75.好きなことだけ
◆◆◆
「あ、ナーダお帰りなさ―――」
「せいっ」
「いゅっ!?」
陽が落ちきり、都市に夜の帳が下りた。〈光の園〉へ戻ってきて早々にナーダはサクラの額に手刀を叩き込む。
能力“反響定位”で視覚並の空間把握があろうと大人と子供以上に能力が掛け離れているナーダからの一撃をサクラが避けられる筈もない。きれいなおでこに直撃をもらう。
ナーダの突然の蛮行にサクラは赤くなった額を抑えながら抗議する。
「急に何をするのっ?、酷いわっ、私がいったい何をしたって言うのっ?」
「お前それ俺の荷物に入れた『これ』を見てもわからないか?」
そう言うナーダの手にあるのは一つのリボン。頭に結んだらきっと可愛いリボン。
「…………」
「…………」
「……き、気に入ってくれたら嬉しいわ」
「よし、ほっぺたを出せ。つねってやる」
「ごめんなさい! 悪気は無かったの!」
「大丈夫だ。俺が今からすることも悪気は無い」
ナーダの手によりサクラの白い頬がむにむにと引っ張られる。
「あひゃぅっ、本当にごめんなさいっ! もうしませんからっ!」
ナーダは平謝りしてくるサクラに呆れながら頬から指を放す。……そしてその手でサクラの頭を掻き回す。焦茶色の髪がナーダによってぐしゃぐしゃに乱れさせられる。
「な、ななな何っ?」
「うっせえ、これで許しといてやる」
「わっ」
少々乱暴に手を離してサクラを解放してやるナーダ。これである程度溜飲が下がった。
ナーダは髪が乱れに乱れたサクラを置いて院内へ歩いて行く。
さっさと歩いて行くナーダの後をサクラは手ぐしで髪を整えながら追い掛ける。
「ねえナーダ、今日は冒険者さんのお仕事をしてきたのよね?」
「ん? おう」
「後で治癒魔法掛ける?」
「ああ、……別にいいよ。今日は修行と違って怪我もなんも無いし、そんなに疲れてもねえよ」
「……修行の方が大変なんだねえ」
「……修行の時の兄ちゃん、本当に限界まで追い込んでくるから」
2人して乾いた笑いが込み上げる。
日に日に成長するナーダに合わせてセーギも修行の強度を上げていく。だから修行の辛さは実質変わっていない。寧ろ修行内容が圧縮されていくことを考えれば体感的な辛さは増していると言っても過言では無い。
――型の練習がこの時間で10セット出来た? 凄いじゃないか、頑張ったね。じゃあ次は同じ時間で15セット出来るように頑張ろうか。ちなみに他のメニューも据え置きでやるから。さあ立って踏ん張って。敵は俺達の体力なんて考慮してくれないよ。それでも勝ちたいなら体力を付けろ。培った体力は自分を裏切らない。さあやろう、限界の先に活路はある。ついでに限界を越えた時の体の動かし方も……体で覚えようか――
こんな感じである。その時のセーギは比喩でもなんでもなく魔王だとナーダは確信した。
普段は優しい、というより修行中もナーダの怪我には注意を払っているので優しいのは変わっていない。だが課してくるメニューがあまりにも過酷である。正直に言えば頭おかしいだろ、と言いたくなる所業。魔法で治療が可能だからこそ出来る凶行である。
そんな辛い修行でも、ナーダは自分が強くなっていることを実感出来ているので進んで修行をこなしている。……つまりナーダも少しばかり常人とは違う感性を持っておりセーギの同類と言える。
「……本当に大丈夫?」
だからこうしてサクラがナーダを心配するのも見慣れた光景である。
そしてそれに対するナーダの返答も決まっている。
「問題無い。俺は強くなりたいから、……だから大丈夫だ」
「……そっか。……うん、わかった」
何故強くなりたいのか。サクラはその理由は直接聞いていない。しかしあの時、壁越しではあるがそれを聞いていた。盗み聞きだが聞こえた物は仕方が無い。不可抗力である。
だからサクラは知っている。ナーダの強くなる理由が自分の為であるということを。
(……私、悪い子だなあ。ナーダが大変な思いをしてるのに、それがすごく心配なのに……それと同じくらい嬉しいって感じてる。……本当に悪い子)
胸が張り裂けそうな思いが満ちてくる。辛くて泣きそうで、切なくて。
「ねえナーダ」
「なんだよサクラ」
「抱っこして良い?」
「やだよ。もうガキじゃねえんだぞ」
「……そう」
「つーかそれよりマリーは? まだこっちに居んのか?」
「ああ、マリーちゃんはね―――」
家族へ向ける愛にしては甘い疼きを伴うそれを、サクラは瞳の中に閉じてナーダの後を付いていく。
◆◆◆
「マリーただいまー」
『お帰りー』
セーギが扉を開けるとすぐそこで待っていたマリーが出迎える。
セーギとマリーが現在住んでいるのはロベリアから紹介された場所ではない。そこから移る形で南方面にあるこぢんまりした一軒家を教会からの紹介で借りている。
