9. エピソード8 皇帝の健康診断
セレーナはアカデミー入学前に非公式で皇帝と謁見することになった。実のところは父親のドクトリヤ公爵による皇帝の定期診察をセレーナも行うというものである。皇帝は皇后の勧めを断りドクトリヤ公爵の診察を受け続けた。セレーナのことは全く信用していないわけではなく、むしろ興味を持っていた。しかしながらドクトリヤ公爵の立場を考えるとセレーナの診察を受けるわけにはいかなかった。だがドクトリヤ公爵も、流石に娘が飛び級を繰り返し、一年でアカデミー入学となると実力を認めざるを得なかった。なので、今回はドクトリヤ公爵が診察を行い、セレーナが補助の診察を行うという名目にした。今回は皇帝の執務室の隣にある面会室で診察を行うことになった。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます。セレーナ=ドクトリヤでございます。お目にかかれて光栄に存じます」
「おお、セレーナ嬢よ、よく来てくれた。娘のカトリーヌと仲良くしてくれてありがとう。これからもよろしく頼むぞ」
「もったいないお言葉です。私もカトリーヌ皇女殿下と仲良くしてもらいありがたく思っています」
ドクトリヤ公爵は先ず脈を計り、自身が持つ病変を探す観察魔法で診察を行い、娘の作った体温計、血圧計、聴診器でも診察を行った。一年前から娘にレクチャーを受けながらそれらの機器を妻の公爵夫人を練習相手に診察を行ってきたため、滞りなく診察を終えた。セレーナは器具を使った診察は聴診器での診察のみで、あとは観察魔法でCTのごとく全身のスキャンを行った。ちょっと不審に思ったセレーナはMRIモードでも全身スキャンを行った。
「陛下、大変申し訳ないのですがお腹を出していただいて横になってはいただけませんか?」
「構わぬが、どうかしたのか?」
「いえ、一項目だけ検査したいところがございまして」
そう言われた皇帝はお腹を出そうとしたが、周りにいた戦闘訓練を受けた執事たちがそれを良しとはしなかった。が、皇帝が命令を下し、執事たちは黙って見守るしかなかった。セレーナは自分の手を温めてから皇帝のお腹の触診を始めた。エコーモードでの診察である。一通り触診を終えると皇帝に頭を下げ診察が終わったことを告げた。
「ドクトリヤ公爵よ、そなたの見立てはどうであった?」
皇帝が診察結果を問うと、
「血圧は一年前に比べればだいぶ改善されました。胸の音も心配御座いません。まだまだ元気な心臓と肺をお持ちです」
そう、ドクトリヤ公爵が応えると、今度はセレーナに診察結果を聞いた。
「はい、聴診器で音を聞かせていただいた結果は、父と同じ見解です。ただ・・・」
と言いかけたところで、ドクトリヤ公爵の厳しい視線がセレーナに向けられた。皇帝はただ「続けよ」と一言言った。
「はい、お恐れながら肝臓に脂肪がついており、脂肪肝の状態です」
「脂肪肝とな?それは一体どういった病気なのだ?」
「はい、健康な肝臓には脂肪は付着しておりません。ただ、食事の摂取量が多過ぎたりお酒の飲み過ぎなどで、肝臓に脂肪が溜まっていきます」
「そうなるとどうなるのだ?」
セレーナは皇帝の瞳の色をうかがいながら発言を続ける。
「肝硬変へと至り、最後は肝臓がんとなって死にいたります」
「なんと!」
と声を上げたのは宰相だった。皇帝はドクトリヤ公爵に肝臓がんについて問うたが、ドクトリヤ公爵も初耳の病名だった。再び皇帝はセレーナに問うた。
「肝臓は物言わぬ臓器と言われ、痛みなど感じません。そこに脂肪が溜まり肝硬変という塊の状態になり、それが更に硬くなり肝臓がんという塊の状態になります。それが大きくなり血液に乗ってがん細胞が全身に巡り色々な臓器に転移して衰弱し、痛みに苦しみながら死に至ります」
「ドクトリヤ公爵、その様な症例について知見はあるか?」
「ございます。ただ年老いた者が多く天寿を全うしたものと、多くの者は思っておりました」
「セレーナよ、死を避けるにはまず何をすればよい」
皇帝がセレーナに問いかけた。
「先ずは、規則正しい生活を心がけてください。そして食事は全体的に量を減らし、先ず野菜を多く食べてください。タンパク質はお肉やお魚だけではなく、豆類からとるようにして、脂肪が多いものについてはなるべく避けてください。パンやパスタなど小麦粉を使った食材もなるべく少なめにしてください。あとお酒はワイングラス一杯までにしてください。食事面はこの辺りを注意してください」
「昨年から塩分を控えさせられ、ようやく慣れたというのに。ただ血圧が下がったことを考えれば、そなたの言うことが正しいのであろう」
「はい。それから太ももやお尻、背中の筋肉を鍛えてください」
「なんと運動もか。皇后に誘われ散歩をするようになったのだが、それだけではダメなのか?」
「はい、筋肉は脂肪を燃焼して動きますので、大きな筋肉をつけることで、よりよく脂肪の燃焼を手助けします」
「狩りはどうか?」
「はい、馬を走らせたり弓を引いたりすることで全身の筋肉を使うので、気分転換には良いと思われます」
「気分転換にはか。そういえばそなた、自分の父親の診察をしたことはあるのか?」
「ありません」
そうセレーナが応えると、皇帝は茶目っ気たっぷりに、
「ならばこの場でドクトリヤ公爵の診察を行ってみよ」
