13. エピソード12 熱病
三日目の朝、朝食前にカトリーヌらはもう一度温泉に浸かった。もちろん今回は水着着用で。一時間ほど話をしながら温泉に浸かっていたら流石にお腹が空いてきて、朝食を摂るために温泉から上がった。朝食にはご飯とみそ汁に焼き魚が供され、カトリーヌら三人は大いに喜んだ。
朝食が済み、程なくして皇都への帰還の隊列が温泉郷を出立した。今度は湖から流れる小川の横を通りながら隊列は進んでいった。道も下り坂を行くので往きよりも少し早いペースで皇都に近づいていった。皇都に近づくにつれ人通りは多くなり、でもその様子は往きの時と異なりなんだか慌ただしかった。夕方に皇都に着くと皇都の外門には長蛇の列が出来ている。隊列が外門のところまで来ると隊列は止められた。門兵が隊列長に状況を説明し、それを馬車のマリアに言づけていた。
「近くの村で熱病が蔓延し閉鎖されているようです。それで皇都へ入る者の検温をしていて行列が出来ているそうです。そして我々も検温を受けないといけないようで。こちらが皇室の馬車ということで優先順位を上げるよう申し付けましたがどのくらいかかるかは・・・」
「セレーナが乗っていることは伝えた?」
「はい、伝えましたが。事の重要性を理解してくれるかどうかは」
カトリーヌたち三人は馬車の中で協議を始めたが、情報は、熱病が一つの村の中だけで起きているようだ、ということしかわからなかったので、今考えられるのは局地的なウィルス感染が濃厚であろうということだけであった。
「この世界でまだウィルスの概念はないわ。だから抗生物質も研究されていないし、対処方法としては解熱鎮痛剤の投与くらいかしらね」
セレーナはそういった。
「確かに私は有機合成専門だから抗生物質は合成できたとしても、培養は無理だからなぁ。まあ一応ペニシリンの培養は文献を見ながらやり始めているけど、なかなか上手くいかなくて。合成は一応開始しているけど・・・」
カトリーヌがそう言うと、
「ペニシリンの培養は私の方で研究しているけど、ペニシリンが効いてくれるかは、分からないわね」
そう、クリスティーヌが応えた。協議している間に門兵がやってきてマリアに体温計を渡し、マリアが自分を含め四人の体温を計った。そうして他の馬車や騎士たちの検温が済むと、馬車は皇城に向けて出発した。
馬車が皇城に到着し馬車から降りると、三人は走り出したいのを抑えながら皇帝の執務室へ向かった。
「お父様、遅くなり申し訳ありませんでした。カトリーヌ=ケミストリヤ、只今帰城しました」
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます。セレーナ=ドクトリヤ登城しました」
「同じく。クリスティーヌ=ファルマシヤ登城しました」
「おお、良く戻ってきてくれた。これからそなたらの力が必要になるかも知れぬ」
「お父様、状況はいかがなのでしょうか?」
「まだ、熱を発したものが何日か前から一気に増えたということで、とりあえずドクトリヤ公爵の上申もあり村を閉鎖し、医師を派遣したがまだ連絡がこない。なので対応のしようもなく、とりあえず解熱鎮痛剤を村に届けさせた。なのでセレーナとクリスティーナは帰宅し休むように。カトリーヌも皇宮に戻り休むように」
「はい。かしこまりました」
翌朝、カトリーヌは目覚めると身支度を整え、ダイニングへ向かった。ダイニングには父親の皇帝はおらず、皇后と姉と兄しかいなかった。
「おはようございます、お母さま、お姉さま、お兄さま。お父さまは?」
皇后にそう尋ねると、
「陛下はもう執務室にいるわ」
「お早いのですね」
「熱病の村の対策でね」
カトリーヌは早々に朝食を済ませると、皇帝の執務室に赴いた。
「お父様、おはようございます。お早いのですね」
「うむ、昨日の夜、村から連絡があってな」
「いかがでしたか?」
