92.クルルスの子供達
旅立ったセーギ達を見送ったディアンサスは〈城塞都市クルルス〉へと帰還した。
ディアンサスは個人的にロベリアから頼まれていた仕事があった。だから〈エリニア連邦国家〉への同行はしなかったのだ。
その日から3日。ディアンサスはローブを着て顔を隠し、都市内にある建物を転々としていた。
「―――じゃあここで最後ね」
「ありがとうございます。本当に助かります」
「良いのよ別に。ただ働きってわけでも無いし、それに友人からの頼みだしね」
礼を言う女性、40近い歳であるらしいが今まで春を売ることを生業にしていたからか年齢よりも若く、そして美しい女性からの礼にディアンサスは返事をすると目の前にある建物に足を踏み入れる。―――すると一気に建物内の喧噪が響いてきた。
「絵本どこー?」「その前にお勉強だよ」「遊びたーい」「うっさい! 勉強しないと馬鹿になるんだぞ!」「……ふがっ……すぅ……すぅ」「今寝たら夜に寝れなくなるよ?」「おみずください」「喉渇いた?」
騒がしさを絵に描いたような音の奔流にディアンサスは頬を引き攣らせる。
「……何処も彼処も元気ねー」
「ええ。これもロベリア様、そしてディアンサス様のお陰です」
「んんー……私よりセーギじゃない? この子達を助ける為に奔走したのってあいつでしょ」
「勿論、あの方にも感謝をしています。……ですが今私が感謝を伝えたかったのはディアンサス様ですから」
「そう」
照れ隠しに短い返答になってしまった。ディアンサス薄らと紅潮した顔を見せないように大股で奥まで歩いて行く。
そして声が聞こえてくる扉の前へと辿り着くと、ディアンサスは躊躇無く扉を一気に引き開ける。
「ほーらちびっ子ども! 良い子にしてた?」
扉の先は広間になっていた。そこには大勢の子供達が居て思い思いに過ごしている。
ここは『孤児院』。“翡翠蛇”が管理する孤児院の1つである。
子供達の中には大人の男性の姿もあり、その人が子供達の面倒を見ていた。彼はディアンサスをここへ招き入れた女性の夫でもあり、そして“翡翠蛇”に所属していた経歴を持つこの孤児院の院長である。
「あ、せんせい!」「せんせいだー」「まほうの先生だー」「こんちゃー」「こんにちはだよ」
子供達は扉を開けて入ってきたローブ姿の女性――ディアンサス――を見るとわいわいと集まっていく。
「もう足元に集らないで。歩きにくいでしょ? ほら今日は『経過観察』に来たんだから、この前に観た子は私と一緒に別室に来なさい」
「はーい」「だれー? どの子ー?」「僕です」「君かな」「おまえだった気がする」「ちがいます」
ディアンサスはフード越しに頭を掻くと、子供を指差していく。その指先には炎が灯っており、その炎は指差した子供に飛んでいくと、まるで子供の頭が照明になったようにぼんやりと輝く。もしセーギがこれを見ていたら電球みたいだと思った筈である。
「騒々しい。ほらあんたとあんた……それにあんたもでしょ」
「わひゃー」「あはははは」「ちがいます」
「何笑ってんのよ……あとそっちの子、違わないからね」
頭をピカピカ光らせながら子供がディアンサスに張り付いてくる。彼らはディアンサスが使う不思議な魔法に魅了されている。子供達にとってディアンサスは絵本から出て来た『まほうの先生』なのだ。
「じゃあ直ぐに終わると思うから」
そう言って別室へと向かうディアンサスへ院長は小さく頭を下げる。彼の隣りに移動した妻である副院長も同じように頭を下げる。
「彼らのこと、どうか宜しくお願いします」
「任せなさい。私は『まほうの先生』なんだから」
「……ありがとうございます」
神妙な態度で礼を言う院長へ軽く手を振るとディアンサスは頭を光らせる子供を連れて別室へと移動した。
◆◆◆
「ほーら両手を上げてバンザーイ」
「おー」「はいっ」「にゃー」
「はい、偉い偉い」
ディアンサスは手際良く子供達の上着をぽんぽん脱がせていく。女の子がいた場合は組を分けてする必要があったが、全員男の子なので楽である。
「はい背中見せてねー」
「やーん」「えっちー」「すけっべ」
「ませんなちびっ子」
何だかんだ言いつつも素直に背中を向けてくる子供達。そんな彼らにディアンサスは微笑みながら先程のように指先に光を灯すと1人1人の背中を撫でる。
「くすぐったいっ」「あはははは」「あふ」
「はいはい我慢してねー」
ローブの下に隠れる目が鋭さを増していく。
