98.溢れるほどの幸せを
〈迷宮都市フロール〉を幾人かの同行者を得て出立し、4日掛けて〈アレークトー〉の地に辿り着いた。〈城塞都市クルルス〉を発った日から数えると8日目となる。
ロベリアは〈城塞都市クルルス〉から出立する時、〈アレークトー〉へ着いたら連絡を入れるとディアンサスと約束していた。太陽が中天を越えた辺りで国境を越えた時に彼女は荷物の中から箱型の“通信機”を取り出し起動すると連絡を飛ばす。すると直ぐに水晶玉に通信相手であるディアンサスの姿が映し出される。相手も連絡が来る時期に当たりを付けて待っていたのである。
『……ロベリア?』
「こんにちは、ディアンサス。言った通り〈アレークトー〉に着いたから連絡を入れたわ」
『そう。……で? そっちで何か問題でも起きたの? こっちは特に……あ……』
相手が突然言葉を詰まらせたことに、ロベリアは少しばかり慌てて声を掛ける。
「ディアンサス? どうしたの? もしかしてそっちで何か起きたの?」
それに対してディアンサスは気まずさを押したような声を上げる。
『……あ、あー……まだ内緒』
「内緒?」
『……ええ。まあ別に不都合がある問題が起きたわけでは無いから心配しないで』
心配するほどの危険は無いと言われても、ディアンサスが動揺するような何かが発生しているのは事実。それを詳しく聞きたいとロベリアは思ったが、ディアンサスは話を変えてしまう。
『こっちのことはいいのよ。そっちはどうなのよ? 怪我とかしてないでしょうね』
「……怪我は無いわ。健康そのものよ。無事に協力者とも合流したし」
『その協力者って確かアザミって獣人の人だったっけ? 種族的にかなりの歳なんでしょ? 大丈夫なの?』
「大丈夫よ。年齢なんか当てにならない人だし、それに彼女の仍孫であるウスユキに3人の戦士も居るわ」
『……ウスユキって“聖天戦乙女”の?』
「そうよ。彼女も一緒に居るの」
『彼女って……そいつ、本当に女なの? なんか生まれは男……雄? って聞いてたことあるけど』
「少なくとも子は孕めるらしいけど……私も妖狐という種族にそこまで詳しいわけでは無いから……」
肩を竦めながら言うロベリアへディアンサスはじとっとした目を向ける。
『何時から“聖女”はびっくり人間の展覧会になったのよ』
「……貴女だってもし教会に所属してたらその一員になってた可能性が高いのだけど?」
『……私も自分のこと、『普通の森人』とは口が裂けても言えないわね』
「貴女も異端児だものねぇー」
そうして雑談に花を咲かせていると―――
「―――街に着いたら俺は皆と違う宿を取るから!! 絶対に!!」
「えーっ!? 何でですかっ!?」「……一緒に泊まろう? 仲間だよ?」「そうよ~。もっと交流を深めましょうよ~」
騒がしい声が聞こえてくる。それが耳に届いたディアンサスは訝しげ表情をする。
『……問題が起きてるみたいだけど』
「……あれはここ数日で見慣れた光景よ。……この通信機では見えないでしょうけど」
苦笑を浮かべたロベリアは、青空の下で逃げ回るセーギと、それを追い回す3人の獣人を眺める。
「……セーギさんと夜を共にしたい娘達が追いかけ回してるのよ」
『はあっ!?』
「きゃっ」
予想外の反応にロベリアは思い掛けず少女のような悲鳴を上げてしまう。それを恥ずかしいと思う間も無くロベリアは声を荒げながら詰問する。
『どういうことよ!? そっちで何やってんのよセーギはっ!?』
「お、落ち着いてディアンサス」
『あ、あの馬鹿……まさかそっちで羽目を外してるわけじゃないでしょうね!?』
「してないしてない。セーギさんはそんなことしてないから落ち着きなさい」
『ぐ……っ』
通信機の向こうでディアンサスは長い、長い、深呼吸をして息を整える。
『……ふぅー。……何で私、こんなに熱くなったのかしら……』
「そんなの自分で考えなさいな……」
落ち着いたら落ち着いたらで面倒なことを聞かれ、ロベリアはそれを適当に流した。
そしてお互いに間を置くと本題に入る。
「……まあ色々とあるけれどこちらは順調よ。ここに来るまでに各地の街で『戦争』の準備が進められているのを見たけど……糧秣や装備の集まりを確認した限りあれは開戦するまであと10日ほどの余裕があると見て良いわ」
『……へぇー。本当に戦る気なのね、両国とも』
こうして通信機で話している間も、街から街へと繋がる街道では大勢の兵士による行軍が進んでいる。ロベリア達はそれを相手側から顔を判別出来ないほどの離れた距離で眺めている。近付いて変に絡まれることになると面倒事が増えるのでそれを避ける為の行動である。
