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62.蕾

 

 ◆◆◆


 シータはうつ伏せでベッドに沈んでいた。既に夕食も湯浴みも済ませており簡素な寝間着に着替えている。それはベッドの傍でイスに座ってシータを見ているルミーも同様であった。何時もは編んでいる金の髪は乾かしたばかりでまとめておらずそのまま流している。


「…………」

「あの……シータちゃん」

「……寝てます」

「……ええぇ」


 不貞寝しているシータはどれだけルミーが声を掛けてもこの体勢を維持している。こんな状態になったシータを見るのはルミーも初めてであり対応に苦慮している。

 原因はわかっている。ルミーがセーギと腕を組んで仲睦まじい様子を見せていたからである。それでシータは殊の外衝撃(ショック)を受けてしまった。


「本当にごめんなさい。でも悪気があってしたわけじゃないの。ただシータちゃんとセーギ様がもっと仲良くしやすいようにと思って……」


 だからルミーはその件を謝罪して許しを請うている。


「シータちゃん。私は」

「どうだったの」

「え?」


 唐突なシータの問い掛け。その言葉の意味が理解出来なかったルミーは戸惑う。それがわかっていたのかシータは枕に顔を押し付けたくぐもった声で言葉を続ける。


「……手を繋いで、腕を組んで歩いた時……どうだった?」

「っ! それ、は……」


 ルミーは驚く。まさかシータがそんな直接的な質問をしてくるとは思ってもいなかった。シータは首を動かして少しだけ顔をルミーに向けた。その紺碧の瞳には強い興味があった。

 その質問からルミーはデートの時にした行動を思い出す。顔が熱を持っていく。それを冷ますように両手で顔を覆い、しかし目だけは出してシータを見詰める。


「あの時の……気持ち」

「うん」


 枕と黒髪の間から僅かに覗くシータの顔も熱を帯びる。そんな彼女へルミーはあの時の心情を答えていく。


「は、恥ずかしかったです……腕を組むのは」


 今も鮮明に思い出せる、抱き締めた腕と繋いだ手の感触。

 陽は高く人通りも多かった時間帯でありいくら“認識阻害”のローブのお陰で個人の特定が難しくなっていてもルミーは恥ずかしさを感じていた。傍にシータが居て見ていたことを考えればその時ルミーが感じた羞恥はかなりの物だった。。

 うつ伏せになっているシータ、その黒髪から覗く耳がより赤くなる。


「……それだけじゃなかった。……そうでしょう?」

「……はい」


 自分の気持ちを吐き出すのはこんなにも恥ずかしい物だったのかとルミーは思う。自分はいざとなれば大胆に行動出来ると考えていルミーは、そんな自分を襲う感情の波に翻弄されそうになる。


「恥ずかしかった……ですけど、その、……う、……うれし……かったです」

「…………」


 ふにゃりとした力の無い声。しかし確かにルミーは『嬉しかった』と言い、シータはそれを聞き取った。

 2人の体が熱くなってくる。その熱は汗ばむほどである。

 シータは乾いてきた喉を潤すように唾を飲み込み、震えそうになる舌で喋る。ルミーの気持ちをもっと聞く為に。


「嬉しかったのは……何で? 何が、良かったの?」

「っ!?」


 さっきのでもかなり恥ずかしかったのに、それ以上の羞恥がルミーを襲う。その所為で言い淀みそうになるが、それを耐えて真摯に答える。


「っぁ……セーギ様の、体温を……身近に感じられて、……温かくて。……そして、何時もよりも……私の深い場所に、触れてもらっている……気持ちになったから、です。……ぁぁ」

「それが……良かった?」

「ぅぅ……はぃ……とても」


 自分は今かなりふしだらなこと言っているのでは? とルミー思い始めた。そうでなくては穴があったら埋まりたい気持ちにならないと思った。しかしルミーがセーギと手を繋ぎ、腕を組んだ時に感じたその気持ちは紛れもない事実であり、先程思い出した羞恥以上に喜悦の感情が湧き上がるのである。


「「…………」」


 言った方も聞いた方も恥ずかしさで茹だる。

 それにしても聞き手に回っているシータの反応は些か強く感じられる。それに気付いたルミーは手を下ろしてシータを見詰める。


「……シータちゃんは、あの……どうして気になったんですか? 私が、感じたことや、思ったこと」

「そっ……それは」


 その質問にシータは狼狽える。ルミーの方へ向けていた顔を逆側に回す。そして足下にある布団も器用に足で跳ね上げてすっぽりと体に被せる。

 ルミーが「あ」と言う間にシータは布団を使って甲羅に籠もる亀のようになった。

 その状態でこの話題から逃げ切るつもりなのかとルミーは思ったが、そうではなかった。シータはルミーの質問に答える気はあった。ただ今から言うことは人目があると言えないと思ったからである。例えそれが一番大切な友人であったとしても。


