63.聖獣と森人
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朝日が顔を出し平原を照らす。僅かに残る朝靄を斬り裂くように一筋の光が走る。
「―――〈魔の森〉の中だったわね」
光の正体はディアンサス。彼女が炎のドレスを纏ってジェット機にように高速飛行している。その速度は閃光と化すシータには及ばずともかなりの物であり空気の壁を貫きながら飛んでいる。
「廃都を目印にしたら行きやすいと思う」
5m程の高さで低空飛行しているディアンサス。そして平原を疾走しているのはセーギ。空を飛ぶ炎は矢のように翔る。平原を駆ける足は深い足跡を刻んでいく。
夜明け前に都市を出た2人は音すら置き去りにするような速度で移動し、既にあの廃都が存在する魔の森を視界に収めている。
「掴まりなさい。上から行くわ」
「これを?」
セーギの目の前に縄状の炎が垂れ下がる。それはディアンサスの腕から伸びている。彼女が炎の魔法と能力で生み出した炎のロープである。無論、彼女の能力で触れても問題無いようにはなっている。だが例え熱さも感じず焼けることもない炎であっても普通なら触れることを躊躇う代物である。
しかし普通からほど遠いセーギは疑問を口にしながらも既にその炎を握り締めている。多少の炎熱は耐えられるし、例え耐久を越えて火傷などを負っても自然治癒で治るからこその躊躇の無さである。
「じゃあ行くわよ」
炎を掴んだことを確認したディアンサスは高度を上げていく。地を蹴っていたセーギの足が離れる。
「……おお」
「間抜け面晒して舌を噛むんじゃないわよ」
「わかった」
ディアンサスは手から伸ばしたロープでセーギを吊り下げながら大空へ飛び出す。炎の尾を引いた彼女はそのまま魔の森全体を睥睨することが出来る高さまで上昇していく。
セーギは上空から見た魔の森を見下ろす。
「大まかな場所がわかれば後は私の知覚で見つけられるわ」
「わかった。確か……北に行って……そこから遠回りして……」
中央に存在する廃都を起点にしてセーギは自分が通ったルートを思い出していく。
「あの辺りだ」
「あそこね」
セーギが指差す方へディアンサスは飛ぶ。流星のように炎の尾を引いて彼女は飛翔していった。―――ちなみにロープに掴まっている体勢のセーギは引き摺られるように空を飛んだ。
――――――
陽も昇らぬ早朝にディアンサスはセーギの居る宿に訪問してきた。昨日の時点で来ること知っていたセーギは既に身支度を終えて宿の前で待機していた。
その場にマリーが居なかったのをディアンサスは尋ねてきたが、マリーは現在司教ジャナカとの話し合いを終えた後に孤児院『光の園』へ移動、そのままお泊まりと相成ったのである。この半月でマリーもかなりフットワークが軽くなったのである。流石に街中に繰り出すのは危険なのでセーギか聖女の随伴が必須である。
そうして2人だけの『墓参り』が始まった。
「…………」
「ここがそうだよ」
ディアンサスは今はもう何者も使っていない寝床、……雑草や落ち葉によって少しずつ自然の模様へと還っているその場所を目の前に立っている。
〈円天世界ニルヴァーナ〉に到着した当初からセーギは数々の問題に巻き込まれ、時には率先して前に出た。だからこそ経過した日数以上にここで過ごした気持ちになっていた。
しかしここを目の前にするとセーギは自身が『転生』したことを昨日のように感じられる。それだけ彼の心に聖獣の親子と出会ったことは忘れることなど出来ない記憶として刻み込まれている。
ディアンサスは寝床の中へ入る。森から吹く風が湿り気と緑の匂いを運び彼女の暁色の髪を揺らす。『ディアンサス』の最期の見送った場所で暁が輝く。
目を閉じ、俯く。
「……少しだけ……1人にして」
「…………」
セーギは彼女の言葉を聞くと黙ってその場から立ち去る。
1人になったディアンサスはその場でゆっくりと両膝を着く。
草木を編んで作られた寝床は彼女の体を受け止める。木々が重なり合った天然の天井、その切れ間から朝日が差し込む。
祈るように両手を組んだディアンサスは陽光をその身にに浴びながら風の音を聴く。開かれた金の瞳は主を失った寝床を映す。
「貴女には出来れば生きている内に会いたかった」
顔の前へ流れるように垂れた髪の房。それが触れられる。
銀の指。それが触れディアンサスの髪に触れ、持ち上げる。暁の髪が銀の手の中で流れる水のように滑り落ちる。
「貴女の声も姿も知らない。……でも、私が生きているのは貴女のお陰」
暁が黄金に輝く。それはディアンサスの前に立つ存在の光に照らされたから。その輝きはあの『玉錦の聖獣』の毛皮と同じ輝きであった。
「ありがとう」
ディアンサスはそうして自分の目の前に立つ『精霊』へと礼を伝える。
暁の髪に触れていた銀の手。それが今度はディアンサスの頭に乗せられる。
『……『私達』は貴女を知っています。『森の仔』……森人の一族』
聞こえる声は穏やかな女性の声。それは精霊が発した声。“言霊”と同じ響きで伝えられる声がディアンサスの耳を打つ。
精霊はディアンサスの頭を優しく撫でる。ディアンサスはその手と声に身を委ねるように頭を垂れる。
『『私達』は貴女が愛おしい』
銀の手が離される。ディアンサスは瞼を開ける。
『『私達』に顔を見せて下さい。『炎の仔』よ』