『規模は?』
「……そこまで大きくは無いわ。エリニアは4、5千ぐらい。獣人は2千半ばといった所かしら」
『……引き金としては十分ね』
「まあ普通にしてればどっちかの国土の半分が焼け落ちるまで止まらないかもしれないわね。……それだけ互いの気運が高まっているということでもあるわ」
積もりに積もった驕りと恨みの炎は目の前の相手を燃やしても消えない。
押せば前へ進む。攻め入ればより多くを奪う。
人は、奪われた以上の物を他者から奪っても、心に刻まれた隙間が埋まることは無い。
『じゃあ“封印の儀”が終わってからそっちに飛んで行っても十分間に合うわね』
だからこそ、両者を止める『楔』が必要になる。それは大きく、硬く、強い物ほど良い。そして可能であるなら数を揃えるのも一つの手である。
「……無理はしなくて良いのよ? 私の方は私達で何とかするつもりだし。……それに、そっちは子供達のこともあるでしょう?」
『大丈夫よ。掛けられている“誓約”は一時的にだけど無効化出来ているから。この邪法の“誓約”は〈復讐の魔窟〉で取れる触媒と悪魔の角を軸に構成されているから“浄化”が在れば今みたいに対症療法ぐらいは出来るから。……その代わり神聖魔法での“誓約”と違って【解】に依らない除去が出来ない。……だからこれ以上私に出来る事は無いわ。確実に刻印を消したいなら【解】の条件を達成する為にあの子達を迷宮の最下層へ連れて行くしかないわよ?』
「……そう」
『あと最近出た調査結果だけど〈アヨーディ王国〉じゃ当分の間は悪魔の類いが現れる心配はしないで良いらしいわ。やっぱり上位の悪魔を浄化するとその分封印が強まるわね』
「竜、オークキング、それに【醜穢なる邪霊】……強力な悪魔を短い期間でこれだけ始末して触媒に利用すればそれだけ力場を相応に安定させられるようね」
強大な悪魔。その死体は回収されると然るべき手順でもって浄化される。それは教会で行われ、儀式としての側面も持ち、それによってこの世界に施されている『悪神への封印』の補強に繋がる。
『蝗の魔王と山羊頭の魔王も使えるみたいだから……“封印の儀”が終わったらシータとルミー、かなり行動しやすくなるわよ。今回はシータの聖具も使えるから前回のルミーみたいに杖無しで無理な戦場に行くなんてことも無いし』
赤き邪竜と豚人王の悪魔の死体は元より、2体の“異界の魔王”の死体も同様にが回収されており、それらがその身に備える『角』や『心臓』などの力の結晶物が今回の“封印の儀”での触媒として利用されることになっている。
「……そう言えばタルウィはセーギさんが跡形も無く消したけど」
『ああ。そっちのころともシータやルミーが教えてくれたわ』
死体が無いので儀式の触媒として利用できない。なら封印の補強に使えない? ―――否。その心配は無用であった。
『どうも封印の方だけど……かなり補強されてたみたいよ。儀式っていう過程をすっ飛ばして世界の浄化に回された感じだって』
「……それってやっぱりセーギさんが放った『極光』の力?」
『十中八九そうでしょうね。……私達だってやろうと思えば儀式抜きで似たようなこと出来なくは無いけど……規模が段違いだわ。儀式を行う時と同等以上の結果を出すなんて本当に巫山戯た力ね』
水晶に映るディアンサスはセーギの引き起こした現象に、「やれやれ」と呆れたように首を振る。
『それであれがもし、悪魔だけ狙って殺せる力だったら教会の聖女様達ももっと楽出来たでしょうにねー。適当にバカスカ撃ってればそれだけで悪魔を全滅させられそうなのに』
「周辺への影響。それが確認されたと聞いたわ」
『範囲内に居た『悪魔以外も全滅』。予想範囲内に接触していたであろう“鷲獅子”……その『上半身が消失した死体』や『頭だけ綺麗に残った死体』なんかが見つかったのよ? きっと人間だって例外じゃないわよ、あれ』
“鷲獅子”は20体近い数の群れを構成するモンスターである。周辺に“鷲獅子”の生き残りが居たという情報は無く、おそらく見つからなかった残りの群れ全ては『極光』で消滅したのであろうと調査班は判断した。
「……もしも人里に向けて使ったりしたら文字通り『消え去る』可能性が高いということね」
『あの馬鹿、あれで『範囲を絞った』って言ってんのよ? 下手したら単騎で“戦略級”を越える“国土級”の攻撃が可能ってことよ。私やロベリア、それに“聖天戦乙女”でもぎりぎり戦略級に手が届いてる程度なのに』
「私達ぐらいでも十分過剰だと思うけど……セーギさんはそれも越えちゃうのねぇ」
ロベリアは通信機から目を離し、件のセーギの方へ顔を向ける。
「よしっ! 勝ったっ!」
