臨終、然して星は輝く
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0/遠い───
尾を引く青い巨星が、奇麗だったのを覚えている。
折しも月の亡い夜。
故にこそ、幽玄の箒星はこの星に生きるあらゆる生命の目を奪ったのだ。
近い─────あまりにも近い巨星は、人類にとって未だ嘗てない神秘だったに違いない。
それはまるで夢のような─────いや、夢には違いないのだけど、その結末を私は知っている。
対処しようもない、したところで意味すら持たないだろう。
もし対処できていたとすれば、私はこんな夢を見ているはずなどないのだから。
夜空に描かれた巨星の尾の軌跡は長く、それは恐らく、人類の見た最後の星空だ。
大地に根を張ったように、この足は動かない。
叫び出したいほどの無情。憐れみにも似た憤怒。
相反する感情が脳髄を駆け巡る。
知らず知らず、視界が歪んでいることに気が付いた。
歯を食いしばる。
たかが/されど夢だ。この夢が意味を持つ未来/過去は─────
視界が暗転していく。
夢が終わる。現実へと引き戻される感覚に、背筋が寒くなる。
目を醒ませば、あの灰色の空に曝け出される。
抗うことなど出来るはずもない。
夢というのは一種のテロリズムだ。
人の家に挨拶もなく土足で入り込み蹂躙する。
そこまで考えて、私は微笑んだ。
テロリズム─────今となっては使われない言葉だ。
とは言え、役に立つこともあるものだなぁ、と。
そんな思いを最後に、私は諦めて目を閉じる。
目を閉じる瞬間、霞んだ視界が捉えたのは、巨星が照らし出した世界だった。
うん、この臨終する前の星も奇麗だけれど。
この世界には─────
1/我が家
・・・なにか、遠い夢を見ていた気がする。
数日前までの残暑を置き去りに、季節は一足先に冬の風を運んできたようだった。
肌寒さを感じつつも、体に巻き付いた毛布を引き剥がす。
寝巻は気持ちの悪い汗に濡れ、肌に密着している。
・・・なるほど。
先ほど感じた肌寒さは、コイツのせいだったみたい。
はぁ、と息をついて、一息に寝巻を脱ぎ捨てると、生まれたままの姿で部屋の隅に鎮座する鏡の前へと足を進めた。
「─────」
わかってはいたことだけれど。
なんというか・・・魅力のない身体だ。
病的に白い肌、豊かとは言えない胸、何よりも─────
白い肌と対照をなす、褐色の手足。
一言でいえば、不気味。
仕方がないこととはいえ、納得するにはあまりにもその理由は理不尽すぎる。
肩を竦めると同時に、脱ぎ捨てた寝巻がベッドから落ち、軽い音を立てて床を叩いた。
「エルフィン?起きたか?」
階下から、慣れ親しんだ声。
寝巻の落ちた音が聞こえたのだろうか。
本当、昔から耳のいいやつ。
「今起きたの。待ってて、着替えたら降りるから」
はーい、なんて気の抜けた階下の返事を聞きながら、私は箪笥を引き出した。
◇
「うー、寒い」
キンキンに冷やされた通路を抜け、キンキンに冷えたリビングルームに辿り着く。
じゅー、という肉が焼ける音と、調理器具が奏でるカチャカチャという音が響いている。
「寝坊助め、ようやっとお目覚めかい?」
キッチンから、こちらを小馬鹿にしたような声が聞こえてきた。
「うるさい。昨日は遅くまで頑張ってたんだから、今朝くらいゆっくりしてもいいでしょ」
その返答に、けらけらと笑って
「それを言われちゃ仕様がない。さ、そろそろ出来るよ。テーブルの上拭いておいて」
ポーイ、とキッチンから布巾が投げられた。
危なげなくそれを捕まえ、テーブルをササっと拭き終わる。
「ねぇ」
布巾をたたみ直し、背中に声をかける。しかし、
「まぁ待ってろって。すぐ出来るさ」
そう呟くと、彼は鼻歌交じりに盛り付けへと取り掛かった。
「─────」
いや、その、なんというか。
そんな所が可愛い、なんて思ったら私の負けだよなぁ。
でも─────実は私、今とっても怒ってます。
朝ごはん作ってくれたことにはすごく感謝してる。
コイツの料理は雑だけど、味だけは確かなのだ。
だが。だがしかし。しかしだなぁ─────
「ん?難しい顔してどうしたよ?」
暫く私の中の私がムカムカしていると、お盆の上に美味しそうに湯気を立てた朝食を載せて、怒りの矛先がやってきた。
私怒ってるの、という顔で睨みつけてみる。
