019
湯船には、贅沢なくらい並々に湯が注がれており、さらに薔薇のような花びらがたくさん浮かべてあった。
溢れるかなって思いながら、私はゆっくり足先から浸かる。
足を入れた瞬間花たちが一斉に動き、浴室内に華やかな薔薇の香りが充満した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あーーーーー。気持ちいい」
自分でもおばさん臭いなって思うような声が思わず溢れた。
ただアーシエの体は細いのか、肩まで湯船に浸かっても溢れることはない。
こんな風に湯船に浸かるなんて何年ぶりだろう。
もうちょっと、ちゃんと人間らしく生きてくればよかったなって、こんな時はすごく思い知らされる。
有給だって取ろうと思えば取れたのに、仕事しかしてこなかった。どうせ死んでしまうのなら、温泉に入ってのんびり美味しいものを食べたかった。
お金なんてあったって、死んだら使えないのに。あの時はそんなことさえ、考えられなかったのよね。私、何のためにあんなになってまで働いていたんだっけ。
毎日毎日何かに追われるように、ただずっと真面目以上の社畜としてたのだろう。
「なんか馬鹿みたいな人生だったわね……。何にも残せもしなかった……」
別にそんなに頑張ったって、誰も褒めてなんてくれないのに。ホント、もったいない生き方してたんだなって、今ならやっと分かる。
今度こそはちゃんと自分の頭で考えて、人間らしく生きないとなぁ。
「お嬢様、お湯加減はいかがですか?」
「うん。すごく気持ちいい。こーんなに、贅沢に昼間からのんびりしちゃっていいのかしらってぐらい」
「もちろん、いいのですよお嬢様」
「でもさぁ、サラは働いているじゃない」
「それは、お仕事ですからね~」
「でもなんだか、それだと不公平だわ」
「えええ。そんなことないですよ。わたしはお嬢様に仕えることが出来て幸せですから」
「んーーーー」
身分っていうのもあるかもしれないけど、サラは本当によく動いてくれている。
私は今の身分が令嬢だから、確かに仕事はないのよねー。ただサラを見ていると、どうしても過去の自分に被ってしまう。
「あ、そうだサラ! お風呂から上がったら、一緒にお茶しましょう」
「そ、そんな畏れ多いことです。わたしなんかが、お嬢様とお茶をするだなんて」
「いいのよ。だって一人でお茶なんて味気ないもの。付き合ってくれるかしら」
そう、やっぱり一人より二人よね。
せっかくこの世界でまともに話せそうな人がいるんだもの。サラには申し訳ないかもしれないけど、聞きたいことはたくさんあるんだ。もしかしたらそれがきっかけで、アーシエの記憶が戻ってくるかもしれないし。
それにしてもアーシエはどこに行ってしまったのかな。
でもアーシエの魂みたいなものが戻ってきてしまったら、私はどうなるんだろう。消えてしまうのかな。
消えたら今度こそ、本当の意味で死ぬのかしら。今の誰でもない私は、死んだら……。
「大丈夫ですか、お嬢様」
沈み込む私に慌てた様子のサラが声をかけてきた。
ああ、入浴中にいきなり黙り込んだらびっくりしちゃうわよね。ただでさえ、一人で入りたいって駄々こねたのに。
「ごめん、ごめん。大丈夫よ。ちょっと考え事をしてしまって」
「それならいいのです。何か、お悩み事ですか?」
「うん。そんな感じかな。ね、だから一緒にお話しながらお茶しましょう」
「……はい、お嬢様」
渋々かもしれないけど、サラが了承してくれて良かった。
楽しい時間があれば、悩む暇もないもの。それに悩んだところで今は答えもないわけだし。それなら少しでも楽しい時間を過ごさないとね。
何せ今はやり直ししているようなモノだから。