声に従い顔を上げる。そうしてディアンサスの瞳に精霊の姿が映る。
表皮は白銀。顔は存在せず表皮と同じく白銀で輝いている。額から白銀の大角が生え、黄金の髪が体全体を覆うように伸びている。髪の間から覗く腕や脚、そして体には火や雷を象った刺青のような模様が走っている。
「……精霊様」
『炎の仔。『私達』は貴女と言葉を交わした今日という日を祝福しましょう』
雷火と運命を司る精霊『麒麟』。
麒麟はまるで我が子へ語り掛けるようにディアンサスへ言葉を掛ける。
『両親から『私達』の中に在る『私』のことを聞き、そして来たのですね』
「はい」
ディアンサスは両親から繰り返し聞かされていた話しを思い出す。その話しには彼女が若草色の森人ではなく暁色の森人〈エルフ〉として生を受けた理由があった。
「私は……私を身籠もっていた母は聖獣ディアンサス様に救われました」
『ええ。その『記録』は昨日のことように思い出せます』
「…………」
ディアンサスは少しだけ……寂しそうな目を向ける。
一部の聖獣は死の直前、“原初魔法”を行使して自身を世界へ還す。世界へ還された肉体、そして力と共に『記憶』は精霊の一部となる。
だが麒麟にとってそうして積み重なる記憶は『記録』として扱われる。聖獣の時の記憶は精霊にとって記憶に成り得ないのである。
『健やかに育ったのですね。貴女を……貴女の母を救った『私』も存命であればきっと喜んでいましたよ』
しかし、それでも、……精霊の中にディアンサスは存在している。
記憶ではなく記録。しかし長い年月を積み重ね、膨大な記録を溜め込んだ精霊はそこから『思い』を汲み取れる。
「……私も、精霊様と会えて……嬉しいです」
愛おしい。喜ばしい。祝福を。森人の少女へ向けた言葉の全ては麒麟が聖獣ディアンサスとしての記録を持つからこそ抱いた気持ちであり、精霊の中で今も確かに息づいている何よりの証である。
◆◆◆
外で生きる森人は変わり者……と言うような時代は300年程前に終わった。現在では他種族との交流も昔と比べれば活発になった。
それでも森人の住む場所へ招かれるには相応の信頼を勝ち取るか然るべき許可が要る。これでも無条件に排斥することが無くなっただけ大きな変化である。少しばかり入国審査が厳しいだけの国と考えれば良い。
ディアンサスの両親は普通の森人であった。……しかし“世界樹”が存在する〈エウノミアー大森林〉ではなく外で生きることを選んだ者でもあった。
幸せな日々を送っていた。そうした日々の中で子も出来た。森人は例え森から離れていても“世界樹”から祝福され、森の眷属となりその身を生きた“魔法の杖”とする。それが彼らが魔法に長けた理由である。
お腹に宿る子もそうなる筈であった。
そんなある日、悪魔に襲われた夫婦、その妻は『呪い』を受けた。
その呪いは対象の命を蝕む物であった。放置していれば命を落とす呪いである。その呪いは強く、生半可な術者では解呪することはおろか進行を遅らせることさえ難しかった。
彼は嘆いた。妻も、未だ産まれぬ我が子さえも死んでしまうと。そんな中でただただ時間だけが無情に過ぎていった。
―――しかし運命は彼らを見放してはいなかった。
森の中にあった清浄なる泉。そこで汲んだ水を用いて妻に抗呪の魔法を施していた夫は、その日も水を汲む為に泉へ出向いた。
何かの啓示だったのか、その日は妻も同行を願い出た。
夫は当然ながらこれを止める。しかし頑としてそれを聞き入れなかった妻は泉へと1人でも行こうとした。これには夫も慌てる。仕方なく身重である妻の要求を受け入れて2人……お腹に宿る子を入れて3人で泉へと向かった。
そして出会った。黄金に輝く聖獣に。
その聖獣は偶然出会ったその夫婦の話を聞き、哀れな母子を救う為に“解呪”を行使した。それと合わせ神と天使が行使していたと伝えられる“原初魔法”さえも使い、聖獣は全力を発揮して森人の女性へ浄化の雷火を迸らせた。
結果は見事に成功。呪いから解き放たれた母子は命の危機から脱した。
そんな時である。解呪が澄んだと同時に妻が産気づいた。
これには夫も慌てたが、それでも対応を間違えること無く彼はその場で魔法を使い、最低限出産が行える場を整えた。
聖獣も見守る中で出産は無事に成功。母子ともに健康であった。―――赤子に『森の加護』が無いという問題を除けば
【半森人種】や【闇妖種】でさえ最低限は備えている森の加護。
それを欠片も持たない赤子。
普通なら在ってはならない問題である。森人とは加護在りき種族である。それが無いということは手脚が欠けて産まれたに等しい。
……だが夫婦にはそれでも大切な子であった。死の運命に抗い産まれてきた愛しい我が子であった。
夫婦は聖獣に感謝を捧げた。礼を返そうとした。しかし聖獣はこれを拒否してその場から立ち去ろうとした。元々ここには偶然通りかかっただけであり聖獣には聖獣の行くべき場所があった。
聖獣はもし礼がしたいなら、その産まれてきた命をこれからも大切にせよと夫婦へ伝えた。
だから夫婦は最後に一つ、聖獣へ願いを言った。
それは今日受けた感謝を忘れぬ為に。命を救い、我が子の将来を慮ってくれた聖獣を生涯忘れぬ為に。愛しき我が子に貴女と同じ名を付けさせてほしいと。聖獣はその願いを快く受け入れた。
こうして森人の夫婦は聖獣から名を貰い、暁色の髪が眩い愛しい我が子に『ディアンサス』と名付けた。




