60.憂鬱と自慢の―――
◆◆◆
異国料理店〈女神の吐息〉から出たセーギ達は腹ごなしに東部の街並みを散策する。その最中、セーギは顔を少し赤く染めて隣りに居る少女に声を掛ける。
「……あの」
「どうしましたか?」
「ルミーはそれで歩きにくくないのか?」
「大丈夫です問題ありません」
「そ、そう」
「……ぁぅ」
天然という物は怖ろしい。ルミー昼食時に改めてそれを実感すると『攻め』に出ることにした。
ルミーはセーギと腕を組んで歩いている。……と言うより彼女はセーギの右腕を抱きかかえるようにしている。それを隣で見ているシータはあわわと動揺している。彼女の動揺はルミーにとっては願ったりな反応である。
(これぞ恋愛小説で学んだ『かけひき』という技です!)
つまりルミーがしていることは、気になる異性に対し別の女性が接近して親しくすることによってシータ自身の『思いを自覚』させる作戦である。その効果は覿面であり確実にシータはこの状況に焦りを感じている。
(ここまでくれば私も後には退けないのです! シータちゃんも頑張って下さいっ!)
ルミーは当初ここまで大胆な行動を取る予定は無かった。しかし現在彼女はこうして顔を真っ赤に茹だらせながらセーギと腕を組んで歩いている。
それもこれもセーギが無自覚で『女性に優しく』しようとするからである。
道を歩けば彼女達の歩幅を合わせ、さらには人混みを遮る。
目的地が遠ければ直ぐさま他の移動手段を捕まえる。
段差や乗り降りがあれば手を差し出して補助しようとする。
会話は『貴女の話しに興味があります』と言わんばかりに相槌や催促で話しを膨らませる。
誰に対しても丁寧な対応を心掛けている。
……等々、いったい何処の紳士だと言わんばかりの行動である。そんなセーギの振る舞いにルミーは危機感を覚えたのである。
(セーギ様のような格好良くて逞しくて優しくて思い遣りがあって素直でとてもとても素敵な男性がこんなことを続けていればいったいどれ程の数の女性が心奪われるか……)
ルミーのセーギ観は偏見が入っている。それでも概ね間違っていないのが厄介ではある。セーギ自身は一切気付いていなかったが先の劇場に居た時も、かなりの数の女性がセーギを見ていたのである。
優しげでありながら整った風貌。
細身に見えるが力強さを感じさせる体型。
そして襟元から僅かに見える首の太さ、骨張った大きな手。
セーギのその均整のとれた肉体と顔立ちは女性から見ると魅力的であり注目を集めていたのである。
「あー……、あっちにあるお店でも見に行こうか」
「はい!」
「――――――」
何度かセーギは離れた方が歩きやすいのではと提案したがその全てをやんわり却下された。恥ずかしいがセーギは現状を受け入れ『デート』を続けることにした。
ルミーもこの状態はかなり恥ずかしいのだがそれを耐えて頑張っている。……後は少しだけ役得とも感じている。
それを見てシータは既に『無』になっている。状況に対しての情報処理が限界に近くなったのである。彼女はうっすらと微笑みを浮かべ、光の無い瞳で空を眺めている。
「ふ、服屋にでも入ろうか?」
「小物も置いてあるみたいですねっ」
「(鳥さんかわいい)」
緊張、羞恥、無。三者三様。ルミーが企画した『シータに恋心を自覚させる為のデート』は混迷を極めていく。
◆◆◆
何処までも黒い闇が吠える。その闇の中で、小さく光る純白へ向かって吠え続ける。
―出せ ここから出せ―
(うるさい)
―殺す殺す全て殺す―
(あー……面倒臭い)
ー殺せ殺せ殺し尽くせー
(―――喧しいっ!!)
