面はひび割れてひどく劣化していた。短剣の質も、安価な普及品クラスのものだと思われた。
「ヴァロニア製の剣か。一回打ちの鋼だな。これ自体には大した価値はない」
「そうだよな? オレの見立て違いかと思ったぜ」
ラシードと意見が合い、ソルの声が明るくなった。
「なんで、わざわざこんなもんを取りに行かせたと思う? 大した価値もないってのに」
ソルはハリーファから高額な報酬を貰っている事には触れないでおいた。
「まぁ、価値と言うのは、目に見えるものだけではないからな」
短剣を傷んだ鞘に戻すと、ラシードはまた顎鬚をなでた。
「それと、こっちも。これは頼まれたわけじゃねぇんだけど、たまたま見つけたんだ」
ソルは、砂と日差しでボロボロになったクライス信仰の聖典もラシードに差し出した。ラシードが聖典を開くと、束になっていたページがほぐれ細かい砂埃がベッドの上で舞う。ソルはラシードに代わって、にごった空気を手でかき回した。
「それ、クライス信仰の聖典だろ? ハリーファ皇子はクライス信仰なのか?」
「いや、皇家一族はウバイド時代からモリス信仰だ」
「じゃあ、この剣と聖典がハリーファの落し物じゃないとしたら、一体誰のもんだ? クライス信仰者なんて、ファールーク皇国じゃすごく少数派だろ?」
ラシードは腕を組んで、疑問を投げかけるソルを見つめた。
「証拠隠滅ではないか? ヴァロニア人が皇子の失踪に関わっていたのか、それともハリーファ皇子自身が、ヴァロニアと関わりを持っているのかもしれん。ハリーファ皇子は聖地で一体何をしようとしたんだろうな」
「宮廷奴隷の噂話じゃ、聖地でひどい大怪我を負ったって話だったけど」
「うむ、ハリーファ皇子は市井に下ることもなく、宮廷から出たこともないはずだ。今年十三だったな。時が過ぎるのは早いものだな」
感慨に浸る主人を見つめて、ソルは黙っていた。
ラシードには子どもがいない。家奴隷に聞いた話では、ラシードは若い頃に結婚し、息子が生まれた。しかし、その子は幼くして亡くなり、妻も心を病んで後を追うように亡くなったらしい。そのせいか、ラシードはソルを本当の子どものように扱ってくれる。本当のところはどうかわからないが、ソル自身はそう感じていた。
ラシードが子と妻を亡くし、この家に仕える奴隷たちは、第二皇子のハリーファが、皇家の慣例通り養子としてこの家に来るものだと思っていたらしい。しかし、メンフィスに来たのはハリーファではなく、皇女のアーランだった。それもラシードの新たな妻として。
ソルは思う。もしハリーファがラシードの養子となっていれば、今自分はラシードのそばにいなかったかもしれない。国境の町でのたれ死んでいたに違いない。ハリーファに興味がわくのもきっとそのせいだ。
「ハリーファが第二皇子っての、嘘なんじゃねぇの? 女奴隷に育てられたらしいし。ハリーファだけが皇族とは見てくれが違いすぎる。あいつ、マジで異様だぜ。どっからどう見たって白人だ」
「ふむ」
「ハリーファの母親は、宰相の姪だって言ってたけどさ。それだってホントかどうかわかんねぇだろ」
ソルはラシードを見つめた。宰相には直接会ったことはないが、主人とは従兄弟だ。歳も近いし、きっと似ているのだろうと思う。ラシードの漆黒の髪も瞳も、小麦色の肌も、間違いなくファールークの血筋だ。だが、ハリーファにだけは、その面影が全くない。
「ソル。異色の皇族はハリーファ皇子の母親もだ。私がハリーファ皇子に会ったのは、皇子が生まれた日一度きりだが、母親のファティマ殿下とは、それ以前に何度かお会いしたことがあるんだ」
ラシードは、ハリーファの生まれた日に、祝宴で宮廷にいたのだろう。ハリーファの母親が女奴隷ではないかという勘がはずれ、ソルは口を結んで頭を傾いだ。
「じゃあ、ハリーファもファールークの血を引く正統な皇子ってのは間違いないんだよな」
「ああ。ファティマ殿下の父親、つまりがハリーファ皇子の祖父が白人だったようだ。宮廷では白人奴隷だと噂でされていたが、実はメンフィスではこの街の仲介人だという噂がある」
「えっ!?」
思いがけない話に、ソルは目を見開いた。思わずラシードの方に身を乗り出す。
「まだ私の父が幼かった頃の話だ。昔、若い仲介人が行方不明になったんだ。そして、その男は長い間宮廷に囚われていたと言う噂話があってな……」
そこまで言うとラシードは少し咳き込んだ。ソルはベッドの上からラシードのそばに寄り、背中をさする。昔のように雄弁に話していたので、体調のことをすっかり忘れていた。あわてて水差しがないが部屋を見まわした。
大丈夫だ、とラシードはソルを制止した。呼吸を整えると、真横に居るソルに再び話し始めた。
「私が皇宮に出入りしていた頃に、その男の事を色々調べてみたんだが、その時には既に死んでしまっていたんだ」
「そっか。でも、なんでその仲介人は皇宮に捕らえられたんだろ?」
「おそらくその男は【王】だった」
ラシードの言葉に、ソルは眉根を寄せた。
「……宰相の血筋は、【王】の血を引いている。にもかかわらず、王位を継がない。その理由は何故だと思う?」
「王……?」