第五章 血縁
二人の交際は白磁が配下を使って広めたこともあって瞬く間に巷の噂になった。
オディロンにとっては苦々しいが、人の口に戸は立てられない。一旦噂になると止めようもなく、国外の貴族の娘と聖女の息子の交際に、肯定的な意見にも否定的な意見にも晒されることになった。
それは特に聖都トロザで顕著で、本当に好きな者同士なら放っておいて欲しいし、そうではないオディロンには意味有り気な表情を取る者が多いのが気になった。肯定派なのだろうが、それならば表情が素直でない。
何かが背後で動いている。その「背後」を調べたくなったが、政治に自分から巻き込まれるような行動は取りたくない。
それに何と言ってももう鬱金に休暇を申請している。ブルー・ナ・ノウスに行けたらどんな苦情を届けられようと、居られるだけ居て魔法生物を研究するつもりだった。あそこなら白磁どころか聖女にも手を出せないはずだ。
明日警護隊士の叙任式典がある。終わればその足で出発する手筈でオディロンの支度もすっかり整っていた。
〔オディロン、誰か来るわ〕
ニノンが近くの棚に座って言った。アルトワ・ルカスの政治を司る中心聖宮アエグレ宮にある資料室だ。関係者は誰だって入れるし、少ない人数ではあるが資料を探しに来ている者はいた。
〔そうじゃなくて…〕
言葉が終わる前に理由が解った。
棚を挟んだ向こうに職員風の女性が現れて、瞬く間に彼の知る人に変わった。
背筋がぞわっとした。嫌だった。油断した。逃げたかったがきっと逃げられないだろう。彼女は聖女で大魔法師なのだ。
しばしの沈黙の後、向こうから口を開いた。
「……久し振りね」
答えずに去りたい衝動を堪える。
「不味いでしょう?これは。貴女は…」
「けれど貴方の母でもあるのよ。時には、息子を心配もするわ」
「信じろと?まさか!はっ」
女は出産の衝撃で魔力を失うことがある。聖女候補の頃のファタも一時的に髪が半白になって魔力消失の可能性に恐怖した。それだけの危険を冒して産んだ我が子は女児でなく男児だったことに、ファタは理不尽な怒りを息子に抱き愛そうとはしなかった。教育はファタを崇拝する子の父に任せっきりにして成人して家を出る際も何も言わず、色付きの聖女に選ばれて以降は息子の様子を自分から問うようなこともしない母だった。かつて夫であったオディロンの父とは密かに書簡を交わしているというのにだ。
「そうね。自分で口にしても愚かしく感じるわ」
息子に背を向け横顔を見せる。
オディロンはニノンに離れているように促した。
「何の用です?」
考えられるのは噂されるエルゥとの交際や、アルトワ・ルカスを離れることへの苦言だろうか。
「エルメンガルト嬢とお付き合いしているそうね」
(そっちか!)
どちらだろうと聖女にもファタにも何も言われる筋合いはない。
「お祝いを言おうと思って、こんな母だけど」
身構えたオディロンには心底意外な言葉だった。自分の行動を否定されるとばかり考えていたから、数瞬頭が真っ白になってしまった。
生れて三百年近く徹頭徹尾いない者の様に振舞い、何を今更と一瞬考えたが、彼らの交際は外交に使えるのだと思い至ると心が冷めた。
「美しい人なんですってね。魔法の才能にも満ち溢れていると聞いたわ。彼女とならさぞ魔力の強い美しい子が産まれるでしょうね」
ファタの本音を悟った気がした。この女は自分の才能を継ぐ孫が欲しいのだと。
それは正鵠を射ていて、出産によって魔力を失う危険を避けて、息子が孫を女児をもうけてくれるのをファタは望んでいた。一人目が男子でも兄弟が産まれる内に女児も産まれるだろう。曾孫でもいい。息子を心から追放していたファタは、息子が子孫をくれるだろう可能性を失念していた。
それを指摘して教えてくれたのは白磁だった。
母娘で聖女にはなれない。母はファタが色付きの聖女の候補に挙がると自分から茜の聖女を退任した。ならば逆に孫の方が都合がいいのだと。
母はようやく息子に目を向けた。
