第四章 愛に恋
他より高い四階建てのホテルの四階に広い部屋をエルゥ達はもらっていた。
部屋には師匠のダユーも戻っていて、開口一番「夕飯の時間はとっくに過ぎてんぞ?」だった。
「まだでしたか?」
恐らくそうだとは思っていた。一人が好きな癖に食事は誰かと一緒がいいのだ。誰かがいれば互いに無言であっても構わない。猫のようだとアデリーネは思う。
恐縮した様子の執事ゴーレムが出迎えてくれる。
〔お勧めしておりましたが、皆を待つと仰って〕
「お師匠様、お子様じゃないんですから待ってないで食べてて下さいよ。頼めば直ぐに用意してくれるでしょう?」
「小娘のくせに日暮れまでには帰って来い。悪い人に掌に乗せて攫われんぞ」
いつもエルゥは小さいから掌に乗るとバカにするのだ。
魔法の掛かった保存室から、メイドゴーレムも手伝って直ぐに夕食の用意が整う。
ホール単位でデザートを食べたエルゥだが、、彼女の胃袋は終わりを知らない。こちらの食事は一人一人に分けて出されるのではなく中華式というか中世式に大皿で出し皆で突く形式だ。好きな物を好きなだけ取れるのは嬉しい。皆で一つのテーブルを囲んだ。
「園遊会はどうだった?」
お見合いの件を知っているダユーはヴィヴィに話を振った。
共に夕食を摂るのだから人間用とは違うがヴィヴィの食事も用意されている。客がいる時は遠慮されるコウロギ等の虫や生肉も、他の二人は気にしないしアデリーネも馴れてしまっている。
「よくぞ聞いてくれましたダユー様。折角聞いて下さったんだからこのわたくしがじっくりお話させて頂きましょう。最初はとても嫌なことがあったんですよ」
息継ぎの間もあったものではなく、怒涛の一人語りが始まる。
思い返せばシェファルツ王国の北の辺境にあるブルー・ナ・ノウスで、アデリーネ達と出会った時のダユーはまるで別人だった。剣聖だけに老境であっても背筋はピシッと伸びて動作もキビキビしていたが、寂しそうな面に死の影があった。だから死に場所を求めて友の元に来たのかとも思ったのだが、それがエルゥに稽古をつける様になって吃驚する程生気が戻った。
エルメンガルドに才能を見出したのだ。
見た目も性格的にもネコ科動物を思わせるダユーは、エルゥをおもちゃの様に転がして遊んで楽しいんでいる様にもアデリーネには思えた。そしてそれは間違っていない気がする。
(お気に入りといえばお気に入りなんだけど、お嬢様大丈夫かしら)
無事に剣聖となって卒業して欲しいアデリーネだった。
彫像を粉砕した一件を聞いてダユーが言った。
「何だ、その程度のことで頭に来たのか。精神修養が足りんな。もっと修行を厳しくせんと」
危険を感じたアデリーネが反論する。
「これ以上厳しくするんですか?と言いますか、精神修養の前にお嬢様の精神崩壊が心配なので、今回の件は聞き流して下さい」
「アデリーネ、有難う」
夜空に瞬く星が散りばめられた様な瞳でエルゥが感謝する。
「違うぞアデリーネ。骨は一度折った方が強くなる。弱い心を壊して強くするんだ」
「軽く折るだけならいいでしょうけど、ダユー様は全身粉砕骨折させませんか?絶対させますよね。いけません。アーベントロート辺境伯領を挙げて反対します」
「エルゥがそんなに可愛らしいものかよ。鉄を平手で打つようなバカはせんさ。これ程手応えがある弟子は久し振りなんだ。遊ばせろよ」
お嬢様もなんて迷惑な見込まれ方をするのだろう、鉄を平手で打つような真似はしないだろうが、バカ力で螺旋に曲げてバネにでもしかねない。
