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91.悪だくみ、そして人形

 ロベリアは倒れている男達に触れていく。


「結構派手にやったわねぇ、さっきの“勇者”」

「っづぅ……」「……ぁぁぁ……」「……いでぇ……いでぇ」


 骨折は当たり前。酷い者は内臓に傷を負っている。

 ロベリアは「ふぅう」と赤い吐息を吹く。それは地に這うように広がっていき男達に降り掛かる。

 効果は劇的であった。

 息に込められた『麻痺毒』によって男達の感じていた痛みが和らぐ。応急手当にもならない対症療法。しかしそれでも男達には激痛による苦しみから解放されて余裕が生まれた。


「……んだぁ? 痛みが引いた?」


 この一団のリーダーと思わしき男が自分の胸部をなぞる。肋骨が何本も折れていて息をするのも辛かったのにそれが無くなった。痺れを伴う圧迫感はあるが、痛みを感じていた時とは比べるまでもない。


「災難だったわね貴方達。ちょっと間が悪かったようね。あ、動かない方が良いわよ。傷が治ったわけじゃ無いから無理をして動くと後で苦しむことになるわ」

「あ、あんたは?」


 男はフードで正体がわからない女、ロベリアを怪訝そうに見る。しかし痛みが和らいだのは彼女のお陰であるのは理解しており店に入ってきた時のような粗野な振る舞いは鳴りを潜め、その目には感謝の色が見える。


「私? 私は違う国で貴方と似たようなことを生業にしている者よぉ。パルナとでも呼んで」

「……同業者か。……で? いったい何の用だパルナ。見ての通り今の俺達じゃ歓迎のもてなしも出来やしねえぞ?」


 男は一団を任されていただけはあって丈夫だった。他の破落戸は痛みが引いたと同時に安らかに眠りへと落ちたが、彼だけは身を起こして地べたに座り込みロベリアへ顔を向ける。彼女は膝を曲げて尻を地面に付けないようにしゃがむと男と目線を合わせる。


「用って言っても簡単なことよ。ちょっと貴方達が知っていることを私と彼に教えて欲しいの」


 ロベリアはフードの下で笑みを浮かべながらセーギへ顔を向ける。セーギは倒れている男達を道の端に運んでいる。そんな彼の近くには先程の冒険者達も居り運ぶのを手伝っている。


「知っていること? 教えられることなら教えてやるが……何が聞きたい」


 ローブの下でクスクスと笑い声がもれる。


「じゃあ遠慮無く聞かせて貰うわぁ……“狐の尾”の一味、若頭補佐ゲザーさん」

「……“狐の尾”? 知らねえな。……俺達は“日照り雨”だ」

「あらそう? うっかりしてたわ。……じゃあ改めて“日照り雨”に所属しているゲザーさん。貴方に聞きたいことがあるわ」


 ゲザーの訂正を素直に受け入れたロベリアは笑ったまま本題に入る。


「実は私、『アザミ』に会いに来たんだけど……今は何処に居るのかしら?」

「……っ……」


 ロベリアが言った『アザミ』という名を聞いて男の顔は明らかに引き攣る。

 それは明らかにその名を知っているからこそ出た反応である。


「まあ落ち着きなさい。何も私、アザミと争いに来たわけじゃ無いから。ただちょっと顔を合わせて話したいことがあるだけよ」


 ゲザーの目に明らかな警戒……そして殺気が宿る。その敵意を感じながらもロベリアは素知らぬ態度を貫く。


「……何処で知った? ……あんた、親分とどういう関係だ?」

「そうねえ……不幸な行き違いで殺し合いをした仲かしら?」

「…………」

「あら、そう警戒しないで。言ったでしょ、不幸な行き違いだったって。今はもう仲直りしてるわよ」


 ロベリアは懐へ手を入れるとある物を取り出す。それは紙束だった。

 文字が事細かに記入されているそれをロベリアはゲザーだけに見える位置で覗かせる。


「貴方、若頭補佐でしょ? それにさっきも『お務め』をしてたし。……『これ』、見て頂戴。何かわかるでしょ?」

「これがいったい何だって……っ!? ……あんたこれっ」


 ゲザーの敵意が霧散する。寧ろ驚きでそれどころでは無くなったのが正しいか。


「やっぱり知ってたわね。……ええ、そうよ、これはアザミが私に送ってくれた『お手紙』よ」


 ロベリアはお手紙と言う名の資料をヒラヒラと揺らす。それは星一つ前に、馬車の積み荷に紛れ込ませて〈城塞都市クルルス〉に届けられた極秘資料。読んだ後は燃やして処分するのが習わしであるが、ロベリアはこうして持ち込んできた。