長らく住み手が居なかった物件らしく格安――最初は無料で良いと言われたがセーギはそれを拒否した――での取り引きである。立地としては教会や孤児院に近い場所にあるので、マリーがよくそこへ遊びに行く都合上この場所に住めているのは助かっている。
セーギは扉を閉めて鍵を掛ける。
『セーギ、疲れてる?』
「……そんな風に見える?」
『疲れてるって聞こえた』
「ああ、“言霊”か。……今日はちょっとね。体力的にというより、こう、精神的に? 色々あってね」
セーギはマリーを抱き上げると既に明かりが灯っている居間まで移動する。
そう、明かりが灯っている。
マリーには家の明かりを灯すことは出来ない。
何より、……この家の中にはセーギとマリー以外の気配がある。
セーギは居間に居た人物に顔を合わせる。
その彼女は妖しくも美しい顔に微笑みを浮かべ、セーギへ挨拶する。
「今晩は坊や」
テーブルに着いて煙管を燻らせていたのはロベリアだった。
「今晩はロベリアさん。マリーのこと見ててくれたみたいで、ありがとう」
「良いのよ別に。私が好きでやったことだから」
ロベリアは何時もの旗袍ではなく、アオザイに近い物を着ている。上下を白で統一したそれは普段とは違う雰囲気をロベリアにもたらしている。
袖は長くズボンも着用して全体的な露出は減っている。しかし上着の左右に深いスリットがあり、その隙間から彼女の艶めかしいくびれが覗き、その白い素肌と艶めく翡翠色の鱗を晒している。
セーギは気を抜いたらそこへ向かいそうになる視線を努めて抑える。セーギも健全な男子。異性への興味は人並み以上に持っている。
ロベリアは自分の魅せ方を心得ており、その時に自分がどう見られているかも理解している。故にセーギの視線に気付きつつもそれを黙って流すという大人の余裕を見せ付ける。
「そういえば教会に用があったって……ジャナカ司教とは話せたんですか?」
「ええ、きちんと話せたわ。それに、『必要無くなったの』を譲る用事もあったし」
「その時にマリーと?」
教会にマリーを預けていた。だから迎えに行ったのだが既に帰った後だった。その時にロベリアがマリーを家まで連れて行ってくれたという話しを聞いたのだ。
「そうよ。ねえ、マリーちゃん」
『うん。夕御飯は外で一緒に食べて、その後はお家でセーギの帰りを一緒に待ってた』
「何を食べたの?」
『えっとね』
雑談に花を咲かせつつセーギは来客用のお茶を用意しようとする。
「お茶は構わないわ。私はもうお暇させてもらうから」
ロベリアはそう言うと席を立つ。
「送ろうか?」
「ふふ。……私にそんなことを言えるのは坊やぐらいね。1人で大丈夫よ」
「そうですか。……じゃあおやすみなさい」
居間から玄関へ向かう前にロベリアは立ち止まる。そして首だけひねり横目でセーギを見る。
「ねえ坊や。式典に出るんでしょ? それが終わって落ち着いたらで良いんだけど……仕事を少し頼みたいの」
「仕事、ですか? なんか久し振りですね」
「そうねえ、初めて会った時以来かしら? でも久し振りって言うほど日は空いてないと思うのだけど」
あの出会いからまだ1ヶ月も経っていない。それでも久し振りだと思うのはその間に体験した出来事がそれだけ印象深かったから。
「あの日から色々ありましたし。もっと長い時間が経ってる気分ですよ」
「それは同感ねえ」
「……それで、仕事ってどんな内容ですか?」
「まだ日取りや細かい段取りは決めてないんだけどー……」
一瞬、翡翠色の瞳は濁る。それが光の加減なのか煙管から立ち上る紫煙が原因なのか、それが見ているセーギにはわからぬままにロベリアは仕事の内容を端的に述べる。
仕事と軽く言ったが、その内容は血生臭く、黒く濁っていた。
「【醜穢なる邪霊】が1体『背教のタローマティ』……それを殺す手助けをしてほしいのよ」
その名をセーギは知っている。強大な悪魔、6体居るその一角が確かその名であったと記憶している。それは悪神と共にセーギの中では絶対に仕留めるべき敵だと認識している。
ロベリアはそれを殺したいと言った。
悪魔は残虐で卑劣。戦うならば心強い味方は1人でも多い方が良い。
セーギ1人がどれだけ強くともどうしても助けられない者は出てくる。そんな足りない手の広さを補える強い仲間が必要である。
「わかった。その時が来たら俺はロベリアさんの力になります」
だからロベリアの申し出は願ってもない。セーギは快くその誘いを受け入れる。既にセーギは悪魔に対して容赦する気は一切無い。見つけ次第必ず殺す。
それにロベリアとは共に協力して都市を守り悪魔と異界の魔王を滅ぼした間柄である。他にも彼女からは色々と便宜を図られ良くしてもらっていた。だからこそセーギはロベリアが困っているのなら助けようと素直に思っていたのである。
セーギは笑顔浮かべてロベリアを見る。
「…………」
「……ロベリアさん?」
