88.思い出さない方が良かった……
◆◆◆
正義の私室、草原と青空で構成されたその空間に客人が入ってくる。相手には既に使い捨ての部屋の鍵を送信していたので遠慮無く踏み込んでくる。……いや、踏み込むという言葉には語弊がある。
『正義~、ペオルがまた倫理制限に引っ掛かったってー! あっはははははは! 可笑しいのー!』
十代半ばの少女が『空中を漂いながら顕れる』とセーギに話し掛ける。彼女の下半身は2本の脚ではなく、青や緑に輝く鱗で覆われ透けるような鰭を持つ魚の形をしていた。
その姿はまさに空想上に存在する人魚。
正義はそんな浮遊する人魚に顔を向ける。そこには呆れがありありと浮かんでいる。
『……今月でもう3回目だよね? 馬鹿じゃないの? 今度は何をしたんだよ』
『えっとねぇ……、未成年女学生と『ちゃえっち』しようとしたんだって。それで禁固刑だってー』
『……もう一生檻に入ってたら良いと思うよ……あの人』
セーギは頭が痛くなってきた。あの色狂いは何をしているのかと……。
『相手方にも責任があるから話し合いで済んだらしいよ? あと、ペオルは保護者同伴だったら出られるらしいから迎えに来てだって~。……正義頼んだ!』
『いや、俺保護者じゃないから。ペオルの保護者は彼女の管理会社のことでしょ? カレンが行けば良いじゃん。カレンはペオルと一緒の管理会社だったよね』
カレンと呼ばれた人魚はケラケラ笑う。
『やだ~面倒臭~い。ペオルと会ったら変態が感染る~、きゃはははははは。私はこれからプレイヤーさん達を背中に乗せて大陸横断するから行きませーん』
『あ、コラ!? 逃げるな!?』
『夏だ! 海だ! 太陽だ! 一夏のあばんちゅーるが私を呼んでいる!』
『アバンチュールの意味知らないで使ってるだろ!!』
――――――
―――
〈Nirvana Story Online〉の電脳量子の世界から移動する。
データの海を流れながら目的の場所へ辿り着く。
周辺は閑静な住宅街が広がり、その中央には数十階建てのビルが存在していた。
中央のビルは〈NSO〉の運営会社である。そして周りにある住宅は社員が個人で所有するパーソナルスペースである。セーギはその街並みを空に浮かびながら見下ろす。飛行靴や推進翼も無しに空中に飛べるのはここが現実では無いからこそ可能な事象である。
セーギは住宅を飛び越えて行き、そしてビルに入る。
AI【SA】が搭載された受付の女性にペオルが収監されている場所を聞くとまた移動を再開する。受付の女性が苦笑いしていたのは気の所為では無い。
エレベータで階層を下がり、地下へと向かう。幾度かセキュリティウォールを潜り抜ければ目的の場所である最下層へ到着した。
扉が開き、ワンフロアを丸々一つの部屋にしたような広大な空間に入る。
そのフロアには大量の透明な箱が規則正しく置かれている。
その一つ一つが小さな部屋――シャワールームやトイレの一室――ぐらいの大きさだ。
『―――正義ちゃーん!? 迎えに来てくれたのー!?』
そのガラスのように透明な箱の一つ。その中で収監されているペオルが涙目になってその壁に膝立ちで縋り付く。この透明な箱は己をデータ化しても、外とは情報的に遮断されているので通り抜けることは不可能である。
正義はとりあえずペオルのことは無視して、自分よりも先に来ていた先客へ目を向ける。
『オーズ、来てたんだ』
『……どうも』
着物を着た十代半ばほどの少年が床に膝を着きながらひたすら何かをしている。
正義にオーズと呼ばれた少年の小さな手には毛筆が握られている。
筆先に付くのは硯の中にある墨。
そして筆は半紙の上で黒い線を画いていく。
『……沢山書いたね……』
『毛筆の練習』
オーズは文字を綴った半紙をペオルが囚われている箱に貼り付けていく。
張られている半紙はそれ一枚だけではない。ペタペタと箱の面には文字が書かれた半紙が大量に貼られている。