 友人(ディアンサス)の手により、この資料には魔法が掛けられている。もしもこの資料を偶然目にした者が居ても、所有者(ロベリア)の許可が無ければまるで陽炎で揺らぐ風景を見ているように文字がぼやけ解読不能になる魔法だ。


「これのお陰で私の地元での『お仕事』が捗ったわぁ。……“誓約(ゲッシュ)”自体は手が出せないけど……“命令者(オーダー)”持ちを無力化すれば対症療法にはなるから……貴方達の苦痛みたいにね。取り敢えず該当してた『商品』は全員私の所で回収したわ。……【(やくそく)】じゃなくて【(やくそく)】を使用してる“外法”なのも確認済みよ」

「……あ、あんた……まさか……蛇の……?」


 ゲザーは目の前の人物が何者なのか理解する。

 事情を知る者同士でしか通じない会話。


「でも『商品』だなんて柄じゃない呼び方を使ってるわね。まあこの国の人間にはその方が馴染みやすいのでしょうけど……口にする度に荒むでしょ? 心が」

「…………」

「さっき貴方達が探していた『商品』を見たけど……」

「っ」

「“勇者”が保護してたみたいだから気にしなくても良いと思うわよ? 前の“所有者(ルーラー)”はそっちで(さよなら)したのでしょ? だからあっちは後回しにして他に人員を割いたら良いわ」

「……そうか、さっきの奴が……」

「お務めに必死になるのは良いけど……堅気相手に掛けなくてもいい迷惑を掛けたら駄目よ?」

「……返す言葉も無え」


 ロベリアは満足そうに頷くと立ち上がる。


「じゃあ教えてくれるわね? アザミの、居・場・所」

「……ああ、教えるよ」

「ふふふ……ありがとう。でもその前に……お店の人に謝っといてね? 私の連れの彼があのお店気に入ってるから……怒らせたら怖いわよ、きっと」

「……蛇が恐れる、男だと?」


 ゲザーは先程ロベリアが視線を向けていた男へ顔を向ける。


「―――へぇー……4人でチームを?」

「そうだ。こう見えて俺達は地元じゃちょっと名の知れたチームなんだぜ?」

「いや実際に凄いと思いますよ。だってバラルダさんとグリッドさんは緋金(オリハルコン)クラスなんですよね? それって事実上冒険者の中では最上位じゃないですか」


 セーギはフードを脱いで顔を晒し、冒険者のチームと雑談をしている。


「……私とバラルダは普人(ヒューマン)よりも長命な種。年の功といったところだ」

「バラルダさんは鉱人(ドワーフ)、グリッドさんは森人(エルフ)……そう言えば皆さん種族が違いますけど、どういった経緯でチームを?」


 バラルダは過去を振り返る。


「経緯か……最初は何だったか……ああ、そうだそうだ。こっちの2人、ナシャルとローロってんだが、こいつらが駆け出しの時に偶々出会って……」

「依頼の時にバラルダの小父貴に助けて貰ったんだ! そんでその後に仲間にして貰えるように頼み込んだ!」

「……っていうわけで変に懐かれてな。面倒を見ているうちにチームを組むまでになったわけだ」

「俺はバラルダの小父貴みたいな凄え冒険者に成る!」

「調子の良いことを言いやがる。ナシャルお前何時も俺の戦い方は参考にならねえってぼやいてるだろ」

「それはそれ! これはこれ! 俺がバラルダの小父貴を尊敬していることに変わりはない!」


 ナシャルは小柄な体で精一杯胸を張って得意顔をしている。

 その後ろに立っていたローロが親指で押さえた中指をナシャルのこめかみに弾く。


「いってっ? な、何すんだよ?」

「あんた調子に乗ると先走ってピンチに陥りやすいから私がこうして諫めてあげてるの。感謝しても良いわよ」

「誰がするかノッポ」

「お? 喧嘩売ってんのチビ?」

「……2人共落ち着け。セーギさんが困るだろう」

「うっ……ごめんグリッドさん」「ごめんなさい……」


 グリッドがセーギを気遣ってナシャルとローロのやり取りを止める。2人のこのやり取りはよくあることだが、それでも今日出会ったばかりの人に見せても困らせるだけだと判断したのだ。

