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【完結】天国の扉  作者: 藤井 紫
第四章 天使の子 悪魔の子

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39-3

 日は真南に位置し、熱さは最高潮に達している。崩れた集落には日差しをさえぎる物はなく、地表からも熱が照り返してくる。焼けた空気に胸苦しさを覚え、ソルは砂避けを外した。

 そのとき、突然回りが一段暗くなった。

 足元を見ると、自分の影が不気味に欠けてゆく。あわてて天を仰ぐと、影と同じように太陽が欠けていた。

(――日が、欠けてる?!)

 あたりは徐々に暗くなり始めた。影はじわじわと輪郭を失ってゆく。

 不意に左目のに激しい痛みが走る。ソルは悲鳴を上げながら、目元を押さえた。

 痛みに足元がおぼつかなくなり、とっさに手をつくこともできず、左肩を強く地面に打ちつけて倒れこんだ。 

「……アキル! アキルーー!!」

 焼けた地面に倒れたまま愛馬を呼んだが、自分の声が聞こえなかった。力をふりしぼって口笛を吹いた。

(こんな……真っ昼間に、なんで……!)

 長年付き合ってきた宿痾(しゅくあ)の発作だったが、ソルは絶望感に襲われた。

 ――夕べは満月だったはずだ。発作が出るのは夜だけ、それも新月の夜だけだ。

 発作はいつも時間が経てばおさまり、それ自体は命に関わるものではなかった。

 だが馬上や炎天下では命を落としてしまうかもしれない。だから遠出するときには、常に月の干満には気を配ってきた。

 目をえぐられるような疼痛に、ソルは奥歯を噛みしめる。口の奥から血の味がにじむ。

 痛みで呼吸することさえ忘れていた。自分の叫び声ももう聞こえない。

 日が欠け周囲がますます暗くなっていく中、ソルの世界は先に暗転した。苦痛から逃れるように意識を失った。

 蝕はどんどん進んでゆく。

 まもなく、あたりは真昼とは思えないほどの無明の世界となった。




 ソルが気づいたときには、辺りは元通りに明るくなっていた。ゆっくり目を開けたが、まぶしさにすぐ瞼を閉じる。

 うつ伏せに倒れたはずの身体は、いつの間にか仰向けになっていた。閉じた瞼には赤い血が透けている。地熱の熱さに身体の水分が奪われていた。

 そのとき、ソルの顔に黒い影が(おお)いかぶさった。目を閉じたままでも、誰かがそばにきて座り込む気配を感じる。ぐったりとして、まだ目も開けられないソルの額に手を当て、そのままゆるやかに頬をなでた。

 不思議な手に触れられて、ソルはゆっくりと目を開いた。しかし、逆光でその顔は見えない。

「……さわ、んな……」

 どうにか口にすると、ソルに触れていた冷たい手は離れていった。

 発作はおさまったが目の奥に違和感が残り、倒れた時に打ち付けた左肩が痛む。まだ身体は思うように動かない。

 ようやくまぶしさに慣れてくると、(かたわ)らの人物の姿を捉えた。黒い肌の女だった。白く長い髪が肩からこぼれている。一瞬、老女かと思ったが、顔立ちはずいぶんと若かった。

 女性はソルを見つめていた。やがてすっと立ち上がると、何も言わず城砦のさらに奥へと向かって姿を消した。

 ソルは地面に寝転んだまま、その後姿を目で追った。

 白く長い髪が、女の背で優しく揺れていた。地にすれる白い服のすそのあたりには陽炎が舞う。

 天地からの光の眩しさに、ソルは腕で目をかばうとふたたび目を閉じた。


 次に気がついたときには、今度は黒毛の馬の腹がソルの目の前にあった。黒馬(アキル)がソルの身体をまたぐようにして日陰を作ってくれている。

 主人が目を開けたことに気づくと、長い髪のような尻尾をゆらゆらと揺らし、小さくいなないた。

「アキル……、お前か……」

 黒馬の主人は安堵の声をもらした。

 ソルは馬の身体に捕まると、よろめきながら立ちあがる。

 空を仰ぐと、太陽の位置は倒れる前とそれほど変わっていない。思っていたほど時間は経っていないようだった。

(助かった……)

 さっきの発作は何だったのだ……。いつもなら一晩中続く苦しみが、今日はほんの数分でおさまったことになる。

「お前、ずっとそばにいてくれたのか?」

 愛しさをこめて愛馬に頬ずりすると、馬もそれに応えてくれた。

 さっきの黒い肌の女はアキルを見間違えたのかもしれない。ソルはそう思ったが、やはり気になって、女の去った方向へと進んだ。

 あたりを見回すが女の姿はどこにもない。人がここに住んでいる気配も感じられない。やせたネズミさえ、この場所には存在しなかった。

 さらに奥に進むと、天井と壁が崩れ落ち、床と柱だけがむき出しになった何かの建物の土台が見えてきた。その手前で何かが陽光を受けて光る。ソルは近寄るとかがんでそれを手に取った。

「これか……!」

 異国の短剣だった。それは、砂の風景になじむことなく、太陽の光を照り返している。

 それにしても。

(――さっきの白髪女、どこに行ったんだ……)

「……亡霊か?」

 ソルは短剣をにぎりしめ、いぶかしげにつぶやいた。



 ソルが城砦を後にするころ、東の空のすそが勝色に染まりつつあった。

 手綱を引きながら大通りをゆっくり下ると、その途中でも『異質なもの』を見つけた。ソルは手綱を離し道端に寄ると、『それ』を手に取った。かぶった砂を手ではらいのけると、濃緑色の表紙が現れた。

 ――クライス信仰の聖典だ。

 ここは、かつて全ての宗派を受け入れた聖地だ。クライスの聖典があっても決しておかしくはない。だが、砂に埋もれ風化しつつある街の中で、型崩れず色あせていない本は、二百年前の砂色の光景になじむことはなかった。

 その近くには、明らかに時代の違う、異国の服や水筒なども放り出されたように散らばっていた。


 

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