「……きゅ~……」
「じゃあ俺は別の宿を取るから! これで決定だから!」
そこには目を回して倒れる3人娘と、拳を天に突き出して勝ち鬨を上げるセーギの姿があった。
逃げ回るだけでは埒が明かないと判断したセーギは実力行使を選んだのだ。彼女達の誰かが1回でも自分に有効打を当てれば同じ宿に泊まるという条件で組み手を執り行った。―――結果はこの通り。無傷のセーギと力尽きた3人娘という光景が出来上がったのだ。
その結果を見たロベリアは内心で安堵し、小さく息を吐く。
「いやー、やっぱりセーギ殿は強いっすね」
「ウスユキ」
ロベリアに朗らかに声を掛けたのはウスユキだった。相も変わらず女体に化けている彼女は、跳ねるような足運びでロベリアの傍へ近寄ってきた。
「……でも、どうしてセーギ殿は皆さんのこと、『抱く』のを拒否するっすかね? 私の目から見ても皆さん魅力的なお姉さんだと思うっすけど」
「あら? 『貴女も』彼女達の誘いを断ってるじゃない」
人獣の姿に成れば『雄の形質』が現れるウスユキ。だから故郷に居た時は獣人の女性から夜を誘われることも勿論あった。……しかしその誘いは全て断ってきた。
「……いやー……別に好きで私の股におち……物が付いてるわけじゃないっすよ? はっきり言って無用の長物っす。……それに女の子同士で褥を共にするなんて不毛っす」
心は乙女のウスユキは大きな胸を張ってそう言い切る。
「……なら女の子としてセーギさんに抱かれてきたらどうかしら?」
「ひゃひっ!? な、ななななな何を言うっすかいきなりっ!?」
「一撃を当てれば一緒の宿に泊まれるって条件に少し惹かれたでしょ」
「っ!? な、何故それをっ!?」
図星を突かれたウスユキは顔を真っ赤にしてあたふたとする。
『……特に伝えることが無かったらもう通信切るわよ』
状況にまだ余裕があることを知ったディアサンスはこの辺りで話を切り上げることにした。彼女にしては今の話がまさに不毛である。
「そうね。こっちは予定通り〈アレークトー〉で上手くやっておくから、そっちも本当に無理はしないでね」
『あら? 随分心配性になったじゃないロベリア。……大丈夫よ、こっちはこっちで……』
言葉に詰まり、そして渋い表情になる。
『……能力的には優秀な知り合いも出来たし……うん……』
「……どうしたの? かなり含みのある言い方じゃない」
ディアンサスは目頭の辺りを指で揉んで、その問いに答えるべきか黙っているか考えあぐねているような態度を見せる。
『……やっぱりまだ内緒……』
「そう。まあ聞ける日を楽しみしてるわ」
そうした時である。彼が来たのは。
「もしかしてディアンサスと連絡してる?」
◆◆◆
ロベリアが映っている水晶玉、その彼女の背後にセーギが顔を出す。
『もしかしてディアンサスと連絡してる?』
「 ! ……元気そうね、セーギ」
ディアンサスは突然セーギが映像に出て来たことに驚き目を見開いたが、直ぐに普段の調子に戻して薄く笑う。
『うん。お陰様で。……もしかして話の邪魔をしたかな?』
気まずそうな様子を見せるセーギへディアンサスは首を横に振って否定する。
「大丈夫よ。伝える予定だったことはもう伝えたから。……マリーちゃんも元気?」
『元気だよ。ほら』
『ディアー』
セーギの両手で抱き上げられたマリーが映像に映る。逃げ回っていた間アザミに預かってもらい、それらが終わった後にセーギの元へ戻っている。ディアンサスの姿を確認すると前脚を振って呼び掛け、その愛らしい姿を見た彼女は相好を崩す。
「えへ~、マリーちゃんこんにちは~。元気そうだね~」
顔の横で手を小さく振ってみたりもする。そんな友人の姿を見たロベリアは生温かい目を向ける。
『……ディアンサス。今の貴女、ちょっと気持ち悪いわね』
「ああんっ?」
ロベリアのあんまりな言いようにディアンサスは鋭い目で睨み付ける。そんな2人を見てマリーは『2人は仲が良いね』と言い、セーギは苦笑する。
結んだ暁色の髪を指先で弄りながらディアンサスは溜息を吐く。
「……じゃあ今度こそ本当に切るから」
『元気そうな顔を見れて良かったよ』
セーギのそんな言葉にディアンサスは笑みを浮かべる。
「……私も。あんたの顔を見られて良かったわ。……でも、あんまり羽目を外ずしてるとシータやルミーに言い付けるわよ?」
『なっ!? ななな、なんでそこでお2人の名前が?』
目に見えて動揺するセーギに悪戯っぽい笑みを向けたディアンサスは水晶越しに彼へ指先を突き付ける。
「さてね、へ・ん・た・い。……あ、そうだ。お土産には期待してるわよ。『2人に贈った物』みたいな可愛いのが良いわ。―――じゃあね」
