ppのお耳
この世界に世間が目を輝かせるような不思議で温かい魔法なんてない。彼はとうにそのことを知っていた、いや、鼻から異能者がそのような思い込みをされていたとも知らなかった。
6歳の誕生日に親が泣きながら自分に謝っている姿、そして最後に叫ばれた自分の真名すら、度重なる人工的な異能覚醒と同時に行われる人体強化処置の末、もうあやふやなものになっていた。最初に受け持った仕事はどうやら彼の地元制圧と聞かされてはいたが、すでに焼き野原同然となっていた地で親族も何もなかった。
気管支、脳幹の強化手術の際にぽっかりのできた大穴を埋めるは、白いシールキャップのような止血防止剤入りのカバーだ。
ほとぼりに疲れた戦場もやがてどこかに過ぎていく。取り残されたのは、養和の飢饉を連想させる凄惨に撒き散らされた同志や敵の屍の数々だった。身体が離れてしまった故人もいるだろうから数えることも額に阿の字を書いてやることも、もう叶わない。
生臭い死臭を充ちさせる死体の山なんて、彼に言わせれば地と馴染む小石も当然だった。大きな欠伸を溢しながらダラダラと途方もない地平線を歩いていく。退屈げに顔を眉を歪めながら暁に向く少年は慣れた手で安く質が悪いタバコに火を灯す。ジッポライターは緩やかな風に靡いて小さく踊っていた。
金色に光る短髪は大きな三つもヘアピンを付けて、シンプルであどけなく着飾り、小粋に荒野をてくり回る。
ppt-01。それが彼が研究基地に置かれていた頃の型式番号だった。
高度な敏捷能力を持つ彼を主体として開発が進められた実践的且つ、短期決戦に重きを置く試作個体。数々の実験失敗と判断された被験者が彼の目の前で殺害される中、一抹の動揺も見せず着々と厳しい実践試験をくぐりぬけてきた。精神統制を施さずとも、強靭な気概を保てる幼子にして実践に立つ姿は通り魔と称される程の俊敏さを持つ。
自分以上に地獄を見慣れているものはいない、と軽く自負する濃厚な実績を持つかれは、試作体にしてはかなり珍しい少年だった。
しかし、完全な実技テストが終わる数日前、研究基地が予期せぬ襲撃に遭って完全な調整の済んでいない彼は、戦場に立つには不備が多すぎるのだった。不完全な人間兵器はいつどのような形で、何を引き起こしてしまうか分からない。今現在に至るまで何事も起こっていないことがせめてもの幸いであり、いつ不調整の報いが回ってくるのか、常日頃自身の体に訪れる異変に神経を張り巡らせて置かねばならない。たとえ、剛毅な胸が自慢であっても、未だ十の齢にも満たぬ彼が気付かぬ間に日々の心労が募らせているのもまた事実だった。
いつぞやか、彼の不調性を治すことを条件に再び軍に戻る気はないか、というかつての上官の提案が手紙で見られる機会があった。一見魅惑的な相談でも軍の忠犬、兼大切なモルモットの人生は彼を辟易とさせていた。彼はそれを潔く拒んだ後、戦地を日和見しながら勝ち目が大きい側を支援して報酬を荒稼ぎし、時には人に情報を売りつけるなどしてどうにか生を繋ぐ毎日を過ごしている。
「今日は渋いかなぁ…」
トルソーハーネスのポケットを弄り、疲れ切った顔を余計酷くさせる彼はため息交じりにぼやきを吐く。
金が渋かった時に吸う紫煙はもともと単価の安い代物だがいつも以上に口当たりがよくない。砂利の含んだ泥を啜っているような気分が少年の狭い肩をがっくりと落とす。
倒れ伏した者共の数が次第に点々としていくに連れて、真っ赤に染まった夕日は地の底に溶けてしまった。曇りきった空はどことなく明るみをもって、月や星々の代わりに幼い彼の足場を照らす。小一時間ほど歩いて、やっと小さな草原を実らせる丘の上に登ったところで新鮮な空気が吹いてきた。