「彼女とはいい友達です。噂されるようなロマンティックな関係ではありません」
「そう…彼女はまだ若いわね。だけど結婚していておかしくない歳よ。他のお嬢さんでも心に想う人はいないの?」
「聖女、父と連絡は取っておられるでしょう?父から聞きませんでしたか?」
「何かしら?」
両親の間で自分が話題になることはないのだと痛感する。
「僕は結婚しません。貴女の孫も作れないでしょう。何故なら僕は女性を愛せないからです」
身体を襲った衝撃をファタは過去経験したことはなかった。
「女性が…きら、い?」
「好きですよ。友達として人間として、教師をしていて我儘や奔放、依怙地な女性に山程会いましたが、困った面や問題はありましたが可愛くもあり、嫌いになれたことはありませんでした。本当です。だから教師を続けられたんです」
「では…」
「それと恋愛は別です。女性と結婚は出来ません」
ファタは棚の向こうから息子に向き直った。
「結婚と恋愛は別です。私と貴方のお父様は愛し合って結婚したのではないわ。多くの男女もそう!」
「ええ、打算に基づいた結婚ですね。それが出来る人もいるでしょうが僕はそうじゃない」
「出来るわよ⁉」
感情を抑える為に押し殺した声が叫んだ。
「私だって床入りはどんなに嫌だったかしれないわ。だけど子を産む為に耐えたのよ?貴方に出来ない訳がないわ。男色を隠して結婚して子を生してる人は大勢いるのよ」
「僕は今心に想う男性がいます。例えこの恋が破れても他の男性を愛して女性は恋愛対象として見れないでしょう」
「止めておぞましい⁉」
資料室の物が一瞬浮いた。
「聖女!」
外で待機していた白磁が顔を覗かせた。
「結婚して!子供を作って!女の子が産まれたらその後はどうしてもいいわ。子供だけは何としても残して!」
「僕だって夢を抱いて成長する子供達を見て、どれ程我が子が欲しいと思ったか分かりますか?男の子でも女の子でも愛して育ててやりたかった」
「そうすればいいではない」
「でも僕が愛したのは男性で、どんなに子供が欲しくても女性との結婚は考えられませんでした」
「おぞましい!なんておぞましいの?お前が何故私の子なの?」
聖女は半狂乱になった。
「魔力を失う危険を冒してまで産んだというのに男で、藤色の瞳孔さえ失って産まれただけではなくて、お前はおぞましい男色家だというのね。私の血を残すことは出来ないと⁉」
テミス家の特徴である藤色の瞳孔をオディロンは持って産まれなかった。
ただならぬ力の放出の前兆が室内に漲った。
「聖女様、落ち着かれて下さいませ」
白磁は血相を変えた。
「従兄弟達だっている。テミス一族は他にもいるではないですか。最近は藤色の瞳孔を持つ者は少なくなっています」
「お黙り⁉」
周囲の資料棚の物がオディロンに襲い掛かった。一国を代表する聖女の攻撃だけに衝撃を和らげるのが精一杯だ。
「おぞましい怪物が…私の腹から生まれただなんて…」
「しっかりなさって下さい。彼は貴方の尊い血を受継いだ方です」
「私の息子というな⁉」
怒りの波動が白磁の全身を痺れさせた。
「聖女…」
起き上がろうとするオディロンを《紐》で縛り口もきけなくさせた。
「こんな子私の子であるはずがないわ。間違えて生れて来たのよ」
低い呟きを聖女は洩らした。
「白磁」
「は、はい聖女様」
痺れを堪えて返事をする。
「この子を何処かに幽閉して。私の、この私の子として二度と外に出られない様にして」
「ですが…」
「いいわね?」
低いかすれた声が命じた。
「―――はい。仰せの通りに……」
オディロンは身を捩ったがどうすることも出来なかった。思念を飛ばすことさえ聖女の魔法は許さなかった。
ニノンは聖女の怒りの波動に身体を麻痺させていたが、どうにか隠れて見付けられずにすんだ。
いつまで経っても帰らないオディロンとニノンに、ナタンは涙に暮れていた。ニノンといつもの様に喧嘩して非はナタンにあったから置いて行かれてしまった。
けれど明日はブルー・ナ・ノウスへ出発で今日はなるだけ早く帰って来るはずだったのだ。
