52.ニルヴァーナ 下
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セーギは自力で歩けるようになったナーダと共に教会へ向かう道中でマリー、そしてロベリアとディアンサスと合流した。
この10日間で実は面倒見が良いとわかったディアンサス。セーギはそんな彼女に外出中の間マリーのことを頼むようにしているので、ロベリアも交えて世間話ぐらいは交わせる間柄になっている。
それでもディアンサスは『友達』になることは拒んでいる。マリーと仲が良いように見えるがそれでも何処か一線を引いている。何か話したそうにしている様子も見受けられたが結局ディアンサスはそれを口にすることはない。
セーギも別に誰とでも仲良くなれると思ってるほど能天気ではない。ただマリーが彼女達に親しみを持っているので可能ならもう少し踏み込んだ関係になりたいと考えている。今もディアンサスはその腕の中にマリーを優しく抱いて歩いている。
(……追々かな。ディアンサスの事情……マリーと関係があるらしい、彼女の話しを聞くのは。)
そうして彼らが近況や訓練の経過、都市の様子などを適当に話しながら教会へと近付いて行く。
そうしてセーギ達の目に教会が映る。
他の建物よりも飛び抜けて高い塔。その頂上付近には鐘塔にある鐘のように、“ヴィージャル教”の聖印、7つの星と1つの巨星のある“円天”を象った金属製の大きなシンボルが吊り下げられている。それは太陽の力に呼応して夜明け・正午・日没の3度とピアノの音色のように聖歌を1節だけ奏でて都市中に時を告げる。
そして聖印が正午を告げる聖歌を奏でる。
旋律が都市を駆け抜ける中、セーギ達は教会からこちらへ向かってくる人影を見る。
セーギはナーダの背を軽く押して促す。
「ナーダ。お迎えだよ」
「おう。……って、あいつ!? 走ると危ねぇって言ったろうがっ!?」
手を振りながら急ぎ足で駆けてくるサクラ。擦れ違う人の間を抜けてくるその姿は盲目とは思えない動きではあるが、それでも碌に走った経験のない彼女のその走り方は不格好である。そんな何時躓くかわからない危なっかしい様子のサクラへナーダが痛む体を押して駆けよる。
教会から来たのはサクラだけではなく、その後ろから彼女を見守るように歩くフードを被ったルミーが居る。ルミーはセーギ達と目が合うと一礼する。
「ナーダっ、私……きゃっ!」
「うおいっ!?」
躓くサクラ。ナーダは“縮地”を使い一瞬で彼女の元へ駆け寄り正面から受け止めて転倒を防いだ。
そうしてナーダはそのそそっかしさに小言を言い、サクラはそれを朗らかに聞く。そんな2人に遅れるようにセーギ達やルミーが集まる。
「こんにちはルミー」
「こんにちはセーギ様、マリーちゃん。そしてロベリア様とディアンサス様」
軽く昼の挨拶を済ませると連れだって教会の敷地内へと入る。セーギ達の後ろをナーダがサクラの手を引いて付いてくる。
「ナーダ、今日は私が貴方の治療をするのよ」
「……不安だ」
「まあ、それはどういう意味?」
「今さっきドジってた奴の治療って……」
「ううっ……それはごめんなさい。……で、でも治療は大丈夫よ、私もルミー様から薫陶を受けているものっ」
仲の良いやり取りを聞きながらセーギは姿を見ていないシータを探す。その様子に気付いたルミーはシータの所在を答える。
「―――調理場、ですか?」
「はい。今日のお昼はシータちゃんが作ってくれているんです」
セーギは前に「シータは家事全般の技術を高めている」とルミーから聞いていたこと、シータのスキルの中に“家事”が存在したことを思い出す。
「でもどうして急に?」
「…………」
ルミーは考え込む。何と答えるべきかと。そうして彼女はセーギの顔を眺め、微笑む。
「……内緒です」
「内緒、ですか?」
「はい。これはシータちゃん自身から言った方が良いと思ったので」
「そうですか。わかりました」
ちょっと気になりつつもセーギは了承を示した。何時もなら出迎えと合わせて模擬戦の予定を組んでくるシータがこの場に居ないことに違和感を覚えながらセーギは教会の中へと入る。既にセーギはこの教会には顔パスで入れるようになっている。
「……料理」
「どうかした、ディアンサスさん?」
「別に」
ディアンサスが呟いた「料理」という言葉にセーギが反応したが彼女は連れない態度を見せる。その様子にロベリアが口入れする。
「その子、料理が趣味なのよ」
「ちょっとロベリアっ」
「そうなんですか?」
勝手に自分のことを伝えるロベリアにディアンサスは噛み付くが、ロベリアもセーギも特に気にした風もなく会話を続ける。
「故郷に居た時は家族や友人に振る舞っていたらしいわよ。だから腕はかなりの物よ」
「成る程」
ディアンサスのスキルには“料理”がある。それは彼女が故郷で培ってきた物であるとセーギは知った。料理スキルを持つ者が作り出す料理。セーギはそれに強く興味が引かれた。セーギの様子に何を考えているか察したロベリアは苦笑を浮かべる。
「……森人の食生活は独特だから、普人が食べるのにはちょ~っと覚悟が要ると思うわ」
「覚悟? 食べるのに?」
ご飯を食べるだけ。それに覚悟を要するエルフの料理とはいったい何なのか俄然興味が湧いてきた。しかし詳しく聞く前にロベリアの言い方に気分を害したディアンサスが不機嫌を露わにする。
「うっさいわね、普通よ、ふ・つ・う。森の外の奴らが勝手にゲテモノ扱いしてるだけじゃない」
