97.世界を征服した7人の魔王
◆◆◆
森の前でセーギ達の帰りを出迎えたのは狩りに行っていたリンドウ、キンレン、ストレリチアの3人だった。彼女達は既に思い思いの獲物を手にして調理を進めている。
「あ。アザミ様、若様、それに皆さん、お帰りなさい」
「お肉が沢山。……ああ、お腹空いた」
「大物が獲れたからお腹いっぱい食べられるわよ~」
水を張った大鍋や金網を火に掛け、リンドウは切り株の上に板を敷いてシミターを器用に使い山菜や木の実を刻み、キンレンは拳鍔に収納していた鉤爪を使い猪のような魔物の皮を剥いで解体していき、ストレリチアは身の丈よりも巨大な大蜥蜴の首を素手でへし折って息の根を止めている。
森の中にまで音や衝撃が轟くようなセーギとウスユキの戦闘があったというのに、彼女達3人は特に気にした風もなく調理にいそしんでいる。―――しかしそれもウスユキの発言を聞くと驚きで手を止めることとなった。
「いや~……私、負けちゃったっすよ」
人の姿に“変化”したウスユキは照れ臭そうに頭を掻きながら、食事を作ってくれている3人にそう報告した。
「……え……?」
それを聞いた3人は有り得ない物を見たような顔でウスユキを見る。
「じょ、冗談ですよね? 若様が負けただなんて……」
「派手にやってるなぁって思ってたけど……勝ったんじゃなかったの?」
「“武王”は獣人最強……負けただなんてそんな~……」
ウスユキは苦笑いを浮かべ、狐耳を垂らし、尻尾を力無く揺らす。
「そんなに負けた負けた言われると流石にへこむっす……」
「ああっ……そんなつもりでは……っ!」
落ち込んだウスユキを見てリンドウ、キンレン、ストレリチアは慌てて彼女を励ます。それだけ3人にとってウスユキという存在は『絶対強者』であり、そんな彼女の敗北は想定外だったのだ。
「……ほれ、ぬしら。その子を励ますのも良いが先に飯を作ってしまいんせ。労いも何も、まずは腹を満たしてからでありんす」
「は、はいっ」
アザミの尻を叩くような言葉に彼女達はウスユキへの励ましを切り上げて作業に戻っていく。
「全く。……この世に敗北しない生き物など存在しないでござりんす。それは“武王”に成ったとて変わりんせん。あの子らも戦士ならそれは承知してるでありんしょうが」
セーギはアザミのその発言を聞き、自分の中に在る称号“不敗”を思い出す。
「……そう、ですね」
魔王は“不敗”。しかし自分にそれは無い。……つまりはそういうことである。もしもセーギが本当の意味で“不敗”であったならこの世界で生きていない。きっと今も前世で生きていたに違いない。
「俺も……負けてばかりの人生でした」
セーギは己が敗北でもってこの世界に渡ってきたのだから。
……現実で勝てたことなど、何一つ無い。
「お兄さんが負ける姿、私には想像出来ないっすけど……」
「……セーギさんにも色々あったのよ」
セーギが前世では病没していることなど知らないウスユキにロベリアは差し障りの無い答えを返しておく。
「―――ねえねえ、君、君」
そんな時、主な調理は2人に任せて抜けてきた黒穴熊の獣人であるキンレンがセーギの袖を引く。
そうして呼ばれたセーギは「はい? 何ですか?」と言いながら顔を向けると、キンレンはボサボサの髪の間から覗く切れ長の目に不思議な色を湛えて見詰めてくる。彼女は首を傾げながら言葉を続けた。
「……もしかして若様のこと……『娶って』いくの?」
「ぶっ!」
「ちょっ!? 何言ってるっすかキンレンさん!?」
突然の衝撃的な発言にセーギは咽せ、ウスユキは顔を真っ赤にして慌てふためく。
「だって若様、強い男が理想って言ってたし……」
「それはっ!? 弱いよりは強い方が良いっすけど……っ! 付き合うかどうかは別問題っす!」
「そうなの?」
「そうっす! それに―――!」
ウスユキは勢いよく手を振ると……ロベリアをその手で示す。
「お兄さんにはもうロベリア様という素晴らしい伴侶が居るっす!」
「――――――」
……その発言にセーギとロベリアは硬直した。
それに気付くことなくキンレンは納得したように頷く。