日はとっくに暮れて、迎えに行きたくてもナタンでは着くのに一晩は掛かるだろう。アエグレ宮に居るならナタンの思念をオディロンが捉えてくれるのに、今日はいくら思念を送っても返事はなかった。
灯りも付いていない部屋が心細くて、誰かに知らせて捜してもらおうと泣いて思念を放出しながら、先の住人の置き土産の猫用入口に苦労して隙間を作って外に出た。
〔誰かオディロンが何処にいるのか教えて〕
〔オディロンは大陸におらんぞ〕
〔へ?〕
立ち止まって泣いていると声がして、振返って卒倒する。
クワァッと大蛇の口が開いていたのだ。
シシシ、と笑った大蛇はパクリとナタンを一口にして部屋に戻った。
「そういうことするから善意で助けようとしてるのに怖がられるんだよ」
蛇はスルスルとダンテの身体を登ると肩の上に頭を出し、待ち構える手にペッとナタンを吐き出した。
〔怖がられる位がうるさくない〕
マッサージしてやるとナタンが目を覚ました。
〔ここ天国?〕
「ダンテの部屋。うちの蛇が脅かしてごめん」
〔ダンテ?〕
低い落ち着いた声に垂れ耳兎の被り物をしたダンテだ。じわ~っと涙が瞳一杯に溜まる。
〔ダンテ~、オディロンが帰って来ないよぅ〕
「ナタンの思念を拾ったからオディロンの波動を探してみたけど見付けられなかった。隠れてるのかな。けどニノンはアエグレ宮の資料室に居る。怪我して動けないでいるから助けに行こう」
〔ほえ~、ダンテ凄い。判るんだ〕
「波動を追うのが得意なんだ」
ダンテの部屋は初めてではない。家具は余りなくて人に見える場所は物を置いていない。被り物コレクションの部屋だけは覗かせてもらえて、壁一面の被り物と物作りの道具が整然と置かれていた。
その時何故被り物をするのか訊いたら「恥ずかしがり屋なんだ」と答えられた。何故垂れ耳兎なのか訊いたら「猫を被って出勤したら猫アレルギーの奴に止めてくれって頼まれたから」だった。
官舎の外でダンテは蛇の頭を叩いた。
「蛇どん、アエグレ宮まで乗せて」
〔何かというと吾を頼る〕
「はい、頼りにしてます」
気を良くした蛇どんはヒッポクリフに変身してくれた。
〔蛇どんカッコイイ!蛇どんは本当はヒッポクリフなの?〕
〔吾は蛇でも馬でもない〕
〔それって…〕
「行くよ」
会話と断ち切る様にダンテは蛇どんを急かした。
隠れて難を避けたニノンは、戸口に向かって懸命に這っていた。聖女の怒りは凄まじく、時間が経っても痺れが抜けずにニノンを苦しめた。
〔ニノン!〕
駆け寄ったナタンは全身が軽く痺れるのを感じた。
何か言いたげにニノンは口を動かすが声が出ない。
〔ダンテ!〕
一歩退いてナタンは助けを求めるようにダンテを見上げた。
「感応力が強いからコカドリーユは。それが裏目に出たな」
屈んだダンテが手を翳すと幾許もなくニノンは頭をもたげ大きく息を吐いた。
〔楽……痺れが抜けてくわ〕
翼を羽ばたかせ伸びをする。
〔有難うダンテ、感謝するわ〕
「お安い御用で。鬱金府までは連れてくけどその先は自分達でやってくれ」
居てくれるだけで心強かったから、一緒にオディロンを探してくれないんだとナタンは落胆した。
政治の中心アエグレ宮に聖女は住まい、囲む様に色付きの聖女達の府がある。夜間でも必ず人がいて鬱金の聖女を護り災難に備えていた。それでなくとも翌日の警護隊士叙任式の準備や全ての聖女が出席の為に揃っていたから、どこか落ち着かない雰囲気があった。
ナタンもニノンも鬱金府の人間とは顔見知りだったから、顔パスで泊まり込んでいた聖女候補のナデージュ・ジオノの下まで通される。
オディロン誘拐の報せにジオノは二体を連れて鬱金の私室に急いだ。
翌日の警護隊士叙任式は全ての聖女が見守る中滞りなく行われた。
叙任を受ける隊士は三十人にも満たないが選び抜かれた騎士達だ。一人一人聖女から言葉をもらい感激に泣き出す者も出た。
選抜会の終盤で警護隊士の人事が白磁に変わって烏羽に移って関係者を安心させた。茜の聖女の抗議の結果だという。
