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87.道行きを照らす旅立ちの火

 

 ◆◆◆


「じゃあセーギ君に向こうのことは任せる。……忘れ物は無い? やり残したことは? 通行証は持ってる?」

「大丈夫、問題無いよ」

「……ん、わかった。本当に気を付けてね」


 日が昇るにはまだ時間のある未明。〈城塞都市クルルス〉の西門前には幾人かの人影がある。

 これから旅立つ男に声を掛けたのはローブを着た聖女シータ。周囲には知り合い以外の人は居ないのでフードは外している。その月明かりに美しい容姿と艶やかな黒い髪が輝きを纏う。

 そして声を掛けられた男であるセーギは笑顔で返事をしていた。青い装束のままだと出先でも目立つ可能性を考えてセーギは衣服から装備まで店売りの品で揃えている。荷袋は暴力団(ギャング)襲撃の時にちょろまかした“魔法の道具袋”を愛用しており、それでまかなっている。これのお陰で手荷物をかなり減らすことが出来ている。

 セーギの家でシータとルミーが話し合いをして3日経った。


「セーギ様本当にありがとうございます。私達の頼みを聞いて頂いて」

「良いよ本当に。これは俺にとっても悪い話しじゃなかったから」

「……向こうの国は少しばかり此方とは違うので、そこだけは頭の片隅にでも」


 頭を下げる聖女ルミー。彼女もシータと同様の服装をしており、やはりフードは外し、その類い希なる容姿と金の髪を晒している。

 セーギは畏まるルミーへ頭を上げるように頼むと、彼女はそれに従い面を上げる。それを確認するとセーギは別の相手へ顔を向ける。


「じゃあナーダ、こっちの用事が終わればそっちにも行くつもりだから」

「……修行付けてもらってまだそんなに時間経ってないんだけどなー……」


 鬼人の少年ナーダは頭を掻きながら不満を垂れる。彼の髪型は匿名希望の女性の手によりセーギの前世で言う姫カットのボブヘアーにされている。……妙に似合っているのが悲哀を感じさせる。


「本当に悪いと思ってるよ。……ただ基本的なことは叩き込んだからさ、それを軸に自分で鍛錬しておいてくれ。次に会う時はどれだけ練度が上がったか確かめるから」

「……わかったよ。忘れんなよ兄ちゃん? ……兄ちゃんってば絶対に次から次へと面倒事に巻き込まれるだろうから頭から抜けそうなんだよな」

「……いや、別に俺が面倒事を引き込んでいるわけじゃ無いけど……」

「……兄ちゃん、この星一つの期間にどんだけ事件が起こったと思ってんだよ。断言出来る。兄ちゃんは絶対に行く先々で何かに巻き込まれる」

「…………」


 ナーダの言葉を否定しきれなかったセーギは口を噤んで明後日の方向へ顔を向ける。内心では、ナーダも割と面倒事に巻き込まれる側の人間だよね? と思ったが、彼のこれまで人生を考えると冗談にならないので口には出さない。それにこの先のことでもナーダは色々と苦労するのでセーギは余計に気を使った。


「マリーはもう大丈夫か」

『うん!』


 セーギがそう言うと彼の足元に聖獣の幼体、マリーが駆け寄る。


『遠くに出掛けるの、楽しみ』

「そうか、俺も楽しみだよマリー」


 ゆっくりとであるが成長してきたマリーの体は最初の頃よりも大きくなっている。毛皮は相変わらず豊かな毛量をしていて手触りが良い。皆に愛され伸び伸びと日々を送ってきたお陰か艶も良い。そんなマリーの首には赤石のブローチを付けた銀のリボンが巻かれている。ブローチは式典が終わった後記念にと頂いたのである。