「成る程。若様に勝てるような御仁、そしてあのロベリア氏。……2人は男女の関係だったんだ。……うん、お似合い」
「ま、待ちなさいっ」
何故か付き合っていることになりそうな話の流れになり、ロベリアがそれに待ったを掛けた。
「勘違いしているようだから言っておくけど。私とセーギさんは決してそんな関係では無いわ」
「あれ? 違ったっすか?」
「……ええ。私とセーギさんは、ただの、友人同士よ」
ロベリアは何故か熱くなってきた自分の体を無視してそう言い含め、それを聞いたウスユキは「ただの友人……伴侶じゃない……」と呟くとちらちらとセーギに視線をやる。
「じゃあお兄さんは……今、お付き合いしている方などは……いないっすか?」
突然の質問にセーギは硬直から復帰する。そしてこれまでの人生、そして今現在、誰かと付き合ったことなど皆無なのを振り返り……、苦笑いを浮かべる。
「え? いたことは無いけど……」
「そ、そうっすか……」
ふさふさの尻尾を前に回し両腕で抱くようにして口元を隠したウスユキはまごつきながら言葉を発する。
「そ、そのですね……例えば何っすけど、……自分みたいな子は―――」
「若様ー! 御飯出来ましたよー!」
その発言はリンドウの声に掻き消されてしまった。彼女は金網の上で大量の肉や木の実などを焼きながらとても良い笑顔で手を振っている。……しかしウスユキの様子を見て兎耳を折りながら不思議そうな顔をする。
「あれ? 若様どうしてそんな泣きそうな顔をしているんですか? あ! もしかしてまだ負けたことが尾を引いてっ!?」
「……ああ、……うん。……もう、それでいいっす……」
「それは大変です! ならば、さあこれをどうぞ! 良い焼き加減ですよ! お腹がいっぱいになれば辛い気持ちも軽くなります!」
力無く狐耳を垂らしたウスユキは駆け寄ってきたリンドウの手から大きな肉が刺さった串焼きを受け取る。お肉を渡した彼女は「他のも良い感じに焼けてますよ!」と言いながら再び火の元に戻っていき、鍋の様子を見ていたストレリチアと合流する。
「ええと……ウスユキさん? 俺に何か言いたいことがあったんじゃ……」
「……あ、……もう大丈夫っす。気にしないでほしいっす……。私のなけなしの勇気はもう使い切ってしまったっす……」
そう言うとウスユキは微妙に煤けた背中を見せてリンドウやストレリチアが調理をしている場所へとぼとぼと歩いて行く。そんな彼女の後をキンレンは追い掛けるように付いて行き、合流した皆に何かを囁いている。
『……ウスユキ。言いたいこと有ったみたいだけど、行っちゃったね』
「何だったんだろう」
結局ウスユキが何を言いたかったのかわからなかったセーギとマリーは困惑しつつも、元気が無くなった彼女のことを心配する。
「……ウスユキの言いたかったことは置いておいて……私達も料理を頂きましょうセーギさん、マリーちゃん。話しなんてこの先幾らでも出来るわよ」
ロベリアはそう言うと料理が出来ている場所へ足を向ける。
「……後ね、セーギさん」
「何ですか?」
「もしかしたらあそこの3人から『アプローチ』を掛けられるかもしれないから、今のうちに対応を考えていた方が良いと思うわよ」
リンドウ、キンレン、ストレリチア。その3人を指したロベリアはセーギと目を合わさぬままそう伝える。
「あ、あぷろーち?」
「そうよ。獣人は戦闘種族が多くて、その中でも彼女達3人はその『特色』が強い一族の出だから……セーギさんみたいに強ーい男の人との『子』を欲しがるわよ」
「…………」
絶句する。
先程からセーギは彼女達から頻りに視線を向けられていたのには気付いていた。彼はその理由を、彼女達の若頭でもあるウスユキを打倒したことによる警戒やそれに類する物だと考えていた。
「さっきキンレンが聞いてきたのだって、貴方に特定の相手がいないか探ってきたのが主な理由ね」
「……いや、だからっていきなり人柄も知らない人と『そういうこと』はしないんじゃ……」
「あら忘れたの? 彼女達もあの青楼で働く遊女よ? よく知りもしない相手と寝るなんてきっと慣れたものよ」
