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なんか…色々考えているフリをする

教科を「無意味」に感じる瞬間

本エッセイは、鶴舞麟太郎様が投稿されたエッセイ:

「学校の授業に歴史はいらない!」「古典を消せ!」だと!? 俺にも言わせろ! 「英語をなくせ!!」

の影響を受けた上で書かれた物です。そちらを先に読まれる事をおススメします。

 前書きにある鶴舞麟太郎様の先日投稿されたエッセイは、日間ランキング上位にも入ったものなので、既に読まれた方も多いと思います。要約すると:「○○(教科)は意味がない!」等の「教科不要論」に関する反論であり、本作者も概ね同意しました。


 ただ、本作者もまた、過去に教科を無意味に感じた事はあります。そして、「何故不要だと思ったのか」と、「どうすれば『無意味』じゃなかったのか」に関する、個人的な意見でまとめたいと思いました。


*まずは前置き。作者は日本の教育に置いての「実体験」は初等教育数年と、高校での約一カ月留学のみです。馴染みのある教育システムが違うところがあるので、若干話に齟齬があるかもしれませんが、ご了承ください。*


 話に戻ります。鶴舞麟太郎様のエッセイでも書かれていましたが、こういった「教科不要論」の対象となり易い教科は歴史・文芸・言語人文科学系、序に加えるなら音楽・美術・演劇等の芸術系科目です。


 さて、これらの教科は「不要」なのか?私はそうは思いません。しかし、場合によっては「無意味」な教科になり得る、と思っています。



 少なからず聞く意見、なんなら直接言われた事すらある意見ですが、「歴史の授業に意味はあるのか?」です。


 勿論あります。私が考える歴史の授業の最大の利点はクリティカルシンキング、批判的思想、とも訳されているようですが、理性的、理論的な考え方を育ているのに、もってこいの題材だと思います。


 特定の出来事の原因を追及し、各要因がどう影響したのか考える。次に出来事が周りに与えた影響を考える。提示された資料を分析し、信用に値するかを考える(何時書かれたか、書いた人の当時の立ち位置、資料の形式、様々な要因が影響します)。それらを総合し、自分の意見をまとめる。少なくとも私の母国の歴史の授業はこんな感じでした。


 その後、どちらかというと理系分野の方が向いていたので、現在の専攻もそちらにカテゴライズされていますが、この歴史の授業を元に習った「レポートのまとめ方」「クリティカルシンキング・分析技術」等は今でも日常的に応用しています(教授よ、休みを下さい、お願いします)。



 ただ、国によっては、唯ひたすら年代と出来事を一致させる、暗記根性な歴史の授業があります。また、自国に都合よい事ばかりを書くものも、都合の悪い事はそれとなく端折ったり等する事も珍しくはないのです。


 その場合は考えてしまいます。「その教科に意味はあるのか?」と。よく聞く歴史の授業の利点は「過去から学べる事」ですが、果たして年号や事件の暗記でそれは可能でしょうか?一方的な見方でそれは出来るのでしょうか?「原因は何か?」を考える機会が無いのでは、私は難しいと考えてしまいます。



 また、私がまだハイスクールにいた頃、心底「無意味」だと感じていた教科がありました。これは第二言語の授業で、ドイツ語でした。


 何故でしょうか?実の所、成績は良かったのです。小テストはいつも良い点を取れていたのですが、ある時、「でも自分はあんまりドイツ語を理解できないし、話せない!」と気が付いたのです。成績を見ればドイツ語が得意…な筈なのに、喋れない、聞き取れない、理解できない。結局、試験教科からは除外し、早々に辞めた教科の一つになりました。意味を見い出せなかったからです。


 が、数年後大学で、一カ月のドイツ語のクラッシュコースを受けましたが、ハイスクール初期の三年間以上に知識を得、ドイツ語圏で半年、何とか暮らしていけるレベルに達しました。今でも喋るのは非常に苦手ですが、意外と聞き取れる範囲が広がりつつあるのを実感し、ちょっと嬉しかったりします。同じ教科でも、教え方や目的を変えただけで、「無意味」な科目から「有用」になりました。



 同様に、英語を第二言語として採用する国は多いです。「教科不要論」として挙げられる事の少ない、逆に集中的に教科に取り得る事の多い科目です。


 しかし、「英語を専攻している」「英語を勉強している」と言っているのに、「じゃあ、練習がてら英語で話す?」と聞いても、嫌がる人に何人も会いました。ふと疑問に思ったのは、その人は何故、英語を勉強しているんだろうな、です。ボキャブラリーや文法の理論を下手な英語第一言語者より理解しているのも関わらず、テストが常に満点にも関わらず、ほぼ英語を「使えてない」。それって、本当に意味はあるのでしょうか?



 勿論、どんな知識でも無駄ではありません。どこかで、気付かない形で役に立っている場合もあります。十代の頃のドイツ語三年間だって、クラッシュコースで多少は応用出来ました。が、総合的にはあまりにも非効率的だった、というのが個人的な結論であり、「無駄な時間を過ごしたなぁ」と感じずにはいられません。



 「教科不要論」を主張する前に、考えて欲しいのです。果たして「教科」が無意味なのか、本来ならばその教科から得られる筈の知識、技術、能力が習得できない、「非効率的な学び方」なのか?


「この教科は無意味だ!無くせ!」ではなく、「今の教え方では、この教科がもたらす利点を最大限に生かせてない・習得できないから、改善しよう!」と考える人が増える事を、願わずにはいられません。

留学生同士、もしくは複数の国出身の人が集まる時の話題に、個人的に面白いと思うトピックは「各国の歴史授業比べ」です。機会があれば、是非。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 暗記するだけでは…確かに、「過去から学ぶ」ではないですね…。
[一言] 私も義務教育から長い時間をかけて学んできた英語より、友達と話したい一心で学んだ台語、台灣普通話の方が2ヶ月程で練度が上回ったという経験があります。無駄ではないことは勿論ですがあまりに非効率的…
[一言] 教え方って本当に大切ですよね。 この部分がおざなりになっていると、何で必要なのって生徒が思うのも無理はないと思います。
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