オーズが新たに半紙を取り出して文字を書き綴り始めたのを横目に、セーギは張られている半紙に目を通していく。
「変態」「犯罪者」「節操無し」「魔羅」「雑食」「たち」「猫」「危険物」……あるわあるわ、大量の半紙とそれに書かれた言葉の数々。
ペオルには現在強い“倫理制限”が掛けられているので、オーズはそんなペオルでも閲覧することが出来る単語で文字を綴っていた。あまり卑猥な言葉を書くと倫理制限を掛けられているペオルには何が書いてあるのか理解出来無いので、オーズはこうして隠語で文字を綴り罵倒している。
『ペオルは僕達の恥部』
『オーズちゃん酷ーい!?』
また新たに紙が貼られる。そこには“歩く公然猥褻”と書かれていた。
セーギは心底疲れたように溜息をこぼすと、泣き喚いているペオルを見下ろす。
『……しかし何でペオルは懲りないの? 〈NSO〉は子供でも遊べるように年齢制限掛けてあるんだよ? そんなにエッチなことがしたかったらきちん認可されてる他の『世界』か『お店』に行きなよ』
ペオルは涙を拭い去ると真面目な顔になる。
『……セーギちゃん』
『……何?』
セーギには確信が在る。目の前の女は絶対に碌なことを言わないと。
『倫理的に駄目なところでするから――――興奮するんじゃない』
『お前もうここにずっと入ってろよ』
脳みそピンクの相手に正論を説いたところで意味は無かった。得意気な顔で行ったペオルにセーギは背を向ける。
『ええぇーーっ!? 出してよー!? ここに居てたら動画サイト巡りも漫画購読も出来ないじゃなーい!? 何も無いのよここー!?』
『……ねぇ正義。……ペオルが言ってるだけで普通の言葉が如何がわしく聞こえる』
『業が深い奴だ、本当に』
ぎゃいぎゃい喚く珍獣は無視して正義はオーズに向き直る。
『じゃあオーズ。あれはそのままにして俺はもう帰るよ』
『うん。これはあと数日は入れて置いた方が良い』
『止めてー!? 鬼ー!? 悪魔ー!? このDTー!?』
『……うるさい』
『きゃひっ!?』
オーズは手に持った硯をペオルが入った箱に叩き付ける。墨が飛び散り箱をの一面を黒く染める。
『正義、御飯行こう、御飯』
『あ、良いね。何処に行こうか?』
『カレンも誘う』
『ん? ……そうだな。じゃあカレンも誘ってから行こうか』
フロアの出入り口へ向かって2人は歩いて行く。
『え、あれ、……も、もしもーし……嘘、嘘でしょ? 放置? 私このまま放置されるの? ……やだーっ!? 出してよー!? ここは退屈よー!? 寂しいよー!? ……せめて、せめて私に掛けられてる倫理制限だけは解除していってよぉー!! これじゃあ……っ……っ……!? ―――駄目ぇええええ!? エッチな言葉はおろかエッチなことも出来ないぃー!? 時間と体を持て余すぅー!?』
―――後ろで喚いている猥褻物を無視してセーギとオーズはここから立ち去った。
ペオルが解放されたのはこれから一週間後だった。
そして何故か正義がペオルの愚痴に付き合うことになった。……解せぬ……。
◆◆◆
――――――
「――――――」
「……あら? どうしたのかしらセーギさん。難しい顔をして」
「いや……ちょっと、昔の友人のことを思い出して……」
ディアンサスに「変態がうつる」と言われて昔の出来事を思い出したのだ。
だがよりによって思い出したのは……特級にどうでもいい記憶だった。正直忘れたままだった方が良かった記憶である。
森の中の道。陽は沈みそうになり、辺りは夕暮れに包まれている。
「昔の友人……それって“魔王”の?」
翡翠色の瞳をセーギに向けたロベリアは握り拳を打ち出し、体長3m近くはある土大猿の腹部を殴る。その際に片足をタップダンスでもするように地面に打ち付け、足先から勁力を体に取り込み打点から放出させる。