すっかり歩き疲れた足を横たえ、大きく深呼吸をして、肺いっぱいに土の香りを取り込んだ。
草むらの中に身を潜めるようにして姿勢低く腰を下ろせば、ふと耳の痒みが気になりだし、奥に深々と埋め込まれている耳栓を外した。ノイズキャンセリング機能に次いで、普段の聞こえる人の声も大幅に抑制されていた耳栓を取るということは、たちどころに今の今まで聞こえずにいた数多の雑音が聴覚過敏を患っている少年の鼓膜を荒々しく襲うこととなる。
些細な風のせせらぎですら今の彼にとって、苦痛そのものだった。同時にキーンと甲高い悲鳴に似た耳鳴りが脳内を反響して思わず頭を抱える。
「うるさい……っ」
悪態をついても、一度走り出した不快音は止まることなく、むしろ音量を上げていく一方だ。
堪らず、耳の穴に指を突っ込んで塞ぐ。それでも尚、音を拾ってしまう己のデリケートさに苛立って、耳垂れを流す壁面を投げやりに引っ搔いて再び耳栓を奥に詰め込んだ。スッと溶けるように消えていった雑音にようやく安堵の念をため息に出して長らくの間、気を引き締めた肩を緩めた。伸びた爪を使って体を搔きむしる度、爪の間にすす汚れた垢が溜まっていく。
「ありゃりゃ…」
と、落胆の声を漏らすも、この程度ならまだ許容範囲内だと高を括って気にする素振りも見せなかった。せいぜいシラミがわき出さないうちにいい駐屯地を見つけられれば、上々だと背の高い草むらから顔を覗かせて、人工的な光源がないかと軽く辺りを見渡した。鬱蒼と生い茂る丘陵地帯には人工的な高原どころか、焚火の煙一つ見当たらない。駐屯地でもらってくる地図も彼は地図の正しい見方を知らないため、使いようもない。また、一服しようとポケットに手を伸ばした時、背後から何者かの気配を感じ取った。
素早く振り返ると、そこには自分とほぼ背丈に相違ない小さな少女が背の高い草を掻き分けて脂下がった顔を見せていた。
「よう、ピー助」
少女にしては声の低い、態度一つとっても嫋やかとは言えないその人物は、無遠慮を誇りにでも思っているかのような横着ぶりを振りまきながら見覚えのある風姿に構えを解いた彼の前に腰掛ける。
下すともなれば背や尻は優に埋まるであろう黒い長髪を左右対称に輪を作ったうえで結わえ付け、宵の暗闇ではよく目立つ金目を炯々と光らせるそれは、少女らしい見てくれをした少年だった。会う都度、自慢げに揺らされる足のほとんど外気に触れるほどのプリーツスカートを気にせず胡坐をかく彼は、耳の奥に詰まった耳栓で痒い壁面を刺激しながら辟易とする金髪の少年に再び脂下がった。
Dq‐7412、衛生兵としての開発に重きを置かれた際に作られた個体であり、物質凝固の能力を有する能力者。持ち前の能力が功を積んで衛生兵としての腕前は辺境地域の医者以上であり、外科医として多くの戦場を渡り歩いた猛者でもある。そしてこの少年、自他ともに認める美童でスカートはそこら辺の女が履くより自分の方が見合っていると強い自負を持っているとんでもない驕り者だった。そんなDq(呼び名の便宜上、今後は型式番号の上に桁で呼称する)が何故こんなところにいるのか、そもそも何用か。疑問をよそにニヤニヤとほくそ笑むDqは鼻を高くさせながら、彼の名を呼んだ。
「今日も派手にやってたなぁ?相変わらず、お前はすごい奴だよ。なぁ、そう思うだろう?」
どうやら、Dqは今日行われていた戦闘の一部始終を見ていたようで、具体的な戦況もppが企業から貰い受ける雀の涙ほどの報酬金も把握している様子だった。