『ちょ―――』
それを最後に通信を切る。
起動を終えた通信機から光が失われ、それを見届けると荷物の中に通信機を放り込む。背中を預けた椅子の背もたれからきしりと音が鳴る。
「……ま、別にお土産なんて要らないんだけど。……無事に帰ってきてさえくれれば」
自室のテーブルに着いていたディアンサスは一息吐くと、体の筋をほぐすように両腕を上へと伸ばしながら引っ張る。
「ん~~……ふぅー……」
そして部屋に置いてある時計を見る。
「もうそろそろ来る頃ね……」
ディアンサスがそう呟くやいなや、玄関を何者かが数回ノックする音が響いてくる。それに対して彼女は「開いてるわよ」と部屋から出ることなく声を掛ける。
家主の許可を得た訪問客が扉を開けて中へと入ってくる。
「―――お邪魔しま~~す!」
艶のある声質、しかし何処か気の抜けたような響きの伴う挨拶をしながら現れたのはつい数日前にディアンサスにシータやルミー達と出会い、ロベリア達に『内緒』にしたこと……人物である。
「来たわ~ディアンサスちゃん!」
「時間通りね、ペオル」
牛のような角を生やした紫髪の麗人。セーギの前世においての友人であり、そして“異界の魔王”でもあるドレス姿の女性、ペオルであった。勝手知ったるとばかりに家に上がってきた彼女はニコニコと笑顔を浮かべながらテーブルに着く。
「お茶お茶、お茶くださいな~」
「はいはい。ちょっと待ってなさい」
お茶の催促にも嫌な顔をせず、ディアンサスは椅子から立つとお茶を用意する為にキッチンへと入る。
「わぁーい。ディアンサスちゃんのお茶美味しいから好きよぉ。あ、お茶請けにこれを持って来たのよぉ」
ペオルはそう言いながら肩提げ鞄――“魔法の鞄”に加工した物――からお椀ほどの大きさの容器を取り出す。外気に触れると容器の周りに霜が付着していくほど冷たいそれを彼女は、キッチンに居るディアンサスによく見えるよう手の上に乗せて掲げる。
「じゃーん『ドゥンドゥルマ』でーす」
「……ど……何?」
「びよーんびよーんって伸びるアイスクリームよぉ。セーギちゃんの住んでた〈陽国〉だとトルコアイスとも呼ばれてたわぁ」
容器の蓋を開けて匙を突き込み、ぐりぐりと何度も捻りながら混ぜてから持ち上げる。そうすると白いアイスが千切れることなく長く伸びて顔を出す。
「へぇー。面白いアイスね。芋の澱粉でも入れてるの?」
「間違ってはいないわぁ。詳しく言うととある植物の塊茎から取った物が粘りの元になってるのぉ。似た成分の植物を見つけたから再現してみたのよぉ。ぐにゃーん、ぐにゃーん」
ポットにお茶を煎れて戻って来たディアンサスはテーブルに着きながら興味深そうにアイスを眺める。そんな彼女へペオルは新しい容器を取り出しその中へアイスをよそって手渡す。
「ありがとう。頂くわ」
「私だってお茶をご馳走になってるからお相子よぉ」
温かいお茶を飲んだペオルはほっこりとする。ディアンサスは真顔でアイスを伸び縮みさせ、一頻り楽しむと口に運んで甘味に頬を綻ばせる。
「ん、美味し。―――……ねぇ、ペオル」
「なーに?」
「シータやルミー抜きで私と話したいって言ってたけど……いったい何を話したいの?」
ディアンサスが尋ねたのはペオルがここへ来た理由。
ディアンサスと一対一で話をしたいと願い出たペオル。あと6日もすれば“封印の儀”が執り行われる。シータとルミーはこの儀式を初めて体験するサクラへの教導を万全にする為に教会に籠もることが多くなっている。それを良い機会だとして、肝心の話の内容は未だ伝えられておらずとも、こうしてこの場が成立したのである。
はっきり言ってディアンサスはこのペオルという人物のことをよく知らない。少なくともシータやルミーを込みで考えれば良好な関係が築けられそうだと感じてはいる。
そんなペオルという女性。知っていることはと言えば出会った時に本人の口から聞いた、幾つかの店舗を管理していること、幾人かの女性達の面倒を見ていること、女性達は1年ほど前に盗賊団に囚われていたのを助け出し保護した者達であること、―――そして『セーギの友人』であり、同時に異世界から来た“魔王”の1人であるということ。
(そんな相手が私と個人的にどんな話があるって言うのよ。それに―――)
それにディアンサスは元より、シータやルミーでさえもペオルに関して気付いていることがある。
(―――こいつ……セーギなんかよりよっぽど『死』が濃く感じる)
“聖女”としての資質、そして何より鍛え抜かれた彼女達だからこそ感じ取れたペオルという存在から漂う不気味な気配。それはセーギからもこびり付いたように感じた……『人殺し』に慣れた者特有の気配。