お嬢様のことも心配だがプロスペロのことも気になった。
お嬢様の恩人であるのだから尊称で呼ぶのが普通なのだが、ブルー・ナ・ノウスで生活するうち姉御的性格を発揮し、それが女の特技でもある上下関係反転で、幼いながらも大魔法師である少年を弟分にしてしまっていた。少年を案じる心はエルゥと同じで、動向が知れても鬱金の説明では安心出来るものではない。
(それにしたって異界って何?もしかして地球も異界の一つに入ってたりしない?追手をまく為ってことは凄く難しいことなのよね)
陽菜乃の記憶があっても日本に帰りたい気はない。あくまでも主体はアデリーネで彼女はこの世界で生まれ家族やお嬢様や、自分を取巻く人達を大切に生きているのだ。
(昔読んだ本に『異界渡り』を書いてた本があった気がする。内容忘れちゃったけど)
前世の記憶はそんなに細々とはない。何千冊と読んだのだ前世でだってうろ覚えだろう。
「お前達オディロンに会ったのか?」
見合い話を知っている癖に意外だといった声を出す。
「素敵な人だったわ。オディロンをご存知なの?ダユー様?」
ヴィヴィはすっかりオディロンを気に入っていた。。
「直に話したことはないが、聖女の息子としてオディロン・グレゴアール・テミスは有名だ」
「聖女の?だから上品だったのねぇ。他の連中とは別格だったわよねエルゥ」
同意を求めると頷きが返る。
「気に入ったのか?」
これはエルゥに向けての質問だ。
「ヴィヴィに優しくしてくれます。お喋りもとても弾んで、お話も面白いしヴィヴィの話も上手く引き出されてました」
「地方の学校で魔法学を教えてたそうだから知識は深いだろうな。聞いた話では魔法生物が好きで好きで、教師の傍ら研究を重ねてるんだと」
「当人からも聞きました。だから魔法生物への偏見がないのでしょうね」
「彼の友達の魔法生物に会わないか、って誘われたのよダユー様」
自分の贔屓が褒められたヴィヴィは嬉しくて興奮気味だ。
「いつでも行って来るといい」
「よろしいのですか?お師匠様。選抜会を見学してなくて」
「毎日私に付き合う必要はないさ。お前は審査員じゃないからな。アルトワ・ルカスでも古い歴史を持つアレラーテを案内してもらえよ」
まとも過ぎる。アデリーネは心の底から驚いてしまった。
「どうしたんですかダユー様。とても大人な師匠らしいことを仰いましたよ今」
「…お前私を脳筋の修行バカだと思ってっだろう」
「はい、ついでにサディストだと。あら言っちゃった」
メイドとしてあるまじき行為だった。馴れ合い過ぎだと反省する。
「構わん。下手に気を遣われると疲れんだ。私は本来、弟子は面倒臭いから極力断るタイプなんだぞ。どうやって当人を傷付けずに才能のないのに気付かせるかに心を砕かなきゃならんのだ。まあ言葉が見つからなくて結局才能がないとハッキリ言っちまうがな。しかしな、エルゥの様な鉄は打つのが楽しいんだ。甘やかせばだれるが鍛えれば面白い位伸びる。いうなればエルゥが私をそうさせるんだ」
(結局は言葉を選んでないじゃないですか)
「お嬢様に責任転嫁するような言い方は止めて下さい」
「そうですお師匠様。あと私のことを鉄だの鋼だのに例えて人に話すのも止めて下さい。私はガラスの様に傷付き易いんですよ。ねぇアデリーネ」
咄嗟に逡巡して間が空いてしまう。
「え、どうして?アデリーネ。どうして直ぐに返事してくれないの?」
「ええそうですねお嬢様。お嬢様は本当に傷付き易いですよね」
こういう時は笑うに限る。にこりと笑って同意する。