「…………」
それを踏まえてあの3人を見ると、彼女達の瞳には熱っぽい何か……獲物を取るた為に森の奥へと飛び出していった時の『狩人』の輝きが存在している。
「……襲われたりは流石に無いですよね?」
「その辺りの自制はあるでしょうけど……一緒に行動している間はずっとアピールしてくると思うわよ。特に夜なんかは……」
煙管を取り出して……しかし食事前なのを思い出し、口にするのを止める。そして取り出してしまったそれを指の間や手の上で回して手遊びを始める。
そんなロベリアをマリーがじっと見上げている。
「あら?……どうかしたのマリーちゃん」
『ロベリア、大丈夫? 機嫌悪いの? あの獣人の人達に怖い目を向けてるけど』
「…………」
微かに、ほんの微かに、ロベリアは頬を引き攣らせる。
「機嫌が悪い? 私が? ……まさか」
マリーの発言で落ち着かない気持ちになったロベリアは話を切り上げるように歩き出す。その歩みは普段の芯の通った美しい物とは違い、何処かぎこちなさを感じさせた。……そして結局、ロベリアが終始セーギに目を合わせることはなかった。
「……もしかしてロベリアさん、怒ってた?」
『ちょっとだけ』
「……何でだろう……」
傍に寄ってきたアザミがセーギの肩に手を置く。
「セーギ殿は強さでは比類ありゃせんのに、『そっちの方』はてんで通じとらんでありんすね~。この女泣かせ」
「そ、そっち? 女泣かせ?」
訳知り顔で顔を寄せてくるアザミからセーギは身を退きながら疑問をこぼす。彼女はその疑問には答えず、手を離すと肩を竦ませて歩いて行く。
「……まあ、あの子の場合……自覚した上で自分の気持ちに蓋をしているんでござりんしょう。大人ぶっておろうが、根っこの方は『あの日』から立ち止まったままの『迷い子』でありんす。面倒ったらありゃせん。……だからね、セーギ殿」
首を捻り、横目で後ろに居るセーギへ目を向ける。
「―――年寄りの頼み。……自分の足元さえ見えていないロベリアの手を、どうか引いてやってはくれぬか?」
明るく、温かい、そんな場所まで。
「……アザミさん」
ロベリアとアザミは過去に殺し合いをした仲だと聞いていた。……それでも、彼女が見せるその目はまるで、家族を見守る者のように、慈愛に満ちている。
「大丈夫です」
だからセーギは、そんな彼女に真っ直ぐ応える。
「ロベリアさんのことを見ているのも……そして、道行きの幸いを願っているのも、俺だけじゃありません。……彼女のことを照らしてくれる『火』が、確かに在りますから」
額に感じる熱。『例え貴方が道を見失っても、額にある“心の目”が貴方の世界を照らす。だから貴方は迷わない』。そう言ってロベリアの友はセーギに祝福を施した。―――そしてその『火』は確かにロベリアのことも照らしている。
「―――……そうか。あの子にも……案じてくれる者が出来たか……。そうか、そうか」
アザミは微笑むと、前を向く。そしてセーギに背を向けたまま言葉を続ける。
「一時はあの子の保護者代わりも務めた儂の願い、セーギ殿に託そう。……どうかあの子のこと、宜しく頼む」
「ええ。任せてください」
セーギは胸を張って答えた。その力強い返事を聞いたアザミは尻尾を揺らす。そして機嫌が良いと直ぐにわかる笑い声を上げた。
「かっかっか! ……『言質』は取りんしたえ、セーギ殿。わっちの『子』のこと、頼んだでありんすよ」
「……言質?」
「いやー、老いた身での楽しみがまた1つ……いや『2つ』も出来たでありんす」
「ア、アザミさん? 何か俺が思ってるのとは違う物を託された気がするんですが……」
「気にしたところで詮無きことでありんす。わっちでさえ間夫にしたいイイ男なセーギ殿なら何の問題も無き。遠慮せず貰っていくと良いでありんす」
「ま、まぶ? 貰う? ……ええっと、……それってどういう意味……」
「かっかっかっかっか!」
笑って流された。もっと言及しようとしたがアザミは取り合うこと無く食事の席に向かって行ってしまった。
(えー……、結局『言質』ってどういうこと?)