これで兄を極北に送り返せる。一番胸を撫で下ろしたのはマノンだろう。
新たな隊士が官舎や街に住居を構える間、配属先が決まることになっていた。
祝賀会が終われば剣聖ダユーの一行はブルー・ナ・ノウスに戻る。パトリスはその前に一目オディロンを見納めておこうと彼の姿を探したが見付からなかった。祝賀会ではてっきりダユー達といるものと考えていたが彼は影も形もない。
そっとマノンに声を掛けると彼女に緊張が走った。強い力で壁際に引っ張られる。
「彼に何かあったのか!」
「騒がないでね」
念を押す。
「あったの。だけど祝賀会が終わるまで待って、そしたら鬱金の君が動いて下さるから」
パトリスは血が逆流するのを感じた。
「グーロを使ったのと同じ連中か?」
「違う。もっと始末に悪いわ」
「誰なんだ?」
「今は言えない。けど穏当にすむかもしれないから騒いだり勝手に動いたりしないでよ。オディロンの為なんだから」
「彼に何かあったらマノン、僕は正気でおれない」
「しっかりしなさい!あんたは聖女の警護を担う騎士でしょうが。いい?ちゃんと報せるから勝手に動いたりしないでよ」
言い捨ててマノンは傍らを離れた。その足でダユーに声を掛ける。
「長いお努めお疲れ様でしたダユー様」
彼女は手品の様にジョッキを取出すと、強くて高級な琥珀色の液体を並々と注いでダユーに手渡す。毎夜酒浸り生活のダユーに付き合って居たのはマノンだった。ミーシャの妹ということでダユーから誘ったのだ。
「お前…解かってるなあ。そうだ、酒はちんたら小さいグラスで呑むものじゃない」
「ですよね~。お好みのお酒揃えておきましたよ。お疲れを癒して呑み納めして下さ~い」
「それに比べてうちの弟子ときたら。見ろ貪欲に食い漁ってるぞ」
騎士達に囲まれながらエルゥは、話をヴィヴィに任せて食べる為だけに口を使っている。
鬱金からは目を離さずミーシャがつつつと近付いて来る。
「妹よ兄ちゃんお勤めの間呑めないから、兄ちゃんの分取っておいてくれ」
「消毒用アルコールならたんまりあるからそれで我慢しな」
妹の返答はつれない。
「それが呑みたいのを我慢してお前の雇い主を護衛してる兄ちゃんに言う言葉か!な、頼む」
「気の毒にな。お前なら五本決めてたってなんてことないのにな」
嫌な役目から解き放たれて機嫌が良くなったダユーは、同じ酒呑みとして同情した。
「だろ!なあダユー!俺大丈夫なのに仕事の間は絶対許してくんねぇの。パーチ―だの会食だのどんだけ辛かったか!」
「解かった。二、三本くすねといてあげるから護衛に集中しなさい」
「こんなに騎士ばっかり群れてんのにかよ」
聖ルカスが何か仕掛けるとしてもこの場は避けるだろう。
鬱金の護衛騎士の制服が詰襟でなく良かったとマノンは思う。極北生まれのミーシャにとっては暑い場所で、余裕のない服では早晩ミーシャはカスタマイズしていただろう。
「はい、肉」
妹が口に放り込んでくれた骨付き肉を、骨ごとバリバリ噛砕く。
「今はそれで我慢してお勤め頑張ってお兄」
仕方ないという体でミーシャは鬱金の動きに合わせ移動する。
することはちゃんとしているのだ。
「で、この後鬱金がファタに話を訊くってか?」
「ええ、資料室では人払いされていましたけど、聖女が血族に干渉したのは疑いありませんから」
「私は手を貸さんぞ。しかしうちの世間知らずの弟子が突っ走っても知らんがな」
「有難うごさいます。隠密に治める為に声を掛けさせてもらうかもしれません」
「私は羽目を外して呑み過ぎる。酔い潰れて今日の出発は取り止めだ。エルゥが動けるのは今夜か明日だけだ」
「承知しました」
改まって頭を下げる。
「今夜は我が家にいらして下さいね。そっちにもたっぷり用意してますから」
「お前は私をよく分かってくれてるな。嬉しいぞ」
そつのないマノンはダユーが呑み干したジョッキに、またたっぷり注いだ。
「それにしても鬱金も本気かね?」
「何がです?」