「こらアデリーネ、嘘を吐くな。今こそ真実を語るべき時だろが!ガラスハートなら弟子になんぞせんわ、そんな面倒臭い奴。…お前さっきから手羽元独り占めしてるぞ」
スプーンを振る。
「マナー違反ですよお師匠様。怖い顔して弱い立場のアデリーネを脅すのもいけませんわ。お師匠様は鵞鳥を独り占めしたじゃないですか」
「私はアデリーネに金の為に心を偽る人間になって欲しくないだけだ。老い先短い師匠に遠慮せんか」
「アデリーネはいつだって的確に助言をくれてます。ご高齢なのですからお魚になさっては?」
このままだとヒートアップしそうだ。行儀が悪いがアデリーネはバターナイフでグラスを叩いた。
「はいはい、食事中ですよ口喧嘩はそこまでです。夕食は美味しく続けましょうね」
食後は各々自由時間だが何となく自室に戻らず屯っている。
ダユーはソファーに寝そべり食後の一杯を楽しみ、エルゥが熱心に読んでいるのは古代語の本だ。その膝の上ではヴィヴィが微睡んでいる。
ベルゲマン家は金銭に疎いエルゥではなく、メイドで若いがしっかり者のアデリーネに金銭管理を任せていた。お嬢様のエルゥはその事に疑問も持っていない。
するとダユーまでベルゲマン家からの報酬をアデリーネに任せるようになってしまった。どうとでも生きていける、面倒臭いことはしたくない気持ちに溢れている。
金銭の出納帳はつけていたのだが、十代の娘を手放さなくてはならなかった領主夫妻の為に去年の夏頃から日誌もつけるようになった。どんなことを学び日常をどんな風に過ごしているか。細かく記したものはとても喜ばれた。
故郷で領主館の一メイドであった時は日々仕事に追われ、家に帰れば弟妹達の繕い物や世話で忙しかったのが嘘のように時間がある。
TVもゲームもなく、娯楽本も流通は少ないのだ。
何もしないのは性分に合わず、何かしら仕事を見付けていたがそれすら事欠くことがあり、思い付いたのは自分で書く事だった。
ただの一市民で終わるはずだった自分が、剣聖候補のお嬢様のメイドになり、この世界でも高名な人達と日常を共にする機会を持てたのだ、書き残して置かないと勿体無いという気もあった。
『菅乃もすなるエッセイといふものを、我もしてみむとてするなり』
日記ではつまらないから半分覚書の様なものであるがエッセイ風にした。菅乃は好きなエッセイストの名だ。いつか世に出す日が来るのか、それとも自分の死と共におばあちゃんの日記として焼き捨てられてしまうかは分からないが、兎も角長い夜に筆の赴くままに書き連ねている。
「そうだヴィヴィ、仲良くしたいならオディロンとは家族の話はしない様にしろ」
勿論名は口にせずともエルゥにも言っているのだ。
「どうしてです?ダユー様」
「母親はさっさと色付きの聖女になって縁が切れたし、親父は後妻を貰って子供も出来たから、どうしてもハブになっちまって家族に好い思い出がないんだ」
「可哀想な子供時代だったのね」
「縁が断たれたとはいえ聖女の息子は何処でも敬遠される。教師も偽名でしていたそうだ」
「まあ、だから何処か冷たい感じがしたのね。わたくしの愛で冷えた心を温めてあげなきゃ。こういうの運命の出会いっていうのよね」
「そうね。ヴィヴィの励ましだったらオディロンきっと喜ぶわ」
「でっしょー」
ヴィヴィは得意気だ。
「…お嬢様はどうなんですか?」
「私?」
「素敵な方の様じゃありませんか」
反応を探ってみる。
「ええ、とても素敵な方よ。研究熱心な所も尊敬出来るわ」
心奪われている様子はないが好印象は持っている様だ。
(案外うまくいきそうなのかな?)