万物の根源の一つである『火』を極め、冷熱自在にまで至ったディアンサスは“天使”が司る“権能”に手を掛ける。
火の天使。全ての事象をその炎で照らし、善悪を分かち、その炎で悪を滅する法の具現。
その権能は“真贋”。
ディアンサスは『執行人』の名の下に目の前の幼い子供達に刻まれた『刻印』を白日の下に晒す。
まるで墨を刺したような、赤黒い5つの刻印が浮かび上がる。
――――――
【誓約】
【呪】、【委】、【叛】、【解】、【●】
――――――
この場に連れてきた子供達。彼らの背に刻まれた【誓約】を見たディアンサスは、見落としが無いように慎重に一つ一つ確認していく。
刻印に込められた誓約は全て同じ。それはつまりこの【誓約】は同じ術者……又は同じ場所で刻まれたことを意味する。
――――――
【呪】:権利者の命令に従う。
【委】:行動・五感・魔氣・生理機能。
【叛】:痛覚増大・肉体傷害・精神傷害。
【解】:〈復讐の魔窟〉を踏破。
【●】:――無効中――
――――――
「……ん、問題無さそうね。もう服を着て良いわよ」
ディアンサスは自分が手を加えた刻印がきちんと機能をしているのを確認すると子供達に服を着させる。
子供達はもぞもぞと上着を着始める。
(……嫌になるわね)
内心で悪態を吐く。
ディアンサスがロベリアに呼ばれる形でこの都市に来てから今日まで。その期間で彼女が【誓約】の刻印に対する措置を取ったのはこれで20人近くになる。
上着を着た子供達。彼らの頭をディアンサスは撫でる。
「わひー」「あ、そこ、そこ良い」「まどろむ」
獣の耳が頭に生えた子供達。
この内容の【誓約】を刻まれて連れられてくるのは彼らのような獣人が多い。先の人数の半数以上は獣人なのだ。この都市には居ないが、赤子にこ刻印が刻まれていた事例もある。
これは〈エリニア連邦国家〉と〈獣人国家フョルニル〉の情勢が関係している。
(この子達は、ただ、巻き込まれただけ……)
ディアンサスは彼らが少しでも『自由』に成れるように、こうして誰からも支配されていない状態を維持している。彼女が行ったのは所有者が不在になった……もしくは不在にした状態で、次の誰かが所有者に登録される前に魔法による『妨害』と『偽装』を施したのだ。
『妨害』によって所有者が登録されることを防ぎ、『偽装』によって他の刻印の効果が発揮されないようにする。
(でも、……これも完全じゃ無い。……骨の芯まで灰にしてやりたいわ。……子供を攫って、外法の“誓約”を刻んで、そしてこの【解】の条件。……こんな物、生涯奴隷を突き付けているのと同じ。犯罪者でもないこんな子達に)
“誓約”は強力な魔法。一度刻まれたこれを完全に消すには【解】に設定された条件を果たすしかない。
解放条件は『〈復讐の魔窟〉の踏破』。
(最下層に行くだけなら行ける。でも……足手纏いを連れて行けるほど……あの迷宮は甘くない。無力な子供達なんて尚更……)
ディアンサスは子供を引き連れて部屋を出る。
(……やっぱり、根本から叩き折るしかないわね)
問題の根本。つまり“誓約”を施している術者の処理、そして―――これを伝授した者の打倒。
それが出来てようやくこんな施術者にだけ都合の良い、相手に隷属を強いる、胸が悪くなる魔法をこの世から無くせる。それと同時にこの魔法で苦しむ犠牲者も。
その為にセーギとロベリアは極力目立たぬように〈エリニア連邦国家〉へ出向いたのだ。
「―――せんせー?」
「……ん? 何、どうしたの?」
一緒に歩いている子供の1人、5つになるかならないかの歳の、熊の耳が生えている子がディアンサスを見上げている。
子供は自分の眉間に指を当てながら口を開く。どんな顔をしているか判別は出来ないが、それでも今、ディアンサスがどんな表情をしているのかだけはわかる。
「どこか痛い? ここにぐぅってしわが寄ってるよ?」
幼いながら、他者を気遣える。それにディアンサスは目を細める。
「……そうね。ちょっとだけ……胸の奥がね……」
「そういえばせんせーおっぱい無いね」
「……こいつ、言うわね」
ディアンサスは苦笑しながらその子を抱き上げる。
この時期の子はぐんぐんと成長する。だが、まだ幼く、軽い。
―――しかし、その腕に掛かる重さは確かに人1人分の重さ。
「ひらたい胸、もう痛くない?」
「あっはっは……次胸のこと言ったらお尻叩くからねー。……もう痛くないわよ。ありがとう」
微笑みながらディアンサスは子供にそう言う。そうすれば子供は直ぐに朗らかに笑う。
「ほんとう? じゃあ良かった!」