『私も……』


 枕と布団で二重にくぐもった声。


『私も、セーギ君と手を繋いだり、……腕を……組んだり、したい』


 それでもシータの声はルミーに届いた。その内容はどう聞いたとしても女性が異性の友人に願う物ではない。


「それって」

『…………』


 布団がもぞもぞと動きその端が少し持ち上がる。シータはその隙間から目元だけ出す。紅潮した顔。潤んだ目。そして悩ましげに寄せられた眉。口元は震えてそこから彼女の緊張の大きさが窺える。


「……ねえルミー……私……」


 シータは自身の心の中に落ちてきた感情が何なのか、ようやく掴めた。その感情が原因でルミーがセーギと仲睦まじくしている光景を見て耐え難い疎外感を覚えた。泣きそうになったのはシータがこれまでそんな気持ちを抱いたことがなく、どうしたらいいのかわからず不安に苛まれたからだ。

 シータはセーギにもっと自分のことを見て欲しいと願ったのだ。……誰よりも。


「セーギ君のことが―――」


 それを口に出そうとした時。


「――――――ぁ」


 シータは気付いてしまった。彼女は布団をどかし身を起こして姿を現わす。

 静謐、そして怜悧な空気をシータは放つ。その瞳は一点の曇りもなく澄んでおり、今の彼女はただの少女ではなく聖女としての顔になっている。シータはルミーと顔を突き合わせるようにベッドの縁へ腰掛ける。


「シータちゃん?」

「…………」


 言葉にはしなかった。しかし既にシータは自覚した。己の『気持ち』に。

 だからこそ、解せないこともある。


「ルミー、貴女……どうして私とセーギ君の仲を取り持とうとするの?」

「――――――」


 ルミーは息を呑む。シータの瞳、果ての無い青空のような瞳がルミーを見詰める。

 答えは決まっている。ルミーは大切な友人であるシータの幸せを願ってこれまで行動してきたのだ。だからこそシータとセーギが仲を深めて結ばれるようにデートを企画したり実行したりしたのだ。


「ねえルミー」

「―――あ」


 ルミーの頬がシータの両手で包まれる。その手は優しく、……しかしそれは視線を外すことを許さない拘束でもあった。


「本当に良いの?」


 だからその問い掛けからは逃げられない。


「……良い……とは、何でしょう」


 心臓に刃が突き刺さる。そんな感覚をルミーは覚えた。彼女は今、自分の体が震えていないか自信が無い。


「恥ずかしくても嬉しかったのよね? 触れ合えることがとても温かくて気持ちが良かったのよね?」

「それ……はっ」


 これまでのシータでは考えられないような迷いの無い言葉。それは彼女が自分の『思い』に気付いたからに他ならない。


「ねえルミー。貴女はいったい何をしているの?」


 シータのルミーに対するそれは、優しい……『咎め』であった。


「…………」


 ルミーは口を開くも声が出せなくなっていた。舌が痺れたように言葉を紡げない。心臓は痛いほど脈打ち、視界が回る。


「どうして貴女は自分の気持ちにわざと蓋をしているの?」

「ち、違……私は、ただ」


 見抜かれている。

 ルミーはこれまでの行動で見ないようにしていたことがある。シータはそれに気付いた。それは奇しくもルミーがシータの気持ちを自覚させてしまったが為に起きたことである。

 響く。痛いほどシータの言葉がルミーの脳に響く。


「ねえルミー。……愛は平等じゃないの」

「……ぅあ」


 だからその言葉は……見ないように……明るく振る舞い……『2人の為』という理由で気付いていないふりをしていた、そんなルミーの本心を強く揺さぶる。


「貴女が焦がれる彼や友人である私に……同じだけの愛は抱けないのよ」

「そ、れは……でも」


 立っているのか座っているのかわからなくなる。


「貴女は耐えられるの? 焦がれる相手に、自分じゃない『一番大切な人』が居ることを」


 それでもシータはルミーを離さない。


「や……、お願い……もう」

「他の勇者がしているような、『大勢の中の1人』で良いの?」

「やめてっ!!」


 頬に触れていた手を振り払う。そしてルミーはシータの胸元へ掴み掛かり、縋り付くように額を押し当てる。


「な、んでっ! そん、なことを……言うんですかっ!」

「…………」


 シータは自分の胸に顔を埋めて震えるルミーを静かに見詰める。そして振り払われた手、それを今度はルミーの背に回す。感情が溢れた彼女へシータは優しく語り掛ける。


「……ルミー。貴女は優しすぎるの」

「……っ……」

「待っていても、譲っても……自分が後で後悔するわ」

「それはっ」

「今日見た演劇でだって……『大切な思い』を伝え合う為にローザとグインは奔走してた」

「……あれはっ……でもっ、ただの創作で」

「創作であっても『嘘じゃない』。そこには伝えたい思いが込められていたわ」


 出会い。惹かれ合い。手を伸ばし。結ばれる。

 全てが丸く収まる都合の良い結末でも、そこには『幸せ』を願う人の意志があった。だからシータは初めて見た演劇でも強く心が動いたのだ。


「だからね、ルミー」


 シータは背に添えていただけの手、それをもっと深く、ルミーの背に回し、抱き締める。


「私が自分の思いを自覚したように……気付かせてくれたように。ルミーも自分の気持ちに素直になってほしいの」

「すな、お……に」

「そうよ。……だって私は少なくとも、2人が仲睦まじくしてるのを見て……胸が痛かったわ」

「……っぁ」


 ルミーの行いはシータの心を傷付けた。本人にそんなつもりはなかったとしても、結果は結果。ルミーの想像以上にシータの中でセーギという存在が大きくなっていたのである。

 抱擁から逃れようとルミーは身をよじる。先の衝撃よりもシータに対しての後悔が勝ったのである。だからルミーは濡れた目元をそのままにシータから離れてもう一度謝ろうとした。


