生神
僕は疲れ果てていた。確かに何気なく日常を過ごし、友達も沢山いる。本当に幸せ者だと思う。ただ、僕は心が弱かった。周りが施す小さな幸せ、例えるならバラであっても僕はそれにトゲを見つけてしまい、怯える。臆病者の僕に愛想を尽かし、また人が去っていく恐怖を僕は覚えている。
「はぁ」
また一つ、僕はため息をついた。大学の帰路を音楽を聴きながら下っていく。生きるのが苦痛だ。何をしても他人より優れず、どんなに足掻いても自分というものが流される。それはある種の傀儡の様にも思えた。周りは何も気にせず生きているのが微笑ましい。考え過ぎるあまり気分をどん底に叩き落とすのはいつものことだ。脳内は混沌で溢れ、愛想の笑みを浮かべながら心の中はふつふつと邪悪で満ち溢れている。終わりのない絶望が僕を包み込む。何もかも辞めてしまいたい、どうでもいい、全て壊したい。僕の中に邪悪が渦巻く。
「ただいま」
僕の部屋は相変わらず空虚だ。僕以外誰もいなく、目に入るのは塵と化したゴミ屑と、辺り一面を覆う暗闇だった。いっその事、消えてしまったらどれだけ楽だろうか。そう思うのは小さい頃からずっと変わらない。そう思う自分すら嫌になる。
「消えたいと思いましたか?」
声のした方向に振り向くと、背後にいたのは白い装束を着た髑髏だった。正直驚く元気も無かったが、この時僕は確信した。「嗚呼、死神がやっと僕を殺しに来た、楽になれる」と。しかし現実はそう甘くは無かった。
「折角の機会だ、早く殺してくれ」
「例えば貴方、今から死のうとしても無駄ですね」
「どういう事だ」
「貴方にはまだ隠れた生命力があります。自分が思った以上に。私がどれだけ手を貸しても軽く3年は生き続けるでしょう」
「じゃあお前、何しに来た」
「決まっているではありませんか。お前の生命力を伸ばす。このままずっと生きられる様にですね」
「お前死神じゃないのかよ」
「いえいえ、私は生神。死神がいるのならその対義語的存在がいてもおかしくないでしょう?」
「随分適当な名付け方なんだな」
「まぁ冥界ではそんなものでしょう」
若干の沈黙が続いた後、生神が口を開いた。
「まぁどうしても、と言うのなら殺す条件というものを設けますけど」
「何だ、言ってみろ」
「貴方の生命力を過剰なレベルで伸ばす、つまり『貴方が幸せの頂点に立たされている』時にお迎えに来ましょう、私は次の仕事があるので、では」
「おい、待てよ……」
彼は姿を消した。一体あれはどういう意味だったのか。僕にはあまり理解出来なかった。
それからというもの、恐ろしい程いい事が降りかかった。大学で出来た彼女と交際し、結婚。超一流企業に就職し、子宝にも恵まれた。自分の趣味の時間も持て、さらには半ば遊びで買った宝くじが大当たりした。一躍僕は大金持ちになった挙句、出世が重なり、一躍社長の座に君臨した。
「嗚呼、僕は何て幸せなんだ」
僕は秘書を帰らせ、そう呟いた。またしても生神が出でくるとは思っていなかったが。
「お待たせしました」
「お、お前は誰だ!?」
「忘れてしまったのですか?私生神と申します」
「お前が来たってことはまさか……」
「そうです、私死神様をお連れしてきました。もっとも、貴方は幸せを満喫したようで」
「いや……待て!せめて、もう少しだけ……」
「あくまで口約束ですが、あれだけ死にたい死にたいと申していたのは貴方様で御座います。もっとも私の傀儡が無ければ貴方はここまでの生命力を維持できませんでしたが」
「どういう事だ」
「おや、気づいていなかったのですか?私が裏で貴方の行動や運勢を操っていたことを。つまり、貴方は幸せの特急車に乗ってしまったのですよ」
「そんな……冗談に決まっている!」
「もう後戻りはできません。覚悟は決まりましたか?出番です、死神様」
「やめろぉぉぉぉ!!!」
僕が高層ビルの最上階から転落したことは一躍ニュースになったらしい。最も、死した僕には関係の無いことだが。今、僕は何者でもない魂としてこの世をさまよっている。生きる幸福も苦痛もないまま、空虚な心を抱えて────。
「次の狙い目は誰です?死神様」
「そうだな……今のご時世死にたいと思っている愚かな人間なんてごまんといるからね、たまにはある程度幸せな奴でも狙った方がいいんじゃね?」
2人の笑い声が冥界に響いた。