78.未来を見ていた者
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王族や貴族そして領主は己が管理する国土や土地、延いては多くの人々を預かる立場である。社会・生活基盤の形成維持。統治。経済。防衛。交渉。国家間のパワーバランスの調整。これらは一介の平民では行うことは不可能であり、高い教養や広い視野を持つ者でないと行えない。だからこそ彼らは物心が付く前から平民とは違い高度な教育を施される。そうして得た能力は自国や領地を発展させる為に振るわれることになる。
貴き身分の者は強い権力を―――特権を持っている。それも全ては民衆を守る為、彼らがそのままでも日々を生きていけるように先導する役目を代々引き継いできたからである。
貴き者は義務を背負う。特権階級に居座るのにはそれだけの理由がある。彼らは特別なのだ。
セレネもその特別な者の1人であり正当な王家の血を引く姫である。
そして彼女はラーヴァナという存在に心奪われている。しかしそれは恋愛感情などではない。そもそも生き物としての形が違いすぎてそういう対象に見ていない。彼女は既に別の者へ恋をしている。
彼女のラーヴァナを思う気持ち、それは『崇拝』である。
あの日見たラーヴァナが悪魔の軍勢を一掃する光景はセレネの心に深く刻み込まれている。
◆◆◆
セレネは普通では無かった。
国王の娘という高貴な血筋であるとか、その容姿の美しさから蝶よ花よと育てられたことであるとか、物覚えが良い聡明な娘であるとか、それらは一切関係無い。
セレネは齢5つの時点で『飽きていた』。生きるということと、そして未来に希望を持つということに。
(全てに終わりが来る。日を追うごとに強く、狡猾になる悪魔。それは悪神の封印が綻び始めている何よりの証明。今でこそ一部の『超越者』が私のような凡人達を守っているが、それも全ての凡人を救えるほどの物ではない。超越者であろうと精々が【醜穢なる邪霊】と相打ちが関の山。彼らだけでは世界は救えない。彼らの手で支えられるほどこの世界は小さくない。……この世はもう終わりが見えている。そんな世でいったい何に縋って生きれば良いと? ……何も無い。既にこの世に神はいないのだから。……ああ、つまらない。終わりが見えている人生のなんとつまらないこと……)
セレネの内で膨れ上がった『飽き』。彼女はそれを周囲に悟られないように外面を作って振る舞えるだけの才が備わっていた。だから彼女は周囲からは麗しく慈悲深い聡明な娘だと思われてきた。
しかし『仮面』にも限界がくる。そしてそのピークは『廃都を支配する邪竜討伐』の時に来てしまった。
発端はとある貴族が上申したことであった。
廃都を支配する邪竜を滅ぼそうと。――あの廃都を邪竜の手に堕としたままにするのか。あれを野放しにし続けるのは国家の損失ではないのか。あの邪竜を討ち取ってこそ廃都で失われた命への餞になるのではないか。――言い分はそんなところであった。耳を傾ければ何と義勇に満ちた言葉であるか。
しかし誰もがわかっていた。そんな言葉はただの建前であると。
廃都は重要な地だった。“要地”でこそなかったが、それでもあの都市が存在したことで過去の国は大きな恵みを得ていた。あそこは北に聳える鉱石尽きること無き神山〈コロニス大山脈〉がある。あそこで採掘できる資源は潤沢でありそこから生み出される利益は計り知れない。それを邪竜の所為で手放す事になってしまった。およそ300年。それだけの年月の利益を失ったのだ。
ある貴族はそれを常々惜しいと考えていた。どうにかして取り戻せないかと。
邪竜を討伐すること。廃都のある地を取り戻すこと。それは悪い考えではなかった。それを成せばこの国に大きな利益をもたしてくれる。
しかしセレネは反対だった。それに意味を見いだせなかった。
邪竜は脅威ではあるが、それでも今すぐ討伐するべき存在かと問われると違った。あれは放って置いても廃都から出ることはなかった。
――廃都がまだ生きた都であった頃である。邪竜に襲来により術無く蹂躙されそうだった都市。当時そこを治めていた領主は天へ祈った。どうか人を邪竜の脅威から救い給え。そう祈ったのだ。そしてその願いは聞き届けられた。『これまで存在しなかった“森”を誕生させ、その“森の結界”によって都市を包み、その内側で生きる物全てを封印する』という手段を用いて――
結果、都市は滅亡。そこに住む人々は全滅。……しかしその代わりに邪竜は生ある限り魔の森を越えることは出来なくなった。
願いを聞き届けた者は叶えたのだ。都市の住人を犠牲に。邪竜を封印するという手段で。
邪竜を無力化することに成功はしたが、あまりにも多くの血を吸った森は〈魔の森〉と呼ばれるようになった。
あの廃都はそんな忌まわしい場所である。態々森の内側に封印されている邪竜を突くのは愚か者のすること。山脈の資源は魅力的ではあるが、廃都を経由せずとも行こうと思えば山脈には行ける。
だから邪竜討伐は反対だった。
邪竜は“竜種”である。その強さは脆弱な人間などとは隔絶している。
魂の位階が100の竜が居た場合、これを倒すには位階が100ある人間が百人は必要になる。そして位階200の竜なら位階100の人間が千人。300なら1万。