 セーギとマリーはこうして目立った者に挨拶を済ませた。この場に来ていない者は他に用事が有って来られなかったのである。そういう相手には前日に挨拶を済ませている。

 これでもう何時でも旅立てる。


「……じゃあ俺達はそろそろ行くよ。……出来るだけ早く終わらせて帰ってきて『帝国』の方で合流するから。その間皆も体には気を付けて」


 だからセーギは〈エリニア連邦国家〉へ向かう為に、その足を西へ向ける。


「あ、待って! セーギ君!」


 そんな直前になって呼び止めたのはシータだった。


「? どうしたのシータ?」


 セーギは向き直るとシータに尋ねる。もしかして次に出会った時の模擬戦の段取りでもしておきたいのかとセーギは考えた。

 しかしそれは違った。

 シータはセーギの傍まで歩み寄る。


「えっとね……その……、実は旅立つ人の……安全を祈願するおまじないが有るんだけど……」


 少し俯きながらそう言ったシータの顔は薄らと赤くなっている。


「おまじない? もしかして俺に掛けてくれるの?」

「……うん……受けてくれる?」

「本当? 嬉しいなあ。俺はどうしたら良いのかな?」


 聖女からのおまじない。かなり御利益が在りそうである。それに友人から贈られるそれにセーギは嬉々とした様子を見せる。


「ちょっとだけ……屈んでくれる? 私よりもちょっとだけ低くなるぐらいで良いから……」

「こうかな?」

「うん。それでね……目を瞑って?」

「わかった」


 セーギは軽く曲げた膝に手を置いて腰も少し前へ倒す。そうすればセーギの頭はシータの頭よりも少し低い位置に来る。その状態で言われるまま目も瞑る。

 どんなおまじないをして貰えるのかセーギはわくわくしながら待つ。

 そんな彼にシータは行動を起こす。彼女の手が優しくセーギの頭の横にそえられる。……その時になってシータの後ろからルミーの「あ」と言った声が聞こえた。


「―――ん」


 前髪を掻き分けたセーギの額に、柔らかく、温かい、何かが当てられる。

 羽毛で撫でるように押し当てられたそれは僅かにだがしっとりとした潤いを感じられる。


「え」


 セーギはそれが何なのか理解した。だから彼は驚いて目を開けて正面を見る。

 その時にはもうシータはセーギから離れていた。


「……これで……終わり……だよ」


 顔を真っ赤にしたシータ。そんな彼女を額に手を当てたセーギが呆然と見る。


「え、あれ? これ……」


 セーギは混乱の真っ只中に居る。だからこの混乱を鎮めて冷静になろうとした。

 ―――しかしそれは出来なかった。


「―――セーギ様っ。……もう一度、先のように屈んでは頂けませんか? 勿論目も閉じてください」

「へ? ……う、うん?」


 セーギが状況を整理している間に傍に来たルミーが良い笑顔で彼にそう頼んできた。突然の事態にセーギは生返事になりながらもルミーの言う通りにする。……今度はシータが先のルミーのように「あ」と声を出す。