結婚はまだしも恋には早くない。お嬢様の為にも好いようになることを願った。
大きな波動があったと思ったら選抜会場の補修跡の目立つ壁が壊れる。審査員に好い所を見せようとした応募者がまたやり過ぎたのだ。
いっそ壊したままでいればいいのに、とエルゥには思えるのだがそうもいかないらしい。
会場には応募者だけでなく、軍や騎士団の幹部も多く見学していた。聖女の警護隊の選抜に洩れてもスカウトが期待出来る。だから下手にトーナメントにして、上位同士で争って再起不能の怪我をさせたり、最悪死なせたりするような勿体無いことはしないのだ。
会場にいれば剣聖候補であるエルゥにも引っ切り無しにスカウトはあった。園遊会の一件が耳に入っているのだろう、エルゥの実力を見たがる者もいた。珍しい動物でも見るような目で囲まれるので、エルゥは居心地が悪かった。
会場の外は見渡す限りの大平原だったから、貴人達が乗って来た乗騎が思い思いに時間を潰している。魔物系乗騎に食べられないよう草食系の乗騎は囲いで守られ見張られていた。
お弁当をたくさん用意したので移動にはホテルの船を借りた。底が平らな十人乗りの船で魔法で飛ばす、車輪があるので風を操って帆で操作してもいい。オディロンにも見付け易いだろう。ヴィヴィが大きく手を振った。
なのにオディロンの頭はパトリス・ヴィアルドーの素振りが気になっていた。
グーロの襲撃から助けられてから、挨拶だけでない会話を交わすようになったし、パトリスは露草の聖女の警護隊士でアレラーテにもきていたから頻繁にオディロンの視界に現れるようになっていた。
それが園遊会前後からは顔を合わせても素っ気なくなって、さっきも声を掛けようとしたら、わざとらしく同僚の方に行ってしまったのだ。
(絶対避けられている)
避けられる様な何かした覚えがないだけのオディロンの胸はモヤモヤした。
(どうしたんだよ、あいつは)
「どうかして?オディロン」
精一杯イケてる貴婦人のポーズをヴィヴィはとっていた。
「いや、その…書類の…そう書類の不備があったのが気になって…。だからって大したことじゃないんだ。僕が気になるだけだから」
「仕事が忙しくて神経が疲れているのではなくて?根を詰めるのは毒よ」
早速オディロンの肩に乗ってスリスリと身体を寄せる。
「有難う。いい香りがするね、今日は何をつけてるのかな?」
「ラヴォンドゥとカモミの香油をブレンドしたものよ」
「調合は自分でしたの?」
「嫌ね、お見通しの通りわたくしは才能豊かだけれど調合の才能は残念ながらないの。本の通りにエルゥが調合してくれたのよ」
「それで、この船は僕が操縦していいのかな?」
船に乗り込むとオディロンが訊ねる。
会場まではダユーと一緒だったから、エルゥはフリフリのドレスではなくスカート型の騎士服に花と小鳥が描かれた鞘の細身の剣を帯びていた。その隣にはお目付け役のアデリーネの姿もある。
と、何気なく選抜会場に眼をやったアデリーネは、修復が行き届かない二階部分からこちらを見詰める人物に目を止めた。
(え、何?遠くてよく見えないのに受けるこの感じ…って?…)
微動だにしない人物にアデリーネは何かを感じた。
二人の対面に座ったオディロンは、遠くから見詰める人物に背を向けた形になる。
「しゅ、しゅ、しゅぎょ…う」
「修行がてらいつもは私が操縦してたけど、場所を知ってるのは貴方だからお願いします」
吃音るエルゥの言葉を引き継いでヴィヴィが代弁する。
「いいよ、じゃあ行こうか」
船が垂直に浮き上がり人の背丈程の高さを進み出した。
細かい所は判らないというのに、人物の視線がオディロンの動きに合わせて動く様にアデリーネには感じられた。
「空から俯瞰するより、目線の高さ位の方が生き物を見れて楽しいんだ」
(パトリス……何故?)