 言うことを聞いて大人しく頭を下げる2人。


「はは」


 セーギは微笑ましそうに彼らを見ていた。

 容姿や種族に一切の共通点の無い彼ら。しかしセーギはそんな彼らの確かな“絆”を感じて温かい気持ちになったのだ。


 和やかな雰囲気。それがセーギと冒険者チーム〈ドレッドノート〉との間で生まれていた。

 その光景をゲザーは呆然と見ていた。


「―――本当にあんな男が?」


 ゲザーの目にはセーギという男が気の良さそうな優男にしか見えない。


「あら? 私の言葉が信じられないのかしら?」

「……〈復讐の魔窟(フリアエ)〉の階層を蹴り抜いて最下層まで辿り着いたあんたが怖いって言ってるんだぞ? 俺の常識って足場も崩されそうだ……」

「……あれは若気の至りよ」


 ―――ある日、ロベリアは探していた『とある存在』が〈復讐の魔窟(フリアエ)〉の最下層に居ると耳にした。彼女はその日の内に迷宮(ダンジョン)へ踏み込むと、破壊不能とも言われる迷宮(ダンジョン)の壁や地面を殴る蹴るで砕きながら超最短距離で最下層まで進撃した。

 それは〈復讐の魔窟(フリアエ)〉という迷宮(ダンジョン)の構造が円を描き、階層の始点と終点が壁や地面に遮られているとは言え、ほぼ直ぐ傍に在ったからこそ出来た芸当。

 強力無比な震脚を用いた発勁の殴打によって我が道を突き進んだロベリア。

 その時に〈復讐の魔窟フリアエ〉に居た冒険者や探索者達は、まるでこの迷宮(ダンジョン)が崩壊するのでは? と思わせるような激しい揺れを感じて恐怖に震えた―――


 故に “覇蛇崩脚”。

 その名は暴力団(ギャング)など裏の界隈で有名なのは当然、一部の情報通には恐怖の代名詞として伝えられている。


「―――……結局あんたは最下層まで行けたのか? 確認出来る奴なんて皆無……それに戻って来たあんたは何も語らなかった。……親分は『きっと辿り着いた』なんて言ってるが……正直眉唾だ」


 ロベリアは肩を竦め、資料を片付けると今度は煙管(キセル)を取り出すと咥える。


「……そうねぇ……無駄足だった。……それが答えじゃ駄目かしら?」

「……はは、……やっぱり想像出来ねえわ。あっちの兄ちゃんがあんたより怖い? そんなの悪夢だろ」


 顔色が悪くなったゲザーを見てロベリアは口角を吊り上げる。

 真っ赤な腔内から先の割れた舌がチロリと覗く。


「悪夢? 良いわね、それ」

「……っ」


 ロベリアは愉快そうに笑みを浮かべる。

 その笑みは認識阻害を越えて、目の前のゲザーに背筋が凍るような寒気を与える。


「この国に蔓延る悪夢と……セーギさんがもたらす悪夢。……それが重なり合えばいったいどんな『夢物語』が出来上がるのかしら……」


 煙管の火皿でゲザーの顎を持ち上げる。火が入っていない筈なのに、触れた場所が熱く感じる。それなのに体は震えそうになる。


「この夢物語にアザミも噛ませてあげるわ。……だから貴方も良い子だから協力してね?」


 彼女が放つ妖気。それは何時かの日にマリーに対して『悪だくみ』をしていると言い放った時と同種の者であった。

 ロベリアは最後にゲザーだけにしか聞こえない言葉で伝える。

 その『悪だくみ』の内容を。


「さあ、『国盗り』を始めましょう」


 ◆◆◆


 ヴァリスは不機嫌なまま自分が寝泊まりしている宿へ帰ってきた。この都市には聖光教会が存在するので“勇者”であるヴァリスはそこで部屋を借りることが可能だが、しかしこうして他所で宿を借りている。

 上等な宿であるここは一泊だけでもかなり金額が必要になるが、ヴァリスにとっては端金とまでは言わないが痛くも痒くも無い料金。〈復讐の魔窟(フリアエ)〉の深層へ潜れば数十泊しても使い切れない額を稼げる。