その問いに肯定も否定もせずに、不貞腐れた表情を見せて肩をすくめる彼は黙って紫煙を燻らせた。
「んだよ。せっかくいい仕事持ってきてやったってのに態度わりぃなぁ…」
授かり物にしては素晴らしい見てくれの良さを崩して、不服そうな面持ちを露骨に見せつける少年であったが、ppの反応など端から予想済みであったかのようにすぐに機嫌を取り戻した。無関心げにタバコのフィルターを噛んで、火元を見つめるのみの彼も流石に仕事という言葉までは見逃せず、駆け引きを持ちかけるつもりで嫌に女顔した少年に口を開いてやった。
「…仕事ねぇ、情報量とか分け前よこせとか言ってこないなら貰ってもいいけど。」
「そんなもん取ったことねえって知ってんだろ?こちとらな、お前からは治療費すらふんだくったことねぇんだ。」
「…………じゃあ、さっさとどんな内容の仕事なのか教えてよ。」
「へっ、そう来なくっちゃ。」
途端、上機嫌になったDqは嬉々として説明を始めた。
その話によれば、近頃、企業側の物資輸送ルートに何者かの妨害工作が行われているらしく、その調査のために傭兵たちが駆り出されているというのだ。その依頼主はここ一帯を縄張りにしている小規模な盗賊集団であるとのことでその任務の手伝いをしろということだった。
「先生も来るならいいよ」
ppのような政治がらみに疎い人間にもざる耳になることなく要点が簡潔にまとめられた話の終始を聞き終えた後、湿った地面にたばこの灰を落とすppが小さくつぶやいた。
前の戦闘がそれなりの長期戦になっていたこともあり、ppは自分が思っている以上に疲労をためていた。思っていた以上に声の出ない自分に小さな縫い針ほどの嫌気が差しこまれ、さらに彼の機嫌が悪くなっていく。
「そりゃ、行くに決まってるだろ。お前が怪我したら誰が面倒見ると思ってるんだ?ん?」
ふてくされた彼をさておき、気ままな表情で脂下がりながらも鼻先同士を擦り合わせてくるDqは彼なりに自分を可愛がっているというのは、普段の生活からも見て取れた。適応障害が祟って不眠を患わせた彼に幾度もケアを施してくれたのはこの少年である。一人の衛生兵にしては随分と介護に慣れている彼の世話焼きっぷりは、もはや母親や姉と形容しても差し支えがないほどであり、彼自身もその自覚はあるようだったが、不思議と鬱陶しいと思ったことはなかった。むしろ、自分を心配してくれる人がいるという事実にどこか安心感を覚えている節すら見えた際には、ppも当人では自覚していないうちに彼へ多大な信頼を寄せていた。
「詳しい仕事の申請は駐屯地行ってからにしようぜ?お前の耳鳴りと中耳炎も治してやんねえとだしな。」
「知ってたの?言わないようにしてたのに」
「俺を誰だと思ってんだ?あとでちゃんと悪いところ言えよな」
未だ齢として10代にもなっていない、学校に通っているのであれば9歳程の年齢とは裏腹、Dpの医療知識は並大抵に収まるものではなかった。基礎医学、臨床医学の両面において多くの経験を積んでいるだけあって、彼の腕は軍医顔負けと言っても過言ではない。また、衛生兵としての腕も確かで、戦場での経験も豊富であるため、彼がいない時の方が珍しいほどだった。
「ねえ、どこの駐屯地いくの?北のお国の駐屯地なら僕出禁食らってて入れないよ」
「出禁ってお前、なにしたんだ?大丈夫だって、心配すんなって。ほら、もうそろそろ出発しないと夜が明けちまうぞ。」
Dqはおもむろに立ち上がり、尻についた草を払うとppの手を握って目的の駐屯地へと歩き出した。
ppが可愛い回です。