胸に湧き上がって来るものを無理矢理飲み下して、オディロンは平原の生物を説明するのに集中した。
昔フィールドワークに来た時と変わらない広大な自然が広がっている。
「転移禁止区を抜けたね」
ボソッとエルゥが呟く。
大都市は大抵そうだがアレラーテも転移禁止になっている。その為街の要所要所に転移を封じる魔法陣が隠されて重層魔法陣が敷かれ、半径五キロメートル内は実質的に転移が出来なくされているのだ。
警護隊士選抜会場は街から遠い様に見えて転移禁止範囲内ではあったのだ。
「転移は得意?」
「長距離も短距離も苦はないわ」
ヴィヴィが代弁する。
「偉いな。僕は五百メートル以内の短距離は座標が取り難くて苦手なんだ」
出現する瞬間その場所に何かいないか確認せねばならない。でなければそこに何かがあれば、何かと一体化することに成り兼ねない。一体化してしまえば最早どんな魔法でも分離させられない。それを座標をとるなどと表現するのだ。そしてそれが人口の多い都市で転移が禁止されている理由だった。
恋々と空行く船を見送るパトリスの脚をリゼット・シュヴィヤールは蹴った。
「職務忘れてんじゃないの~?パトリス。人をだしにしてくれちゃった癖に何恋々と見詰めてんのよ。そんなんだったらざ~とらしく避けてないでさっさと告って玉砕しちゃいなよ」
不意を突かれてまともに蹴りが入ったから、パトリスは足を抱えて痛みを堪えた。
警護隊士選抜会を主宰する鬱金と露草は日替わりで選抜会を観覧していた。今日は露草の聖女の番で聖女と共に移動する警護隊士のパトリスもいた。
「少しは加減しろよ」
「その程度避けられないで、警護隊士が何魂抜けさせてんのよ。職務怠慢にも程があるでしょが。ッとに男らしくないなあ。ほら、持ち場に戻るよ」
返す言葉がないとはこの事で、国家でも一、二を争う重要人物の警護をしているというのに恋心に抗えないでいるのだ。何を言われても仕方がない。
並んで歩き出す。
「お似合いだったね二人」
対に作られたお人形を並べた様なしっくり感だった。それだけにリゼットの言葉はズシリと来る。
「落ち込むなって、もう~、警護も忘れちゃう位なら打ち明けるんじゃなかったよ。あたしもマノンもあんたを信じて打ち明けたんだからね」
リゼットとマノンは親友同士だ。そしてパトリスも半熊人のマノンを厭わなかったから、時に他の友人も含めて飲み会をする仲だ。
「解ってるよ」
「ホントに?あたし達あんたに諦めさせるつもりじゃないんだってことも?」
「しかし…この状況では諦めざるを得ないだろう」
「はあ?幸せは人それぞれでしょうが?マノンの母ちゃんが、亭主としてはダメ男なマノンの親父さんに尽くしん坊して、でもそれがマノンの母ちゃんの幸せだったんだよ」
我が子まで捨て、自分も捨てられて報われなかったというのに心は一直線に一人の男に向かっていた。
「それはマノンの父上の幸福だったと思うか?」
「……さてね。ただあたしらだって贔屓してオディロンを不幸にしてもいいって思ってる訳じゃないさ」
「君達には感謝してる。けれど国家的にもオディロンの為にも、この縁談は成就した方がいいんだよ」
持ち場に付いた。
「長い小便だったなパトリス。もしかしてリゼットとイチャイチャしてたのか?」
長く持ち場を離れたパトリスに軽口が飛ぶ。
「焼くんじゃないよ。今度おねぇさんが遊んでやるからさ」
軽口でリゼットが返した。
「後悔しないようにしなよ」
その言葉を残してリゼットは離れて行った。
携帯用のコンロに黒い石を置いてマッチで火を点ける。それで6時間は保つというから魔法は便利だ。沸騰したケトルからポットに湯を注ぐ。
ニノンやナタンと合流した場所に敷布を敷くと、アデリーネは火の番と昼食の用意で残り、他の者達はオディロンの案内で平原を見学した。