それを発するペオルは居住まいを正すと静かに口を開く。
「ディアンサスちゃん。実は貴女に折り入って話が、……お願いがあるの」
「お願い?」
「ええ」
ペオルはテーブルに手を付くと身を乗り出しディアンサスの方へ近づく。その表情は真剣そのものであり、その雰囲気は彼女の妖艶さも合わさり人の目を何処までも惹き付ける物なっている。
「ディアンサスちゃん。―――正義ちゃんと『お見合い』をする気はなぁい?」
……だからこそ、ペオルが口にした言葉は想定外の物であり―――
「……は?」
「いえ、だからねぇ。正義ちゃんと『結婚』を目的としたお見合いをねぇ……」
「っ!? いやいやいやいや何言ってんのっ!? 結婚っ!? あいつとっ!? 私がっ!?」
「あらぁ、駄目かしらぁ? 正義ちゃんはきっと良い旦那さんになってくれるわよぉ?」
「知らないわよそんなことっ!?」
ディアンサスはペオルへ噛み付かんばかりの勢いで迫る。
さっきまでの真剣な様子は何処へやら。真面目だった表情はふにゃりと崩れ、ぽわぽわした笑顔へと変わったペオルが顔を紅潮させるディアンサスへ言葉を掛ける。
「ディアンサスちゃんなら素敵なお嫁さんになってくれる。私にはその確信があるわぁ」
「捨てなさいそんな確信っ!!」
「そこを何とかぁ」
引かないペオル。そんな彼女を見てディアンサスは真っ赤に染まった顔を引き攣らせる。
「どうして結婚なんて話になるのよ!? それにあいつの相手だって私である必要無いでしょ!?」
「まあまあディアンサスちゃん。アイスでも食べて落ち着きましょぉ」
「……くっ」
ディアンサス自身も怒鳴っていては話し合いが出来ないと思い至り、歯噛みしながらも渋々引き下がる。
「……もう一度、聞くわよ。……どうして私が……そのっ……セ、セーギと……っ」
結婚。結婚である。それはつまり男女の仲になるということであり、セーギは夫になりディアンサスは妻になるということである。それを想像すると胸が痛いぐらいにバクバクと鼓動を打つ。
「け、けけけけ……っ結婚する話しになったのよっ」
何故か、嫌じゃない。そんな直視しづらい感情から目を逸らすようにディアンサスはペオルを睨み付ける。そんな鋭い視線など何処吹く風。ペオルはお茶の中にアイスを入れると匙でクルクルと回す。
「それはねぇ、私が正義ちゃんに『幸せ』になってほしいからよぉ」
透き通る淡い紅褐色に、甘い白が混じっていく。
「幸せ? ……よくわかんないけど……見てた限りじゃあいつ、毎日楽しそうにしてたわよ。幸せって言うんならもうあいつは幸せになってるんじゃない?」
「それじゃぁ、まだ、きっと足りない」
甘く、冷めたそれに口を付ける。
「……正義ちゃんには抱えきれないぐらいの、……溢れたとしても周りが受け止めてくれる、そんな沢山の幸せと、大切な人達が必要なの」
「必要? えらく大それた言い方をするわね。それにとんだ甘やかしに聞こえるわ、赤ちゃんでもあるまいし。……私、結婚するなら格好良くて気取らなくて優しくて頼りがいがあって背が高くて逞しい男が良いから、甘ちゃんはお断りよ」
ディアンサスは自分が口にした理想像に該当する相手に、よく知っている男性の顔が浮かんだが見てない振りをした。―――だから目の前の人物が今浮かべている表情が瞳に映った。
「……正義ちゃんを、もう二度と本当の『魔神』に―――」
金の瞳に映るペオル。彼女にさっきまでの和やかさは無い。ただ真っ直ぐに、見詰めてくる。自分の気持ちが届くようにと。
「―――【無慈悲なる魔神】にするつもりは無いのよ」
この、胸に満ちる切実さが伝わるようにと。
「……なんて顔をしてるのよあんた」
「……ごめんなさい」
「謝るぐらいなら理由を説明してくれないかしら。……あいつを幸せにしなくちゃいけない理由を。その“ジャガーノート”って呼ばれてたことと関係あるんでしょ」
「…………」
ペオルは鞄の中からある物を取り出す。そしてそれをディアンサスへ差し出す。
「……片眼鏡? 随分と古臭い物を出したわね」
「ディアンサスちゃん、遠慮無しにグサグサ言ってくれるから私としては楽しくて話しやすいわぁ。好きよそういう子。……取り敢えずそれで私を見てくれないかしら」
「あっそ。……これで良いのかしら?」
その片眼鏡は“魔道具”であり、魔力の働きにより目の近くに翳すとそこで固定される。そしてそこに組み込まれた機能が活動を始める。
「あんたこれ、もしかして“慧眼”か“天眼”の力が宿った魔道具? 何処で手に入れたのよこんな高級品。碧鋼の硬貨を幾つ積んだのよ」
