89.迷宮都市
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〈復讐の魔窟〉は20層からなる迷宮である。
迷宮とは言うがその在り方は普通の洞窟や入り組んだ建造物とは違う。
地上にある入り口から迷宮内に侵入してほぼ1本道の通路を進み、円を描くように一周した先にある終点に着けば下へ下る為の階段がある。つまり壁に遮られているが迷宮の出入り口と次の階層へ続く場所はほど近い位置にあるのである。
そして辿り着いた次の階層も同様にほぼ1本道の通路を円を描きながら進む。
それだけなら1層と何の変わりも無い。
しかし違うこともある。それはこの迷宮が1層を下る毎に道が広く長く……円周が広がり続けていくとことである。
この〈復讐の魔窟〉の内部構造を直上から見ることが可能であったなら、その迷宮の姿は『渦巻き』であるのが見て取れたであろう。
構造は単純。しかし変わり映えが少ないこの迷宮は進めば進むほど精神的疲労が蓄積されやすい。しかも下れば下るほど1層辺りの距離が長大になり、更に出現するモンスターの脅威度も上昇していく。
3層までなら銅でも探索が可能である。しかしそれ以上なら鉄や銀……11層以上の探索を考えるなら最低でも金以上の実力が必要になる。
15層を超えれば緋金。
そして1層の距離が『150㎞』を超える18層、『240㎞』近い19層、そんな果てしない領域に至れば―――
道の長さだけでも探索者の心を蝕み、更には襲い来るモンスターさえその脅威を増すこの迷宮は数多の迷宮とは一線を画する。
〈エリニア連邦国家〉、その〈メガイラ〉と〈ティーシポネー〉の境界に存在する迷宮。その総延長は1100㎞を超える規格外の“異界”。
最高位の魔法や超常の能力を用いても起こり得ない事象さえ発生する異常地帯。条件さえ揃えば迷宮内で死亡しても『蘇生する』、神の力が干渉している超位迷宮。
【神造迷宮】:〈復讐の魔窟〉
古い記録に残された情報では、その最下層に至った者は“勇者”の称号を持つ超越者のみであった。
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大規模な迷宮がある場所には都市が築かれている場合が多い。
迷宮から得られる資源や素材は莫大な富をもたらす。
ならそれが無軌道に溢れかえるよりも、国や領主がこれを管理しようと考え乗り出すのは当然の結果である。
各地から出向き一攫千金を夢見る冒険者や根無し草、そんな彼らの疲れを癒やす為に利用してもらう医療施設や宿泊施設に遊郭。戦闘で痛んだ武器防具や消耗品の補充を目的にした鍛冶屋や商店。
人と活気が増せばそんな戦士用の物だけではない、迷宮探索とは無関係な一般人向けの商売も活発になる。
そうしてこの〈円天世界ニルヴァーナ〉には迷宮を中心に栄えた都市、“迷宮都市”が各地に存在するのである。
それは〈復讐の魔窟〉も同様である。
この迷宮が存在する地表には、規模だけで見るなら〈エリニア連邦国家〉の首都などにも引けを取らない大都市が築かれている。
〈迷宮都市フロール〉。昼夜問わず迷宮に潜る冒険者や腕自慢が集まるこの都市は『眠らない』。どれだけ夜が深まろうと多くの建物には明かりが灯され、何時だって人の行き来があり、酒場で朝を迎えるなどざらに起きる。
このフロールでも有数の酒場〈ダイギンジョー〉でももう日を跨いで幾何か立つというのに、夜など知らないとばかりに飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが起こっていた。
「ヒャッハーーッ!! 酒持ってこーい!! 追加だ、追加ーー!!」
「きゃ~~!流石ヴァリス様~~!」
「私フルーツも欲しいわぁ~」
「頼め頼め! じゃんじゃん頼めー!」
大きなテーブルとソファを占領して、がたいの良い男が浴びるように酒を飲んでいる。彼の周囲には肌の露出が多い扇情的な服装をした女達が男を囃し立てながらもてなす。
男は隣の女の肩に腕を回し、その手で女体を弄っている。肌を許すことを生業にする遊女である彼女は嫌がる素振りも見せず男に身を預けている。寧ろ自分のことを気に入って貰えるように豊満な胸を押し当て、手の平で男の太股を撫で回しさえしている。
「本当に逞しいわ~、ヴァリス様」
「私、もう貴方様にメロメロですぅ」
遊女達の誰もが男を『その気』にさせるように肌を触れ合わせ、甘えた声を出し、褒め称え、自身の色を存分に振りまく。男はそんな女達の態度に気を良くしてさらに酒が進み、撫で擦る手は大胆になる。時には服の中にさえ手を潜り込ませている。