爆発。土大猿が受けた衝撃は腹部から後ろに走り抜け、背中が弾け飛んで中身を撒き散らす。一歩も動くこと無く土大猿は背中に大穴を開けて息絶え、うつ伏せに倒れる。その時にはもうロベリアは次の標的に向けて足を向けている。
「そう、だね。……こんなやるせない気持ちになるんだったら思い出さない方が良かったよ……」
セーギは乾いた笑いを上げながら剣で刺突を放つ。接触直前に捻りを加えられた剣先は土大猿の毛むくじゃらの肉体に触れると頑強な皮膚や毛皮など意に介さず穿つ。
土大猿の胸部に刺し傷を越えた風穴を穿たれる。猿と呼ぶには凶悪な形相が硬直し、そのまま生命活動を停止して仰向けに倒れ伏す。螺旋突きの影響で傷口は摩擦熱で焦げ付き出血は無かった。
「ギャァアッ!! ギャアアッ!!」
周囲にはまだ十数体の土大猿が居り、セーギとロベリアを取り囲んでいる。その真ん中には2人に守られるようにマリーが居る。
血と泥でくすんだ土色の体毛を持つ土大猿が群れの仲間を殺されて殺気立つ。体長の4分の3はある長さの太い腕を振り回しながら目の前の『獲物』に威嚇する。その姿は穏やかさと愛嬌を失ったゴリラの化け物といった様相である。
「グゥウルルルブゥアアアアアッ!!」
その土大猿の中でも一際体格が良く体毛も太く長い、群れのリーダーである個体が牙を剥いて吠え立てる。
その吠え声が耳に障る。
「ちょっと行儀がなっていないわね……醜いお猿さん」
ロベリアは足元に倒れ伏す土大猿の死体、その脚を掴む。
「ほぉーら―――平伏しなさい」
手に持った死体を振り回す。
重量にして500㎏を軽く超えるそれが唸りを上げて周囲に居る土大猿に衝突していく。
撃ち出された砲弾が着弾したような音を立てながら土大猿達がロベリアが振り回す死体で殴り飛ばされる。
女性の中でも背丈のある部類に入るロベリアだが、それでも土大猿と比べれば大人と子供同然のサイズ差がある。そんな彼女が己の体よりも遙かに大きい物体を軽々と振り回す姿は言いようのない恐怖を相手に与える。しかも振り回すそれに当たれば皮膚と肉は叩き潰され骨はへし折れ砕ける。
「―――ッ!? ガァアアオオッ!!?」
土大猿達が恐怖を越えて『死』を自覚するのにそう時間は掛からなかった。
こんな化け物と戦えば確実に殺される。だから彼らは逃走を選ぶ。生きる為に。
群れのリーダーがいち早く恐ろしい人間に背を向けて森の中へと駆け込もうとする。
最初に見掛けた時は良い獲物だと、腹を満たせる肉だと判断したのに、殆ど一瞬で立場は逆転した。
捕食者、狩人は自分達ではない。狩人は―――
「―――見逃して他の人が襲われるのは困る」
リーダーの視界が急に空を向く。それだけではなく回転する。視界が回りながら、森、道、人間、人間、小動物、群れの死体……を映す。
「 ? 」
その視界に映った物の中に、……首の無い土大猿があった。他の個体より逞しい体。それはその首元から夥しい血を噴き出すと、ゆっくりと倒れる。
そして落ちる。頭が草地に落ちて転がる。
土大猿のリーダーは首を斬り飛ばされて絶命した。
「ロベリア。逃げだそうとしたモンスターも全部仕留めた」
「こっちも生きているのは0よ」
一滴さえも返り血を浴びることは無かったセーギとロベリアは土大猿の死体が転がる地面を歩く。死体を無駄に踏み付ける趣味は無いので飛び越えながらの移動である。
『わぁー、やっぱり2人共強いねー!』
マリーはくりくりした黒目を輝かせながらセーギとロベリアを見る。
2人は気もそぞろな状態でモンスターの群れを全滅したのだ。それは圧倒的を通り越し、相手にすらなっていない。人より強靱で重い肉体をしたモンスターといえど、超越者であるセーギとロベリアの敵では無かった。
「道を進んでるけど……ここって何時もこんなに物騒なの?」
剣を鞘に収め、外套を身に纏ったセーギは周囲に転がる死体を見ながらロベリアに問い掛ける。
「そんなに物騒ならこんな場所に道は作らないわ。……だからこれは偶然か、何かの影響でモンスターの生息域が変化したことによる結果ね」