「エルゥも来春には仕上がるから、そしたらミーシャを本雇いしたい、っつてたぞ」
「まさかあ。熊人が護衛騎士なんて許されませんよ」
「ミーシャに剣を教えたのは私だ。それを野に置いておくのは惜しいって説得してたぞあいつ」
最悪である。実力はまだしもいつ女に手を出すんじゃないかと気が気でない生活になるのは必至だ。
「ダメです!絶対それだけは阻止します!」
しかしハンサムなミーシャは女性人気も高い。ダユーには前途多難に思えた。
下の者への思い遣りで聖女や色付きの聖女達は祝賀会には長居しない。先ずは聖女が会場を後にし、程よく時間を開けて色付きの聖女達が退室する。
鬱金はその足で聖女の下に向かった。白磁に止められなかったのは、予想した聖女から予め含められていたからだ。
私室に通されると聖女は仮面を外して寛いでいた。荒れて惨憺たる状態の部屋に立ち昇る一筋の煙は、心を落ち着かせる香だ。
「酷くしたものね」
壁には魔法で裂かれた跡が所狭しとある。割れた陶器の欠片が部屋中に散らばっていた。
「寝室はもっと酷くてよ。片付けさせてないの、またやってしまうかもしれないから」
「それなら片付けさせた方がいいわ。片付けてまた家具を置くのこれまでより多くね。その方が早く気が晴れるわよ」
聖女が鬱金を見た。
「いい考えね。貴女が帰ったら早速させるわ。ごめんなさい座ってもらう椅子も無くて」
「気にしないで。―――無人島にでも行かない?思いっ切り暴れられるわよ。汚い言葉で叫んでもいい。気が済むまで付き合ってあげる」
「慈愛の聖女らしいわね。……オディロンのことは知ってた?あのおぞましい性癖を」
「貴女はこれまで誰が男色家であってもそんな風に言わなかったのにね。心から受け入れていたのではなかったの?」
「他人だからよ」
「残念だわ」
「白磁が見合い話を持ち掛けた時、教えてくれなかったわね」
ソファーを復元すると鬱金は座った。
「信じられなかったのよ。私が愛し尊敬する貴女が息子のことを本当に無視してほったらかしにしているなんて。貴女のオディロンへの怒りは不当だわ」
「あの者は…産まれた瞬間から私を失望させ続けたのよ。母としての歓びを何も感じさせてはくれない」
「貴女が彼の美点に目を向けないからよ。彼はまさしく貴女の血を引いて、美しく優秀で己の道を貫く強さを持っている」
「私の血を引いているなんて言わないで!怖気が立つわ」
聖女は我が身を抱いた。
「どうして?白磁は可愛がっているではないの?貴女は白磁を取り立てたけれど、本来彼は聖女候補にもなれなかったのよ」
第二次性徴を迎えると白磁は自分の身体の異常に気付いた。女として生まれ育ち、聖女を目指していた白磁は苦しみながらも諦めきれず、ずっと隠していたのだ。それはとても巧妙だった。聖女の肩書を持つ者以外は見抜けなかった程だ。
「それでも貴女が認めたから私も認めたの。きっと彼が一番苦しみ、現在も苦しんでいるだろうから。それに心はまさしく女であるのを感じられた」
聖女は鼻で嗤った。
「最初から解かっていたわ。だから頃合いを見て説得したの。あの子はね、男で申し訳ないって泣いて謝ったのよ。女として貴女を支えられないで申し訳ないって」
「………」
「本来、それはオディロンが言うべき言葉ではない?」
「何故?違うわ!」
即座に否定する。
衝撃だった。一国を統べる程に聡明な女性が、心にそんな愚かな拘りを持っていたなどと。
「男に生れてごめんなさいって、娘として貴女に歓びを与えられないでごめんなさいって。藤色の瞳孔を失ってごめんなさいって、そう言ってくれるだけでよかったのに」
「それは間違っているわ、ファタ」
「そうね、私も他人にならそう言える。でも……ダメなのパメラ。愚かだと解かっていてもどうしてもオディロンを許せない」
泣き崩れるファタの肩をパメラは抱いた。
「ファタ……」
「お願いパメラ。これまでの私に免じてオディロンのことには目を瞑って。あの子を私の息子として外に出したくない。お願い…」
「それは出来ないわファタ。彼だって私達が守るべき一国民よ」