なら500を越える竜は? こんな物、割に合わない。そもそも位階100ですら人間にとっては強者の部類に入るのだ。そんな途方も無い人数など用意できる筈がない。そんな中でその貴族が考えたのは『とある戦力』を投入することであった。
聖光教会に所属する聖女。その中でも“英雄”さえ越えた至高の存在である“勇者”、それさえも凌駕した超越者たる5人の特級戦力。
“聖天戦乙女”。彼女達の力を借りた邪竜討伐を画策した。この者達の力なら1人でも邪竜と拮抗できる能力を持っている。貴族はそれを当てにした。
セレネは呆れた。“聖天戦乙女”がいったいどれだけ貴重で代えがたい戦力であるか理解出来ていないその愚かな貴族に。
(お前1人の首では到底釣り合わない重さがあるのよ。それなのに彼女達の力を当てにする? 万が一があれば如何する気なの?)
更に問題が出る。その貴族に同調する者が増えたのだ。
政に直接関わることが出来ないセレネはこれには頭を抱えた。自分達で自分達の寿命を削るようなことを何故出来るのかと。そして時間は無慈悲に経っていく。その時間で同調者の勢力が無視出来ないほどに膨れ上がった。
しかしまだ、まだこの時点では取り返しが付いた。
邪竜が如何に強大だとはいえ“聖天戦乙女”もそれに負けぬ力を宿す聖女達である。何とかして2人以上の“聖天戦乙女”を動員出来れば勝ちの目は大いにある。しかし彼女達はその強大な戦力故に、動かすとなるとその抜けた穴は無視出来ない物になる。
“聖天戦乙女”最強と名高い『光翼剣聖シータ・トゥイーディア』はその時他国の救援に向かい留守にしており、現在控えていたのは直接的な戦闘力に乏しい『守護聖壁のルクミニー・エショルディア』だけ。
セレネは少なくともシータが帰還し、2人で邪竜討伐へ赴けば高い確率で勝利を収められると考えていた。だから話し合いの流れをその方向へ運ぶ為に国王の娘である自身の立場を使い、急進派の勢いを留めようとした。
結果は失敗。
邪竜討伐には2万人に及ぶ『普通の兵隊』とルクミニー1人で向かうことになった。しかも彼女の所持する『聖具』は現在“要地”に存在する封印、それへ祈りを捧げた時に使用したばかりで『沈黙』――武器としての力を失っている――状態になっていた。だからルクミニーはその強力な武器を使えない状態で向かう事になった。
そして悪いことは重なる。
【観測者】が発動した。それがセレネに見せた物は最悪だった。
(もうどうにでもなあれ)
セレネは笑顔の仮面の下で全てを諦めた。彼女の見た未来ではどう足掻いてもシータが間に合うことは無いと出ていた。そしてそれはセレネ自身の予想でも間に合わないと出ていた。
つまりルクミニーは死ぬ。優しい彼女は2万の足手纏いを抱えて死ぬのだ。
無論、出動を要請されたルクミニーはこれを一度断った。彼女は自分の能力と気質、そして現在の聖杖を所持していない自身の状態を正確に理解していた。
だが結局ルクミニーはこの要請を受け出動した。
2万の兵隊。それは複数の貴族が廃都奪還に自身も貢献したのだと主張したいが為に派遣されただけの混成軍である。
しかしルクミニーだけで廃都奪還が成ればその功績は聖光教会だけの功績となる。それを嫌がった彼らはルクミニーが出動を拒否した時点で兵隊だけを廃都へ差し向けたのだ。彼らはあの聖女はこれを無視出来ないと知っていたからである。
放置すれば2万の兵は死ぬ。ルクミニーはそれを容易に想像出来た。だから彼女は兵を追い掛ける形で出動した。……シータが間に合うという一縷の望みを賭けて、兵の進軍を少しでも遅らせようと考えた。
セレネは可笑しくて笑いそうだった。
ルクミニーがどれだけ工夫して廃都へ到着することを遅らせようと兵が所持している糧秣は決まっている。なら既に期間は確定しているのだ。そしていざ戦闘が始まればそんなことを考える余力は無くなる。セレネはそれを踏まえてシータは間に合わないと結論したのだ。
最悪だ。本当に最悪だ。
セレネは世界の未来に飽いていた。だがそれでも無辜の民が無為に死んでいくのは許容できなかった。だから終わりが見えていても自身が出来ることに手を抜いた覚えは無い。
せめて最後の瞬間まで、彼らが全力で生きられるようにと。
しかしそれもこの邪竜討伐で全て無に帰する。
悪神の加護を持つ邪竜は聖女や兵達をただでは殺さない。その内に宿す黒い欲望を存分に発揮して残酷と陵辱の限りを尽くすだろう。そしてそれによって集められた絶望と怨嗟は悪神の供物となってその力を増すことになる。
封印が綻ぶ。
あの日、世界の命運は決した。ささやかな延命をしていたこの世界はこの日、崩壊への一歩を踏み出したのだ。
だからセレネは大勢の兵が進み去って行く光景と、その後をルクミニーが追い掛ける姿を見て全てを諦めたのだ。
飽いてはいても愛おしいこの世界の未来を―――諦めたのだ。『観測』してしまった未来通りに進むこの世界い絶望しながら。
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生きて戻って来た。聖女はおろか、2万の兵の全ても。誰も欠けること無く帰還した。―――邪竜の首を持ち帰って。
(な、何が起こったの?)