「……ゲテモノ」
「私は平気よ。蛇人も深い森の中で居を構えることが多い種族だから」
「私達森人に台所を使わせたがらない人間が多すぎるのよね。なんでそこまで嫌がるのか理解に苦しむわ」
そうして世間話をしながら通路を歩いていると近くの扉が内から開かれる。そこはセーギ達が食事を摂る時に利用している部屋であり、その中から黒髪の少女が現れたのを目に留める。
「「あ」」
目の合ったセーギとシータが声を上げる。
シータは不意にセーギの姿を見ると落ち着きがなくなるのは治っていない。最初の頃よりましにはなったが頬は赤みを増すし緊張で体は固くなる。それでも彼女は不器用ながらも微笑みを浮かべてセーギ達を招く。
「こ、こんにちは皆。どうぞ中へ入って、もうお昼の用意は終わってるから」
「…………」
「……どうしたの?」
シータは反応の薄いセーギに不思議そうに目を向ける。
背の関係で下から見上げて来るシータの姿をセーギははっきりと見る。彼が見ていたのは普段とは違うシータの服装だった。
黒い髪は料理の邪魔にならないように三つ編みにした髪を後頭部で団子にするシニョンにしており白い首が露わになっている。普段は隠れているほっそりした項は女性らしさを意識させる。
服装は普段から着ている白い修道服の上から薄紅色のエプロンを着用している。その服装と彼女の体に残っている料理の香り。それによってこれまで見ることがなかったシータの家庭的な一面が―――
『正義』
―――懐かしい風を正義に届けた。
その風に映る景色には、小さな黒髪の子供を間に挟んで歩く黒髪の男性と女性の姿がある。その男女は子供へ優しく笑いかけている。
その光景は温かくて優しい、……だけど手を伸ばしても届かない。遠い、遠い、太陽よりも遠い場所にある温もり。
『正義。私達の一番大切な―――』
赤。
子供の手から擦り抜けるように2人の男女は赤く溶けて消える。
残された子供は1人で佇む。その体が指先から黒ずみ腐っていく。
光り輝く世界から血と死体が地を埋め尽くす黒い世界へと変わる。そこでただ1人立つのは腐臭を放つ子供。痛みと苦しみに喘ぐ無力な子供。
腐った皮と肉が落ちる。その下から露わになる醜い醜い悪鬼。
子供は怪物に成り果てた。そこに過去の面影は無い。
消え去った男女から受け継いだ黒い髪も、目も、肌も、声も、血も。何もかも。
全てが腐って崩れてしまった。
それは過去の残滓。終わり朽ち果てた人生の欠片。
……俺は、ここで何を―――
―――セーギ君―――
「―――……あ……え、あれ?」
「大丈夫? セーギ君」
心配そうに見上げて来るシータ。彼女の姿を視界に収めたことでセーギの意識は過去から今へと回帰した。
「……うん。……大丈夫」
セーギは笑顔を浮かべて心配は無用だと伝えた。
(そう、もう大丈夫)
生きながら腐敗していた自分を思い出して足下が定かでは無くなったが、セーギは今はこうして生きてここに居ることを心の中で自分に言い聞かせる。
「…………」
シータはそんなセーギの力の無い笑顔に気付いた。
「セーギ君」
「……あ」
そっと、セーギの手がシータに優しく握られる。とても、とても優しい自然な笑顔を浮かべてシータはセーギを導く。
「実はね、ここ最近私の我儘に付き合ってくれたセーギ君へのお詫び、……お礼も兼ねたお返しを今日は料理で用意したの。……貴方の口に合えば良いんだけど」
部屋へ入れば彩り豊かな香りが広がる。それはシータが纏っていた香りの元であった。
テーブルには様々な料理が置かれている。セーギへのお詫びと言っていたがそこにはきちんと全員分が用意されている。
魚や鳥を主菜に据えて、新鮮な野菜や卵を用いたサラダや芋を使ったポタージュ、籠に入れた焼きたてのパンの山。それらが花咲くように目に飛び込んでくる。
「……これ、全部シータが?」
焼いた魚を貝類や果実、香味野菜と煮込んだ物。ローストした鳥肉を野菜から作ったソースで絡めた物。それらを指し示してセーギがこれら全てを作った人物へ驚きの表情を見せる。
「うん。……迷惑だった、かな?」
「そんなこと、無いよ。……うん、凄い嬉しい」
「本当に? ……良かった」
恥ずかしそうな、そして不安そうな、シータはそんな表情をしていた。彼女は日頃のお返しを自分が作った料理なんかで返して大丈夫なのだろうかと考えていた。それが恥ずかしさと不安を感じていた理由だった。
シータは自分が用意した物をセーギに受け入れてもらえ安堵した。「嬉しい」と、そう言って貰えて胸が熱くなった。
「ねえセーギ君。私ね―――」
踏み出した思いの熱は言葉となって出る。それは普段のシータからでは考えられないほど素直に、正直に、温かさを持って伝えられる。
「―――貴方に会えて良かったと思っているわ」
「――――――」
セーギの目に映る彼女が浮かべた笑顔は、これまで見た何よりも優しく。
「だから、これからも私と友達で居てくれますか?」
美しかった。
「―――うん。こちらこそ、よろしくねシータ。これからも」
繋いだ手は温かく、セーギの胸の奥にあった澱んだ黒を、泡沫の光で押し流した。
彼はこの温もりを大切にしようと思った。理由はわからない。でもこの世界で生まれ変わった自分にとってこれは掛け替えのない物になると感じたのである。“魔王”でも“勇者”でもない。『セーギ・ラーマ』へ生まれ変わった1人の男がこの世界で生き続ける為に。
「本当に、ありがとう」
セーギはこれからも歩き続ける。