碧鋼硬貨は金貨10倍の価値がある。陽国での通貨価値に換算するなら1枚1千万~15百万円ほどの価値がある。
“慧眼”は他者の『本質』を見通せ、“天眼”は『相手の能力』を見抜く。それがこの世界でどれだけの価値を持つか。その答えがディアンサスの発言に込められている。彼女はペオルはかなり儲かっている人物なのかと想像したが――――
「手作りよぉ」
「―――何? 作った?」
「悪いけどその話はこっちの用事を終わらせてからねぇ。……さあ、私を見て頂戴」
遺失技術に限りなく近い代物を手作りしたというペオルの言葉にディアンサスは驚きを見せたが、しかしそれは後にして欲しいと言うので要望通り彼女の『魂』を閲覧する。
「断りもなく見るのは礼儀知らずな行いだけど……本人が言うなら―――ってヤバい数値が見えるんだけど? 何よ魂の位階1400って。……あと年齢……8歳?」
――――――
名:ペオル・ベルフェゴール
種族:【淫魔女王】
性別:女
年齢:8
レベル:【1400】
スキル:【断崖の女主人】、【艶惰なる束縛と簒奪】、【怠け者を作る発明】
称号:【異界の魔王】、【人造聖霊】、【艶惰の魔王】【セックスシンボル】、【歩く公然猥褻・自重】
――――――
「突っ込んで聞きたい所満載じゃない」
「まあ普通の人と比べたらねぇ。……でも位階に関しては表示とはちょっと違うわよ」
「違う?」
「その1400の内、『999』は飾りよぉ。実質私の魂の位階は401か402って所ねぇ」
「……意味分かんないけど」
「詳しく説明すると長くなるから割愛するけどぉ、『私達』って生まれた時から999なのよぉ。だから999=1って感じぃ。『私達』が本当に培ってきたレベルはそこから見える物に999を引いた数よぉ」
「へぇー……」
「それよりもぉ。本当に見て欲しいのはそこじゃ無いのよぉ」
ペオルはそう言うとディアンサスを指す。その指先を辿ると行き着くのは彼女が装着している片眼鏡である。
「……見える? 私の称号に在る【異界の魔王】が。それをモノクルに組み込んだ“五眼”を使って詳細を見て欲しいの」
「わかったわ……て言うかこれ、魔力喰うわね。燃費めちゃくちゃ悪いじゃない」
魔力特化の森人であり、その中でも並ぶ者無しの傑物であるディアンサスだからこそ平気な顔で使えているがもしもこれを他の者が使おう物なら一瞬で魔力が枯渇する。これをまともに運用したければレベル400を超えた能力が不可欠になってくる。
「それがセキュリティ代わりよぉ。誰でも使えたらプライバシーも何もあった物じゃないわぁ」
「……せきゅりてぃ? ぷらいばしー? ……まあ言いたいことは何となくわかるわ。―――こんな物、使い手に制限があった方が良いに決まってる」
ディアンサスの目が鋭く細められる。その片眼鏡越しに見える金の瞳に映るのは【異界の魔王】の詳細であり、……セーギさえ知り得ていなかった『真実』である。
――――――
異界の魔王:異世界から来た魔王。それは秘匿すべき物。これには上位の偽装が掛けられる。それは持ち主にとっても例外では無い。―――そしてその身に宿す力は強大であり、その力の根源は自身が奪ってきた命の重さに他ならない。『魔王』とは手ずから奪い取った百万の命のを上に立つ存在であり、人類の敵であることを決断し魂に刻んだ罪の証。
・殺害数:1680万3628人
――――――
「……この殺害数って本物? セーギの言ってた【神造迷宮】みたいな場所で殺した数も含まれてたりする?」
「……ふふ……。遊戯、いえ、迷宮のなんて含まれていないわぁ。……それは正真正銘『現実で殺した数』が適応されてる」
「……そう」
ディアンサスは背もたれに身を預ける。
「……で、これがシータやルミーには伝えなかった理由? 教会に務めてるあの子達には刺激が強すぎるとでも思ったの?」
聖職者は命を尊ぶ。ならこれほどの命を奪った殺戮者―――悪魔と呼ぶに相応しい相手に対してはどう向き合うのか? いくら世界が違うとは言っても、この数は到底無視出来る物じゃない。最悪、教会から『悪神の使徒』と同等の脅威と認定されるかもしれない。
「……セーギみたいな気持ち悪さを感じたのはそういう訳ね。実はあいつもあんたぐらい人を殺してるの? それがあいつが虐殺者の真相?」
「……そうね……」
それは一瞬のこと。普通の物なら気の所為だと考える揺らぎ。……ペオルはディアンサスから目を逸らした。そしてそれを見逃すディアンサスではなかった。
「まだ、何かあるの?」
ペオルはまた片眼鏡を指差し、そのまま言葉を紡ぐ。
