56.孤児院『光の園』
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整然と管理されている畑や植木が立ち並ぶ庭。そこで黒い角の生えた少年が座りながら足の筋を伸ばす柔軟運動を行っている。
鬼人の少年ナーダは教会方向にある柵の扉を開いてやって来る人物に気付く。それは彼に訓練を付けてくれている青年、鬼と人の両方の顔を持つセーギであった。
「あ、兄ちゃん」
「おはようナーダ」
「おはよう」
ここは聖光教会に隣接するように存在する孤児院『光の園』。そこには多くの身寄りの無い子供達が生活しており、彼らの殆どは将来的に教会に務めることを希望している子供達でもある。強制はしていないので巣立ちの時は他の道を選ぶ子も居る。
セーギはナーダの傍まで来ると辺りを見渡す。
「今日はナーダ1人?」
「サクラも来てるよ。今日は休養日だからって、今は中でガ……子供の面倒を見てる。そういう兄ちゃんは?」
「俺は時間に少し余裕が出来てるからこっちに顔を出そうと思ったんだ」
そう言ったセーギの髪は少し湿っており、服は清潔でゆったりとした物に変わっている。
「……5日後に『式典』があるし明日からは訓練のメニューをちょっと見直そうか」
「……そう? 俺は大丈夫だけど」
「いや折角の晴れ舞台なんだし、当日に体がガタガタじゃあ格好付けにくいよ」
「いや、本当にいいんだけど……」
乗り気そうなセーギに対してナーダはむず痒そうにする。『式典』には大勢の人が集まることになる。それを想像して少々怯んでいる。
ナーダはこの話題から逃げる為に他の話しを振る。
「今日は兄ちゃんだけ? マリーは?」
「マリーは司教のジャナカさんの所に居るよ。式典の時におめかしするのを特注してるみたいだから。マリーは結構楽しみにしてるみたいだけどね」
「ぐっ」
逃げたと思った話題が戻って来た。ただセーギは狙って言ったわけではなかったので、気にした様子もなくもう一つの問いに答える。
「後、来たのは俺だけじゃないよ」
「そうなの?」
「うん。ほら」
先程セーギが来た所からもう1人、黒い髪の少女が歩いてくるのが見えた。
「ああ、シータ姉ちゃんか。皆喜びそうだな」
「慕われてるからね、聖女様って。まあシータ自身の仁徳が一番大きいんだろうけど」
「……まあ喜ぶよりも、緊張の方がデカくなるだろうけど」
風に揺れる黒髪を手で押さえるように撫でるシータ。彼女は2人の居る所まで来て立ち止まる。
「おはようナーダ。調子はどう?」
「おはようシータ姉ちゃん。……ガタガタだよ」
ナーダは渋い表情を浮かべると手や足を撫でる仕草をする。見た目に大きな傷は無いが日々の訓練でナーダの内側には拭いがたい疲労と損傷が蓄積されている。そんなナーダの肉体をしっかりと休める為にセーギは今日の訓練を丸一日無しにしたのだ。
「【治癒】の魔法も万能ではないから。魔力が肩代わりするとは言っても傷の修復は対象の生命力が大きく関わってくるの。完治まで持って行くのも本人の努力が必要よ」
「努力?」
「今してる休養や、後はしっかりと食事を摂ることね」
セーギが挟んだ疑問にもシータは丁寧に答える。ナーダは【治癒】の講釈を聞いて「へー……」と感心しながら立ち上がる。
「よっと。……兄ちゃん達時間があるって言ったけどご飯は別で摂るの?」
「ああ、それは」
「今日は私が作るわ」
凜としたシータの声が通る。
ナーダは彼女の発言に目を丸くする。セーギはそんなナーダへ悪戯っぽい笑みを見せる。そしてシータは取り出した髪留めを使って先日セーギ達に料理を振る舞った時のように手早く髪をまとめる。
「さあ行きましょうか」
――――――
「シータ様。これはどうしましょうか?」
「そうね……このぐらいの大きさで切揃えてくれる? サクラちゃん」
「わかりました」
