51.ニルヴァーナ 中
◆◆◆
とある庭付きの小さな一戸建て。その庭にディアンサスとマリーが居る。
それは別にマリーがセーギの元から別れたというわけではなく、外にナーダの訓練を付けに行った彼が一時的に面倒をお願いするのが何時もの事になりつつある。
「―――……はい。どうかな? かなり見た目は良くなったわよ」
『わぁ! ありがとうディア!』
ディアンサスはマリーの首にあの鈴付きの首輪ではなく、代わりに自身が身に付けている銀のリボンと同じような物を首に巻いてあげた。
「マリーちゃんも魔法が使えるならこれで『偽装』の切り替えが出来るわよ」
『……んしょ、こうかな?』
首に巻かれたリボンが光る。そうするとマリーの姿が銀の斑紋のある黄金の鹿の姿から、何処にでも居そうな何の変哲も無い『茶色の鹿』の姿になる。
「そうそう上手よ! やっぱり貴女達は人間よりもずっと魔法との親和が高いわね」
そのリボンは“魔道具”である。何故鈴付き首輪から銀のリボンに変えたかといえば、ディアンサスが「こっちの方が可愛いじゃない」と言って首輪を改造して作り直したのだ。マリーも今のリボンをかなり気に入っている。デザインは元より自分の意志で機能を切り替えるというのもこのリボンの良い点である。
「さて。そろそろマリーちゃんの友達……セーギも帰ってくるし、迎えに行く?」
『うん! 行く!』
「じゃあ行きましょう」
庭から出ようとする2人。そこに声を掛ける者が居た。
「お出掛けかしら?」
背の低い庭木の向こうに立って居たのはローブを羽織ったロベリアであった。
「そうよ、マリーちゃんを連れてね」
『こんにちは、ロベリア』
「こんにちはマリーちゃん。そのリボンとっても素敵よ」
彼女は愛用の煙管を吹かせつつディアンサス達が来るのを待つ。
「暴力団、あんたのとこ1つになったから忙しいんじゃなかったの?」
「部屋に籠もりっぱなしで『お話を聞きだす』のは息が詰まるもの。私だって気分転換ぐらいしたいわ」
石畳の道をちょこちょこ歩くマリーに付いていくようにロベリアと、荷物からローブを出して着たディアンサスは進んでいく。彼女達が目指すのは西門でありこの時間であれば外で訓練をしていた彼らが帰ってくる予定である。
「……で、進捗は?」
フードを目深に被ったロベリアとディアンサスが
「そうねぇ……、貴女がこっちに来た時に持ってきてくれた資料と馬車で運ばせてた物もきちんと手元にあるから捗ってるわ。近いうちに私無しでも十分に後を任せられるようになるわ」
「お疲れ様……は、ちょっと早いかしら?」
「そんなことはないわ、ありがとうディアンサス」
2人の会話を聞いていたマリーは彼女達を見上げる。
『なんの話し?』
「あらマリーちゃん、気になる?」
『うん』
「そうね……」
ロベリアが吐く紫煙が赤く変わっていく。
「私がしてた話しは――――」
それは甘い匂いを漂わせて空へと昇っていく。それを見上げながらロベリアは口角を吊り上げる。
「―――『悪だくみ』よ」
耳まで裂けるような笑みを浮かべるロベリア。見る者を萎縮させる妖気を放つ彼女の姿をマリーは黒い瞳で見詰める。
普通なら怖じ気づくような裏社会に身を置く者の空気。―――それでもマリーは気にすることはなかった。
『そうなんだ』
「……ええ、そうよ」
マリーは前を向き、駆け出すと少し先で立ち止まる。
『……ロベリアは怖い』
振り返り、やはり普段と変わらない黒い目でロベリアを見る。
『でも、嫌いじゃない』
「――――――」
『ボクと、セーギもそう思ってる』
それは“言霊”。それは口を噤むことは出来ても『嘘』を吐くことは出来ない心の声。そんなマリーの言葉を聞いたロベリアから妖気が霧散する。
「それは、……嬉しいわね」
ロベリアの笑みが先程の蛇のような物ではなく、優しげな微笑みに戻る。
「マリーちゃんには敵わないかもしれないわね」
『何が?』
「いいえ。何でもないわ」
「…………」
ロベリアの微笑み。しかしそれは少し影のある物で、ディアンサスはそんな笑みを浮かべる友人を見る。自分が口を挟むことではないと考え黙っていた。
「さあ、坊やを迎えに行くのでしょう? ナーダ君も頑張ってるみたいだしマリーちゃんも一緒に褒めてあげましょう」
『……うん!』
「毎日よくやるわねあいつらも」
誰もが何かを抱えている。その結果がどうなるのかは誰にもまだ知ることは出来ない。
マリーは疑わない。それでも自分達が進む先に幸福な未来があることを。例え光を遮る暗い闇が差し込んでも、それを切り裂く『青い光』があることを。今も見守ってくれている“精霊”がそれを保証してくれている。
青い光を纏う『彼』。そんな彼を迎えに行く為にマリーはまた前を向いて駆け出す。