「そうかそうか!! お前らもイイ女だぞぉ! 俺はさっきから昂ぶって仕方がねえ!! 今日は全員朝まで寝かさねえぞーー!!」
「きゃ~~~!!」
「もう、ヴァリス様ったら~~!」
逆立つ赤髪の短髪。野性的な荒々しさを感じさせる顔立ち。2m近い長身に、しなやかさを持つ骨太で逞しい四肢。
普人のその男は心底楽しそうに酒を浴び、女と遊ぶ。使われる金銭は一般人では容易に稼げない金額であり、それをこの一晩で使い切るように浪費出来るのは、単に男がそれだけ金を稼げるからである。
場所は迷宮〈復讐の魔窟〉で。潜った階層は18層。稼いだ金額は数百万にも上る。
常人では到底不可能な偉業。しかし男にはそれが出来る。
何故なら彼こそが聖光教会から認められた救済の使徒であり、常人とは桁違いの『能力』と『称号』を天から授かった存在だからである。
聖光教会所属の“勇者”ヴァリス・ヴァナラ・ハリヤ。それがこの乱痴気騒ぎの中心に居る男の正体である。
――――――
―――そんな乱痴気騒ぎを遠巻きにして、向こうとは一転して静かに、だがしっかりと酒を楽しんでいる一団も居る。
「……向こう凄えな……あの頼んでる酒だって安いもんじゃ無いだろ」
酒の入ったグラスを傾けながら、黒み掛かった灰色の頭毛と大量の髭で顔が埋まっている男がぽつりと呟く。その肉体は筋肉の発達で太く逞しい。
「流石、“勇者様”ってのはやり手らしいな。何でも単身で〈復讐の魔窟〉の18階層まで踏み込んだって話しじゃねえか」
その毛むくじゃらの男、鉱人のバラルダ・ファルセルの年期を窺わせる鋭さのある目が乱痴気を騒ぎを一瞥すると、自分と同じテーブルを囲んでいる仲間に向ける。彼の言葉に最初に返事をしたのは長身の美丈夫だった。
美丈夫はその顔に表情を浮かべることなく酒のつまみに頼んでいた炒り豆を口にしている。その男の若草色の長髪が店内の灯りに照らされ輝く。
「……私達は、そうだな……無理をして17層といった所か。それも私達4人揃っての話し」
堅物そうな雰囲気を持つ森人の美丈夫グリッド・ラクーシュマは冷静に自分達の実力を確認する。
グリッドの発言を聞いた小柄な男、身長130後半と小さいがれっきとした成人男性――この世界には15・16歳ぐらいで成人として扱われる種族もある――。彼はこんがり焼いた厚切り肉をフォークとナイフでがしがしと切り分けている。
「うっへぇ~……、やっぱ“勇者”ってやべえや。つまりギルド評価での緋金は確実、……あん……むぐ……そんで特級の碧鋼クラスの実力があるかもってことかよ。……うむ……むぐ……憧れちゃうねー」
切り分けた肉を頬張る小柄な男、小人のナシャル・イリストーは葡萄酒で喉を通す。
「貴方じゃ無理よナシャル。私達の中で碧鋼に届きそうな人なんてグリッド小父さんぐらいね。当然、私も無理だけどね」
ナシャルの羨望を一蹴したのは普人の女性ローロ・キールティー。身長がこのメンバー内で2番目に高い178㎝もある長身をしており、隣りに座っているナシャルと比べると身長差が凄い。その発言に相応しい気の強そうな彫りの深い顔立ちをしている。
「いやね、男ってのは強いのに憧れを抱いちゃう生き物なわけよ。届く届かないは別にして手を伸ばしたくなるってね」
「強くなるのは良いけど……ああはならないでね」
「……まあね、流石にアレはちょっとね……」
ナシャルとローロが見ているのはあの乱痴気騒ぎをしているテーブル。もうそろそろ店を変えたら? と進言したくなるほど行為がエスカレートしている。直ぐに目を離したがその一瞬で男が女の下半身にまで手を伸ばしていたのを見てしまい、2人はげんなりする。
そんな疲れた様子を見せる2人に、樹液蜜を溶かした酒が入ったグラスを手に持ったグリッドが口を開く。
「……あれも勇者の務めだと考えればそう気になる物でも無い。……少し羽目を外し過ぎている気はするがな」
「うへぇ……俺はそうは見られないや。だってどう見てもあれって務めじゃなくて『遊び』だし」
「甲斐性があるって考えれば良いかもしれないけど……あれはちょっと『軽い』」
勇者ヴァルナの遊行を見て根は真面目なナシャルとローロは渋い顔をする。そんな2人を見てバラルダはクックックッと笑う。
「若いねえ。……まあ俺も好きでは無いが。折角珍しい酒が飲めるってんでここに来たのになあ。殆ど勇者に飲み尽くされてやがる」
「でも、まあ、一番良い物以外はある程度残ってるし良いんじゃね? ほら、これなんて口当たりあっさりで飲みやすい」
「俺ぁもっと濃いのが飲みたいんだよ。これも不味くはないが俺からすれば水だな」
「いや鉱人の基準で言われても困るけど……バラルダの小父貴からすれば蒸留してない酒なんて全部酒じゃ無いっしょ? あ、グリッドさんはこれの感想はどんな感じ? 俺は好きなんだけど」