昼食の為に一旦戻った彼らは敷布の上で思い思いに寛いでいる。
薬草を採集したエルゥは丁寧に枯葉や混じった雑草を取り除いている。その手元をオディロンは感心して見詰めていた。
「馴れてるね。そういうことはよくするのかい?」
「え?あ…」
「魔法を学べば普通にするのじゃないの?」
ヴィヴィが代弁する。
「ブルー・ナ・ノウスでは普通なんだね。学校では薬草学に進まない限り植物採集には行かないね。行ってもお遊び程度だよ」
〔都会の学校じゃあ近くに採集する場所もないのよ〕
ニノンも言い添えた。
「ブルー・ナ・ノウスでは野菜も薬草も栽培してたわ。薬になる小魚や虫なんかも育ててるの」
〔え~大変じゃないの?それ〕
「ゴーレム達がいたから私も混じって一緒にするの。虫は最初ぞわッとしたけど、世話してるうちに慣れちゃったわ」
「ブルー・ナ・ノウスの虫は美味しいのよ」
これはヴィヴィ自身の言葉である。
「ブルー・ナ・ノウスは北の忌み地にも近かったよね」
「時々昆虫採集に行ったわ。先生や魔物も一緒に」
「忌み地に入ったのか!危険じゃないか」
思わず口調が強くなってしまう。北の忌み地は生きて帰った者がないといわれる程の魔境だ、
「奥にはいかないわ。魔物達と一緒に行って守ってもらってた。プウちゃんがいたら少し奥にも入れたけど私は強い魔物の保護がないから無理」
「プウちゃんって…もしかしてウィクトルの弟子のプロスペロ?」
オディロンが知っていたのが意外で瞳をパチクリさせた。
「よく知ってるね」
「一時期噂で持切りだった」
シェファルツ王国王宮の地下深くに封印された、超古代帝国の遺産『魔法使い殺し』を破壊した人物として。詳細は公開されなかったが、その際シェファルツ王国の前宰相が失脚し、エルゥの父が宰相になったのだ。
「私ね。悔しい程に何も出来なくて、プウちゃんやウィクトルお師匠様巻き込んでしまって助けられてばっかりだったの」
「え、君もいたの?ヴィヴィ大丈夫だった?」
「ヴィヴィは置いて行ったから大丈夫」
ニコッと笑うエルゥにホッと胸を撫で下ろしている。
(ちょっとお嬢様のことを心配しなさいよ!)
何食わぬ顔をして心の中でアデリーネは突っ込んだ。
「その間に鏡の魔物がブルー・ナ・ノウスを襲ったからアドリアン先生も大変だったの」
「鏡の魔物は強い魔法に惹かれるからね。君は見た?」
「帰ったら凄いことになってたのだけ」
その時はゴーレムや居候をしていた魔物も総出で闘って、ゴーレムの大半が犠牲となった。
「噂で聞いてた!ブルー・ナ・ノウスには魔物が多いって!」
魔物の都合を全く考えない召喚逃れを目論んで、大小の様々な魔物が居候を決め込んでいたが、来る者拒まずのウィクトルの意思を継いで、アドリアンもそのままにしていたから総数は把握していなかった。
「ま、ま、ま、魔法生物の宝庫…」
オディロンの常は冷ややかな瞳がキンキラキンに輝いている。
「選抜会が終わったらブルー・ナ・ノウスに戻るんだよね。僕、何とか招待してもらえないかな?」
貴公子の仮面が外れ荒い鼻息が吹きかかってきそうだ。
「どうだろ?」
エルゥは肩にいるヴィヴィを見た。
「アドリアン様はブルー・ナ・ノウスへの訪問客を好まなかったわよね」
残念そうにヴィヴィは言う。
「君の従者としてでもいいんだよ。働き者だよ僕は。一月、いや一週間でもいい!しかもノーギャラだ」
土下座せんばかりの勢いだ。ニノンもナタンもオディロンの悪い癖が出たと冷めた目で見詰めている。アデリーネはちょっと退いた。
「エルゥゥ、可哀想だからアドリアン様に訊いてあげたら?」
「それ位なら。先生が了承されたら一緒に行きましょう」
やった!とオディロンはガッツポーズを決める。