「……じゃあ院長や奥さんが居る部屋に帰りましょうか」
「あーい!」
「おやつ持って来たから皆で分けて食べなさい」
ディアンサスは子供を下ろすとニヤリと笑ってそう言う。
他の院を回った時にも持参して渡した菓子。それをフードの下からひょいと取り出す。魔法の道具袋に入っていたそれは梱包された大きなパイだった。
子供というのは現金なところがあり、ディアンサスの取り出したお菓子に目を輝かせる。
「おー!」「前のも美味しかった」「今日は何? 何のパイ?」
「甘芋のパイよ。有り難く食べなさい。」
窓から見える空を見上げる。それは彼女の友人達が今、居るであろう国がある西の方角。
(……“封印の儀”が終わるのを見届けたら……向こうに合流しようかしら。……それとも)
ディアンサスは子供をあやしながらこれからのことに思いを馳せていった。
「包丁要る?」「まな板。まな板も要る」「かなりまな板だよこれ」
「お? 今私の胸見ながら言ったわね? あんたをまな板にしてやるわ、おらケツ出せ」
「ひゃ~」
◆◆◆
王城のとある一室。客室として使われているその部屋には4人の少年少女が居た。
テーブルを挟んでソファに座っている3人。1人は立ったまま自分の主である少女の背後に控えている。
付き人を背後に控え、ソファへ上品に座り、微笑みを浮かべている少女セレネは上機嫌な様子で対面に座っている2人を見る。
「今回はお話しを受けて頂き、感謝の念に堪えません。サクラさん。ガガナーダさん。……改めて御礼を申し上げます」
「い、いえ、そんな……っ、どうか頭を上げてくださいセレネ王女様っ」
「あら、セーちゃんとは呼んでくださらないのですね。私、哀しいです……」
「ええっ!? ど、どうしようナーダ? 私どうしよう?」
「取り敢えず落ち着けよ」
王女に頭下げられ慌てるサクラ。そしてナーダは慣れない場所で表情が硬いが、それでも隣りに座るサクラよりましなので代わりに返事をする。
「……本当に礼は要らない。……それで? 俺達に、何だ、その……学園での護衛だったっけ? それをして貰いたいって話しだけど……」
「そうですね……私自身、突然持ち込んだ話であるのは重々承知しています」
付き人のメイドがテーブルに近付く。そして3人分の紅茶を用意する。
「ですので気になる事も多いと存じます」
「……そう、だな。腑に落ちないことがある」
セレネは口元を手で隠してクスクスと笑う。水色の瞳が燃える火のような瞳と交わる。
「『どうして自分達が選ばれたのか』、でしょうか?」
「そうだ。何で俺達なんだ? 王女の護衛なら他に優秀なのが幾らでも居るだろ。俺達に話しを持ってきた……俺達である必要性がわからない」
「ナ、ナーダ? 王女様にそんな言葉で……」
「構いませんよサクラさん。この場に居るのは私達だけですから、存分に態度を砕けて頂いて構いません」
セレネは付き人が煎れた紅茶に手を付ける。
「御2人もどうぞ。メスラが煎れたお茶はとても香り高く、私はもう彼女が煎れてくれないと物足りなくなりました」
「お褒めに与り恐悦至極に存じます」
メスラは仕える主であるセレネへ一礼する。彼女の毛量の多い鈍色の長髪が揺れる。身長はセレネよりも僅かに低く155前後。彼女は顔を上げてナーダとシータへ顔を向ける。茶色の瞳の三白眼が2人を映す。
―――メスラ・マルスラ。普人生まれの14歳。生まれた時から王家に仕えることを決められた由緒ある使用人の家系……というわけではなく、出自は両親をモンスターに殺された“怪災孤児”の憐れな少女。―――『運命』という名の必然的出会いによりセレネ様と邂逅、お声を掛けられ現在の専属使用人よという立場に。……メイド歴5年とまだまだ若輩の身。……しかし輝かしき王家の専属使用人に選ばれた栄誉を胸に日々精進を重ね、現在ではお茶は煎れるのは勿論、掃除・片付け・裁縫・料理・湯浴み・着替え・魔法・護身術・諜報・色仕掛け・愛想笑いを習得したいじらしくも愛らしい、未来の完全無欠侍女の卵。それが私」
「――――――」
一切の感情を見せない無表情。抑揚の無い声。怒濤の自己紹介。
状況に追い付けず硬直するナーダとシータ。微笑みを絶やさないセレネ。
メスラは、親指、人差し指、小指、その3本の指をピンと立てた右手でビシッと音が出そうな機敏な動作でポーズを付ける。
「いえーい、よ・ろ・し・くー」
―――さっきまで客室の中にあった空気、その全てが木っ端微塵に砕けた。