「『見えてる人』でも手を切る時は切るから、“反響定位”でしっかりと認識してね」
「はい頑張ります!」
シータはサクラへ包丁を渡すと自分の作業を進めていく。台所には2人以外に年長の子供達やこの施設で勤めている修道女も居る。まだ20代前半に見えるその修道女はシータの方へ歩み寄る。
「……シータ様」
「どうしました?」
シータの微笑みを見た修道女は顔を赤くして頭を下げる。
「あ、あの……ありがとうございます。シータ様が来てくれて子供達も喜んでいます」
「いいのよ。予定していたことだったから」
シータ、それにルミーは予定が空いた時などはこうして孤児院に顔を出す時もある。シータが幼少時に過ごした孤児院は既に存在しないがそこで受けた恩を返すように彼女は、熱心に慈善活動をしているルミーに協力する形で働いている。
「それに、……好きでやっていることだから」
手元にあった大量の芋。その全てが一瞬にして綺麗に皮が剥かれた状態になる。それを器に入れると手が空いている子供に渡して作業を手伝ってもらう。剥いた皮も別の子供に渡して加工してもらう。手伝っている子供は女の子が多いが、それでも近くでシータの顔を見ると照れて顔を赤くする。
もじもじしている女の子に水を張った鍋を渡す。
「火の扱いは気を付けてね」
「うん」
「良い子ね。……ベリナさん。この子に付いてあげてもらっても?」
「はい、お任せください」
修道女ベリナに鍋の火を見る子供の面倒を頼む。そうしてシータは朝食の準備を進めていく。
「…………」
そんな折りにセーギが通路から台所を覗き込んでいる姿があった。彼の手には洗濯が済んだ衣服やシーツが大量に入った籠がある。普通の人ではバランスを崩しそうなそれを彼は高い能力を駆使してしっかりと持っている。
セーギの瞳には子供へ微笑みかけるシータの姿が映っている。
それはセーギまで自然と温かい気持ちになる光景であった。―――それに目を奪われて足を止めていたセーギの背後から突撃を食らわせる子供が居た。
「えーいっ」
「……おっと」
突撃してきた子供が怪我をしないようにセーギは衝撃を散らす。人にぶつかったのにまるで布団に当たったような感覚を味わってその子供は不思議そうに「おおー?」と声を零す。セーギは自分の足に抱き付いている、腰以下の背丈の子供に視線を落とす。
「やあロロ、今日も元気だね」
「おはよー」
セーギの足に抱き付いていたのは2歳になったばかりの小人の幼女だった。赤茶色の髪がぴょんぴょんと跳ねており毛足の長い犬のような印象を与える。セーギは片膝を着いて屈むがそれでも彼女の方がまだ小さい。
「台所に用があるの?」
「おさとう」
「舐めちゃ駄目って前に注意されただろ?」
「はっぱー」
幼女は食用の葉っぱを取り出してゆらゆら揺らす。
「ごめんな、マリーは司教様の所へ遊びに行ってるから今日は居ないんだ」
「むぅー」
「はい口開けて吐き出してねー」
葉っぱを咥えてむくれた幼女にセーギは苦笑しながら、洗濯籠を片手に持ち直して彼女の口から葉っぱをゆっくり引き抜く。
「ねえロロ。これから洗濯物を皆で干すんだけど君も手伝ってくれないか?」
「ええー」
葉っぱをポケットに入れたセーギはお手伝いを頼む。ちょっと嫌がる素振りを見せる幼女の頭をぐしぐしと撫でる。木々の間や狭い場所を駆け回る小人という種族故にその体毛は固めな感触がする。余計に犬っぽいとセーギは思った。
「良い子にしてたらマリーも褒めてくれるよ」
「ほんとー?」
「ああ本当だよ」
セーギが立ち上がってゆっくり歩き出すと幼女は彼のズボンを握りながら付いていく。セーギの説得でお手伝いをする気になったのだ。
「…………」
そうして台所前を通り過ぎていくセーギの姿をシータは見ていた。子供であっても相手の意を汲もうと穏やかに接している姿を見てシータは胸の奥が疼くような、傍に行きたくなるような気持ちを抱く。そんな風にセーギが立ち去るのを見送った後、その入り口から別の人物が姿を現わす。