なにがなんやら。そんな感じを覚えつつセーギはぽつねんと立ちすくみ。
『……ボク達も御飯、行く?』
「あ、ああ……。そうしようか」
腑に落ちない物を残しつつ、セーギも彼女達の食事の輪に加わりに行った。
◆◆◆
黒い修道服を着た女。群青に赤が混じる髪にはベールが被されており、その身なりから受ける印象は相手に静謐さを感じさせる。
そんな女はとある場所に潜むように佇む教会、何もかもが黒ずんだ血で塗りたくったような色で埋め尽くされたような建物、その一室で己が作業に没頭している。
「……順調、順調」
目前の台上に魔法で映し出した光景が立体映像として浮かび上がっている。
映し出されている場所は〈ゲルダ大平原〉。〈エリニア連邦国家〉と〈獣人国家フョルニル〉の両国を遮るように存在する広大な草原地帯である。
「撒いた種が実を結ぶ。……この地で憎悪と怨嗟が満ちる。その全てが悪神様への供物となる。くふっ、くふふふふふ……」
肩を震わせながら女は笑う。美しい貌をした女だが、その笑みは彼女の内面の醜さを滲み出したように歪んでいた。
「―――機嫌が良さそうですね。タローマティ」
「っ!!」
背後から声を掛けられた黒い修道服の女……人の姿に化けた【醜穢なる邪霊】の1体タローマティがぐるりと首を捻って顔を向ける。
そこに居たのは扉に背中を預けるようにして立っている1人の女性。黄土色の波打つセミロングの髪。トーガのような大きく長い布を巻き付けた服を纏い、彼女の肢体はその厚手の布の上からでも見て取れるほど胸や臀部が大きく張り出している。そして全身には磨かれた瑪瑙を中心とした数多くの装飾で飾られている。
穏やかで、母性さえ感じさせる、妙齢の美女。彼女は魔人特有の黒い強膜と赤い瞳をした両目をタローマティへ向けており、そんな彼女へタローマティは顰めた表情を見せる。
「……アールマティ。ここで何をしているのかしら? ここは私の『教会』よ。悪神様の素晴らしさを介さない貴女のような愚物が軽々に足を踏み入れて良い場所ではないわ」
「それは失礼を」
アールマティと呼ばれた女性は胸に手を当て優雅に一礼する
所作だけ見れば相手を慮った態度。しかし、実のところ彼女の中には相手に対して礼儀を払おうなどといった感情は一切無い。こうして相手の私有地へ許可も無く入り込んでいるのがいい証拠である。それがわかるからこそタローマティは苛立ち、目を鋭くする。
「忌々しい。……用が有るなら早く言ってくれない? そして即刻ここから出て行け」
「……進捗を聞きに来たの」
扉から背を離して歩き出す。そしてタローマティが見ていた立体映像が見られる位置……彼女の隣まで来る。
「タローマティ。貴女の計画はもう最終段階に入っている。私がそれを訊きに来たのは別に変なことでは無い筈よ。互いに協力している関係ですから―――内心はどうあれ」
映像に表わされる〈ゲルダ大平原〉。そこには通常の手段では『視る』ことが出来ない細工が施されている。アールマティは赤い瞳を黄色に変色させて『それ』を確認し、仕掛けられた物を看破する。
「……この土地に仕掛けられた呪い。“狂乱の宴”……これを使う日は近いのでしょう?」
室内に生臭い空気が漂い始める。その発生源はタローマティであり、彼女は細めた目でアールマティを見詰めると、ゆっくりと口を開く。
「……ええ、そうよ。……貴女が崇めるクソっ垂れな“神”に縛られた身の内で、ようやくここまで漕ぎ着けた……私の集大成よ」
自身の胸に片手を置き、映像に映し出される草原に指を這わせるように手を動かす。
「部族毎に暮らす獣人の村々を幾つか滅ぼし、その責任をエリニアに住む者に押し付けた。そしてエリニアには私謹製の“誓約”を伝え、流した村々の生き残りと散発的に攻め入ってくる獣人を仕留めて奴隷に堕とさせる……」
タローマティは大悪魔。この世界に『現界し続ける』にはそれ相応の『生け贄』が必要になり……そして本来の目的である悪神への貢ぎにも多くの生け贄を必要とする。それも最大級の絶望や怨嗟が搾り取れるような、……幸福からそこへ堕ちる落差が大きい者達が。
「アールマティ。貴女も視たでしょう? 私がこうして『救い』を差し出せば……喜んで飛び付いてくる可愛い可愛い人間を」
「…………」
「大切な物を奪われた怒り……それは血と暴力に変わる。手に入れた都合の良い奴隷……それは己が欲を発散させる為の肉袋と化す」
映像が切り替わり、草原から別の光景に変わる。
映し出されるのは朽ち果てた村。その残骸。
時間が遡る。それは朽ち果てた瞬間、その死臭が色濃く残る瞬間の光景。
地図から消えた村があった。
そこに暮らしていた人々も姿を消した。……消えたとは語弊がある。正しくは、見つけた人であった物と、未だに見つけられていない者が居る。
崩れ落ちた村。無残な状態を晒す死体。残る痕跡は『人の手による物』ばかり。
それだけならきっと偽装を疑う。人の手に見せかけた悪魔の仕業であると。人同士の憎悪を掻き立て、醜く争わせる悪魔の所業であると。
……だが、もしも、その村の生き残りが、……『奴隷』にされていたなら?
