39-3
日は真南に位置し、熱さは最高潮に達している。崩れた集落には日差しをさえぎる物はなく、地表からも熱が照り返してくる。焼けた空気に胸苦しさを覚え、ソルは砂避けを外した。
そのとき、突然回りが一段暗くなった。
足元を見ると、自分の影が不気味に欠けてゆく。あわてて天を仰ぐと、影と同じように太陽が欠けていた。
(――日が、欠けてる?!)
あたりは徐々に暗くなり始めた。影はじわじわと輪郭を失ってゆく。
不意に左目のに激しい痛みが走る。ソルは悲鳴を上げながら、目元を押さえた。
痛みに足元がおぼつかなくなり、とっさに手をつくこともできず、左肩を強く地面に打ちつけて倒れこんだ。
「……アキル! アキルーー!!」
焼けた地面に倒れたまま愛馬を呼んだが、自分の声が聞こえなかった。力をふりしぼって口笛を吹いた。
(こんな……真っ昼間に、なんで……!)
長年付き合ってきた宿痾の発作だったが、ソルは絶望感に襲われた。
――夕べは満月だったはずだ。発作が出るのは夜だけ、それも新月の夜だけだ。
発作はいつも時間が経てばおさまり、それ自体は命に関わるものではなかった。
だが馬上や炎天下では命を落としてしまうかもしれない。だから遠出するときには、常に月の干満には気を配ってきた。
目をえぐられるような疼痛に、ソルは奥歯を噛みしめる。口の奥から血の味がにじむ。
痛みで呼吸することさえ忘れていた。自分の叫び声ももう聞こえない。
日が欠け周囲がますます暗くなっていく中、ソルの世界は先に暗転した。苦痛から逃れるように意識を失った。
蝕はどんどん進んでゆく。
まもなく、あたりは真昼とは思えないほどの無明の世界となった。
ソルが気づいたときには、辺りは元通りに明るくなっていた。ゆっくり目を開けたが、まぶしさにすぐ瞼を閉じる。
うつ伏せに倒れたはずの身体は、いつの間にか仰向けになっていた。閉じた瞼には赤い血が透けている。地熱の熱さに身体の水分が奪われていた。
そのとき、ソルの顔に黒い影が覆いかぶさった。目を閉じたままでも、誰かがそばにきて座り込む気配を感じる。ぐったりとして、まだ目も開けられないソルの額に手を当て、そのままゆるやかに頬をなでた。
不思議な手に触れられて、ソルはゆっくりと目を開いた。しかし、逆光でその顔は見えない。
「……さわ、んな……」
どうにか口にすると、ソルに触れていた冷たい手は離れていった。
発作はおさまったが目の奥に違和感が残り、倒れた時に打ち付けた左肩が痛む。まだ身体は思うように動かない。
ようやくまぶしさに慣れてくると、傍らの人物の姿を捉えた。黒い肌の女だった。白く長い髪が肩からこぼれている。一瞬、老女かと思ったが、顔立ちはずいぶんと若かった。
女性はソルを見つめていた。やがてすっと立ち上がると、何も言わず城砦のさらに奥へと向かって姿を消した。
ソルは地面に寝転んだまま、その後姿を目で追った。
白く長い髪が、女の背で優しく揺れていた。地にすれる白い服のすそのあたりには陽炎が舞う。
天地からの光の眩しさに、ソルは腕で目をかばうとふたたび目を閉じた。
次に気がついたときには、今度は黒毛の馬の腹がソルの目の前にあった。黒馬がソルの身体をまたぐようにして日陰を作ってくれている。
主人が目を開けたことに気づくと、長い髪のような尻尾をゆらゆらと揺らし、小さくいなないた。
「アキル……、お前か……」
黒馬の主人は安堵の声をもらした。
ソルは馬の身体に捕まると、よろめきながら立ちあがる。
空を仰ぐと、太陽の位置は倒れる前とそれほど変わっていない。思っていたほど時間は経っていないようだった。
(助かった……)
さっきの発作は何だったのだ……。いつもなら一晩中続く苦しみが、今日はほんの数分でおさまったことになる。
「お前、ずっとそばにいてくれたのか?」
愛しさをこめて愛馬に頬ずりすると、馬もそれに応えてくれた。
さっきの黒い肌の女はアキルを見間違えたのかもしれない。ソルはそう思ったが、やはり気になって、女の去った方向へと進んだ。
あたりを見回すが女の姿はどこにもない。人がここに住んでいる気配も感じられない。やせたネズミさえ、この場所には存在しなかった。
さらに奥に進むと、天井と壁が崩れ落ち、床と柱だけがむき出しになった何かの建物の土台が見えてきた。その手前で何かが陽光を受けて光る。ソルは近寄るとかがんでそれを手に取った。
「これか……!」
異国の短剣だった。それは、砂の風景になじむことなく、太陽の光を照り返している。
それにしても。
(――さっきの白髪女、どこに行ったんだ……)
「……亡霊か?」
ソルは短剣をにぎりしめ、いぶかしげにつぶやいた。
ソルが城砦を後にするころ、東の空のすそが勝色に染まりつつあった。
手綱を引きながら大通りをゆっくり下ると、その途中でも『異質なもの』を見つけた。ソルは手綱を離し道端に寄ると、『それ』を手に取った。かぶった砂を手ではらいのけると、濃緑色の表紙が現れた。
――クライス信仰の聖典だ。
ここは、かつて全ての宗派を受け入れた聖地だ。クライスの聖典があっても決しておかしくはない。だが、砂に埋もれ風化しつつある街の中で、型崩れず色あせていない本は、二百年前の砂色の光景になじむことはなかった。
その近くには、明らかに時代の違う、異国の服や水筒なども放り出されたように散らばっていた。