彼は少し逡巡したような表情を浮かべた後、
「おはよう、エルフィン」
と微笑んだ。
「─────」
あ、やられた。
完敗だ。
その笑顔はずるい。
何がずるいかなんて言う気もないけど、とにかくずるい。
「・・・おはよう」
先ほどの怒りは何処へやら。
リズミカルにテーブルに並べられる朝食と食器を眺める。
「そうだな、挨拶は忘れちゃいけないよな」
などと言いながらせっせと並べる姿が、あまりにも似合っているのはなぜなのだろう。
私の中で永遠の不思議だ。
まぁ、二十年ぽっちの永遠なのだけれど。
「お待たせ。さぁ食べよう。今日は熊肉の卵とじ丼だぞー」
いただきますというや否や、彼は口一杯に自作の朝食を頬張った。
・・・火の近くに居たからだろうか。
額に微かな汗を浮かべたその顔を見て、収まったはずの怒りがちょこっと再燃した。
「ねぇ」
なんだよ?という目で私を見る。
もぐもぐと頬を膨らませるその顔に危うく笑いかけるが、舌を噛んで笑いを押し殺した。
「なんで暖房入れないのよ」
彼は数秒、口の中の朝食と格闘したあと、
「ありゃ、そんなんあったっけ?」
などととぼけやがった。私が寒いの苦手なの知ってるくせに。
・・・やっぱり、さっき怒鳴っておくべきだったかもしれない─────
◇
「にしても、昨日に続いて今日もお勤めとは」
大変だねぇ、なんて呟きながら、彼─────ノエルは私の後ろをついてきた。
「あのね、これは私にしかできない大切な仕事なの。冷やかしはお呼びじゃありません」
「そうつれないこと言うなよエルフィン。俺とエルフィンの仲じゃないか」
「あらそう。そんなに深い仲だから、私のことなんてどーでもよくて、自分がへっちゃらだからって暖房も入れずに料理してもいいんだー。
てか、なんで勝手に家に入って料理してんのよアンタは」
「忘れたのか?小さいとき、エルフィンが合鍵をくれたんじゃないか」
「─────む」
頭が痛い。そんなこと、今の今まできれいさっぱり忘れていた。
くぅ。なんてことだ。敵は自分自身だったのか。
ところでさ、という気軽い問いかけとは真逆に、ノエルの声質が固くなった。
「終衛八陣─────実際どうなんだ」
上手くやれてるのかと、ノエルは続けた。
あー、そういうことか。
私はその一言で理解した。
「大丈夫よ。そんなに襲撃が起こってるわけでもないし、他の人たちが殆ど片付けてくれてるから」
終衛八陣─────それは、人類の最後の要塞。
大仰な名前とは裏腹に、実態は八つの方位に配置された八人の監視員。
監視員それぞれの存在そのものが一つの要塞とされる。
語源は、いんど?とか言う昔の国の古い経典から来ているのだとか。
二週間前の二十歳の誕生日、私はこの任務を与えられた。
理由は単純明快。
私が、『新人類』と呼ばれるヒトならざる存在だからだ。
・・・昔々の話だ。
遡ること五百年前。この星に、巨大な彗星が接近したのだ。
誰にも気付かれることなく、何にも捕らわれることなく、その彗星は、最初からそこにあったかのように出現したという。
有り得ないことだが、その後八日間もの期間、彗星は地上と一定の距離を保ち続けた。
そして九日目、出現時と同じように、いつの間にか彗星は姿を消した。
それからだ。
世界中のあらゆる生命に『変化』が表れた。
形は崩れ、凶暴化し、相対した全てに牙を剥く。
その変化は人類すら例外ではなく、『変化』した人類を、昔の人々は『新人類』と呼称した。
詰まる所、居住地を失った人類は辺境へと逃げ込み、唯一外界からの侵入に対抗できる能力を擁した者─────新人類を国の八方に配置した。
その中にたまたま私が入っていた。
ただ、それだけの話だ─────
◇
どれくらい歩いただろう。
足音は二人分。
踝の高さまで茂った、まだ緑の濃い草を踏み分けて先に進む。
ほんと、暇人よね、コイツ。
「ねぇ、どこまでついてくるつもり?」
「え、ダメ?散歩がてら幼馴染の職場見学だよ」
それに見ろよ─────と、ノエルは親指で遥か後方、国を指差した。
「今日は建国記念日だぜ」
国。
それが元来どういったものなのか、私はわからない。
たぶん世界が滅びる前は、多くの国々があったに違いない。
でもその国をどのように分割していたのかは想像に任せるしかない。
今のように、壁でも作って覆っていたのだろうか?