「仲良くしようねエルゥ。僕は君に何がしてあげられるかな」
興奮する様は美少女に下心を抱く中年オジサンの様だった。
「ダユー様がアレラーテを案内してもらえって」
「お安い御用だ。料理の美味しいお店をリストアップしておくからね」
エルゥへの理解力が高いことは否定出来ない。
楽しい時間を過ごして戻ると選抜会も終わり、会場の玄関は人々で溢れていた。
いつもの近寄り難い貴公子は鳴りを潜め、地に足のつかない上機嫌のまま恭しくエルゥをお姫様扱いするオディロンだったから、周囲の驚きようはなかった。
「マノン~、お願いがあるんだよ~。お礼のリクエストは何でも受付けちゃうよ~」
早速会場に常駐しているマノンに情報収集だ。だが普段との余りの落差にマノンはオディロンとは思えず逃げ腰になる。
「やだ、ちょっと気味悪いンですけど。やだ、寄らないでよ、あんた誰!」
「ハハハァ、マノンったら何言ってるんだい。僕だよオディロンだよ~。仲良くしようよう~。そうだ、今夜呑みに行こうよ奢るよ、奢っちゃうよ~」
こうなるとマノンならずとも海老反りで退いてしまう。
そんな中で一人違う視線をアデリーネはまたも見付けてしまった。
今度はちゃんと休憩時間に現場に出くわしたパトリスだ。
彼に愛しさと絶望を見て取ってアデリーネの胸は一瞬で高鳴った。
(ああ、この胸の高鳴り、懐かしいわ。ここじゃBL小説も中々手に入らなくって…)
前世から培ったBLアンテナが激しく反応している。
(尊い……)
途端に耽美フィルターがオディロンとパトリスに掛った。
パトリスはお星様を散らばした瞳で見られているなど夢にも思わず、己の恋の終焉に心裂かれ立っているのもやっとだった。
「大丈夫かパトリス?」
リゼットがそっとパトリスを支えた。
「すまんリゼット。頼む人目の付かない場所に連れて行ってくれ」
無様だが騎士としてフラフラと力無く歩く自分を見せたくなかった。
「了解。今夜はとことん呑もう。付き合うぞ」
力強い手が肩を掴んでパトリスを方向転換させた。
(あら、何処に行っちゃうの?あなたの名前を訊かせて)
無意識に追おうとした頬をバシッとヴィヴィの長い尾に叩かれて我に返る。
「何ボヤボヤさんなのかしらアデリーネ」
ヴィヴィの視線を追うと露草の聖女と話しながらダユーが歩いて来る。
露草の聖女は自分の色である青に染めた髪の、元護衛騎士だっただけあってシャープで背が高い女性だ。
しばし立ち止まって話すと二人は離れた。
「お疲れ様です、ダユー様。こっちは楽しませてもらっちゃいました」
「そうか、良かったな」
ダユーは不機嫌そうだ。
「何かありました?露草の君と熱心に話されてましたね」
こんな時ヴィヴィは有難い。上手に聞き出して険悪な雰囲気になるのを防いでくれる。
「……帰るぞ」
だが当のダユーはここでは話したくないらしく速足で船に向かい、ホテルに戻っても玄関で「夕食は要らん」と残して何処へともなく行ってしまった。
「余程嫌な事があったのね」
「お師匠様は気難しいからそんなのしょっちゅうだわ」
「何があったんだと思う?」
「さあ?剣聖位を誰かに授けてくれって話か、警護隊に訓練をつけてくれ、か、最悪はアルトワ・ルカスの聖宮に留まってくれ、ではないかしら」
エルゥの予想は的中した。その全ての依頼があり、しかもダユーの予定にない警護隊士叙任式典にまで出席が決まっていた。
「どうやってお師匠様を説得したのかしら?弱味を握ってるのかしら?」
エルゥの疑問をヴィヴィが代弁する。
自由人で気難しいダユーに面倒なことをさせるのは並大抵ではない。
「先ずは叙任式の出席をお願いして、渋るところにそれらの話を持ち出すんだ。それに比べたら叙任式への出席位どうってことない、と思わせる作戦じゃないのかな」