「私は……正義ちゃんが好きよ。愛していると言っても良いわ」
「……じゃああんたが結婚すれば?」
「ううん。……私の正義ちゃんへの愛はそれとは違う。―――『人造聖霊』の方も見てくれないかしら?」
「……わかった」
言われるがままにもう一つの称号へも目を通す。
「……は? あんた、ペオル……これって」
目を見開き驚愕を露わにするディアンサス。そんな彼女へペオルは微笑みを向ける。
「わかってくれた? 正義ちゃんと私の……『私達』との関係。正義ちゃん自身も知らない、『私達』の存在理由」
――――――
人造聖霊:異世界の御技により人造的に生まれしこの世界における『聖霊』。その精神は作り物を越え、魂を宿すまでに至っている。それも全て心核を提供した者がいたからであり、心核譲渡者とは彼ら聖霊『心核所持情報生命体』にとっては『親』同然である。―――彼らが生まれたのは彼らの『親』に理想の世界を捧げる為、幸せになってもらう為。……そして何よりも、その『心』を救う為。
・心核譲渡者:セーギ・ラーマ
・心核:【愛情】
――――――
「私達にとって正義ちゃんは『親』。そして私達は『兄弟姉妹』。正義ちゃんの心の内、9つに分けられ配られた7つの心……その中から生まれた欠片である『心核』を分け与えられ、9年……いえ、8年前にこの世へ生まれ落ちたのが……私達なの」
「――――――」
異界の魔王。その根底を作る事情の一つを聞かされ、この目で見たディアンサスは黙り込む。―――そしてあることに気が付く。
「―――『9つに分けた』? セーギが言ってた【NoAS】って友達は7人……今だって『分け与えた心』は7つって言ったわね。じゃあ残りの2つは? もしかしてあの2体の魔王がそうだったの?」
思い当たるのは蝗の魔王と山羊頭の魔王。……しかしどうしてもディアンサスにはそうは思えない。その2体はそんな高度な知性や感情を有しているようには見えなかった。だから自分で言っていてその可能性は低いとも思っていた。
なら残り2つの心は?
「……それは正義ちゃん自身の中に在る」
答えはペオルの口から出た。彼女は手に持ったカップに視線を落としながら言葉を続ける。
「深く、深く、心の底に根付いたそれは取り出せなかった。……当初の計画では『その2つの心を取り出すのが本当の目的だった』のに」
「……何よ。その取り出せなかった2つって」
空になったカップ。その底に画かれた洒落た花。注がれたお茶とは違い、何度注ぎ、飲み干そうと、消えることなく残り続ける物。
「……正義ちゃんの心に残り、取り出せなかった物、それは―――」
それは彼にとって拭いがたい過去の記憶と共に刻まれている。たった17年という月日。その中で最も彼の一部として食い込んだ心。
「―――【嫌悪】と【恐怖】。……それが正義ちゃんにとって最も心の大部分を占める感情よ」
それはディアンサスにとって理解しがたい物であった。彼女は片眼鏡を外すとペオルへ放り渡す。
「嫌悪と恐怖? あいつの何処にそんな要素があるってのよ」
疑問が次々に溢れ出す。
「……それに、もっと解せなくなったわ。あんたはどうしてこの話を私1人に聞かせたわけ? シータやルミーが一緒でも構わなかったでしょ。幸せがどうとか結婚がどうとか知んないけど……それならあの2人の方が仲良くやってくれそうよ」
結婚。それに幸せ。それらを考えれば自分よりもシータやルミーの方がより適任であるとも思った。……かと言って彼や彼女達が結婚した光景と、それを眺める自分を想像すると無性に苛立ちと焦燥が募ってくるのだが。
そんな自分の感情を努めて無視するディアンサスへペオルは真剣な眼差しを向ける。
「確かに、あの2人もとっても良い子よ。私から何か言わなくても……きっと正義ちゃんを幸せにしてくれるわぁ」
「なら―――」
「言ったでしょう? 足りないのよ、幸せが。……私は貴女に期待しているの。ディアンサスちゃん」
空のカップへアイスを落とし入れる。花の画が、甘い白で覆い尽くされる。
「『“光翼剣聖”シータ・トゥイーディア』。『“守護聖壁”ルクミニー・エショルディア』。『“月狐聖舞”ウスユキ・リコリスレイザ』。『“嵐轟浄翅”アネモネ・ダラニ・ボレアス』。『“聖水占命”マーガレット・ジャラディジャ』。……未だ精錬されていない鉱の『ロベリア・シールパルナ』。『“天墜劫火”ディアンサス・ラーダ』。……1年もこの世界を見て回れば当然貴女達のような特異な存在のことは聞き及んだわ」
ペオルが口にしたのは“聖天戦乙女”の5人と流れの聖女である2人の名。
