76.期待外れなら……
あの日から4日経った。つまり今日は『式典』が執り行われる当日である。
今回の式典は教会とこの都市を擁する〈アヨーディ王国〉、この国を統治する王族と一部貴族が共同で準備を進めたのである。
つまり、この式典は国の力を借りて大規模な形で執り行われることを意味する。
北の大通りから中央に在る王城まで続く区画には普段以上の賑わいが溢れている。
通りは人で埋まるような賑わいを見せる。
国家の象徴である『黒い王冠を守るよう翼で抱く黄金の鷲』が描かれた国旗が建物の軒に下げられ、それと合わせて色とりどりの花々や飾布で景観を彩っている。そして敬虔な聖光教会の信徒は国旗や飾布だけではなくヴィージャル教の聖印も表に出しており、その7つの星々と1つの巨星が輝く象徴が朝日に照らされ煌めく。
彩るのは目に映る視界だけではなく、耳に届く音もである。
人々の喧噪は元より、この式典を聞き付けてこの都市にやって来た楽団や流れの吟遊詩人が事前に借りていた場所でその自慢の音色を披露している。歌に詩、爪弾く提琴、吹き鳴らす笛や吹奏楽器、それらが奏でる音楽が道行く人の心を捉える。
道の両端には今日限りの露店や出店が立ち並び、店の者が通り掛かる人々を招いて商品を勧める。火で焼き、温められた菓子や軽食の香りが風に乗って周囲に流れる。それに誘われるように人々は足を向け、時には我が子に引っ張られて串焼きや甘いお菓子を購入している。
そんな喧噪の中を2人の女性が進む。
「―――見てくださいハル……姉様。とても活気に満ちていますよ」
「そうねア……妹様。人が大勢集まっているわ」
その身には目立たない色のローブを着ており、類い希な容姿をフードの下に隠している。そして2人は手を繋ぎながら人波に逆らうことなく歩いて行く。
片目を閉じている2人、姉妹は開いている目で周囲を見渡す。
緑色の髪をローブに隠した妹は手を繋いでおらず空いている左腕に紙袋を持っている。その紙袋の中には道中の店で買ったパンや菓子が大量に詰め込まれている。
青色の髪をローブで隠した姉は紙袋の中へ右手を伸ばして探る。そして中にあった菓子を一つ摘まみ出す。それはレーズンとバターを混ぜた物をクッキーで挟んだ菓子であった。
姉は妹の口元に手に持った菓子を差し出す。
「妹様。はいあーん」
「あー……ん」
妹は差し出された菓子を囓る。囓られて半分になった菓子、それを姉は自分の口の中に収める。姉妹は同じ菓子を同じようにもぐもぐ食べる。そして同時に飲み込む。
「私様達が引き籠もっている間に色々と新しい物が出来たわね妹様」
「お菓子が美味しいですね姉様。素晴らしいです」
「次はどれにしましょうか? これなんて綺麗よ妹様。私様達の方が綺麗ですけど」
「良さそうですね姉様。確かに私様達の方が圧倒的に綺麗ですね」
果物に飴を絡めてから冷やし固めた菓子。それには食べやすいように串を刺しており、姉はその串を指先で摘まみ果物飴を青い瞳で眺める。皮を剥いた柑橘系の果肉に黄色く着色された飴が絡まり照り輝く。そんな果物飴が串に3つ刺されている。
姉妹はそれを一つずつ口にして食べる。そうすると串には最後の一つが残った。それを見て姉は困ったような……わざとらしい声を出す。
「一つ残ってしまったわ妹様、どうしましょうか?」
「そうですね、持って帰って食べましょうか姉様」
フードの下で姉妹は同じ笑顔を浮かべる。
「一つの飴を2人で一緒に食べるのって楽しそうね妹様」
「それはとても素晴らしく、気持ちの良い考えです姉様」
一つだけ残った飴を袋の中に戻す。
姉妹はこのお祭り騒ぎを楽しみながら都市を行く。擦れ違う人々は皆この陽気に当てられ笑顔を浮かべている。店の者は稼ぎ時だと気合いを入れて呼び込みをしておりそれに掴まった人はこんな一幕も楽しみの一つだと意気揚々と値段の交渉をしている。何人かの子供の集まりは人の隙間を駆け抜けながら興味が引かれる物を探し回る。
「……楽しそうですね……姉様」
「そうね。良いことだわ妹様。子供が元気な生き物は繁栄している証拠よ」
「そうですね……本当に」
最後の返事。それには力が無かった。
妹から元気が無くなっている。それを姉はしっかりと気付いている。
立ち止まる。姉が止まったことで手を繋いでいる妹も足を止めた。
「こっちを見なさい妹様」
己と同じ顔をした妹。その緑色の瞳には不安そうな色が見え隠れしている。
「今更不安がっても仕方が無いわ。私様達は私様達が行うべきことを全うするだけよ。わかった? 妹様」
「……姉様……」
妹とは違い、姉の青い瞳に不安や迷いは無い。波の無い湖面の如き静謐な青が自身の写し身である妹の姿を映す。
「だから安心なさい。私様達には私様達が付いているのですから」
静かな言葉。しかしそれは周囲の喧噪に消されることのない力強さを持って妹に届く。
「……そうですね姉様」
緑色の瞳に力が戻る。彼女は笑みを浮かべて姉を見る。
「その通りです。……私様達が行うべきことを全うする、ただその為に」
その時、走っていた子供の1人が妹に正面からぶつかる。妹はぶつかる直前に紙袋を持ち上げ子供を腹部で受け止める。