「ああ……クソッたれ」


 ヴァリスは広い部屋にある巨大なベッド、キングサイズに区分されるそこに体を投げ出す。彼の2m近い体をベッドは余裕を持って受け止める。

 広い部屋に巨大なベッド。そんな部屋を選んで借りている理由は、ヴァリスが気に入った女を連れ込んで『楽しむ為』である。ベッドの上が広ければ2人でも3人でも同時に相手が出来るといった考えでヴァリスはこの部屋を活用していた。


「……本当に何やってんだ俺は……」


 そう、活用して“いた”。

 しかしヴァリスは今、この広いベッドの上で1人寂しく大の字に寝そべっている。

 大きな溜息を吐くとヴァリスは半目でベッドに近付いて来るつい先日拾った『同居人』を見る。


「……おいコラ呆け」

「……っ」

「何しようとしてる」


 ヴァリスが目を向けていた同居人、タルラは足を止める。ヴァリスの瞳に射竦められてタルラは肩を震わせる。


 ―――今のタルラはフードを着ていない。

 ……いや、フードはおろか衣服の1枚も身に付けていない。全て脱ぎ捨てている。

 肉体能力に優れる獣人(セルリアン)特有の、骨太さ、肩幅の広さ、大きな手足などの特徴がある体。そこに女性らしいしなやかな筋肉と脂肪が乗っている。胸は平均よりも大きめだが、それよりも少女はお尻の方が大きい。それが未熟な年齢である筈の彼女の女性的な印象を強めている。

 碌に手入れされていない硬い質の青み掛かった黒髪は胸に掛かるほど伸びており、前髪も長く、その顔を隠している。そんな彼女の頭頂部には同じ毛質の丸い熊耳が生えている。

 そんな産まれたままの姿を晒してベッドに近付こうとしていたタルラをヴァリスは睨み付け、威圧をぶつけていた。


「……ぅぁ……あの、私……」


 威圧を受けて震えるタルラ。それでも彼女は口を開く。


「……ほ、奉仕……ご奉仕を……」


 タルラの発言。それは今まで繰り返してきた言葉であった。

 かれこれ5年。彼女は以前の所有者ルーラーの元でこうした奉仕を命じられてきていた。


「わ、私の、所為で……あの人達……来てくれなくなった、から。……だから、私が……」

「…………」


 ヴァリスはベッドから降りる。

 そして億劫そうな足取りでタルラに歩み寄ると彼女を見下ろす。


「へぇえ……お前が俺の相手をねえ……」


 ヴァリスは片手を上げてタルラの胸の膨らみに手を伸ばす。男の大きな手が女の乳房を完全に覆うとその長く太い指が乱暴に彼女の胸を揉みしだく。それによってタルラは痛みを感じて表情を僅かに顰める。……しかし抵抗は見せず、されるがままになる。


「……っ……」

「お次はどうする? ケツでも振ってみるか? お?」

「ご、ご主人様が……命令するなら……」


 従順な態度。相手が触りやすいようにタルラは脚の間を開く。

 そんなタルラの目をヴァリスはじっと見る。

 胸を掴んでいた手を離す。そして―――


「―――誰が抱くか呆け」

「あ……っ!?」


 ヴァリスはタルラの首根っこを掴むとベッドに放り投げる。少女の裸身は清潔なベッドの上に落ちる。彼女は首を上げて自分を放り投げた相手を見る。

 そして息を呑む。

 ヴァリスの瞳は先程よりも鋭い目を向けてきている。そこに込められた威圧はまるで殺気にでも転じたかのようにタルラの呼吸を詰まらせる。


「おい呆け。何が楽しくて『人形』を抱けってんだ? おぉう? てめえなんかを抱くぐらいならさっきの俺にビビってた女共を無理矢理組み敷いて突っ込んだ方が幾分かマシだぜ? ああん?」


 ヴァリスは床に落ちていたタルラの衣服を掴み取るとベッドの上に居る彼女へ投げ付ける。


「クソみたいなもん『刻まれ』て、そんでてめえはヘラヘラして……それで満足なのか?」

「――――――」

「もしそれで満足だってんなら……良いぜ、この俺が一晩とは言わずに何日でもてめえの体を使って腹の中いっぱいにしてやるよ。有り難い“勇者”の子種だぞ? どうだ嬉しいか? おうコラッ?」