街が邪竜討伐成功の報で沸く中、セレネだけは混乱の中に居た。周囲の貴族や家族である王族の声さえ耳に入らず彼女は考えた。いったい何が起こったのか。
(聖女シータが間に合った? 何かしら幸運が起こり、誰も犠牲が出ていない時に聖女シータは間一髪で間に合ったの? ……有り得ない、有り得ない有り得ない有り得ない。聖女シータがどれだけ急いでも犠牲が出るのは確定していた。――『聖女シータはまともに体力が残っていない状態で、更に邪竜に親友を殺されたという状況に冷静さを欠いたまま邪竜と戦闘。負う筈のない重傷を受けながら邪竜を殺害。後に残るのは僅かに生き残った兵と力を失った聖女シータ。聖女ルクミニーは玩具のように殺されており、それによって発生した絶望と怨嗟は世界に決定的な終焉を刻む』――これが私が『見た』全て。兵と聖女ルクミニーが都市を出た時点で確定してしまった結果だったのに)
セレネの見た全てが覆った。彼女が未来に飽きた原因である【観測者】。
自分が動かねば変わることがなかった未来。変えられたとしても細やかにしか改変できない未来。
教会で調べても詳細が見えなかった、存在を確認出来なかった異常な能力。自身の意志で使う事が出来ず、ただ限定的な未来しか見せることがなかった能力。
セレネ・ディールラ・グリッド・アヨーディ。彼女には【観測者】によってもたらせられる『虚ろな未来の観測』という余人には理解出来ない不可思議な力を持っていたのだ。
(だから理由がある。私の見た未来を覆した何かの存在が)
邪竜討伐から【観測者】に不具合が起きるようになった。……未来が見えない時が出て来た。そしてそれは何かが発生する度に多くなってきた。
彼女を飽きさせていた原因である力が消えていく。
それに恐怖を覚えた。これまでこの能力で助けられたことは幾度もあった。未来が知れるというのは何よりも強力な力であったからだ。
しかし同時に安堵した。この力が消えることに。
何故ならこの力が最後に見せる物は何時だって『この世界の終焉』だったからだ。
消える。消えていく。未来が消える。終焉が消える。
そしてその能力が完全に消える時がきた。
それはセレネがあの日、あの魔王を垣間見た時である。
悪魔の軍勢を滅ぼす月光を背負った青い魔王。それを見たあの日、セレネからあの能力が完全に失われた。自分の中から何かが消えたのを彼女は確信した。
【観測者】は消え去った。『終わる世界』と共に。
世界は自由を手にした。誰もが予測できない未来。
セレネが待ち望んだそれがをあの日やってきたのだ。だから彼女は崇拝する。
世界の運命を覆す存在。それが何なのかセレネの中では決まっているからだ。
セレネはあの日、自身が崇拝すべき『神』を見つけたのだ。
◆◆◆
(ラーヴァナ様は素晴らしい方。なれば私の役目はその素晴らしさを遍く人々に知らしめること。そう! ラーヴァナ様こそこの世の頂点に君臨するお方なのです!! ああああああああああ!! ラーヴァナ様ああああああああああ!!)
セレネはラーヴァナを案内しつつそんなことを考えている。
そうとは知らないラーヴァナはセレネの案内に付いていく。何故かセレネを見ていると理由のわからない肩の重さを感じながら。




