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6.電脳世界から異世界へ

 全身の感覚が蘇る。

 鉛のように重い、そんな感覚すら無かった肉体。それが正義の意識に戻ってくる。


(……あれ?)


 何かの拍子に生き存えたのかと正義は考えた。ならば自身が居るのは荒野の大地。血にも似た鉄さびと土の臭いが満ちる夜の世界の筈である。

 しかし正義の蘇った感覚がここは荒野ではないと伝える。


(いったい何が―――)


 閉ざしていた視界を開く。視界に光が射し込む。


『―――え?』


 間の抜けた声が出てしまった。しかしそれも仕方の無い事。

 そこは夜で無く、荒野で無く……既知の場所では無かった。


『……ここは……何処だ?』


 荒廃した謁見の間。それが正義の視界に入った物だった。

 長い年月の間に風化した、時代を感じさせる建造物。そんな場所に正義は一人、王を忘れて久しい玉座に座り込んだ状態で居た。見上げれば通り抜けるような青空。白く輝く太陽が中天へ向かってゆっくりと昇る。

 天井の一部が無かった。崩れ落ちた石材の残骸が散らばり荒れ果て、射し込む陽光に照らされ陰鬱な影を作っている。


 正義は陽光の熱と隙間風の冷たさを感じながら自らの記憶を漁る。調べたのは〈Nirvana(ニルヴァーナ) Story(ストーリー) Online(オンライン)〉に存在する荒廃した設定のフィールド。この場所がその中のどれかと該当するか考えるが……


『全部覚えている訳じゃ無いけど……ここは知らないな』


 そのどれもこの場所と関連性を見受けられなかった。だから正義は位置情報を得る為に管理者用地図を収納空間(インベントリ)から呼び出そうとする。管理者用地図が有れば好きな場所へ何の制約も無く転移が可能な優れ物。だから迷子になっていようとこれ一つで何とでもなるので正義はそれを取り出そうとして―――だがしかし、地図はおろかインベントリさえ呼び出せなかった。


『……おかしいな? 魔王のイベントが終われば出せたのに』


 普通のプレイヤーならリュックや魔法空間で持ち物を管理しているが、正義は運営側に属する立場なので特別に過去のRPGのような特殊空間にデータとして管理出来ていた。重量・容量に縛られない無制限の収納は便利であり、もしもこれが一般のプレイヤーに使う事が出来ればゲームバランスが崩れる程の機能。

 そんな特権的機能を使う事が出来なかった。魔王ラーヴァナとしての務めが終われば自由に使えるようになった筈なのに。


(まあ別に貴重品とか持ってた訳でもないからいっか)


 無い物は仕方が無い。そもそも正義は一般のプレイヤーでは無かったので収集したアイテムやコレクションを所持していない。インベントリが無くともそう困らない……地図が使えないのは少々痛いが。


 それよりも正義はこの場に居て一般のプレイヤーと鉢合わせになる方が拙いと考えた。こんな一般フィールドで野生の魔王と遭遇するなどシャレにならない。高確率でいらぬ騒ぎに発展する。


『とにかくホームに戻ってログアウトかな』


 特定の場所、もしくは専用のアイテムを使わなければログアウトしてもアバターがその場に残る。魔王の抜け殻が野晒しで放置……その光景を想像して正義は変な笑いが出てきた。


(ははっ。これってバグ? 今の御時世、貴重な体験だな)


 珍しい事ではある、しかし無い訳ではない。

 人間よりも遙かに優秀な人工知能(AI)が世界を管理する現代。プログラムミスが殆ど無くなったこの時代に前後不覚レベルのバグは本当に貴重である。宝くじの一等や直撃雷ぐらいの体験である。

 だから正義はこれ以上周囲の状況を考えても時間が消費されるだけと判断、よって次に目を向けたのは自分自身の事だった。バグに巻き込まれて自身の設定情報(ステータス)に不具合が発生していないか調べようと思っての行動。


『ステータスっと……ん? ……え、あれ?』


 インベントリと違いステータスは表示出来た。

 それは良かった、そこまでは良かった。……その後が問題だった。初め、正義は見間違いかと思って目を擦る。レンズのような目と甲冑の硬質な指が擦れ合いきゅっきゅっと音が鳴る。この行為の効果ははっきり言って皆無。つまり正義が目にした光景に何の変化も与える事は無く。

 正義の視界には変わらず……()()を起こしたステータスが映り込んでいた。


(……バグ……じゃない? でもこの状態は……)


 変貌した己のステータスを前に正義は少しの間呆然としてしまった。


 ――――――

 名:ラーヴァナ

 種族:【羅刹(ラークシャサ)

 性別:男

 年齢:―――

 レベル:【1749】

 スキル:【百死羅刹ノ荒神(ラークシャサラージャ)】、【十天慧眼(マハダシャアクシ)】、【月崩武装(ウグルラチャンドーラ)】、【羅刹王ノ覇気(バイラヴァ)】【夜天ノ不死鬼(アクシャルラ)】、【人化】