光景がまた変わる。
映るのは普人が統治する国……〈エリニア連邦国家〉
“誓約”を刻まれた獣人が居る。その刻印は教会に管理されていない異端の魔術。悪魔が流した邪法。
その刻印は所有者へ保証する。『自由にして良い』と。目の前の奴隷は、本当の意味で己の思うがままに出来る『物』であると。この『物』はとても頑丈だ。些細な傷なら自力で治してしまえる。苛立ちや鬱憤が溜まっているのなら、自分の内にある加虐性をその『物』に対して発露させればいい。それは暴力でも良い。尊厳を踏み躙ることでも良い。穢すことでも良い。だってその『物』は反抗を許されない……『奴隷』なのだから。
傷付き倒れる男が居る。―――迷宮攻略の壁役にされていた。その頑丈な体と高い能力はこうした戦闘でとても『役に立つ』。ちょっと粗野に扱いこうして倒れても、粗末な飯を食わせておけばある程度は持ち直す。……反抗? 大丈夫、“誓約”が在る。事前に命令を掛けておけば安心・安全。
場末の娼館よりも酷い有様を晒す女が居る。―――容姿が人に近いのだ。ならそのケモノのような欲をぶつけることに何の障害も無い。何なら普通なら出来ないような、体に負荷が掛かる激しい『行為』であっても強要できる。……無論これにも“誓約”が在る。どれだけ本人が嫌がっていようと、『喜んで』行為に従事させることも可能である。
―――そんな光景。それは同胞たる獣人の目と耳に届くことになる。
隣国で繰り広げられる鬼畜の所業。
ならもう……憎むしかない、恨むしかない。……牙を剥き出して、爪を振り上げて、攻め入るしかない。
「これこそが『救い』。この私が撒いた種」
片や獣人を奴隷と見なす国。片やその国を相容れない敵と見なす種族。
それはこの女悪魔によって作られた認識。……しかし両者にとっては紛れもない事実。それを行ったタローマティは醜悪な笑みを浮かべる。
「この種はいったいどんな実を結ぶ? ねえアールマティぃいいいいい?」
映像で流れていった光景を見てアールマティは哀しげに口を引き結ぶ。あれらは『数百年』にも及ぶ歴史の一部でしかない。つまり数百年の間に、それらの光景が山と積もるように行われてきたことになる。
「……貴女達悪魔には……本当に慈悲や愛が無いのですね」
「はぁあ? なぁああにを言ってるのかしらぁあああ? 私ほど、この世に慈悲や愛の証たる救いを振り撒いている者など存在しないわぁああ」
生臭い空気……穢れた瘴気。それはタローマティの下半身の蠢きによりさらに濃くなっていく。
修道服のローブ、その裾を食い破るように醜い犬の頭部が顔を出す。巨大なその頭部が6つも出てくれば広かった筈の室内に圧迫感が出てくる。
「何度だって言うわ。これは救いなの。悪神様の愛を理解しない愚かで脆弱な人間共にそれを理解させる機会を与えているの。……ほぉおら素敵でしょう? 憎悪に染まり、積怒を溢れさせ、侮り、蔑み。そうして発生する2国間の大きな軋轢……それが引き起こす絶望と怨嗟」
人の足ではない。大きな6対、12本の脚が床を踏み締める。臀部からは魚のような尾が生えて粘液を滴らせる。そして異形の下半身によって天井付近まで上がった女の頭部から3本の漆黒の角が生えていく。
悪魔である自身の正体を晒し、タローマティは隣りに居る魔人を睥睨する。
「悪神様がもたらす秩序こそが唯一絶対の理。彼らが起こす『戦争』はそれを照明する……その全てが、彼ら自身がその心の内に宿す『本質』が引き起こす物。私はそれをほんの少し後押しして上げただけ……」
悪魔は言う。この両国で発生した事態は、彼らの『思い』によって起きる物であると。その全てが悪神がこの世界に望み、そして彼らが応えた結果であると。
「―――違います」
―――そんなことを嘯く悪魔を魔人が……いや、天使が睨む。
「人は……心とは……もっと気高く、優しく、温かい物です」
