16話 存在しない“キミ”
頑張って長くしました。
でも次はまた短くなります。
「ちょっとちょっと、そんなにビビらないでおくれよ。確かにボクはこの『天国』に関しての情報を保管する役目の“管理人”ではあるけれど、至って他と変わらないこの世界の『住人』でもあるんだよ?」
せっかく仲良くなれそうな客人が来たと思ったのに〜、と嘆くように話す彼の言葉が俺の頭には入ってこず、ただ“管理人”と言う言葉だけが脳を占める。
こんな何でもありの世界に、確かにこれほどまで“図書館の形”を保つのも凄いことかもしれないが、いかんせん比較対象がない。
それに『開拓者』という単語。
聞き慣れないそれが、嫌に脳を引っ掻く。
天国の住人は各々『庭』を所有している。
その『庭』に他者が入ることは難しくはないが、ある程度の危険性を伴う。
まずはその『庭』の所有者との衝突。
意見や思想が違えばもちろん口論に発展する。だがそれならまだマシな方で、行く行くはその庭を巡って激しい争いに発展することだってある。
他にも一度入り込めば、迷って二度と外に戻ることのできないことだってある。
それでも、ここが『天国』であるからか助かる術はある。
それこそが『異端者』の存在だ。
その彼らを所有しない俺が、他人の領域に入り込んだ。
もしかしてこれは、自覚がないだけで相当危険な状況なんじゃないのか?
「……ねぇ、聞いてもいいかい?」
そして突然、なんの前振りなく相手はそう問いかけてきた。
「何を……?」
考え込む俺に、彼は気遣うこともなく直接的に尋ねてくる。それは、予想打にしなかった問だった。
「分からないのかい? キミ、自分が何者なのか」
「……………………、はあ?」
俺なりに精一杯の沈黙を溜め込んでそう言った。
彼の言葉に何かが付け足されるわけでもなく、ただ彼は俺をまっすぐ見つめてくる。
冗談でも軽口でもない。
本心からの疑問を彼は俺にぶつけたのだ。
俺は突然、彼が得体の知れない化物か何かのような感覚に陥った。
そもそも、この世界自体が怪物の腹の中のようであることは今この時は忘れていた。
あまりにも時が止まったかのような空間で、俺は無意識的にも気が緩んでいた。
どこともしれない、こんな場所で。
けれど、まるでそうなることが当然のような、そうなるべきと言わんこの空間はどうしたって危機感が持てない。
けれど、今目の前の化物はまるでそれを思い出させるように俺に問いかけてきた。
まるで、ずっとこの時を待っていたかのように。
「……キミは、不思議な存在だ。この世界の『住人』であるはずなのに、この図書館はキミを認識できない」
彼が真摯に告げるその言葉に、俺の時間が止まる。
「キミはっ、この世界にとって、何者なんだい?」
……この時、俺は彼に何と答えただろう。
気がつけば会話は終わっていて、俺は彼から彼がそう感じた理由を聞かされていた。
「────キミが来て、ボクはすごく嬉しかったよ。やっと友達ができるって」
「……………………」
「でも、やっと更新されると思った本の続きにはキミのことは何も書かれてはいなかった」
「……本?」
ここでようやく、俺は彼の言葉に疑問で返す。
彼は、まるでこれまで何度だって説明してきたかのような口ぶりで答えた。
「……キミがここに来た時、ボクは本を読んでキミを待たせてたよね? その本にはボクの人生が書かれてる」
彼が手を一振りすれば、一冊の本が棚から浮かび上がり彼の手元までゆっくりと羽撃くようにやってくる。
「何回か言ったと思うけど、この図書館は過去、現在そして未来、そのすべての現象、事実を記録している。もともとは世界中の本を読めるだけの空間だったんだけど、ボクが興味があるのは何も本だけではないからね」
彼は慣れたようにその本を開き、一箇所で手を止めるとこちらに見せてくる。
「これはボクの人生。そして、ここから空白の先はまだボクの体験していない未来が記されていく」
彼は俺に向かって丁寧に説明してくる。
俺が何に疑問を持つのかをわかっているように。
「この図書館は未来の情報もまた読めるけれど、それは一定の条件をクリアしないとできない」
「……条件?」
「それについてはまたいつか説明するよ。今はこっち」
彼がもう一度手元の本を示せば、そこには書きかけのページがあった。
「この続きはボクでも読めない。まぁ、そのほうが面白いからいいんだけど。でも、今ボクが問題としているのはこの部分」
彼がある行を指して、俺に問いかけてくる。
「さっきも言ったけど、ここはこの世界のすべての情報を綴られている。そこには偽りも含めて、存在し得るすべての事実を」
まるで、俺に言い聞かせるように説明してくる彼は慎重に言葉を紡いでいるようだった。
一歩間違えれば、全てが台無しになるかのように。
「……ねぇ、キミは誰なの?」
急に、幼い口調で初めと同じことを彼は尋ねてきた。
心からの疑問。
まっすぐに俺を見つめる瞳は不思議なほどに丸かった。
「……誰って、俺は雄っ」
「雄翔、だろ。そんなことは分かってるよ。そうじゃなくてさ、キミの存在だよ」
「………………」
彼は心底不思議そうに尋ねてくる。
先程までの慎重さが突如として搔き消え、その瞳の奥には確かな輝きを持つ。
それは本能的な好奇心か、私的の知識欲か。
「ねぇ、キミは何者なの? ボクの図書館は起こった事象すべてを記録できる。……そのはずなのに、何故かボクの本に、ボクの人生にはキミの存在がない」
「……はっ?」
彼が言う言葉に、俺は何一つ納得できなかった。
俺はこれまで、彼に一切の自己紹介をしていない。
彼もまた、俺に一つも名乗っていない。
それでも彼が俺の名を知っているということは、その本に俺の名が記されているということだ。
それはつまり、俺という存在はすでにそこに載っている。
彼が、虚偽を述べていることに他ならない。
しかし、次の彼の呟きで俺は戸惑わざるを得なかった。
「……キミじゃない」
「え?」
彼はまるで俺の考えていることがわかるというかのように、そう言った。
その言葉に、やはり俺は何一つ理解を示せない。
その様子の俺に向かって彼は、どうにかそのことを俺に伝えようと語気を強める。
「この本に、とある人物がここを訪れたことは確かに書いてある。……でも、それはキミじゃないっ!」
その瞬間、俺の頭には強い痛みが走った。
まるで、今にも意識を奪われそうになる感覚。
俺は直立していることもできず、重力に促されるままに足場に崩れる。
「一体、何なんだっ。聞くのが辛いのはわかるっ! でもボクは知りたいだけなんだ! “雄翔”は、キミなんだろう?! ならどうしてっ、どうしてボクの本にはキミじゃない別の男が描かれているんだっ!?」
次の瞬間、俺の意識はそこで途絶えた。
いつの間にか強くその手に握りしめていた図書館の栞は拉げ、そこに描かれた花を潰れていた。
俺に駆け寄って、自分の知識への欲求を抑えきれない彼はただ俺の意識を取り戻そうとしているようにも思える。
(…………そう言えば、あの全身執事はどこに行ったんだ?)
その疑問を最後に、俺は思考さえも手放した。
深い泥濘に体中が浸かっているような感覚を得ながら、俺は完全に意識を失った。
突然始まったかと思えば突然終わる。最悪の展開。