 称号:【異界の魔王】、【羅刹の覇王】、【真の魔王】、【不敗】

 ――――――


 上から下まで二度三度確認するが、変わらない。


『……色々おかしいなぁ』


 変わらない、変わり果てたステータス。

 名称から大まかに意味を推測出来る物もあれば理解し難い物もある。

 上限突破したレベル、消えた能力値、何故か追加された年齢・性別、所持数も名称も変わったスキル―――それら全てを正義は一旦後回しにする。


 正義の目を一番に引いたのは……一つの称号。


『……【異界の魔王】?』


 ()()という単語に言い知れぬ物を感じる。


(……荒野(ランカー)は隔離されたフィールドだったから異界と呼べないこともない……けど)


 ステータスにあるスキルや称号は、それらを調べられる能力があればより詳細に調べられる。魔王ラーヴァナには必要無かったスキルなので所持していない筈だが―――


(見れる)


 感覚でスキルが発動したと理解する。対応したスキルはおそらく【十天慧眼(マハダシャアクシ)】だと正義は判断する。だがスキルの考察は後回しにして先ずは【異界の魔王】の詳細を読み取る。そうして彼の視界に表れたのは―――



 ――――――


 異界の魔王:この〈円天世界ニルヴァーナ〉とは違う世界から来訪した魔王。その身に宿す力は絶大である。異世界特性で自身のステータスに対して上位の偽装を掛けられる。


 ――――――



『――――――』


 絶句した。

 円天世界ニルヴァーナなど聞いた事が無い。〈NSO〉のNirvana(ニルヴァーナ)と何か関係が在るのか……そう考えたがあの世界は便宜上地球(アース)と同一だと設定されている。つまり異界とは正義が生きていた地球の事で、()()は違う。


『―――ログアウト!』


 ゲームから自身の設定しているホームへ帰還する為のコマンドを唱える。

 しかし反応は無い。


(ならっ!)


 次に手動でのログアウトを選択しようとする。どんなゲームやシステムでもメニューが設定されている筈……しかしそれも開く事は無かった。視界に存在するのは自身のステータスが表示された半透明のディスプレイのみ。


(……まさか)


 背筋に震えが走る。


(まさか―――ッ!!)


 胸に手を当て、そうして掌から感じる。


『ハ……』


 鼓動。


『ハ、ハハ』


 命の在処を主張するように脈打つ心臓。


 口元が裂ける。砕けるような音を鳴らし、青い装甲の兜が顎を動かし真っ赤な口腔を晒す。


『―――ハッハハハハハハハ!! ハーッハッハッハッハッハァーッ!!!』


 鋭く堅固な牙、赤い肉の長く尖った舌。人から外れた異形の顎から発せられる哄笑。


『生きてるッ!! 生きてるッ!!』


 湧き上がる激情。堪えきれぬそれに突き動かされた正義は腕の力で跳ね上がるように立ち上がった。


『俺はッ、生きてるッッ!!!』


 玉座粉砕。叩き付けた衝撃はそれだけに留まらず接する床や壁にまで深く夥しい破砕の亀裂を刻み込んだ。


『―――うっひゃい!? 壊れた!?』


 正義は振り返って自分が巻き起こしてしまった惨状を見る。

 玉座の形は失われ床も壁もボロボロ。もう少し力が込められていればこの謁見の間さえ無事では済まなかっただろう。


『―――……ウオッホン!』


 わざとらしく咳き込んでから少し落ち着く。

 現代で考えれば遺産として数えられそうな朽ちた王城。その中の物を破壊してしまった事に申し訳無い気持ちになったが……その罪悪感は一旦脇に置いておく。事故である。


 正義は考える。自らの身に何が起こったのかを。それは直ぐに思い付いた。


『これはまさか……転移……いや違う』


 何の因果なのか発生した事象。

 生命維持装置が無ければ血液さえもまともに流れず苦痛だけを訴える腐った肉袋。それが本当の正義の肉体。生きているのが不思議な程で、だからこそあの瞬間に終わっていた命。


 しかし今、ここに在る命にそんな脆弱さも儚さも無い。 同じ筈だった命……それなのに全く違う。全身全霊で感じられるこの命は正に―――


『俺は……“転生”した』


 生まれ変わったと云うに相応しい。


 〈NSO〉以外の電脳世界で瞑想した経験がある正義だからこそ理解出来る。どれだけ電脳量子で現実を似せようと、生死の境に在り続けた彼にとって作り物かどうかなど火を見るよりも明らか。


 だからこそ分かる。これが()()だと云う事を。


『……ああ……神様』


 心の底から湧き上がる想いが止められない。顔を両手で押さえて膝を付く。ゲームでは流せなかった涙が銅の目から溢れ出る。

 神の存在、その是非など考えた事も無かったが……この時ばかりはただ祈りを捧げる。


『―――ありがとう』


 感謝を。

 金の双角が床に擦れるぐらい頭を下げて、まるで幼子のように蹲り、正義は嗚咽を漏らす。人の居ない玉座の間でただ一人、滂沱の涙を流す。


 何時までもそうして居たかもしれない。それだけ込み上げる喜びは胸の奥を深く重く締め付ける―――


 だが想いに浸っている訳にはいかなくなる。

 事態は動いている。

 ここは、乱麻正義の知る世界では無いのだから。


『―――……音?』


 泣いた事が影響してか幾分か冷静さが戻る。それで正義は()()を感じ取る。

 聴覚を刺激する僅かな音。触覚から感じ取る……遠方からの震動。


(誰かが……大勢の人が“何か”と戦っている?)