しかしロベリアの顔には何時もの妖しい微笑みはなく、何か迷っているように眉根を寄せている。そしてセーギに向けるその瞳は内なる感情を表わすように揺れている。
今まで見たことがない反応をするロベリア。
もしや体調でも悪いのかとセーギが心配し始めた時である。
「……はあぁー……」
ロベリアが深い溜息を一つ吐いた。まるで胸の奥あった澱んだ物を全て吐き出すかのような深く長い溜息。そうしてロベリアはセーギへ向き直る。やはりそこには困ったような表情が浮かんでいた。
「……私が言うのも何だけど……そう簡単に話に乗って良いのかしら?」
「良いのかって、……何でですか?」
「何でって坊や、私これでも犯罪集団の頭なのよ? 他人を食い物にする人間の一番上に立っているのよ? それをセーギさんはわかってるの? 今のセーギさんは、……ほいほいと私が持ってくる仕事を安請け合いして良い立場ではないでしょ?」
ロベリアが仕切る“翡翠蛇”。それは間違っても慈善団体ではない。
金貸し。恐喝。風俗街。暴力。裏工作。密売。殺人。
これら以外にも暴力団が関わる全ての事業。それらをロベリアが上に立つ“翡翠蛇”も勿論執り行っている。それ無くして暴力団などと片腹痛い。悪くない暴力団など存在しないのだ。
金を貸し、返せなくなれば『裏』の労働を強いるのは当然。時には倫理的に表の組織では取れない手段を取って躊躇無く取り立てを行う。絞れる物は絞る。払える物が払えなくなるまで。
体で返してもらうとはよく言った物である。そんな何もかも失った者は借りた者に逆らえなくなる。そんな『終わった者』は犯罪行為をさせるのに打って付けの人材である。そうして使い潰され闇に消えていった者は少なくない。
その方針を肯定し、命令を下したのは他でもない。トップに立つロベリアなのである。そんな女が持ってくる仕事。何か裏があって然るべきである。
今のセーギは教会と深い繋がりを持っている。表向きは『魔王ラーヴァナ』としての繋がりだが、それはセーギと同義である。
何の立場も無かった流浪の青年。
セーギはもうそんな立場では無くなった。彼は表舞台の、日の当たる世界の住人になった。それも世界に広く名を轟かす者になるだろうと確信を持てる存在だ。
セーギはもう軽々に動いて良い立場では無くなるのだ。
それなのにセーギは笑顔を向け、何の迷いもなく仕事を受けたのだ。それがロベリアにとっては不思議で仕方がない。確かにセーギから悪感情を抱かれないように付き合い方には細心の注意を払ってきたが、それでも手放しで信頼される覚えは無い。
「どうしてなのかしら? セーギさん」
だから気になる。セーギがいったい何を根拠にそこまで自身に好意を向けてくれるのか。
しかしセーギにはロベリアのその疑問は逆に予想外だったようで不思議そうに目を見開いている。そして彼は口を開く。
「どうしてって、だって俺とロベリアさん……友達でしょ?」
友達。
「……とも、だち?」
「はい。……あれ? あの日俺達、その……友達に、なりましたよね?」
確かにロベリアとセーギはその関係になった。
「……セーギさん。まさかそれだけで? それだけの理由で私からの仕事を受けてくれているの?」
「それだけって、俺にとっては結構大事な理由なんですけど……」
困惑しているロベリアにセーギは苦笑して……そして真面目な顔になる。
「ロベリアさん。……ロベリアさんの方こそ勘違いしていませんか?」
「私が、勘違い?」
「そうです。俺という人間に対して」
セーギはその薔薇色の瞳でロベリアの姿を視界に収める。
「ロベリアさんが悪い事をしているのは……詳しい内容は知りませんが納得はしてます。ヤクザってそんな綺麗事で出来るような世界じゃないですから」
ヤクザという言葉の意味はロベリアにはわからなかった。だがそれでも、セーギが伝えたいことは理解出来た。
セーギはロベリアが居る世界を理解した上で……それでも彼女が友達だから手を貸すと言ったのだ。
だがそれと悪事を働くことは別である。
セーギはいったいどんな信条で悪事の片棒を担いでも良いと判断したのか? それこそがロベリアがセーギへ抱いた困惑の正体に繋がる。
そしてセーギは理由を口にする。―――その答えはセーギという人物から連想出来なかった物でロベリアは目を見開いた。
「俺はね、ロベリアさん。……好きなことだけして生きていたいんです」
彼は語った。それはきっとこの場に居るのがロベリアとマリーだけだったから語ったことであった。ロベリアはそれを最後まで静かに聞いた。
――――――
その夜、ロベリアはセーギという男の一端に触れた。そして知った。どうして自分が彼に対して不思議な信頼を抱いていたのかを。
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