「どうして?」
パメラの手を跳ね除けてファタは縋り付いた。
「どうして?母が許しているのよ。あの子だけ、あの子だけはどうしても私の息子と名乗らせたくない⁉」
「ファタ。ダメよ」
「お願いパメラ⁉このことだけ、このことだけよ」
身を割かれる想いで鬱金は聖女から身を離した。
「オディロンはどこ?」
「パメラ…」
「言ってくれれば、貴女が聖女の位を手放さずに済むよう皆を説得するわ。必ず、約束する」
「そして白磁を私から引き離すのでしょう?」
「ええ」
お為ごかしを告げてもしょうがない。鬱金は否定しなかった。
「嫌よ。絶対言わないわ。自分で捜すといい」
「ファタ、それでも私は貴女を……」
「聞きたくない⁉」
乱暴に言葉を遮った。
「一人にして…放っておいて…」
背を向けたファタは一人自分を抱いて静かに泣き崩れた。
部屋の外では茜と白百合の聖女待っていた。茜は背を壁に預け、白百合は両手を合わせ固唾を呑んで待っていた。
「嫌な思いをさせちまったな」
聖女になった時期は違えど三人は同期と捉えられている茜が口を開いた。
「ファタは…」
片手を上げて鬱金を制した。
「血族への干渉は許されねぇが重い罪じゃねぇよ。そうだろ?オディロンさえ事が露見する前に捜し出せればいいのさ」
「有難う。白磁は?」
「逃げました。一歩遅れました申し訳ありません。ですが、オディロンの行先はさっきダンテが割り出してくれました」
白百合が答えた。彼女は褐色の肌の移民である。
「どこ?」
「ケルク・ジュール監獄です」
「おーお、オディロンも可哀想に嫌われたもんだぜ。極悪人しかいねぇとこだぜそこは」
ケルク・ジュール監獄とは絶海の孤島に築かれた監獄である。囚人の犯した罪故に、脱走出来ないことではではなく、脱走された場合の市民の安全を念頭に置いて大陸から離れた小さな孤島に築かれていた。
「白磁の奴そこに逃げたのかもしれねぇな。奴の性格を考えたら我が身の安寧を願って聖女を見捨てる、って柄じゃねぇ。どっちかってぇと…」
「同感です。速く追わねばオディロンの身が危ないかも」
白百合も頷いた。
「じゃあ茜さん、ダンテ貸し…」
「無し⁉奴はごっつう使いでのある奴だからダメ。扱き使う用事が山積みなんだよ。垂れ耳兎の被り物してっけど」
「彼ってとても優秀ですよね。私もちょこっと仕事お願いしたんですけど、素早い対応に丁寧な後始末、うちにも欲しいです。羨ましい。垂れ耳兎の被り物してますけど」
どうやら垂れ耳兎の被り物は不評らしい。
「まあ、いざとなったら行かせるよ。シードル・タラセンコの封印が解かれるような羽目になったらよ」
茜の言葉に当の本人も含め三人ともハッとした。白百合が身を翻して聖女の執務室に走り、茜と鬱金も追う。
三人が危惧した通り聖女が持つ封印の鍵は持ち去られていた。
「野郎を解放しやがったら白磁、ぶっ殺す!」
「茜さん」
「だからってダンテはダメだ。兎に角まずは他の奴でいけ」
「そうです。隠密裏に治めるなら内部の人間では何かあった時まずいですよ。外部の人間の仕業に見せかけるなら、アルトワ・ルカスを離れさせるつもりの人選でないと…」
「やっぱり……エルゥしかないかしら」
「だな。あのチビ凄い実力持ってるぜ。何かあってもデート中の偶発事故とかで済ませられっだろ」
「二人の交際は噂になってますしね」
一体どんなデートを、想像しそうになってそんな時でないと振り払う。
「では人選は一任してもらうわよ。オディロンを救い出して白磁を捕える。だから説得はお願い」
「分かってる」
聖女の私室の扉を茜は音高く蹴飛ばした。
「聞こえてっか?ファタ!そんなあんたでもあたしらの尊敬する聖女なんだ!どうにか助けてぇと思ってんだよ!迷惑かもしんねぇけどよ、こんな事であんたを失いたかぁねぇんだよ⁉分かったかボケナス」
返事はなく気配が動いた様子もない。
(お願い、乗り越えて)
鬱金府に急ぎながら友の心が挫けてしまわない様にパメラは祈った。