「―――でもね。それはきっとルミーもそうなのよ」


 それが出来なかったのは、ルミーを抱き締めるシータがとても優しかったから。

 その温もりはこれまで何度もルミーを救ってきた物であった。掛け替えのない物であった。そしてそれはシータにも言えることであった。


「私が同じことをしたら、きっとルミーも傷付く」


 お互いが大切。それなのに傷付けてしまう。

 シータはただ優しく、その腕でルミーを受け止める。

 ルミーは体から力が抜ける。


「……シータちゃん」

「なに? ルミー」


 シータ身を委ねてくるルミーを優しく抱き締める。


「……私が優しすぎるって……人のこと、言えないじゃないですか」

「そうかな?」

「そうですよ」


 ルミーもシータの背に腕を回しその豊かな胸に顔を埋める。温かく柔らかなそれが優しくルミーを受け止める。


「どうするんですか。……私、もう素直にシータちゃんの支援(サポート)が出来ないじゃないですか」

「しなくても良かったのよ。最初からそんなことは」


 滅多に無い愚痴を漏らしたルミーを慈しむように、シータは金の髪を優しく撫でる。


「……シータちゃん。生意気です。今の今まで自覚なんてしていなかったじゃないですか」

「……それを言われると弱いわ」

「急にお姉さん振るのはズルいと思います。……あれだけ奇行をしてたのに。何ですか? 気になる人相手に刃物を持って迫るってそれ完全に危ない人じゃないですか」

「それは言わないで……」


 これまでの行動を振り返りシータは渋い表情をする。そして発した声はなんとも情けない響きを持っていて、ルミーにはそれがとても可笑しく感じた。


「……ふっ……ふふっ……」

「くふっ」


 シータもルミーも耐えかねたように息を漏らす。


「ふふ、あは、あははははははは!」

「あはははははははは! けほっ、ふふっ、あはははは!」


 笑い合う。そのまま2人してベッドに倒れ込むとその上でごろごろと騒ぎ出す。

 腕を引っ張ったり足を引っ張ったり。脇をくすぐったりお尻を叩いたり。脇をくすぐったり胸をもんだり。今の2人はどう見ても聖女などと形容されるような者の振る舞いではない。

 それでも2人は心の底から楽しいとでも言うように笑い合い巫山戯合う。


 そうしてどれだけ騒いだのかわからない……息を荒くしたシータとルミーはそこまで広くないベッドの上で並んで仰向けに寝転がる。


「……ルミー」

「シータちゃん」


 息を整えながらシータとルミーは魔道灯が吊された天井を仰ぎ見る。 


「もう、遠慮なんかしたら駄目だよ」

「……はい」

「それと……ありがとう」

「私も」


 2人はベッド脇のテーブルに置いてある物へ視線を向ける。

 そこには『睡蓮』と『茉莉花』、それぞれを精緻に象った小さな髪飾りが置いてあった。

 白に薄い桃色の大輪一つの睡蓮。

 白く肉厚な花弁の小輪3連の茉莉花。

 特殊な金属を加工して作られたそれらは光の下で美しく煌めく。


「……良い物よね」

「私達なら手を出すことがない品なのは確かです」


 細工に造詣が深い小人(ハーフリング)製の髪飾り。論じるまでもなく高級品。


「こんなの渡しちゃうのってどうなの?」

「普通に考えてダメです」


 セーギの日頃の感謝の表れでもあるが、友人に対して贈る物と考えると些か『重い』。もし気のない相手からなら気不味いを通り越して不気味……もっと言うなら気持ち悪い。

 シータは手を伸ばして手に取り、片方をルミーに渡す。

 シータは睡蓮。ルミーは茉莉花。2人はそれを自分の頭に当てて見せ合う。


「私の方が似合ってるよね」

「それはどうでしょう。私の方では?」


 他愛も無い自慢をし合う。今までの2人ならお互いにそんな煽るような口は利かなかった。だがそれは別に相手のことが気に入らないわけでも嫌いになったわけでもない。

 ただ少し、遠慮が無くなっただけ。寧ろ2人の仲は深まった。


「私が一番になるから」

「いいえ私です」


 シータとルミーは空いている手を相手に伸ばして繋ぎ合う。指を組んで強く握る。そうして見詰め合う。真面目な顔で見続けるが―――


「―――ふ、あはは」

「ふふふ」


 やはり笑ってしまう、楽しそうに。2人は大切な友人と笑い合う。繋いだ手から温かい気持ちが湧いてくる気がする。そうしてシータとルミーは上機嫌なまま今日の夜を過ごした。

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