空いた皿が重なって、そろそろ支払いが気になる頃だ。オディロンはどうやって店から連れ出すか考えていた。
何せお喋りはヴィヴィに任せるから食べるのが上品でゆっくりだとしても皿が空く速度は喋る人と変わらない。オディロンはお喋りなヴィヴィの相手をしているから、彼の方が食べるのは遅くなって、ややもすると食べたかった物が無くなっている。
「他のことはまだしも、剣聖位に関してはお師匠様が授けようとした人が拒否しているのよ」
「誰?」
「ジラルド・ドニエ」
聖ルカスのグアルテルス帝が皇位を簒奪した際アルトワ・ルカスに亡命してきた人々は多かった。ドニエの一家もそれで、父は逃れた皇族に騎士として仕え行方不明になっている。
ジラルド自身は画家や脚本家を志して、親族の会社で貿易実務の仕事の傍ら活動していた。聖ルカスの皇位争奪戦が始まってから、マノンが洩らしたところによると白磁が企んで引っ張り出したのを、鬱金が自身の騎士にと奪ったのだそうだ。
(妖精とも接触しているらしいし、白磁は聖ルカスの滅亡を企んでいるのかもしれないな…)
それはつまり彼の母がそう決断したということに他ならない。
簒奪者とはいえグアルテルスは非道を行う支配者ではなく、まずまずの良政を敷いて国民の支持を得ている。戦巧者で将軍達からも慕われている。だから簒奪は成功したのだ。
オディロンは政治に関わりたくはなかったが、現在は政務官を務めているし一国民として国の行く末も気にはなる。
皇位争奪戦で内戦を抱える一方で妖精とも戦端を開いている今が攻め時とでも目論んだのか。浅はかだとしか考えられなかった。
「ドニエは元が聖ルカス人だから、アルトワ・ルカスの市民にしてみれば諸手を上げて喜べないものを感じるだろうね。微妙だな」
「お師匠様も聖ルカスの戦争にアルトワ・ルカスが介入して、面倒が嫌でブルー・ナ・ノウスに逃げていらしたのにね」
聖ルカスから独立する前のアルトワ・ルカスでダユーは生まれた。現イレナ朝の初代イレナ女皇もそうだ。祖国と故郷の板挟みなのである。
「同情するよ。逃れられないものもあるから」
母子の関係は切れ家も捨てたというのに、聖女の息子という事実は彼を放してくれない。
同情はドニエの上にもあって、志す道から無理矢理離されたのは自分と同じだった。そういえばパトリスも自分より才能のある弟の学費を稼ぐ為に武の道に進んでいた。
(しまった)
彼を思い出すと落ち込んでしまうから思い出さないようにしていたのだ。彼をめっきりに見なくなったのは避けられている証明だった。
「それで夜は呑みに行ってばかりなのお師匠様」
ずっと不機嫌で口数も少なくつっけんどんに話す。
「心配だな…」
「どうして?」
心底不思議そうに自分の口で発声した。
「またエルゥったら」
諫めるようにヴィヴィが呼んだ。
「大切な師匠が酒で身体を壊さないか心配じゃないかい?」
「クソ婆がその程度でどうにかなるようなら、もっと以前にくたばってる」
憎々し気に吃音りもせず自分の口で喋った。
(わお、戦闘態勢…)
初対面の時に聞いた声だ。
「もしかして、ダユーが嫌いなのかな?」
「え~、嫌いな訳ないわ。尊敬もしてるしぃ」
可愛らしく甘い声でヴィヴィが代弁した。
愛憎というのはとても複雑だ。三百年も生きてオディロンは承知していたから深追いは避けた。
「それはそうとアドリアン先生には、連絡…取ってくれたかな?」
おずおずと切り出す。
魔法で書状を送りあえば速いはずだ。位置と相手が定まっていれば簡単でもある。
甘々な笑みをエルゥは湛えた。
「魔法生物の研究者として一週間迎えて下さるって。延長は君の研究姿勢による、そうよ」
オディロンは喜びを爆発させた。
その間に彼が確保していた魚料理が掻っ攫われていった。