一対の翼。白く輝く翼を出現させたアールマティは一歩も退かず悪魔を見上げる。
「違わないわ。人なんて所詮、一皮剥けば誰もが欲望を満たすことしか考えない……彼らは悪神様が支配すべきケモノでしかない」
「人とは他者と繋がり、支え合い、生きていく者。その本質は愛であり献身であり、御父様が未来を祝福した彼らはニンゲンです」
覇気が迸る。
ぶつかり合う互いの感情の昂りが空間を軋ませる。
悪魔は浮かべる笑みをより一層歪ませる。
「今更、貴女のような敗者がどれだけ囀ろうと……この戦争は止まらない」
「……っ」
「貴女には止められない」
上体を前に倒し、犬の頭部に寄り掛かるようにしてアールマティへ顔を近づけて言い放つ。
「エリニアの普人はもう他者を支配して踏み躙る悦楽の味を知った。フョルニルの獣人は報復によって解放される暴力性の快楽を知った」
映像がまた変わる。―――奴隷を扱う普人が嗤っている。自身に絶対的な立場があると自覚して、それを存分に格下の相手へ行使する悦楽を堪能して。
更に映像が変わる。―――奴隷の所有者を殺して嗤う獣人。自分が上だと思い上がった相手を正当性を盾に暴力によってねじ伏せる快楽を享受して。
これらの映像を横目に悪魔は嗤う。
「彼らは止まらない。くふっ、くふふふふふ……、そう、止められない。争いは起きる。人は戦わずにはいられない生き物……他者を蹂躙してこそ最大の愉悦を感じられる……『悪魔』なのよ」
悪魔は懐から貫頭衣を取り出す。……それは鞣した皮で作られた革製の貫頭衣。―――鮮やかな『翡翠色の鱗』が美しい革である。
「――――――」
「綺麗でしょう? これは『ある生き物』の鱗の部分だけを選り集めて作った翡翠の貫頭衣なの。これを身に纏って私は来たるべき戦争を……その行く末を見守るの」
放つ殺気が濃くなったアールマティ。そんな彼女へ見せ付けるようにタローマティは手に持つそれに頬擦りする。
「……それが我が家族の『眷属』、愛すべき者達の肉体の一部であると知っての所業ですか?」
「ええ知っての行いよ? クシャスラは何か言ってたかしら? 貴方の所の可愛い可愛いこども達はこうして私を美しく飾る……悪神様の御威光をこの世に示す祭具の一つに生まれ変わったのよ。……行儀の良い貴女の口からはとても言えない言葉でも吐いていたかしら?」
「…………」
アールマティの目の周囲に亀裂が走るように血管が浮かび上がる。目の黒と瞳の赤、その両方の色の深みが増す。しかしそれ以外に表情に変化は無い。能面のような無表情に浮かぶそれが、彼女の内面に荒れ狂う凄絶な感情を物語る。
「あらぁあ~? 『大地母神』ともあろう者が素敵な表情を浮かべるじゃなぁああい? 別にそこまで怒ることじゃないでしょう? だってこの地上に生きる十数億の人間の中の、たった数十ぽっちの命じゃなぁあい。今の段階でそれなら……“狂乱の宴”によって本能を剥き出しされた人間達の戦争を見たら……くふふ……どうなっちゃうのかしらぁああ?」
心底楽しい。そう言っているかのように悪魔は天使を蔑みながら嘲笑う。―――しかしそれも天使が口にした言葉で崩れることとなった。
「……貴女は滅ぶ。あのタルウィのように」
「……………………ああ? なんつった、このアバズレ」
笑みが消え、不快そうに表情が歪む。6つある犬の頭部全てが威嚇するように歯を剥き出しにして唸りを上げる。
「私が、滅ぶ? ……あのちゃちな火蜂のように?」
「ええ。地上に進出したのに、何も成せずに滅んだあの悪魔のように。……貴女は滅ぶのよ、『背教のタローマティ』」
「巫山戯たこと言ってんじゃねぇえぞこの醜女がぁああアアアアアアアアアアッ!!?」
醜悪な怒気に顔を歪ませタローマティが吠える。唾を飛ばすようなその怒声を、しかしアールマティは静かに受け流す。
