【1】②
◇ ◇ ◇
「ねぇ、パパ。近いうちに少しだけ出掛けたいんだけど。ほんの二時間もあればいいから」
それからしばらく経ったある日。
夕食も済ませて、夫婦でダイニングテーブルについてお茶を飲んでいたときのこと。
涼音が少し遠慮がちに切り出した言葉に、隆則は内容はわからないもののすんなり承諾を返した。
「構わないよ、もちろん。というか、そんなんでいいの? 毎日、仕事に家事に子どもの世話に、って全然自分の時間ないだろ?」
「ううん、それで十分。パパが本当に毎日にいろいろ助けてくれるからそんなに大変じゃないし。それにパパだって条件は同じでしょ?」
彼女が胸元に零れた髪を手で後ろに払いながら答える。
「助けるって、俺は単なるお手伝いじゃないんだからやって当然だよ。……どこに行くの? 映画、は二時間じゃ無理か」
「ひとりで映画なんて子どもが小さいうちはいいわ。美容院に行きたいのよ」
本心から告げた隆則に、妻の返答は予想外だった。
「なんだ。それくらい、いつでも行って来たらいいって。ついでにお茶でも飲むとか買い物するとかゆっくりして来れば?」
「そうね。気が向いたらもしかしたら──」
そう言い掛けた涼音は、リビングルームの外から聞こえた雪音の声に振り向いた。
「雪ちゃん、なーに?」
「ママー、おふろあがったー」
「雪ちゃん、ぼくがふいてあげるから! 待って、廊下がぬれる!」
声だけで伝わる小さなパニックに、涼音だけではなく隆則もあわててバスルームへ向かう。
「航ちゃん、ごめんね。ありがとう。雪ちゃん、航ちゃんの言うこと聞くって約束で一緒に入れてもらったんでしょ?」
脱衣所から飛び出そうとする雪音をバスタオルで包むようにして捕まえている航大に、涼音が労りの声を掛けた。
普段は涼音と二人で入浴している雪音だが、今日は航大と一緒がいいと頼んで了承されたのだ。条件付きで。
「ごめんなさい……。航ちゃんにいれてもらったよー! ってうれしかったの……」
「それはママもわかるわ。でも、約束はちゃんと守らなきゃダメ」
「うん。もうしない」
バスタオルごと航大から引き取った雪音の髪や体を拭きながら、しゅんとした息子を涼音が諭している。
「ママ、それでいつがいい?」
パジャマに着替えた子どもたちと共にリビングに戻り、隆則は中断した話を続けた。
「そうね、できたら土曜日。金曜の夜でもいいけど」
「今週は特に予定も決めてないし、ママの好きな時に行けばいいよ。土曜ね」
「ママ、どっかいくの?」
二人の会話に、横から雪音が口を挟む。
「うん、美容院。髪の毛切りに行くのよ。……そういえば雪ちゃんもそろそろ切らないとね。随分伸びて来てる」
涼音の言葉に、雪音は両手で頭を覆うようにして全身で拒絶を示す。
「えー、やだ! きらない!」
「お母さん。雪ちゃんは長いのも似合うし。別にいいんじゃない、かな」
庇うように助け舟を出す航大に、妻は仕方なさそうに笑いながらも完全には引かなかった。
「でも前髪だけは切らないと、目に入ったら邪魔だから。いつもみたいにお家でママが切る方がいい?」
「……うん」
「だったら、お休みの日にお風呂入る前に切ろうね」
涼音が優しく言うのに雪音も納得したように首を縦に振り、それを見た航大もホッとしたように微笑んでいた。