「当地に赴いた医師たちからの連絡では、原因は不明とのことであった。先ほどドクトリヤ公爵家に遣いを出したので、そろそろ登城してくると思うのだが。ただ熱病は子供たちが発症し始め、順に大人たちに感染していったようだ」
「そうなのですか」
カトリーヌは顎に手をやりながら少し考えた。そうしていたころ、ドクトリヤ公爵とセレーナが登城してきた。皇帝は先ほどカトリーヌに説明したことを話していた。セレーナは顎に手をやりながら少し考えていた。カトリーヌと同じ仕草をするのを見て、セレーナに意見を求めた。
「セレーナよ、何か思い当たることがあるのか?」
「陛下、一つお伺いしたいことがございます」
「なにかな?」
「症状の中に、耳の下あたりに腫物があったという報告は上がっていませんか?」
「そういえば、そのような報告が上がっていたな」
「そうでしたか」
「なにか心当たりがあるのかな?」
セレーナは一つ間をおいて応えた。
「はい身に覚えはありますが、やはり現地へ赴いて直接診察してみないことには」
皇帝は少し考えこんだ。この時ドクトリヤ公爵が皇帝に上奏した。
「陛下、私目が現地に赴きます。セレーナはその助手という形で診察に当たらせてはもらえないでしょうか」
この申し出に皇帝は余計考え込んでしまった。ドクトリヤ公爵家はそもそも皇族の診察を行う家柄だ。セレーナは国立アカデミー附属病院の医師として診察に当たっており、そこでは皇族以外も診察を受けているので、もう家柄云々の話は別になっているのだが。
「分かった。二人とも現地で診察をしてまいれ。その他に必要なものはあるか?」
「解熱鎮痛剤をありったけいただければ」
「後ほど送るとしよう」
「では行ってまいります」
そうしてドクトリヤ公爵家の馬車は、熱病に侵された村へと向かった。
熱病に侵された村、ヒッツブルグに向けてドクトリヤ公爵家の馬車列が進んでいった。道のりは半日程度かかる。
「お父様、よく私が診察を行うことをお認め下さいましたね」
「正直な話、私でも皆目分からぬ症状を言い当てたところを見ると、そなたでなければ診断は無理であろう。それに治療法も思い浮かんでいるのだろう」
「はい、お父様。しかし、私が思い当たっている病気ならば対策は二つしか御座いません」
「解熱鎮痛薬の投与と患部の冷却か?」
「はい、お父様」
村に着いて早速診療所で診察を開始した。患者たちは皆、耳下の頬が腫れており発熱の苦しさを訴えていた。患者それぞれに解熱鎮痛剤を処方し患部の冷却を指示した。また診療所に来ることが出来ない状態の患者のもとにも赴き診察を行い、解熱鎮痛剤を処方し患部の冷却を指示していった。
「セレーナよ、お前の診断結果はどうだ」
「はい、お父様。私の診断では『おたふく風邪』だと思われます」
「おたふく風邪とな?」
「はい、おたふく風邪は流行性耳下腺炎のことで、名の通り流行り病に御座います。ムンプスウイルスに感染し、耳の下が腫れて発熱してしまう病気で御座います。多くの場合、子供のころに発症し、一度発症すれば一生罹ることはありません。しかし、子供のころに罹らず大人になってから罹ると重症化することが多いのです。現在の医療では患者への接触を禁じなければ流行は止まらないでしょう。なので対処療法として解熱鎮痛剤を投与する必要があります」
「そうか、やはり流行り病で、解熱鎮痛剤で抑えることしかできないとは」
「村を閉鎖したのは正解でしたね」
そうしてセレーナは一週間ほどヒッツブルグ村に滞在し診察に当たっていき、村人たちは快方へ向かっていった。
「セレーナ、だいぶ状態が落ち着いてきたな」
「はい、お父様。ここまでくれば他の医師たちに任せても大丈夫でしょう」
「皇帝陛下からも登城して報告するようお達しが来ている。一度邸宅に戻るぞ」
「はい、お父様」
そうして、二人は皇都へ戻ることになった。