「私をあんな【醜穢なる邪霊】の面汚しと一緒にしてんじゃねえぞこのクソビッチがッ!! 悪神様の祝福を授かった使徒の癖に情けない最期を晒し奴と同じだとッ!!? そんな戯けたこと抜かす口と下の穴が閉じねえぐらいに怪物のブツをぶち込んでやろうかぁあアアアアンッ!!? 澄ました顔しやがってよぉおおおおおッ!! 私はあんたのことが顔を合わせた時から気に食わないんだよォオオオオオッ!!」
「……奇遇ですね。私も貴女のような者は好きではありません」
「五月蠅えぞ呆けッ!! あんたは黙って私に協力してれば良いんだよォッ!!」
本気で殺し合うことが禁じられた両者。だからこそ、このような稚拙としか言えない言い争いしか出来ない。……しかし最後にアールマティは多少溜飲が下がったのか、血管の浮かんだ表情を元の穏やかで美しい物へと戻し、一歩下がってタローマティから距離を取ると、ゆっくりと頭を下げる。
「ええ。勿論協力しましょう。この『収斂のアールマティ』、誠心誠意、貴女の力と成ります」
「……っ……ちっ!」
慇懃無礼なそれにタローマティは苛立たしげに舌打ちすると立体映像を浮かべていた魔法を解除する。そして髪が乱れるのも構わず頭を振って熱くなった思考を冷まし、そして口を開く。
「……いい? アールマティ。……私は絶対に滅びない。何故なら私には奥の手が……先日手中に収めた『化け物』が在る。それの力を使えばあの火蜂を滅ぼしたらしい『魔王』を僭称する不届き者が万が一この国に現れても……返り討ちに出来るっ」
「……それはもしかして、『あの子』のことですか?」
そう言うとアールマティは部屋の隅で椅子に座らされている『あの子』……少年へ目を向ける。タローマティもそちらへ目を向け、そして機嫌を直したのか再び嫌らしい笑みを浮かべる。
「そうよ。偶々“誓約”の触媒になる素材を取りに迷宮の最下層に行った時に見つけたの」
「――――――」
その少年は虚ろな目で虚空を眺める。そこには自我や感情などが一切窺えない。
「素直な良い子だったのよ? ちょっと助けを求めれば直ぐに警戒なんてせずに近寄ってくれたわ―――だから『刻印』も直ぐに刻めた。……でも流石に完全支配するのに“誓約”を10個も刻むことになるなんて思いもしなかったけど。……お陰で最強の手駒が手に入ったわ」
少年……『着物を着た十代半ばほどに見える少年』は肉体に刻まれた数多の刻印、“誓約”によって心身の自由を完全に奪われている。その少年の全ては悪魔の指示一つで意のままに操れるようになっている。
「さあさあ、自己紹介しなさいな。あの初対面のお姉さんに」
命令に反応して少年は立ち上がる。そしてアールマティへ向かって小さなお辞儀をすると、変声前のような幼く高い声を発する。
「……初めまして。僕の名前は―――」
黒ずんだ血のような色の室内。そこに少年の名前が響き、悪魔と天使の耳に届く。
「“オーズ”」
顔を上げた少年、オーズはその瞳に何も映さない。
「……【神魔七星】の隠れ蓑である【九獄天魔王】所属の『崩陸の魔王ベヒーモス』。仮称・希望の星改め【理想郷計画】の中心人物である心核譲渡者から心核情報を分け与えられて生まれた心核情報生命体……AI:“Neighbor of an artificial soul”――通称【NoAS】――の1人であり、“第三次世界大戦”に於いては“阿州”で発生していた戦闘への武力介入・支配・平定・管理を担当した者です』
◆◆◆
戦いの時が来る。
2体の魔王、『アバドン』や『バフォメット』のような数合わせ……『偽装』の為に用意された存在では無い。
セーギが生きた前世で、世界の為に……いや、『セーギの為』に生まれた存在。セーギ自身にさえその出生の秘密を伏せられた特別な存在。
世界を渡って訪れた理想郷の名残。世界大戦を終結へと導いた電脳量子が産んだ7人の魔王。戦火に見舞われていた大陸を救った一角。
王獣と激突する時が刻一刻と迫っていた。
◆◆◆