光は翼を広げる。それは闇も吠える声も一瞬で押し返す。
――――――
「喧しいっ!!」
翼を広げながらベッドから跳ね起きたアフラ。そして周りを見渡して「はぁー……」と大きな溜息を吐く。
アフラが居るのはとある場所にあるとある城、その内部にある彼女の為の部屋である。
1人で使うには広すぎると常々思っているこの部屋には天蓋付きのベッド、小さなテーブルや化粧台、それにクローゼットなど……まさに女性が使う部屋であると主張するように改装されている。
アフラは翼を畳むともぞもぞしながらベッドの縁へと移動する。その服装は何時もの豪奢なドレスではなく上下一体のワンピースのような白い寝間着になっている。彼女はベッド下に置いてあるスリッパに足を通すと立ち上がり、窓まで移動する。
窓まで来たアフラはその窓を開け放つ。
開かれた窓から見える景色は『明けぬ夜』と『影の大地』が広がっている。
「最近余計にうるさくなってきたのう」
さっきまで頭の中に響いていた声を散らすように片手で頭を掻き毟る。それによって白く輝く髪がぐしゃぐしゃと乱れる。
「……はぁー……」
アフラは気分を落ち着かせる為に窓枠に手を乗せて目を閉じる。そうすれば肌を撫でる夜風を全身で感じられる。
そうしてアフラがリラックスしていると部屋の扉が開かれる。
「……スプンタか」
「はい」
アフラは振り向くことなく誰かを言い当てる。ノックも呼び掛けも無しに入室してきたのは執事服を纏ったスプンタであった。この城で唯一アフラの許しを待たずに入室出来るのは彼女だけである。スプンタは外を眺め続けるアフラへ歩み寄って行く。
「……うなされていたようですが?」
「もう大丈夫だ」
「夢見が悪かったのですね」
「そうじゃな」
「前回もそうでした」
「そうだったかの?」
スプンタは手を伸ばせば触れられる位置で立ち止まる。
「日に日に間隔が短くなっています」
「気の所為じゃろ」
「……夢見が悪くなった周期ですが、……前回より37秒ほど早かったです」
「細かっ!? お主時間を数えておったのかっ!?」
アフラ自身ですら知らぬ情報を出され驚きで振り返る。ようやく自分の方を向いてくれたことでスプンタは機嫌良くにこりと微笑む。
「当然です。主の体調管理はスプンタの務めの一つ。この10日間でアフラ様が笑った回数もしっかり記録しております」
「何でそんな物を数えておるっ!?」
「後は入浴の回数は勿論のこと、鼻歌をしていた回数にお昼寝をした回数。それにお花を摘みにいった回数を―――」
「即刻その記録を中止しろっ!?」
アフラは自身の生理現象を事細かに調べられている事実に激しく狼狽える。彼女はスプンタの胸倉に小さな手を伸ばして掴み掛かりぐいぐいと揺さぶる。
「お主はいったい何の回数を記録しておるのじゃっ!? 怖いわっ!!」
「ああ、アフラ様……激しいです。そんな、お戯れを……」
「喧しいっ!?」
首が折れそうなほど前後に揺さぶられようとスプンタの余裕の表情は小揺るぎもしない。それに気付いたアフラは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて手を放す。
「……全く。いったい何時からお主はそこまで変態になったのか」
「失礼ですね人を節操なしのように。スプンタはアフラ様限定の変態です」
「はいはい。……って結局変態なのは変わらっておらぬっ!?」
「汗をかかれておりますね。着替えを用意しました」
「ぬ? 気が利くな」
アフラはすぽーんと寝間着を脱ぎ捨て全裸になる。その際に翼が引っ掛かることはない。実体があるように見えているこの翼は実際の所アフラの力の顕れでありその気になれば消すことも可能である。
身体に纏わり付く寝汗を魔法で洗浄したアフラ。そして脱いだ服をスプンタに手渡すと代わりに新しい寝間着を渡され彼女はそれに袖を通す。ちなみにアフラは夜寝る時は下着は着ない派である。
「うむ。やはり着替えると清々しいな」
「スーハー……そう……スーハー……ですね……スーハー」
「うおぉいっ!? 何をしておるっ!?」
「スーハー……アフラ様のかおりを……スーハー……堪能しています……スーハー」
「変態! 変態! 変態! 変態!」
脱ぎ立てのワンピースをスプンタは顔に押し当てて深呼吸するようににおいを嗅いでいる。その酷い絵面にアフラはがなり立てながらそのワンピースを取り返そうと必死に引っ張る。
「止めて下さいアフラ様。御洋服が破れてしまいます」
「じゃあさっさと離せっ!? 何時まで嗅いでおる!?」
頑なにワンピースから顔……手を離そうとしないスプンタにアフラはぎゃいぎゃい騒ぐ。
「アフラ様」
「ええいっ! 何じゃっ!?」
「…………」
「……んあ? 本当に何じゃ?」
スプンタの様子が変わる。相変わらず服を顔に押し当てている酷い状態であるが、アフラはそこから只ならぬ空気を感じ取った。
アフラはさっきまで引っ張っていた服から手を離し、スプンタをじっと見上げる。
「……アフラ様」
「何だ。早う言え。ワシはここに居るぞ」
「……どうして、なのですか」
震えた声。
「どうしてスプンタを殺して下さらないのですか」
スプンタのくぐもった声、それは震えていた。
「何を言っておる。どうしてワシがお主を殺さねばならぬ」
アフラは静かに言葉を返す。
「スプンタをアフラ様自身の手で殺して頂ければ、アフラ様はもっと楽になれます」