◆◆◆
―――調子はどうですか。季節の変わり目というのは悪い風を運んできます。私のような筆無精が突然手紙を出す事になって驚きで体調を崩さないか心配です。
其方の司教様から此方の事を聞いているかもしれませんが、大きな被害も出ることなく無事に今日を迎えています。だから私が片付けるべき仕事もあと少しで一段落します。なのでこの機会に会いに行こうと思うのですが、私が急に行っても迷惑ではありませんか? 言葉や気持ちを伝えるのが少し、ほんの少しだけ苦手な私ですが、貴女と会って話をしたいという気持ちは本物です。―――
―――そうですね、食事なんて良いかもしれません。家族で食事、私が各地を飛び回ることが多くて殆ど席を共にすることは出来ませんでしたね。もし貴女さえ良ければ私と何処かへお店へ行きませんか? それとも私が家で何か作りましょうか? 出歩いて貴女を疲れさせてしまうよりその方が良いかもしれません。
聞きたいこと、伝えたいこと、沢山あります。
私は貴女に会える日を楽しみにしています。
シータ・トゥイーディアより、ウールミラー・トゥイーディアへ―――
――――――
都市の東部。そこは商人ギルドがあり、それに類する店舗が軒を連ねている区画がある。武器防具はもとより生活雑貨に衣料品、医薬品、そして賃貸や建築など多岐に渡る店が存在している。
そこには荷物や手紙を郵送することを商売にしている郵便屋も店を構えている。都市から都市へ、果ては海を渡った他国や辺境地まで配達を請け負うその郵便屋は多くの者が広く活用している。
王都であるクルルスには相応に規模の大きな店を構えるその郵便屋から1人の白いローブを着てフードを被った女性が出てくる。
フードの中に黒い髪を収め、紺碧の瞳は迷いなど無いように澄んだ美しく怜悧な気を放つ少女シータ。。剣と聖職を胸に抱き生きる彼女らしくその立ち姿もまた美しい。
(う-……送っちゃった。大丈夫、よね? 私からの手紙なんて嫌がられないかしら? ああぁ……不安が、不安が止まらないわ)
怜悧さがあるのは外見だけで内心は情けなく乱れていた。
頑張ってしたためた手紙の配送をお願いしたシータは店内から道へと出る。周りの人が彼女の姿を見るが聖印が刺繍されたローブを見て聖職者であることを確認するとそれ以上興味を持つことなく通り過ぎていく。以前に貧民街で着ていたローブと同様の効果を持つ魔道具によって人混みでもシータが目立つことはない。
シータは腰の左側に佩く聖剣パドマー、その柄頭に左手を乗せる。それはシータの癖で落ち着かない時はこうして剣に触れるようになっていた。
そして彼女は歩き出す。その進む先は西、目的は後2時間も経たない内に帰ってくる青年。
(……40戦、40敗。ぅぅ……悔しい。私、こんなに負けず嫌いだったのね)
剣に触れたこと、そしてこれから彼に会いに行くで脳裏に過ぎる戦績。彼と10日間で積み重ねた模擬戦でのシータの戦績。そこには1勝も無い。全敗である。
ぎしり、と柄頭を握る手から音が鳴る。その力は上位金属に分類される聖銀であっても変形させる強力であり、最上級の武器である聖剣だからこそ無事で済んでいる。それほどの力が出てしまったのはそれだけシータが度重なる敗北に悔しさを感じたからである。
(でも……)
初回……初日はシータにとっては忘れたい無様を晒した。しかし翌日からは彼女の主観で『比較的』に敗北後の見苦しさは減った。そうして10日間で積み重ねた模擬戦の数が40回である。
ちなみにセーギは負けた後のシータの様子が『あれ』なので人払いや模擬戦を実施する時間には細心の注意を払うようにしている。
柄頭を掴んでいた手を放し、その手で自分の目元を覆う。顔が普段よりも熱を持っているのが手の平から伝わる。
(……私、かなり迷惑掛けてる)
後悔と羞恥が襲い掛かる。
(何かお詫びを。それに模擬戦を受けてくれているお礼も)
少し熱さが引いたところで手を下ろし、辺りを見渡す。お詫びとお礼になる物を彼のことを思い出しながら考える。
(ご飯を食べるのが好き、というより『食べること』それ自体を楽しんでる? 聖獣であるマリーちゃんと仲良しで、時間が有れば一緒に孤児院に居る子供達の遊び相手になってる。夜中は教会の修練場でよく瞑想をしていて何時寝ているかわからない。徒手空拳や刀剣以外での戦闘術の心得もあってそのどれもが高い技量を窺える。あと模擬戦中に気が乗ってくると何時も笑ってるから戦うのが好き?)
食料品店が軒を連ねる通りがシータの目に入る。
「ご飯、お礼、……料理」
シータは迎えに行くことを取り止める。彼女は目に映った通りへと足を向けて入って行った。