ナシャルの掴んだ暗褐色の酒瓶。その中には無色透明の酒が入っている。グリッドの手に持つグラスにもそれは注がれている。
「……悪くない。最初は果実酒や麦酒よりも風味が薄いと思ったが……深みがある」
グリッドを見ていたナシャルの目の前に器が差し出される。その器を持っているのはローロだった。
「私はそっちのニホン酒よりこっちの甘酒が好きだなー、お菓子みたいで」
器には白い粥が入っておりそれを匙で食べるように提供されている。
「ノッポには聞いてないんだけど? てか、それ酒じゃねえだろ。お粥じゃん」
「よし表出ろチビ。その低い身長をもっと低くしてやる」
「おうおう止めろ2人共。夫婦漫才か?」
「違えし!?」「そうよまだ早いわ!?」
「どうでも良いわ。酒の席は楽しんで飲むもんだ。おーい姉ちゃん酒のお代わり!」
バラルダは適当に若い2人を諫めると酒場の店員に追加を頼む。
彼ら―――複数の種族で構成された冒険者チーム〈ドレッドノート〉の宴席もまだまだ続きそうである。
――――――
カウンターで遅めの夜食を食べる2人組。どちらもフードを目深に被っておりその顔は窺い知れない。1人はお酒を飲みながらベーコンと芋を炒めた物を食べ、もう1人はただの水とボリューム満点のパスタと焼き肉を食べている。
そして2人の足元では茶色の子鹿がぐっすりと眠っており、酒場の喧噪など何処吹く風である。
「…………」
「あら? セーギさん、どうかしたの? このお店を見掛けてから難しい顔をしてるけど」
2人組の片割れ、ロベリアは透明の酒を口にしながらもう1人を気遣う。
そのもう1人であるセーギは眉根を寄せながら酒瓶を―――ラベルに書かれた『日本酒』という“漢字”とその文字に添えられたこの世界の振仮名を見る
「……ロベリアさん。この文字って何処の国の物か知ってます?」
「んー? ……ごめんなさい、記憶に無いわ。セーギさんは知ってるの?」
「……知ってます」
知ってるも何も故郷の言語である。それが何故こんな異世界で?
〈城塞都市クルルス〉から旅立って3日目の晩。辿り着いたこの都市でまさかの発見をしてしまったのである。
(……誰かが来てる? 俺よりも早い時期に?)
その可能性を考えるが、……セーギは一度これを否定する。
何故ならセーギが前世で死んだ時、【九獄天魔王】の面々は〈NSO〉にログインしていた。それはつまり一番早くこの〈円天世界ニルヴァーナ〉に渡ったのはセーギの筈なのである。
(……いや、もしかしたら向こうで消えた時期とこっちに現れた時期は……関係無いのかもしれない。俺が勝手に他の魔王は『俺の後に来る』と思っていただけ……)
(……しかし店舗だけじゃなくて商品も作ってるなんて……どれだけこっちに馴染んでるんだよ)
店名のダイギンジョーなんて確実に『大吟醸』のことである。セーギは未成年なのでゲームの中であっても飲酒は控えていたので味は知らないが、この店に置いてあるのが『日本酒』だというのは匂いでわかる。店の外観・内観は完全にこっちの世界の様式なので故郷の物が存在している現状に違和感がある。
「ロベリアさん。このお酒、俺の同郷の奴が作った物の可能性が高いです」
「……本当?」
「おそらく、ですけど。店の名前も、この文字も、そしてメニューの一部も、俺の故郷にあった物ですから」
「じゃあここに居るの? 『魔王』が?」
ロベリアは流石に魔王が店を開いて酒造りなどしているなんて想像の埒外だった。きょとんとした顔でセーギを見ている。
「……ここの主人に聞いてみます。―――すいません、ちょっと良いですか?」
セーギはカウンターの奥に居た渋みのある壮年の男性へ声を掛ける。相手は以外にも愛想の良い笑みを浮かべて2人の居る席へ歩いて来る。彼は見た目とは裏腹に接客業が好きなようだ。
「どうしましたかお客様?」
「いえ、ちょっと聞きたいことがあって。此方のお店のこと何ですけど―――」
そうしてセーギがこの酒場のマスターに色々と聞こうとした時である。
酒場の入り口がけたたましく開かれる。
入ってきたのは見るからに柄の悪そうな集団。誰もが剣や斧、それに鉄槌や槍など、物騒な物を手に持っている
酒場の中が静まりかえる。全員がこの闖入者達に視線を向ける。
一団の中から特に柄の悪そうな男が進み出る。そしてこの酒場に響く声で言い放つ。
「―――この中に俺らの『商品』を盗んだ奴が居る! 大人しく出て来やがれ!」
「そうだそうだ!!」「さっさと出て来やがれってんだ!!」「ブッ殺すぞコラァッ!?」
男達の怒声が店内に響く中、セーギは旅立つ前にナーダから言われた『絶対に次から次へと面倒事に巻き込まれる』という言葉を思い出していた。