 発言の内容とは裏腹にヴァリスは一切昂っていない。彼が浮かべている表情ははっきりとわかりやすく、タルラという少女に対する『蔑み』だけである。


「呆けが。……どうせてめえの家族もそうやってヘラヘラしてたんだろうよ。それで最期にはくたばった。ざまねえな」

「っ!!」


 衝撃音。

 ベッドが大きく歪み、部屋全体に響き渡る衝撃が走る。

 衝撃の発生源はタルラ。彼女が体全体を使い、己を砲弾のように跳ね飛ばしてヴァリスへ突進した時に発生した衝撃。

 振り上げる腕には強力(ごうりき)によって増強された力と、頑強によって岩すら砕く硬さ、そして体術によって制御された『技』が込められている。

 直撃すれば鉄の盾さえ大きく歪ませ破壊する一撃。それをタルラは怒りで真っ赤に染まった目でヴァリスを睨みながら叩き付ける。


 まるで鉄塊を大地に叩き付けたような音が鳴る。それはタルラの下からかち上げるような拳がヴァリスの顔面へと衝突した音。常人なら顔面が陥没、脳挫傷で死に至る一撃。それを成せるレベル。タルラは位階200を越える強者なのである。

 タルラは目を見開く。

 己がしでかしたことを後悔した―――しかしそれよりも、目の前の結果に呆然としている。


「……何だこりゃ? おいコラ、()る気あんのか呆けっ」


 小揺るぎもしていない。

 ヴァリスは健在。顔面を強打されたというのに傷一つ付いていない。

 しかしこれは当然の結果。

 タルラは強者。これに間違いは無い。……しかし目の前の男は彼女よりも更に規格外。

 英雄を越えし絶対強者。

 有象無象がどれだけ集まり手を伸ばそうと届かない逸脱者。


「いいかタルラ……殺る気ってのはなぁ。……こう出すんだよ呆けがァアアアアッ!!!」


 拳。

 空気を貫き炸裂させる鉄塊よりも尚恐ろしい強靱な握り拳がタマラへ向けて放たれる。

 抵抗、その一欠片も許さぬ無慈悲な一撃。もしもこれを常人が受ければその頭部は瓜を砕いたように原型を残すことなく爆砕される。

 瞳には映った。しかし反応は出来ない。体が付いてこない。

 その威力は元より、ヴァリスがタルラへ向けた殺気と威圧が彼女から行動の余地を剥ぎ取る。

 タルラに許されたのはただ死ぬその瞬間までこうして迫り来る拳を見ることだけ。

 そして遂に―――


「――――――」


 ―――拳はタルラの顔面、その横すれすれを通過していった。

 標的に当たること無く放たれた拳は、その破壊力を衝撃波に変えて周囲へ拡散される。


 ヴァリスとタルラを中心にして突風を伴う衝撃波が広がる。タルラの髪がそれでたなびき彼女の顔が露わになると、驚愕に見開かれた瞳にヴァリスの姿が鏡のように映り込む。


「……あ……」


 膝の力が抜けて立って居られなくなったタルラはぺたんと床に尻を着ける。

 座り込むタルラをヴァリスは見下ろす。


「……けっ……おうコラ、わかったか呆け。どれだけてめえの殺る気が生温かったのかをよ」


 ヴァリスはそう吐き捨てるとタルラへ背を向け、そして部屋を出る扉へ歩いて行く。


「あ、ご、ご主人、様……」

「おう呆け」


 タルラの呼びかけを無視してヴァリスは扉に手を掛け、そして横目で彼女を見る。


「……明日、〈復讐の魔窟(フリアエ)〉の攻略へおめえを連れて行く」

「 !? 」

「精々そのしょうもねえ殺る気を掻き集めて……覚悟決めておくんだな」


 扉を開くとヴァリスは部屋を出て、そして扉を閉めていく。

 完全に閉まる……そんな時にヴァリスは最後に1つだけ言葉を掛ける。


「ヘラヘラしてるより……さっきの方がマシだった」

「ぅあ……っ!」


 そして扉は閉じられる。タルラの最後の言葉に出来なかった声はそれに遮られて暗い部屋の中へ消える。


「…………」


 広い部屋にただ1人残されたタルラ。座り込んだままの彼女はただじっと、自分の瞳に焼き付いたヴァリスの姿を何度も思い返していた。


 ◆◆◆


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