「私からも、おまじないです。……ん」


 手がそえられ、再びセーギの額に触れる柔らかで温かい物。

 それはシータがした時とよく似た感覚であったが、しかしセーギには2人の違いがはっきりと感じ取ることが出来ていた。


 2回。2人によって2回、額に温もりを味わった。

 セーギはシータとルミーから額に“口付け”を貰った。


「――――――」


 心に強い衝撃を受けて呆然としたままセーギは2人のことを見る。まだ空は暗いのに、彼女達の髪飾りが異様に輝いて見える。


「そ、その……っ、……本当に気を付けてね……っ!」

「無事に再会できる日を……心待ちにしています」


 シータもルミーも顔を真っ赤にしてはにかんでいた。それでも彼女達は笑顔を浮かべるとセーギへ言葉を掛ける。

 起きた出来事を理解して、状況に思考が追いついたセーギは……シータとルミーよりも顔を真っ赤にする。


「―――っ!!? ……っぁ……そのっ、……き、気を付けるよ、うん……っ! えっと、本当におまじない、ありがとう!」


 おまじない。その言葉を心に言い聞かせてセーギは冷静になろうと努める。こんなのは親が子供にするような物だと納得しようとする。

 しかしこれが中々に上手くいかず舌が回らない。

 心臓が自分の物ではないみたいに激しく鼓動を打つ。

 頭の奥が茹だりそうになる。……本心を言うなら遠吠えでもしたいぐらいにセーギは興奮している。


「い、行ってきますっ!」


 それでもセーギは何とか体を動かすと西の方へ足を向けて踏み出す。ぎこちない足取りであるが、それでもセーギは出発した。

 微妙に足取りが覚束ないセーギの足元をマリーがとっとこと付いていく。

 そんな2名の門出をこの場に残った面々が見送る。


 一人の青年と一匹の聖獣が黒から青み掛かってきた平原を歩き、この都市から立ち去って行った。


 ――――――


「「…………」」


 シータとルミーは互いに赤みが引かない顔で目を合わせる。


「ル、ルミー? さっきのはどういうことかな?」

「……どういう意味でしょう?」


 ルミーが目を逸らしてそんなことを言う物だからシータは余計に熱くなっていく。


「っ!? どういう意味って……っ! ルミーが『おまじない』に便乗したことよ!?」


 おまじない……より正確に言うのならセーギの額にした“口付け”のことである。


「……だってシータちゃんが抜け駆けしようとしたからじゃないですか」

「ぬけっ!? ……ちょ、ちょっと言い方が意地悪じゃない?」

「……有りもしない『おまじない』を(でっ)ち上げて……セーギ様にキスしたじゃないですか」

「う」


 ちょっと大胆なことをしたくてシータは嘘を吐いたのである。


「……聖光教会の戒律に『妄言虚偽を吐き人を惑わすな』が在るのをお忘れですか?」

「う……っ」

「それに普段は碌に目も合わせられないのに、まさかこんな大胆なことをするなんて。……シータちゃんは見掛けによらずいやらしいです」

「ううぅ……っ!?」


 ここぞとばかりにルミーは責める。

 基本的に対人関係が雑魚なシータ。ルミーにも隙が多いにも関わらずこれを切り返せない。それに自分が最初に切り出したことも頭から抜けている。

 シータが一方的に押されている。折角恥ずかしいのを我慢してセーギにアプローチを仕掛けたのに、このままではルミーが精神的に優位に立ってしまう。

 ルミーの攻勢が続けばシータは「嘘つきでいやらしい聖女」の呼び名を手にしてしまう。


「……それ、ルミー姉ちゃんも人に言えねえじゃん……」

「っ!?」

「ルミー姉ちゃん、結局シータ姉ちゃんと同じことしてるし……」


 そんな窮地に立たされていたシータを救ったのは、……このやり取りを渋い顔で見ていたナーダ少年12歳だった。正直ナーダはもう帰りたい気持ちでいっぱいだ。自分はいったい何を見ているんだろう? とか考えている。

 だが口を挟んだ。

 会話の内容がどうあれ、優劣がどうあれ、ナーダはとりあえずこの場を公平にした。以前悪魔に殺されそうになっていた時に直接救ってくれたセーギ、そしてシータ。だからシータの味方をしたという理由もある。……まぁ会話の内容がナーダにとってかなりくだらない物だったので全面的に味方はしない。馬鹿らしいので。


「そうよ!? ルミーだってしてたじゃない! 私ばっかり言われる謂われは無いわ!」

「……じ、じゃあこれで五分五分です、ね」

「私が言いたいのはそういうことじゃ無くて……っ! ルミー貴女っ! 私がした場所と『同じところ』にしてたわよね!?」

「……な、ななななんのことでしょう?」

「恍ける気!? あれでしょ! 上書きする気だったんでしょ!? 後から同じところにして自分の印象を強めようとしたんでしょ」

「そ、それはわかりませんよ? 真実はもしかしたら私がシータちゃんと間接的に、アレをしたかっただけかもしれませんよ? それでやっちゃっただけかもしれないこともないかもしれませんですよ?」

「ルミー!? 混乱して意味不明なことを言ってるわよ!?」


「……帰るわ、俺」


 ナーダはこの空間に居てるのがしんどくなったので帰ることにした。何だか無性にセーギのことが恋しくなった。もう帰ってきて欲しい。―――ナーダは途中から『笑顔で言い争っている』シータとルミーを置いて都市へ帰っていった。


 ナーダが都市の中へ戻った後も、2人はきゃいきゃいと言い争っていた。空がもっと白んでくるまで―――


 ◆◆◆


 平原を道なりに進み、横に見えていた丘が後ろに流れた頃、セーギとマリーは道の先に居る人影を視界に入れる。人影は2人。どちらもローブを着てフードを目深に被っている。向こうも自分達が相手の視界に入ったのがわかったのか、2人共フードを外してその顔を明るくなり始めた空の下に晒す。


