23 明るい未来のために
風鳥さんは空っぽのカップを手に取って立ち上がり、再び湯沸かし器のスイッチを入れた。すぐにグツグツと沸騰した音が響く。
「私もあなたと同じですよ。アークエデンが現実であればどれだけ良かったことか。この世界ではもう、私は普通の人間として生きることはできないのですから。一生許されない罪を背負いながら……」
彼女は自嘲気味な笑みを浮かべ、棚からインスタントコーヒーを取りだした。さらに適当にカップの中に粉を放り込むと、またもや角砂糖を大量に入れてお湯を注いだ。
「さて、フラムの正体は……あなたはもう分かっているようですね。ならば説明は省きましょう。では……もう話すことはありませんね」
風鳥さんはひとりがけのソファには戻らず、立ったままコーヒーを飲んだ。
「待ってください! 俺を……連れていってくれるんですよね?」
「まだ諦めていなかったのですか……。殺し方が心配なら、安心してください。全員寝ている間に殺しますから。死んだと認識されなければいいのです。PTSDを発症することもありません」
俺は少したじろいだ。先程と違って、殺すことに罪悪感や躊躇いを感じているような素振りには見えなかった。
「あなたと話をしたことでより決意が固まりました。全員殺して、今日でアークエデンの悪夢を終わらせる。これは私の全てを賭けた……私の覚悟とケジメです」
彼女は俺を凝視して、しっかりと体ごと俺と向き合った。彼女の背丈が実際より二倍三倍にも高く感じる。
これが彼女の覚悟か。
「もう一度アークエデンへ戻りたいのなら……私を超える覚悟をしなさい! たとえどんなことが起ころうとも、必ず全ての人間とフラムを救い出すと私に約束しなさい! 結果としてあなたの全てがなくなったとしても……必ずやり遂げなさい! それがあなたのできる覚悟とケジメです!!」
ゾワゾワと背筋の毛一本一本が逆だっていくのを感じた。
額に汗が流れる。奥歯を強く噛む。何度も目を逸らしそうになる。
――――フラム。
お前はこの世界に生きる人間にとってこれ以上ない悪役だ。
お前のせいで五万という人間が二年間眠り続けた。被害者の家族は深く悲しみ、やりきれない怒りを風鳥さんたちに向けた。
でも俺は、お前が好きだ。
お前と過ごした日々がたまらなく楽しかった。毎日が幸せに満たされて、笑いながら食卓を囲んで……まるで本物の家族みたいに。
――――お前が望んでいたのは、そういうものだったんだよな。
「必ず救います」
ほとんど無意識に口が動いていた。
「俺の全てを賭けて……必ずみんなを救います!」
風鳥さんの目をまっすぐに見つめて、俺は決意した。
「フラムも……必ず……!」
しばらくお互いに睨み合っていた。目線は既に対等になり、張り詰めていた空気も今は場にふさわしい。
風鳥さんはやれやれと目を伏せ、ひとつため息をついた。
「諦めてもらおうと思ったのに……いいでしょう。私も協力します。ですが簡単にはいきませんよ。フラムからアクセスキーを奪うのは」
彼女は少し微笑んだ。つられて俺も少し笑った。風鳥さんはコーヒーをぐいと飲み干して、そして共に部屋を出た。
廊下を歩き、再び目が覚めた部屋へと向かう。ずんずんと強い足音で。ついに到着し、ドアを開ける。部屋の中の職員は一瞬静かになって、申し訳なさそうにたじたじとしていた。
「か、風鳥さん……」
「気に病むな。私がやると決めたんだ」
風鳥さんはいつもと違う口調で彼らと接した。職員の中には涙を流している者もいた。
「……僕達にも責任をとらせてください。同じアークエデンを作った者達として……!」
「私一人で十分だ」
風鳥さんはニコリと笑って白衣の男の頭を撫でた。そうして身を翻し、今度は俺に語りかけた。
「あなたが失敗したと私が判断したら、私はたとえどんな方法を使っても全てのプレイヤーを殺します。PTSDを発症しようが、アークエデンに永遠に閉じ込められるよりマシです」
彼女はヘッドギアを装着しながら、他の職員たちに俺にもヘッドギアを取り付けるよう指示した。
「わかっているとは思いますが、死ねばもう二度とログインできません。精神を入れる肉体がなくなりますから。もし私が死んだら……あなたがみんなを殺してください。あなたは私たちにとっても、フラムにとっても最後の希望……殺されはしないでしょう」
完全にヘッドギアが装着され、俺はベッドに横になった。ゴウンゴウンと懐かしい稼働音が聞こえてくる。
真っ暗な空間から、真っ白な空間へ飛んだ。
0と1が風のように吹き抜け、世界がどんどんと色づいていく。
「……幸運を」
隣を飛翔する風鳥さんがそう言うと、俺の意識は純白に溶けていった。
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