1 少女との取引
毎晩同じ夢を見る。
俺は大きく揺らぐ弔いの炎を前に、ただ立ち尽くすばかりだ。
涙も出ず、言葉も枯れ、ただただこの世の不条理に唇を噛み締めるだけ。
忘れはしない。姉さんが『常世送り』にあったあの日を。
目が覚めると、俺はいつも陰鬱な気分になる。窓の外はもう朝だと言うのに薄暗く、どんよりとした厚い雲が太陽の光をまるで通さない。
――――しゃんとしろ。
そう自分を鼓舞して重苦しい体をベッドから降ろし、姉さんの形見――――虹色に輝く結晶をポケットに突っ込んで、すぐさま身支度を整え宿を出た。当然朝食など取る余裕もない。
冒険者ギルドに籍を置いてはや二年、昨今の冒険者飽和とそれに伴う供給不足は苛烈な仕事の奪い合いに繋がった。
今や朝起きれぬものに明日はない。俺のような技術のない下級冒険者は、冒険者ギルドが開門すると同時に仕事を受注しなければならないのだ。
「げ……遅かったか」
思わず声が出た。今日は太陽の光が部屋に入ってこなかったせいか、少し寝坊してしまったようだ。門前には既に大勢の冒険者たちがひしめき合っている。
いざ冒険者ギルドの門が開くと、門前の人々は我先にとなだれ込んで行く。俺もその波に乗じて少しでも前に出ようとするが、体格のいい男に簡単に跳ね飛ばされ、あえなく最後尾へと転落した。
ああ、これは終わったな。
俺は潔く諦めることに決めた。と言うのも、この時間に仕事を取りに来るのは俺と同じ下級、Fランク冒険者だからだ。当然受注できる仕事は限られている上、その母数も圧倒的に少ない。今律儀に並んでいるうちの三分の一は並び損だ。
俺はどかりと木製のテーブル席に腰掛け、財布の紐を弛めた。これは次の街へ移動するために貯めていた金、もとい全財産だが、仕事を受注できなかったのだから仕方がない。
腹が減っては戦ができぬ――――という諺を聞いたこともある。これは必要な出費なのだ。
「うぅ……もはやここまでか。道半ばで命絶えるとは、不甲斐ないばかりだ」
多くの冒険者がギルドから出ていき、先ほどの喧騒も一段落付いたかという頃、すぐ側から可愛らしい声が聞こえた。
「この空腹感、正しく餓死の一歩手前と言ったところか……。あぁ! 神よ! 我を地に堕とすだけでは飽き足らず、地の底まで堕とそうと言うのか!」
地に這いつくばり一芝居打っていたのは年端も行かない少女だった。ダイアモンドを彷彿とさせる美しい銀髪にルビーのような紅い瞳、どこか神々しさまで感じさせる少女にギルド内の視線は釘付けだった。
だが俺も伊達に二年もの間Fランク冒険者をやっていない。この世界で平穏無事に生きるためには、面倒事に関わらないことが一番だ。
「やい少年、無視してるんじゃあないよ。こんないたいけな美少女が必死の死ぬ死ぬアピールをしていると言うのに、君は人間の心がないのか? もしや人間ではないのか?」
一転攻勢、少女はすくりと立ち上がるとものすごい気迫と共に詰め寄り、吐息が顔にかかるまで接近して俺の瞳を覗き込んだ。
「えっ……な、なに……」
「君は人間ではないのか?」
少女はさらに詰め寄り額を合わせるとギリギリと睨みつけた。
「に、人間……です」
「そうか。安心したよ。うん、とても安心した」
少女はほっと一息つくとすぐにテーブル席の向かいにどかりと座り、足を組んで指をクルクルと回した。
「して少年、僕は今にもお腹と背中がくっつきそうなほど空腹に悩まされているんだ。君は人間の心と共に多少の銭を持ち合わせているようだから、道徳的観点から見ても取るべき行動は一つのように思えるのだが……どうだろうか?」
「ど、どうだろうか……?」
厄介な者に絡まれてしまった。なんだか難しそうな言葉を羅列する上に一言一言が長い。加えてこちらの道徳心に訴えかけてくるような連中にろくな奴はいないと相場が決まっている。しかもなんで上から目線なんだ。
さらに最悪なのがここが冒険者ギルドの中だということだ。Fランク冒険者は人格まで品定めされる。ここで悪い噂が立てば、この先仕事の奪い合いでより不利になる可能性が――――。
「なんだ、やはり君は人間ではないのか?」
「すいませ〜ん店員さ〜ん。朝食を二人分お願いしま〜す」
自分の喉から出たとは到底信じ難い気色の悪い猫なで声が、静まったギルド中に響いた。
◆◆◆
「ふぅ、食った食った。かたじけない少年。君はいい人だ」
銀髪の少女は大きく張ったお腹をさすりながら、満足そうな表情を浮かべた。
だが問題なのはテーブルの上に並んだ大量の皿だ。この少女、華奢な見た目に反してこれでもかと食べるのである。
当然毎日コツコツと貯めていたお金も消し飛んでしまった。半ば放心状態になりながら、俺はまた明日から頑張ろうと決心した。
「……君こそ人間の心がないな」
「うむ。人間じゃないからな」
素っ頓狂な物言いは学の高い爺さんみたいなのに、言い訳は一丁前に見た目年齢に分相応だ。
「というか少年、僕は君に『君』だなんて言われる筋合いはないぞ。敬語を使いたまえ」
なんなんだほんとに。
どう見ても十二歳程度の少女にしか見えない体格。顔つきはそれよりも幼い。
まあ多分『早く大人になりたい』お年頃なのだろう。適当に話を合わせてどこかに行ってもらうのが吉とみた。
「君……あなたの名前は? 見たことない顔だ」
こんな問題児一目見たら忘れないだろうが。
「ああ、これは失敬。僕は『フラム』。神さ」
「神……?」
フラムと名乗った少女は自信満々な表情で胸を張った。
ああ、『そういうお年頃』なのだろう。
「そ、それはそれは……すごいですね」
「やい、信じてないだろう。まあいいさ、よろしく頼むよ『アル』」
――――今、なんて言った?