何はともあれ、私にとって国とは『壁で囲まれた都』という程度の認識だ。
それはつまり、『人類が一つの都市に収まってしまうくらいの人口しか残されていない』ということなのだが。
国の名前は、セセク=ミル。
失われた旧い言語で、『熱き星の輝き』という意味らしい。
今にも滅亡しそうな状況下にあって、なんとも大層な名前をつけたものだ。
今日は十の時節、三の日。
我が国は、おめでたい百二十回目のお誕生日パーティ。
壁から微かに覗く教会の屋根に、建国を意味する青い旗が靡いている。
「・・・・・・だから?」
国から目を離して、ノエルに向き直る。
「だから?って、おいおい。少しは頭使おうぜー」
やれやれ、といったようにノゾミは肩を竦めて首を振った。
「ブレイコウってやつだよ、ブレイコウ。今日くらい我儘言っても誰も文句言わないだろ?」
なにやら勝ち誇ったような顔をしている。
どうやら彼の頭の中の『誰か』には、私は含まれていないらしい。
私は諦めて、「どうぞご勝手に」というほかなかった。
2/北東部終衛八陣
積み重ねられた煉瓦の壁。
廃墟にしか見えないこの場所が、私の職場。
建付けの悪くなった、腐りかけの木扉をこじ開ける。
がらんとした小さな部屋の中に、生活感は感じられない。
およそ家具と呼べるようなものは机しかなく、その机すら、長い放置の果てに草木が繁茂している。
「こりゃまた随分と陰気臭い場所だな」
「アンタね、人の職場に何てこと言うのよ」
「そう褒めなさんな、何も出ないぜ?」
私の皮肉を可憐にスルーして、よいしょっ、という気の入らない声と共に、ノエルは部屋の隅に座り込む。
「・・・いつもこんな所で監視してるのか」
改めて部屋をぐるりと見回しながら、ノエルはぼそっと呟いた。
「その通りよ。でも仕方ないじゃない。仕事って言うのは得てしてそういうものでしょ」
それに─────
「私がここで何もせずにいられるってことは、国が平和って事じゃない」
「確かに、そういう考えもあるだろうけどさ」
釈然としない表情。
でも、本当に仕方ない。
私がここにいるっていうことは、『国を脅かす危険分子がいない』ということでもあるのだから。
変異した生物は例外なく凶暴化し、汚染を撒き散らす。
汚染とは、変異した生物の持つ能力の一つと思ってもらっていい。
基本的に汚染は、苗床となった変異生物の体内に蓄積していく。
しかし、器に水を注ぎ続ければ最後には溢れ出すように、汚染も一定量の蓄積値を超えた場合、その生物は理性を失い、ただ暴れ狂うだけの存在に成り下がる。
身体の大きさや脳の大きさにも左右されるのだろうが、人類すら例外ではない。
だが、人類は汚染されるがまま、というわけでもなかったようだ。
『波長』というものがある。
それは誰もが有していると共に、誰もが異なっている。
人それぞれの波長が合ったもの────例えばそれは長年続けていた仕事で接していたものだったり、毎日触れ続けていたものだったり、いろいろだ。
新人類は、自らを侵していく汚染という脅威を、波長の合った『なにか』へ移す。
人類を侵す汚染は、現自然界にあるものよりも強いようで、汚染された『なにか』は、十分と持たずに霧散する。
つまり簡単な足し算引き算。
汚染を体外に移すことで、体内の汚染度を下げる。
新人類はそうやって、侵食されきることを防いでいるというわけだ。
それからは、他愛もない話をした。
誰と誰が恋仲になっただの、どこのお宅に子供が生まれただの。
気付けば、日は西に傾き始めていた。
「さて、随分長いことお邪魔しちゃったな」
と、ノエルは立ち上がった。
「今日はいつまでここにいるんだ?」
「うん、今日はもう帰ろうかなって」
「あら、珍しい。いつもは二十三の刻まで帰ってこないくせに」
「だってほら、けっこう長い間話してたけどなーんにもないし」
それに─────
「今日はおめでたい建国記念日でしょ。ブレイコウよ、ブレイコウ」
「うへぇ、相変わらず性格悪いな、エルフィン」
「んー、誰かさんがそう言ったんでしょー」
「そういうトコだよ。食えねぇやつ」
ノエルから一本取ってやった。ざまぁみろ。
◇
「なぁ、何かおかしくないか─────?」
「・・・わかってる、ウナカントって事はきっと・・・」
ウナカント─────灰の空。
汚染されたものは有機物無機物問わず、褐色、または灰褐色に変色する。
雲が多いわけではない。
太陽は未だ沈まず、西の地平線付近を漂っている。
普段ならば赤い西日が差しているはずだ。
だが今は、禍々しい灰褐色の空が天蓋を覆っていた。