マリーの傍に脱ぎ捨てていたローブを着ながらロベリアは答えを返す。ローブを着ると彼女はマリーを抱き上げる。
「生息域の変化……それってクルルス周辺でも起きてたよな。もうここは〈メガイラ〉の国境近いのに……」
「〈冒険者ギルド〉が最近多くなっている近隣の狩り場の異常の調査を冒険者に依頼。それにセーギさんが放った“矢”の影響を調べる為に国が編成した調査隊による探索。その両方の情報で西方面と東方面に原因となる『何か』があると予想されているらしいわ」
「何かって……生態系に影響が出るほどの?」
「まあ良くあることよ。竜でも1体飛んできて何処かの山に降り立てばそれだけで他の生き物は今までの生活を変えることを余儀なくされるわ。自然災害や土地に何かあったわけじゃ無ければ今回もその類いでしょう」
異常が予想されている場所は2ヶ所。
〈メガイラ〉と〈ティーシポネー〉の間に存在する地下迷宮〈復讐の魔窟〉。
〈アヨーディ王国〉東部の国境を越え、そこに広がる〈赤土荒野〉も越えて進んだ先にある海。大陸西部と東部を隔てるように存在する〈ゼントラー海〉。
その〈復讐の魔窟〉と〈ゼントラー海〉の2ヶ所が異常の原因と見なされている。
「―――でも、それは私達の『目的』と関係が無いわ」
ロベリアは肩を竦めてそう言うと、紫煙を吐き出して歩き出す。
「……でも、ちょっと気になるな。これが原因で被害を受けている人も居るだろうし」
セーギは紫煙が降り掛かる土大猿の死体を避けて進む。
「あんまり気にしないでも大丈夫よセーギさん。寧ろ冒険者なら食い扶持が稼げて喜んでいるんじゃないかしら? 少し前もクルルスの近くで普段なら出ることが無い大鬼が現れて馬車を襲っていたらしいけど……護衛に居てた冒険者がちゃっかり素材を取って儲けにしていたらしいわよ?」
「へー、大鬼って都市の近くじゃ出ないのか……んん?」
「あら、どうしたの?」
「……いや、何か忘れてる気がして……」
セーギは何度か頭を回して考え込むが……結局思い出せなかったので気にしないことにした。彼らの背後ではロベリアの浄化の毒によって土大猿の死体、その分解が促進されている。体の表面の毛皮から溶けるように地面に流れていく。生きていたらここまで効果を発揮しないが、絶命している対象なら魔力や氣力で抵抗されることも無いので容易に溶かせる。
「ま、良いか。……ロベリア、国境にある関所はもうすぐ着けるのかな?」
「私達が走れば1刻も掛からないわ」
『また走る? びゅーんって?』
「ええ、走るわよマリーちゃん。次は私が抱いててあげる」
『楽しみ』
セーギ達は〈城塞都市クルルス〉を出立してから一度も騎竜や馬などの移動手段を使っていない。ずっと彼らは自分の脚で移動してきた。
馬でも数日は掛かるであろう距離を2人はマリー交互に抱きながら1日も掛けずに走破したのである。高速で走るセーギやロベリアの腕の中はまるでアトラクションにでも乗っていたような気分をマリーに味合わせていた。2人はマリーに負担を掛けない速度で走っていたのでマリーはそれを楽しむ余裕が十分にあった。
「関所を越えれば直ぐに宿場町があるからそこで一夜を明かしましょうか」
ロベリアの言葉にセーギは少しだけ目を細める。
苦みを堪えるようなセーギの様子に気付いたロベリアは彼の顔を覗き込む。
「メガイラ……いえ、〈エリニア連邦国家〉に行くのは気が進まないかしら?」
「…………」
『セーギ? 大丈夫?』
セーギは苦笑する。
「まあ気が進まないのは本当だけど……大丈夫だよ。じゃあ行こうか」
戻るという選択肢は端から無い。全てを承知でここまで来たのだ。
セーギの言葉にロベリアは黙って頷くと駆け出す。セーギも走り出して彼女達と併走する。
「エリニア……“誓約”を掛けた人を売買する国か―――」
―――セーギ達は走る。今まで居た〈アヨーディ王国〉とは色を異にする国へ。