「……どうして俺の名前を?」
俺は驚きを隠せず、食い入るようにそう質問した。フラムはニヤニヤと笑いながら少し焦らすと、ふふんと鼻を高くした。
「神だからさ。アル、君は姉君を探しているね? 僕も探していたんだよ、君の姉君……いや、彼女が持っていた『願いの結晶』を」
俺は反射的にポケットの中身を確認した。だがどういうわけか、手にはなんの感触もない。
消えている。姉さんの形見の虹色の結晶が。
「何を探している? もしかしてこれか?」
フラムが揶揄うように懐から取り出したのは、正しく俺のポケットから消えていた姉さんの形見だった。
「お前っ……! 一体いつ!?」
「なんだっていいだろう。それより、僕は君に取引をもちかけに来たんだ」
目の前の少女がいきなり大きく見えた。当然実際の背丈は変わらない。彼女の持つ気迫が俺を圧倒したのだ。
背筋がゾクゾクと凍りつく。今俺の目の前に居る者は、俺が想像するよりもはるかに恐ろしい存在であると直感的に感じ取った。
「そう身構えるな。僕はWIN-WINが好きだ。僕は『願いの結晶』ともうひとつ、『アクセスキー』が欲しい。君にはその『アクセスキー』を手に入れるのを手伝って欲しいんだ」
フラムは少し声のトーンを落として俺の顔色を伺った。
「……俺のうまみがないだろ」
「『願いの結晶』と『アクセスキー』が揃った時、君の姉君は見つかる」
「なっ……!?」
姉さんが、見つかるのか?
この二年間、姉さんが消失した事実を受け入れられなくて、『常世送り』なんて存在しないと信じて長い旅を続けてきた。
今までたった一つの手がかりもなかった。だけどやっと、やっと姉さんの足跡が見えた。
「……いや、根拠がない。そんなうまい話が……」
「人間がなんの前触れもなく、跡形もなく消失する……そんなこと起こるはずがないだろう。この世には『原因』と『結果』が必ず存在する。僕は『常世送り』の真実を知っている」
フラムがぐいと詰め寄ってまくし立てた。
「さあ、一緒に来るのか! 来ないのか! 少年……いや、アル! ここで決めるんだ!」
様々な思いがこの一瞬で俺の頭の中を交錯した。
姉さん……俺は……。
「……馬鹿馬鹿しい。お前の言ってることはワガママで信ぴょう性のないただの戯言だ。もうどっか行ってくれ」
俺は顔を伏せた。何も見ないことに決めた。
しばらく沈黙があって、フラムのため息が聞こえた。
「……知らない方が幸福なことは往々にしてある。君の決断がそうなら、僕は君を引き留めはしない。これは返すよ」
フラムの声はずっしりと落ち着いていて、少女とは思えぬ達観の境地にあるような気がした。フラムはテーブルに虹色の結晶をコトリと置くと、そのまま席を立ち、数歩歩いて、ああそうだ、と思い出したように言った。
「奢ってくれて感謝するよ。しかし……全財産使い果たしたようだが、今日泊まる宿はあるのか?」
――――!!
慌てて顔を上げ財布をひっくり返す。当然何も出てこない。
彼女の嵐のような食いっぷりに見とれて失念していた。これが全財産であったことを。
フラムの血のような赤い瞳が俺をギョロりと見つめていた。
「この街は物騒だからなぁ。野宿なんてしようものなら、身ぐるみ剥がされて地獄行きは確定だろうなぁ。んー? あ! これは僕が無くしていたと思っていた財布じゃあないか! まさかポケットに入っていたなんてなぁ〜!!」
フラムはわざとらしい演技をしつつ、全く表情を変えず、こちらを見つめたまま続けた。
「して少年、これは恩返しだ。文無しの君に宿代をくれてやろう」
ほれ、と無造作に投げられた三枚の銀貨が床に転がる。
一瞬の硬直の後、俺は地面の銀貨に手を伸ばすと、フラムの足が勢いよく銀貨を踏みつけた。
「おいおい、恩返しだってタダじゃあないんだぜ。アル、取引するのか、しないのか」
言葉にならない圧力が俺の背中に強く押しかかった。まるで本当に瓦礫に押しつぶされるようにキリキリと心臓が悲鳴をあげている。
最初から選択肢などなかったのだ。俺の目の前には、人間の形をした理不尽が立ち塞いでいる。
「……ああ。ついて行く」
理不尽はニコリと笑うとその足をどけ、軽快にステップを踏んだ。
「ふふ、だから言っただろう? 僕はWIN-WINが好きなんだ」
「続きが読みたい」「面白そう」
と思った方はぜひ
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