「―――はぁい、セーギさん。聖女様達とお別れは済んだかしら?」


 1人はロベリアだった。獅子の尾のように白布で纏めた栗色の髪が項の辺りで揺れる。その顔には何時もと同じ人を食ったような微笑みが浮かんでいる。


「ちょっと遅かったんじゃない? ……まあ私には関係の無いことだけど」


 2人目はディアンサスだった。道の脇にあった大きな岩に腰掛けながらセーギ達を見ている。薄暗い中でもその暁色の髪は輝いて見える。


「ロベリアさん……それにディアンサス」

『おはよう2人とも』


 セーギとマリーは彼女達の傍まで歩み寄る。それに合わせてロベリアもセーギ達の方へ歩み寄ってくる。ディアンサスは動かずにそのまま座っている。

 互いに手を出せば触れ合える距離になると立ち止まる。


「ごめんロベリアさん、もしかして待ちましたか?」

「全然。ディアンサスが言ったことは気にしないで。あの子はせっかちなのよ」

「……ちょっと勝手なこと言わないでくれる? ……っと」


 ディアンサスは眉を顰めながら跳び跳ねるようにして岩から下りて立ち上がる。簡単に尻に付いた砂を手で払い飛ばすと彼女はロベリアに目を向ける。


「……お迎えも来たことだし、私はもう帰るわよロベリア」

「態々ここまで見送りに来て貰ってありがとう、ディアンサス」


 そう言うとディアンサスはセーギが来た方向、〈城塞都市クルルス〉へ続く道へ足を向ける。そしてロベリアの隣まで来ると立ち止まる。


「本当に、私の力は要らないのね?」

「……ええ。……ディアンサスは“封印の儀”が終わるまでここに残ってもらった方が助かるの。〈アレークトー〉に着いたら連絡を飛ばすわ」

「そう」


 ディアンサスは肩を竦めると今度はセーギの傍に来る。そして指を立てるとそれでセーギを招くような動作をする。


「セーギ」

「 ? どうしたのディアンサス……わっ」


 ディアンサスは近付いて来たセーギの額を指先で突き飛ばす。その際に指先に炎を纏っていたので結構本気の突きだった。


「ぅえっ? な、何?」


 炎熱の影響で額から煙を上げるセーギは、急な出来事に目を白黒させている。

 ディアンサスはその突き出した指先でそのままセーギを指差す。


「それ、……おまじない」

「お、おまじない?」


 セーギは額を手で押さえながらジト目をしているディアンサスを見る。彼女はふいっと顔を背けるとぶっきらぼうに口を開く。


「『例え貴方が道を見失っても、額にある“心の目”が貴方の世界を照らす。だから貴方は迷わない』……“真贋”を司る“火”の精霊魔法使いからの有り難いおまじないよ……感謝すると良いわ」


 ディアンサスは自分でも柄じゃないことをした自覚があるのか若干頬を赤く染めてそう言った。

 セーギは煙が出ていたが全く熱くなかった『おまじない』を指でなぞりながら、ディアンサスの厚意に嬉しくなった。


「ああ。ありがとうディアンサス。凄く嬉しいよ」

「……ふんっ。……って、ちょっとロベリア、あんた何笑ってんのよ? ん?」

「べっつに~~」


 何時の間にか煙管(キセル)を取り出してふかしていたロベリアはニヤニヤと2人のやり取りを見ていた。


「私にはおまじないしてくれないのかな~って思っただけよぉ。2人ばっかり仲良くして焼けちゃうわぁ」


 ロベリア。2人の様子が面白かったのでこれをネタに弄る気である。

 しかし思惑は外れる。


「はあぁ? 何言ってんのよ……。そんなことしなくても私は何時だってあんたの道行きの幸運を祈ってるわよ」

「――――――」


 その真っ直ぐな好意にさしものロベリアも言葉を失う。


「セーギに態々おまじないをしたのは気付いたらこいつのことど忘れしてるかもしれないからよ」

「あの……ディアンサスさん? 俺の扱いが酷いと思います」

「馬鹿で変態なあんたには丁度良い扱いよ」

「それまだ引っ張る気か!?」

「ちょっと近付かないで……変態が感染(うつ)ったらどうするの」

「変態って感染(うつ)るの!?」

「何想像してんのよこの変態!? スケベ!?」

「理不尽っ!?」


 口喧嘩と呼ぶにはあまりに馴れ合いが過ぎるそれを見ながらロベリアはほうっと息を吐く。


「…………」


 セーギとディアンサス。ロベリアがどんな立場だろうと、どんな物を胸に秘めていても、純粋に好意を向けてくる風変わりな人間。上辺だけの人間関係しか作ってこなかった。そんな彼女が何時の間にか自分の内側に置いてしまっていた2人。

 だが本当の意味で彼女は心を開いていない。

 2人のことは大事ではあっても、大切ではない。―――今はまだ。


(……何時か……何時の日か……)


 ロベリアは胸の奥に澱んで溜まる濁った物を感じながら、目の前で輝く2つの太陽を見る。


(……全てが終わったら)


 ――――――


 道の先へ歩き去って行くセーギ、ロベリア、マリーの姿をディアンサスは見送る。


「……行ったか」


 ディアンサスはフードを被ると都市へ戻る道を歩く。


 友人を想う。

 毒を吐き、毒を集め、毒に身を浸し続けた友人を。

 その毒は心の深い場所まで染みついて容易には拭えない。その毒は他者を踏み躙り、悪性を増し、多様に変化を起こし、……そして遂には持ち主さえ冒す。


 毒は本質を歪ませる。……心の悲鳴さえ、自分自身では気付かなくなる。


「ロベリアのこと、頼んだわよ……セーギ」


 ディアンサスは想う。自分以上に素直になれない友人のことを。

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