 弾かれたように立ち上がる。

 妙な胸騒ぎ。それに従って正義は自らの感覚が指し示す方角へ意識を向ける。


 遠く、謁見の間を擁する王城から距離にして数百m南へ離れた場所。そこで打ち鳴らされる……“戦闘音”。


『……ッ!』


 両脚に力を込めて跳躍。もう何かが壊れる事など気にならない。蹴り抜かれた床が大きく陥没してクレーターのような破壊痕を刻む。


 正義の……魔王(ラーヴァナ)の巨体が数十m上空へと打ち上げられた。


 遮る物の無くなった満天の青。荒廃した城のみならず都市の全てを睥睨できる高さにまで上昇したラーヴァナ。そこで彼は見下ろす。眼下に広がる荒廃した都市。長い年月で寂れた石造りの都。

 都市を囲む鬱蒼とした樹海はまるで外界から隔絶するようで。北に見える絶壁の如き険しい山脈も、南に見える遠く広がる平原も。この廃都は深い森によてその全てから隔離されていた。


 そしてラーヴァナは視る。

 この廃都の中に有って開けた区画。過去には催しを行う広場にでも使われていたであろうそこで、ラーヴァナの想定していた以上の事態が進行していた。


『竜と……軍隊?』


 禍々しき巨大な赤竜が一頭。そして人間らしき武装集団、つまりは軍隊が二万。その両者が戦闘を行っていた。


『来て早々……落ち着く暇も無い』


 ラーヴァナは赤竜を一目見て『禍々しい』と直感したが、その感覚が何処から来る物か自覚は薄い。未知の感覚……だがラーヴァナはそれを信じる事にし、赤竜……推定“邪竜”を敵と定めた。

 そうした理由は軍隊に掛けられている()()も大きく関わっていた。


 二万人近い軍に掛けられた強力な守護……それは凄まじい物であった。


 竜の吐く悍ましい火炎、振られる巨大な黒い爪牙、叩き付けられる長く太い尾。擦れる鱗でさえ凶器。そのどれもが人の命を容易く奪う……だが邪竜のそれらは未だ一つとして命を断てていない。

 ドーム状に軍全体を覆う守護、白く輝く結界。それによって全て防いでいる。それによって彼等の命は助かっている。


(……一人……たった一人で?)


 ラーヴァナは驚嘆する。二万の命を守護する結界から感じる気配、その出所がどう見ても()()()()()()()であったからだ。並みの術者では無い。

 ラーヴァナは邪竜から感じる圧力と攻撃規模から戦闘力を推測……それに対抗する術者の力量がどう低く見積もっても〈NSO〉トッププレイヤーを凌駕している事実を知る。

 現実に置き換えれば、個人で『国家を滅ぼせる力』を保有しているに等しい。それだけの力を持って人を守る()()にラーヴァナは素直な感動と尊敬を抱く。


 ―――だがそんな守護も限界が近かった。


 人間側が完全に圧されている。どれだけ強固な守護が在れど反攻の力が無い。時折軍隊の中から邪竜に向かって放たれる魔法や何かしらのスキル……それらは頑強な鱗に包まれた邪竜の硬皮の前では焼け石に水といった有様。結界が消えた瞬間皆殺しにされるとラーヴァナは思った。


 そんな二万の命を繋いでいる結界……それが今正に消えようとしている。あの術者の限界が直ぐそこまで迫っていた。


『我に力を―――』


 魔王は直感に従い一つのスキルを発動、そして更に自身の手に相棒である刃を召喚する。


『【月崩武装(ウグルラチャンドーラ)】!! 出でよ―――繊月の剣(チャンドラハース)!!』


 月は顔を見せず、だが魔王は月の加護と月光の剣を召喚する。月夜以外では真価を発揮出来ないスキルと武装。真昼に近づく今の状況では効果が薄い筈のそれらはしかし、ラーヴァナの呼び掛けに応えるように大いなる力を与える。名を変えて、姿を変えて……ラーヴァナに以前よりも膨大な力を授けた。


『!!』


 湧き上がる力に呼応して銅色の目が、両の目に収まる二十の視覚器官が輝く。……今なら、何だって出来るような万能感がラーヴァナの心に芽生える。


 上空へと跳び上がった力が消えてラーヴァナの巨躯が落下を始める。そうして彼は大地へと引き寄せる重力に身を任せながら、妖しく輝く曲剣を肩に担いで赤き邪竜を睨み付ける。


『―――さあ、竜狩りだ』

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