「シータ様。おはようございます」
「……あ、……おはようございますマルタさん」
現れて挨拶をしたのはこの孤児院の院長を務めている初老の修道女。伸びた背筋に穏やかな気性が面に現れたような彼女は老化の影響で白くなった髪を短くして纏め、他の修道女よりも裾や袖がゆったりとした修道服を着ている。そんな彼女はシータの幼少期を知る古参の1人でもあり過去には聖騎士として悪魔と戦ったこともある女傑でもあった。
「今日はお見えになれて良かったです。先日はルミー様も来て下さっていました」
「私も来られて良かったです」
セーギが来てモンスターの軍勢と戦った日を境にこの近辺での魔物のモンスターやデーモンが鳴りを潜めた。それによって特級戦力であるシータやルミーが出る必要のない、他の騎士や冒険者などで十分対処出来る程度の脅威だけで、昨今の城塞都市クルルス周辺は比較的平和な日々が続いている。
「……もしかしたら他の地へ赴くこともあるかもしれませんし」
「シータ様には……苦労を掛けます」
そんな日も何時まで続くかわからない。マルタは目の前に居る少女が剣を握る戦うことに申し訳なさを感じている。何時終わるかも知れない悪魔との戦い、その中でシータは誰よりも過酷な場所で剣を振り続けた。今の日々もそんな彼女に対して教会が配慮した結果でもある。
「シータさま。これは?」
「それはベリナさんが見てる鍋へ持って行ってくれる?」
「わかりました!」
芋の下拵えが終わったのを報告しに来た少女達へシータは指示を飛ばす。そうして鍋の方へ向かう少女達を笑顔で見送る。
傍でシータの様子を見たマルタは、その表情が以前よりも『質』が変わったと感じた。そして彼女はその理由にも察しが付いている。マルタは微笑みを浮かべてシータを見る。
「……花が咲きそうですね」
「え?」
「ふふ、いえいえ、お気になさらず」
戦いに身を置いてきたシータ。マルタはそんな彼女が人並みの幸せを手に入れることを願っていた。だから彼女はここへ来た時に、シータが熱の籠もった目で青年を見ていたことを知って嬉しくなった。マルタはこれまでシータを見てきて、あんな恍惚とした表情を見たことはなかった。
「……素敵そうな人で良かったです」
「素敵?」
「セーギ様です」
「っ!?」
シータは顔を赤くしてわたわたと慌て出す。その話題を急に出されると弱い。
「え、いや、その、あ、あ、あの彼は友達……、そ、そう! 素敵な友達ですっ!」
「そのようですね。良き出会いに恵まれました」
マルタは年寄りのお節介でシータの背中を押してやりたく思う。だがマルタはそれをするのは自分の役目ではないと考えた。
「では私は外の様子も見てきます。此方のこと、すみませんがお願いします」
「あ、わ、わかりました」
「それではシータ様、又後ほど」
内心この話題を乗り切れたと安堵しているシータ。そんな彼女へ最後に優しく微笑んでからマルタは台所から立ち去る。
マルタは通路を歩き、そして窓からセーギを中心に子供達が洗濯物を干している光景を見る。
まだ小さな子供が加減などわからぬと言ったようにセーギへ悪戯を仕掛ける。しかしその全てをセーギは類い希な能力とそれを十全に支配する技量でいなす。そうしてセーギは子供の相手をこなしつつ手伝いも済ませていく。
「……彼が『魔王』だなんて。……ふふ。長生きはしてみる物ですね」
優しく誠実。そして何より『強い』。こうして見るセーギの姿は司教から伝え聞いた怖ろしい“魔王”ではなく、人々が理想とする“勇者”のように感じられる。
「主よ、どうか彼らの道の先に幸福があらんことを」
シータがセーギを見ていた、……その少し前に彼も彼女を見ていた。
その事実にマルタは良き未来が訪れることを予感し、それが実現するようにと祈った。