「……何のことかわからんな」
「憔悴しています。……つまり『そういうこと』なのでしょう?」
スプンタの指摘にアフラは苦々しい顔をする。
「……人の“偽装”を易々と突破するのは感心せんな」
スプンタが入室してから掛けられていた“偽装”の魔法が解ける。アフラのあどけない顔に似つかわしくない、黒い隈を浮かべ生気の薄い顔が顕れる。
「なーに最近少しばかり寝不足気味なだけよ。人間が書いた創作物が思いの外面白くてな。ほら何と言ったかの……ぬう、忘れた」
「…………」
アフラは笑う。憔悴していようとそこに『弱さ』は欠片も無い。
「なあスプンタ。……顔を見せておくれ」
優しく請われたスプンタは顔に押し当てていた服を下ろす。
泣いていた。静かに、嗚咽を上げることなく。
「全く、折角の綺麗な顔が台無しではないか。ほれそこに腰掛けろ」
「この顔は元を正せばアフラ様のお顔です」
「そういう意味ではない。本当にお主は……」
アフラはスプンタの手を引きベッドに腰掛けさせる。そうして自分はスリッパを脱いでベッドに乗る。
「お主は身長が高いからこうせぬと顔に届かんな」
長身のスプンタの顔に触れるにはこうして座ってもらうしかない。床に座らせるのはアフラ的に論外であった。そうして顔に触れられるようになるとアフラは両手でスプンタの頬を優しく包み、瓜二つの顔で見つめ合う。
「……ワシとの『約束』……忘れてはおらぬな?」
「それは、……でも」
「覚えておるなら、2度とあのようなことは言うな」
「……っ」
「ワシらは最期の時まで共に生きると誓ったではないか」
アフラはスプンタの額……黒い角を持たない白い額に口付けを落とす。アフラはスプンタの頭を優しく胸に抱きゆっくりと撫でる。
「スプンタよ。お主は何時ものようにワシが馬鹿をしたら隣で諫めてくれていればいい。多少ツッコミが激しくともそれはご愛敬と言うやつじゃ。何だかんだであれは嫌いではない」
「……変態ですか? 痛いのが嫌いではないなんて」
スプンタはアフラの小さな体に腕を回して抱き締める。
「ふっ……調子が戻ってきたな」
縋り付くようなその抱擁をアフラは穏やかな表情で受け止める。
「……スプンタ。実は良い知らせと悪い知らせがあるんじゃが……どっちから聞きたい?」
「突然何ですか。……では悪い方から」
アフラの胸に顔をぐりぐりと押し付けながらスプンタは尋ねた。
「【醜穢なる邪霊】が動き出した」
「…………」
「おそらくドラゴンとオークが殺されたからであろう。『要地』を穢したかったのに出来ず終いだったからな。子飼いの部下が足を踏み入れることなく『羅刹』と聖女達に滅ばされたのが余程癇に障ったようだ」
“悪神”が見出し直々に加護を授けた凄まじき6体の悪魔【醜穢なる邪霊】。歴史上この悪魔達が動いたことでどれ程の犠牲が出たのか計り知れない。その1体1体の強さは邪竜バルリュースはおろかあのオーク・デーモンの首魁ガンズ・エフなど及びも付かない。
魂の位階は最も低い者でも『850』を超えている。そんな強大な悪魔が動き出したとなれば世界の危機である。
「長きに渡って“悪神”を封じていた封印にも綻びが出て来たようじゃ。これはそう遠くない内に人と悪魔との全面戦争が起こるやもしれぬな」
「……それはつまり……スプンタ達も」
「まあ“契約”があるからな。適当に奴らの味方をせんとな」
「……そう、ですか」
「出来れば皆は引き籠もらせていたかったがな」
アフラは子をあやすようにスプンタの頭をぽんぽんと優しくたたく。そしてにやりと笑みを作る。
「……で、これで悪い知らせは終わりじゃ。次は良い知らせを教えてやろう」
得意げにアフラは言う。そこには先程まで物騒なことを言っていた面影は無い。
「くふっ、くぅっふっふっふっ」
「……何ですか?」
遂に変な笑い声を上げ始めた主の顔を見ようとスプンタはもぞもぞと頭を動かして見上げる。そこには笑い声に相応しい……憔悴していたのが嘘のような嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「聞いて驚け。……『父様』じゃ」
「……とう、さま?」
「そうだ。ワシの、ワシらの父様が再びこの世に戻って来たのじゃ」
「アフラ様の父君。…………っ!? まさかっ」
スプンタの驚愕に染まる顔を見て、アフラは実に愉快そうに笑う。
「微かに、だが感じたその気配は確かに父様の物であった。流石に所在までは掴めなんだが、この世界の何処かに必ずワシらの父様が居る」
「そ、んな……アフラ様達の父君は、既にお隠れになっていた筈……」
「なーに、父様は不滅よ。死んだところで消えはせぬ。ただ今まで気配の欠片さえ無かったということはそれだけ魂を癒やすのに手間取っていたということじゃな」
「……流石、と言えば良いのでしょうか」
「当然じゃな。ああ、しかし楽しみじゃ。また父様と出会えるなんて望外の極みじゃ~」
「本当に嬉しそうですね」
生気を取り戻したアフラを見てスプンタは安堵した様子を見せる。
「何を他人事のように。お主も無関係では無いであろう」
「え?」
アフラはスプンタの頬を指で突っつく。
「ワシは父様に、お主という新しい『子』が居るということを紹介したいのじゃ。……父様が生みだしたワシを含む子供達、その八番目の子であり……ワシ自慢の妹をな」
そう言ったアフラは今日一番の笑顔を見せた。




