20話 誘われた人形
(ホント、自分もこれが最後がいい)
「…………っ勝手なことをされては困ります」
焦りを含むその声が耳に入ったかと思えば急に体が何かに引き上げられたかと思えば、目を開けた先に映ったのは………………。
…………姫抱っこっつ?!?!
抱き上げられているのに全身で気がつく。流石にこの年で男相手に(女であっても)抱き上げられる趣味はない。驚愕と混乱のまま暴れようとするが、俺を抱えあげる男はなんてことのないように俺ではない誰かに向けて睨んでいる。
「貴方の個人的感情を彼に強要しないでいただきたい。彼は未だ異端者を所持せず、自身の庭も持たない状態です。そんな彼を貴方のような方に預けるわけには行きません」
はっきりとそう言い切る男は、よく確認すれば全身執事姿で妙に見覚えがあった。
「…………あらぁ〜、とんだ邪魔が入ったかと思えばぁまァた貴方ぁ?何度わたしの邪魔をしてくれるのかしらぁ〜。…………べえつにぃ〜、貴方がわたしのお人形になってくれたぁって構わないのよぉ♡♡」
気分を害された、と訴える言葉に反してその声は妙に艶を含んでいた。
派手な色に染まるその唇は、これ以上ないほど釣り上がりかえって彼女がこれまでにないほどの高揚を感じているようにさえ感じ取れる。
フッと、しなやかな指先をその唇に当て彼女はまるで幼子が強請るような仕草を見せた。
「貴方とわたし、最っ高のパートナーになれるわぁ♡」
そうだと、彼女は確信していた。
それはその表情からも読み取れ、その様に当てられ俺まで喉仏を上下せずにはいられない。
「自分には既に主がいます。貴方の下に参じることはできません」
「そんなのどうだっていいわぁ!」
急に、まるで奇声のような声が上がった。
空気が張り裂けんばかりの勢いで発さられたそれは、説明するまでもなく今対峙する彼女のものだった。
…………………………いい加減この態勢から逃れたいが、どうにも動けない。
「分かっているようだけどぉ、ここはわたしの“お庭”よぉ?─────────貴方は自由に動けない。そぅでしょう?」そのこがいるかぎり
まるで確かめるように女がその腫れ上がる唇で紡ぎ出す。一瞬の違和感を感じた俺だったが、すぐにその思考は打ち切られる。
「貴方もわたしのお人形にしてあげる♡だあいじょうぶよぉ〜♡♡わたしは壊れかけたお人形もだぁいじにしてあげる♡♡」
「勝手な話をされては困ります」
執事の格好をした男は、女の誘いを素気なく断る。
「……………………」
「強制退場です」
女がまた何かを紡ぎ出そうとする寸前、俺を抱えたまま彼はそう断言した。
その言葉を聞いた瞬間、俺は唐突に視界が暗転し、意識を強制的にシャットアウトさせられた。
水のくぐもる音の中、目を開けばそこにはつい先程まで俺を抱えていた執事姿の男がいた。
「お前、は、何者な、んだ……?」
思考に霞がかかる中、俺は確かに男にそう問いかけた。
「自分は異端者です」
どこかで聞いた覚えのある言葉を、男が吐き出したのと同時に俺の意識はまた刈り取られた。
意識を失うのはいい加減これが最後にしてほしい。
遠くなる視界の中、俺は確かにそう願った。
「やあ、ボクのこと覚えてる?」
次に目が覚めたとき、一番に聞こえたのはそんな軽快な声だった。
「……………………まず、名前を名乗ってからそういうことを言え」
俺が当然とも言える指摘をしたところで、相手は一人勝手に笑い始めた。
肩を小さく揺らし、腹を抱える姿はどこにでもいる普通の子供のようにも見えた。
「………………やっぱり、キミは興味深い。この図書館に選ばれただけはあるね」
「さっきからお前は何言ってるんだ?」
いい加減、眼の前の人間に呆れを覚えてきた俺はふと周囲を見渡した。
どこまでも立ち並ぶ天井知らずの高い棚。そこに収納されるのは、古びたものから新品だと窺えるほどの本の数々。
静閑な空間が広がっている。
「本は、飛ばないのか?」
「アレは歓迎を示すために見せていただけで、普段からじゃないよ。本が飛ぶなんて面倒だし有りえないだろう?」
いや、だろう?じゃなく…………。
「…………それに、アレはボクの意志でいつでもできる。こんなふうにね」
未だ性別に判断の付かない彼が、ヒョイと人差し指を立てクルッと回せば、突然ガタガタバサバサと音が立ち、本棚から勢いよく数々の本が飛び立ち始める。
それらが宙に並びクルクルと彼が指し示したように円を描いて回っていれば、そのうちの一冊が鳥のように下降し、彼の手元へと降り立った。
…………なんだか、見覚えがあるような……?
「それで、キミは今度何を知りに来た?」
「…………?何の話だ」
鳥のようなそれは瞬く間に一冊の本となり、彼はその本の中身をめくる。
彼の言葉に違和感を感じた俺は、素直に疑問を口にした。
すると彼は一度眉を上げてから、また一人頷き「そうだったね」とまた一人納得する。
「…………なら、また教えてあげるよ」
先程までの明るさを消し、感情を含まないその声と表情はどこか子供のようにも物悲しい寂しさを纏っているように見えた。
『………………キミじゃないっ!』
ふと耳の縁で、何かが耳を掠めた気がした。
しかし目の前の彼が立ち上がり、俺に向けて両腕を広げたところでその感覚は刈り取られた。
彼はその小さな背を仰け反り、まるで宙を抱え込まん意気込みで語りだす。
まるで、
「ここは魔法図書館っ!過去、現在、未来。その全ての事象、歴史、文化を記録し、保管する」
言葉がそこで区切られ、彼は一度俺の方を向き直った。正面から俺の全身をその瞳に映すように見つめられ、俺は無意識に続きの言葉を待った。
予想通り姿勢を整えた彼は、その口を開ける。
「キミも、ボクも。知りたいその全てが、ここにある」
さぁ、君は何を知りに来た?
その口から紡がれる前に、何故か俺はその続きが脳裏を過ぎった。
彼が口にすれば、一時の違和感は完全に立ち去り、消えた。
ほんの少しの違和感は、俺にとって些末ごとなのだから。