「なるほどな、今回は空からか」
「ええ─────『翼持つ獣』の襲撃ね」
もうすぐ国に辿り着きそうになったその時。
鼓膜を突き破りそうな甲高い金属音と共に、幾重もの白い光が空に向かって放たれた。
「ガルザのオヤジ─────始まったか」
「ノエル、あんたはすぐに家に向かいなさい。私は応戦に行くわ」
「わかってる。エルフィンも絶対帰ってくるんだぞ」
帰ってこなかったら二度と飯作ってやらないからな、なんて歯が浮くような台詞を吐いて、ノエルは家の方角へと走り去った。
まったく、こんな緊急事態なのに本当にお気楽なやつ。
でもまぁ、食事を作ってくれなくなるのは困る。
「じゃ、いっちょ本気出しますか」
褐色の拳を握りしめる。
さぁ─────ケダモノ退治と参りますか─────
◇
空が、重い。
びりびりという重圧が背中の骨を軋ませる。
それほどまでに、上空から向けられる殺気は凶悪だった。
「ガルザのおじさん─────」
「来たか若いの。悪いな、こんな日に」
「いいえ、大丈夫です。これは私たちにしかできませんから」
息が切れているのを懸命に隠して、少し見栄っ張りな返事を返す。
「あぁ─────とはいえ、コイツはちぃとばかし厳しいぜ」
ガルザのおじさん─────北部終衛八陣は、空を仰いで苦々しげに呟く。
何百、何千・・・いや何万という獣が群れていた。
襲撃してくる汚染変異生物を、私たちは『獣』と呼んでいる。
汚染されきった生物は、嘗ての姿形を失う。
汚染前の姿など想像すらできない。それが、この星が臨終する前どのように呼称されていたのかすら、今となってはわからないのだけれど。
故に『獣』。ただし、その『獣』の特徴から、『翼持つ獣』、『大海の獣』などと呼び分けているのだが。二十年前─────奇しくも私が生まれた時から、度々襲撃を受けている。
「ここまでの規模の襲撃は見たことがねぇ・・・嬢ちゃん、アンタは─────」
「わかっています。一匹たりとも通しません─────!」
両の拳を握りしめる。何か大きな力が拳に集約されていく。
目を閉じ、意識を自身の内面に向け、埋没する。
深く、深く、深く。自我の消失、思考の破却、心身の乖離。
巡る血は凍り付き、骨は砕け散り、頭蓋を割って大きな虫が羽化をする。
回る、回る、回る。臓物が片っ端から裏返り、脳髄を電流が焼き尽くす。
手首に感じる異物感。あらゆる不快感が「諦めてしまえ」と囁いている。
「つ─────、あ」
この痛みは汚染の抵抗だ。
汚染を体外に強引に放出する。生まれて以来、良し悪しはともかく、この体に宿っているものには変わりない。
心身から切り離し、体外に解き放つ─────苦痛が伴うのは当然の摂理。
世界は思っている以上に理不尽だ。
私のこの能力を理不尽に思わなかった時はない。
それでも─────この力が、誰かを救うと信じているから。
身体の内側に向かって伸びている力を、無理矢理外側へ開いて伸ばすイメージ。
回る、回る、回る。丹田付近に渦巻く暴走した不快感を強引に血管に乗せ、回す。
鼓動が早まる。全身が総毛立つ。吐き気と倦怠感が膝を震わせる。
その果てに─────
回る、回る─────回れ─────ッ!
「──────今、神秘は零れ落ちた」
今この時を以て、私は世界の裏側に立つ。
己が身を汚染にくれてやるワケじゃない。これは傾けた器から水を数滴垂らしてやるようなもの。
故に、神秘は零れ落ちた。人外の力を、限定的に顕現させる。
人類を脅かすモノが、人類を護るモノでもあるこの不条理。
この在り方を、神秘と言わずして何という─────!
・・・あぁ、なんともいい気分だ。今なら、空でも飛べるかもしれない。
目を開く。視界が赤い。きっと先ほど汚染の暴走で血管が切れたのだろう。
けれど、そんなもの些末な問題だ。寧ろ都合良い。
準備は万端。これより、捕食者と被食者は入れ替わる。
「さぁ、狩りの時間だ─────私に、牙のひとつでも当ててみせろ」
◇/─────
あの巨星の夜、文明は崩れ去り、あらゆる文化が消失した。
なぜ獣が人類を襲うのか。
誰もが疑問に思うことだけれど、それを知る術はない。
はっきりとした理由は定かではないけれど、二十年前にとある施設が破壊されたのがきっかけだと噂されている。
施設─────というより、廃墟といってもいいものだったそうだが。
その施設の名は、昭和基地。
遥か昔、雪に覆われていたこの地に建てられた極東の国の観測施設。
そう─────ここは嘗て、南極と呼ばれていた。
prologue finished.