「この世界で私はずっと夢想してたの。彼女達のような人達と出会い、交流を持てればきっと、正義ちゃんの世界が広がり、沢山幸せになれるって。……でも、叶わぬ夢だと思ってた。だって正義ちゃんは向こうじゃ亡くなってしまったから。―――だけど正義ちゃんは生きていた」
カップの縁からアイスが溢れる。いくら粘度が高くとも、それはゆっくりとソーサーへ向かって垂れていく。
「正義ちゃんにはディアンサスちゃんみたいな、本当の意味で飾らず接せられる相手が必要なの。強く深い感情を抱いても、それに目が眩まないような人が。……他の子はちょっと、言い方は悪いけど依存……嵌まり過ぎちゃうと思うの」
「…………」
「どうかな? ディアンサスちゃん」
これまで誰にも秘してきた事情。それを開示したペオルはディアンサスへ答えを求める。それに対して、今まで黙してきた彼女は―――
「はっ」
―――一笑に付した。
「知らないわよ、そんな事情なんて。急にそんな話なんか聞かされたこっちの身になりなさいよ」
「え、ええぇ……」
心底どうでもよさそうなディアンサスの態度にペオルは困惑する。もう少し何か反応があると想像していたのだ。しかし彼女はぶれなかった。
「あいつを幸せにしたいってあんたの気持ちだけわかったわ。……でもそれに巻き込むのはやめてくれない? 知らないわよ、あいつの幸せがどうとか結婚がどうとかなんて」
ティーポットの容器を指で軽くキンッと弾く。すると冷め始めていた中のお茶が再び熱を取り戻す。
「過去に何があって、何をあいつが抱えてるのか、心の内を占める殆どが“嫌悪”や“恐怖”だなんて……そんなの興味無いわよ」
ポットを弾いた指が今度はテーブルを叩く。そのコンッという音に併せて目に見えない『冷気』が走り、それがアイスが溢れるカップまで届く。
「心に背負ってる物なんて誰かが肩代わり出来る物じゃないわ。それは自分で抱えるべき物よ。良い? 私が友達になったのは、『今』のセーギよ。そんなジャガーノートだか魔神だか何だか知らない呼ばれ方をしてる奴じゃないわ」
ソーサーにまで垂れそうになっていた溶けかけのアイス。それが完全に凍り付き、固まり、静止する。
「もしもセーギが『幸せが足りないから』なんてとち狂った理由で虐殺なんかしでかす奴だって言うなら……その時は私が友達としてあいつを燃やして灰にしてやるわ」
ティーポットを掴み、それを掲げる。
「それにシータやルミー達だって、目が眩もうが嵌まろうが……道を見失うような奴らじゃないわ。例え死の間際でもきっと戦うことを止めない、そんな馬鹿な連中よ。……さあ、お代わりは要る? ペオル。悪いけどお見合い相手は他を当たってちょうだい。私、結婚するなら心身共に強い男が良いの」
ディアンサスはペオルの願いを断った。
「……そう。わかったわぁ」
しかし、当のペオルは満足そうな笑みを見せる。
「私、どうも気が急いていたみたいねぇ。……そうよねぇ。幸せなんて色んな形があって然るべきだものぉ。結婚だけが全てじゃないわよねぇ」
ペオルは手を触手に変化させ、一瞬でカップに盛ったアイスを取り込み食べ尽くす。それが終わると人間の手に戻し椅子から立ち上がる。
「『私達』は結局、正義ちゃんの心の闇を払いきれなかった。誤魔化すことしか出来なかった。……でも貴女達は違うのでしょうね、きっと。……お代わりはもう大丈夫よ、ありがとう」
「何? 忙しそうね、ペオル」
「ええ。ちょっと私の所に居る可愛い子達の何人かが海を渡る予定でねぇ。その準備を手伝って上げるつもりなのぉ」
歩き去って行くペオル。彼女は部屋の扉の前で立ち止まるとディアンサスの方へ振り返る。
「……本当にありがとう、ディアンサスちゃん。貴女に話を聞いて貰えて心が軽くなったわぁ」
振り返って見せた彼女の笑顔。それは言葉通り、重苦しさが払われたような、晴れやかで清々しい笑顔だった。
「それはどうも。……また、お茶でも飲みに来なさいよ。私、何時までここに住んでるか知らないけど」
「そうねぇ。でも、何処に居たってこの先きっと、幾らでも会う機会があるわよぉ」
そう言うとペオルは背を向けて玄関へと向かう。そして最後に振り返ること無く言葉を発する。
「貴女が……貴女達が居るなら、きっと安心ね……」
それを最後にペオルはこの家から立ち去った。
玄関の開閉音が屋内に響き、それが鳴り止むとディアンサスはまた1人になる。彼女は手元にあるカップへお茶を注ぐと、それに口を付ける。
「……向こうに行く理由、増えたわね」
その言葉はお茶の香りと共に、空気へ溶けていった。
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