「あう……」
「大丈夫ですか?」
顔からお腹にぶつかった子供、男の子は鼻の頭を押さえる。妹がぶつかる時に衝撃を逃したので痛みは然程ではない。それでも妹は男の子を気に掛けて声を掛ける。
隣で見ていた姉は手を伸ばして猫耳が生えた男の子の頭を優しく撫でる。彼は獣人の猫人の子供であった。
「そんな心配しなくても平気よ妹様。ねえ僕? 大丈夫よね。だって貴方、男の子ですもの。これぐらいへっちゃらでしょ?」
「うん。……ごめんなさい」
「あら偉いわね。そうよ、悪いことをしたら謝る。それが出来る僕はとっても良い子よ」
そう言って姉は妹の手から紙袋を取り上げると男の子の目の前に差し出す。
「だからこれはお詫びのしるしよ」
「え、で、でもこんな……」
男の子はそれを見て戸惑う。紙袋の中には多くの菓子が詰まっている。失礼なことをしたのは自分であるのにこんな物を受け取れないと男の子は遠慮しているのである。しかし視線はしっかりと中にある菓子に釘付けである。
妹は道の先に居る男の子の友達であろう数人の子供達へ目を向ける。子供達は遠巻きにこちらの様子を窺っており、そこには不安そうな色が見える。
妹は微笑んで姉と同じように男の子へ語り掛ける。
「どうぞ受け取ってください。私様達も不注意でしたから。だからこれは後ろに居るお友達と分けて食べると良いですよ」
「良いの? ……本当に?」
「ええ。本当よ」
恐る恐る男の子は紙袋を両手で受け取る。姉はそれを見て優しく言い聞かせる。
「さあ、行ってらっしゃい。お友達が待っているわよ」
「……うんっ」
男の子は姉妹に背を向けると友達の方へ向かう。その足取りは走るのを抑えたような早歩き。今度は他の人にぶつからないようにと反省したが故の歩き方。少しばかり離れた場所で男の子は立ち止まると振り返る。そして猫耳のある頭を姉妹に向けて下げる。
「ありがとうお姉ちゃん!」
姉妹はそのあどけない感謝の言葉に微笑む。そして同じように口を開き同じように言葉を発する。
「「元気でね」」
「うん!」
男の子は元気よく返事をすると友達と合流する。友達は男の子が持つ菓子を見て目を輝かせる。そして男の子が彼らに何かを言うと、他の子供達も姉妹へ頭を一度下げる。お菓子をくれた優しいお姉ちゃんに子供達はお礼をしたのだ。
姉妹が子供達に手を振ると、彼らは何処かへ向かって歩き出す。子供達の楽しそうな笑い声が楽団や詩人の奏でる音楽に混じって流れていく。
子供の姿が見えなくなるまで見送った姉妹は止めていた足を動かして歩き出す。
妹が口を開く。その表情にはさっきまであった不安によって出来ていた影はない。
「姉様。『お詫び』とは、少し早いのではないですか?」
「良いのよ別に。あれは先渡しよ妹様」
「先渡しですか?」
姉は意地悪そうに笑う。
「そうよ。……だって今日私様達はここで、とぉーっても『悪いこと』をするのだから」
姉は閉じていた右目を開く。瞼の下にあった黒の目と赤い瞳が煌々とする。妹も閉じていた左眼を開くとその目で姉を見る。
姉妹は魔人の証である異形の目で見つめ合う。
「確かに、これからするのはとても悪いことですね姉様」
「そうよ。これ以上アフラにばかり負担を掛けるわけにはいかないわ。折角アフラが行った“召喚”だってあまり効果が出ていないようだし、なら私様達が代わりに請け負うべきよ妹様」
「そうですね、仰るとおりですわ姉様」
「そういうわけで、準備が終わり、時が来たら……私様達も始めましょうか」
姉妹は繋いだ手を強く握る。
「ねえアムルタート妹様。いったいどれだけ生き残ると思う?」
「そうねハルワタート姉様。半数でも生き残ったら御の字でしょうか」
ハルワタートとアムルタートは都市に居る人間を眺めながらそう言う。
「ハルワタート姉様は『光の聖女』と『地の聖女』を足止めね」
「アムルタート妹様は『火の聖女』と『鉱の聖女』を足止めね」
魔人の姉妹は笑う。
「聖女の力には期待したいわね」「迫り来る脅威からどれだけ抗えるかしら」「私様達に手子擦っている間に赤い虫ケラがどんどん悲劇と怨嗟を作り上げていくわ」「もし私様達を退けられない程度だったらきっとそれを止めることは無理でしょう」「聖女達が私様達に抑えられている間にどれだけ血が流れるでしょう」「もし聖女達が期待外れなら―――」
裂けたように大きく開いた口が笑みの形になる。もしも彼女達がフードを被っておらずその恐ろしい形相を民衆が目にしていたなら恐怖でパニックを引き起こしていただろう。
そんな恐ろしき形相で笑う姉妹は口を揃えて言う。
「「―――ここを聖女達の墓標にしてしまいましょう」」
人の波は途切れない。そんな大勢の人の中に姉妹の姿が呑まれる。
繋いでいた手が離れていく。
誰の視界からもローブを着た姉妹の姿が消える。
そして人々の切れ間から先程まで姉妹が居た場所が見えるようになる。
既にそこに姉妹の姿はなくなっていた。仮にここで姉妹の姿に注意を払っていた者が居たとしても、きっと見失い後を追うことは不可能になっていたであろう。
―――都市の内部に2つ。そして都市の外部から一つの。3つ『災厄』が降り掛かろうとしていた。