と、セレーナに皇帝命令を出した。ドクトリヤ公爵は抵抗したものの皇帝命令であるので、拒否権はなかった。セレーナがドクトリヤ公爵のお腹に手を置き、エコーモードで診察を開始した。
「セレーナよ、そなたの父親の状態はどうであった」
「はい、こう言っては陛下に大変申し訳ないのですが、陛下よりまだ少ない量ですがしっかり脂肪が付いていました」
「そうであるか。医者の不養生とは正しくこのことだな」
皇帝は先ほどの気落ちを笑うことで克服した。しかし、ここでセレーナが重大事項を一つ述べた。
「陛下、一つ申し上げたいことがあるのですが」
「なんだ、申せ」
「はい、今日の診察だけではまだ分からないことが多いので、血液検査を受けていただき色々調べておいた方が良いかと思います」
皇帝は興味をもって問うた。
「血液検査とな?それはどういったものだ?」
「はい、血液には身体の様々な情報があるのです。ですから体内から血液を少量取り出し、カトリーヌ皇女殿下方と共同で開発し、アカデミー附属病院に納入した検査機械で様々な項目を調べます。そうすれば具体的な数値を得られますし、身体の他の異常も検知することが出来ます」
「なるほど、それならば一度調べてもらえるかな?なぁドクトリヤ公爵も一緒にどうだ?」
これにはドクトリヤ公爵も「はい」と返事をするしかなかった。
血液検査はカトリーヌたちのアカデミーの入学式の時に行われることになった。入学式では皇帝が祝辞を述べるからだ。入学式が終わると早速医術学部附属病院へ移り、病院長の応接室で皇帝とドクトリヤ公爵の採血が行われることになった。
「針を刺して採血します。痛いときには我慢せずに仰ってください」
セレーナはそういいながら最初に父親の採血を行った。
「この針は太くて痛いな」
「流石に私たちの技術ではこの細さが限界でした。技術があればもっと細くすることは可能だと思いますが、痺れはありませんか?父上」
「痺れはない」
「では、採血が終わりましたので、針を抜きますね」
「あぁ」
このやり取りを見て皇帝はドクトリヤ公爵に声をかけた。
「針の具合はどうであった?」
「はい、我慢できない程の痛みではありませんが、やはり太いですね」
「そうであるか。どれ私も採血してもらうか」
皇帝はそういいながら腕を出した。皇帝はあまり痛みを感じる様子ではなかったが「やはり太いな」と感想を漏らした。
「検査結果は一時間ほどで出ますが、宮殿でお待ちになりますか?」
セレーナがそう言うと、皇帝は右手を上げ、
「いや、ここで待とう」
そう言うと皇帝は供された紅茶を優雅に飲み始めた。
話に花が咲いたころ血液検査の結果が出てきた。セレーナはそれをじっくりと見てから結果の報告にうつった。
「先ずは皇帝陛下の検査結果から報告します。塩分濃度に関しては正常値内に入っています。感染に対する炎症反応もございません。ただしALT、肝臓の数値ですけど四十で上限ギリギリです。空腹時血糖値は百三十あり上限ギリギリです。HbA1c (ヘモグロビンエーワンシー)に関しては六点三で上限を超えています。糖尿病一歩手前です」
「ドクトリヤ公爵よ、糖尿病とやらを知っているか?」
「いえ、存じません。初耳です。セレーナよ、糖尿病とはいったいどのような病気だ?」
「はい、父上。糖尿病は血液中に必要以上の糖があることで血管を傷めます。放置しておくとどんどん糖が増え、尿からも糖が検出されます。なので糖尿病と申します。そうなると毛細血管が傷められしまいには手足が腐り、切り落とさなければならなくなります。ただ皇帝陛下の数値ならばまだ改善の余地が残されていますので、食事療法と運動を続けていただければ大丈夫です」
この話を聞いて皇帝は更なる努力をしなければと決意した。
「今度は父上の結果ですが、父上塩分濃度が高いです。このままでは血管は傷つき高血圧にもなりますよ。炎症反応は見られませんが、ALTは四十を超えています。空腹時血糖も高くHbA1cに至っては六点四です。むしろ父上の方が皇帝陛下よりも悪い結果です。父上も塩分を減らして食事制限をして運動療法を行って下さい」
セレーナは膨れた顔で父親に警告した。皇帝はこの光景を見て苦笑いしたが、むしろ娘のカトリーヌの視線が痛かった。
「セリーナよ、何か褒美はいるか?」
「褒美はいりません。ただ・・・」
「ただ?」
「血液検査に使う針を作ってくれる職人がいてくれれば助かります」
「なるほど、ならば職人を探そう」
「ありがとうございます」
こうして皇帝の健康診断は終了した。
皇帝は今回の健康診断について、大いに関心を持った。
「なぁ、ケミストリヤ公爵よ。娘たちの仕事ぶりはたいしたものだな」
「そうでございますね、陛下。今までこのように健康を数値化して表すなど、我々は考えも及びませんでした」
「今回のことで朕は思い知った。年齢や身分で差別を行っていると、素晴らしい能力を拾い上げることなく見過ごしてしまうのではないかと。これでは国家が繁栄することに逆行してしまうのではないかと。素晴らしい意見があるならば積極的に耳を貸さねばならないな」
「仰る通りでございますね、陛下。私も国立病院の病院長だと胡坐をかいていてはならないようです。若手医術師の意見を取り入れつつ、後進の指導に当たっていかなければならないようです」
皇帝と公爵は、娘たちのこれからの活躍に心躍らせていた。




