50.ニルヴァーナ 上
◆◆◆
時刻にして朝の10時ほど。千切って散りばめたような雲が青空を漂う。
城塞都市クルルス。そこから外へ出て少し離れた平原。そこで2人の人影が武器を振りながらぶつかり合っている。
ナーダは短剣を握り草地を駆ける。向かう先にはセーギが立ち、手には刃を潰した短剣を持っている。
2人は刃をぶつけ合う。火花を散らしながら何度も何度もぶつかり合う。
足を止めることなく走り回って短剣を振るナーダ。それを迎え撃つセーギ。
息を荒げる少年の体は度重なる殴打や転倒によって土に塗れ、擦り傷は血が滲み、大量の汗を吸った訓練用の衣服の下には青痣が多く出来ている。同じく訓練用の簡素な衣服を着たセーギはしかし、その身に汚れはおろか汗1つかいていない。
「せあっ!」
ぶつかり合う刃が付いた短剣と刃を潰した短剣。元の武器の性能にしても前者の方が質が良い。後者の物は投げ売りの屑武器である。それでも打ち合えているのは単に使い手の技量に圧倒的な開きがあるからである。
だからこそ鎬を削れば結果は火を見るより明らかになる。
「っ!」
ナーダの体はいとも容易く弾かれる。
幾ら攻撃を加えようとナーダの振る刃がセーギの体に届くことはない。その全てを防がれている。
「くそっ」
地を強く蹴り出し加速。使うのは一歩の距離を伸ばすスキル“縮地”。そして気配を殺し姿を眩ませるスキル“影身闊歩”。その2つの併用でナーダは相手から見える己の動きを掴みにくくする。
ナーダの姿が霞む。そして一歩ごとに移動する距離が時には長く時には短く変化し見る者の感覚を狂わせる。彼が行うそれはレベルが200後半の相手であっても実体を見抜くのが難しく、格上さえ仕留められるほどの技である。
実体を捉えさせず、歩法で変幻自在の動きを見せ、そして近づき斬撃を打ち込む。それこそナーダが“勇者”となって手にした新たな戦い方であり、今なら苦戦した“赤獅子”の首領レグルスでさえ1人で打ち倒せる。ナーダはそれ程の強さになっている。
しかしナーダが刃を向ける相手は規格外である。
“縮地”に惑わされることなく迫る短剣の刃を、防ぎ、流し、止め、弾く。そうしてセーギはナーダが繰り出す攻撃の全てを息を乱すこと無く涼しい顔で適確に捌いていく。
「これ、ならっ!」
陽動も利かず剣だけでは攻めきれない。ナーダは短剣を持たない左手の掌をセーギに向ける。そこから黒い蛇が飛び出す。その速度は撃ち出された砲弾の如し。
黒い蛇は牙を剥き、十数mはある長い胴体をくねらせながら標的へ向かう。
スキル“蛇砲縛鎖”。それによって顕現した魔法の黒蛇は敵対象へ噛み付き縛り上げる。
その身を絞める強さは鉄鎧さえ変形させ、牙には悪魔すら麻痺させる強毒が仕込まれている。その2つでもって黒い蛇はセーギを―――
「―――狙いは悪くない」
突き出した短剣。それが黒蛇の頭を斬り裂く。剣先に込められた衝撃がそのまま蛇の頭から尻尾の先まで駆け抜け、圧力に耐えかねた黒い蛇が破裂する。仮初めの生物である黒い蛇はそのまま霞のように消えていく。
「だが連係が不十分。もっと練度を上げないとな」
「っ!?」
黒蛇を目眩ましに接近していたナーダにセーギは蹴りを浴びせる。それを受けたナーダが吹き飛ぶ。
「がっ!? うっ!?」
吹き飛ばされたナーダは受け身も取れず地面に身を叩き付け、勢いをそのままに草地を転がっていく。勢いが止むとナーダは仰向けに倒れたまま動かなくなる。
「……はぁ、はぁ、はぁ……ゲホッゲホッ」
朝から通しで数時間。ひたすらセーギと模擬戦を続けていたナーダは最後の蹴りと倒れてしまったことで限界が来てしまった。その疲労感は悪魔の大群と戦った時を彷彿とさせる物だった。
セーギはナーダの顔を上から見下ろすように覗き込む。
「今日はここまでにしようか」
「……はぁ……はっ……しんどい」
足音も立てずに一瞬で移動してきた『師匠』にナーダは弱音を吐く。それを聞いてセーギはとても良い笑顔を見せる。
「それは良い。疲れてたらご飯は美味しいし横になればぐっすり眠れるよ」
「…………」
荒い息のままナーダはセーギを半目で睨む。
初日の訓練を終えた時は疲労がきつすぎて食べ物が喉を通らず、体の痛みが酷くて碌に睡眠も取れなかった。3日目でようやく体が慣れてきて食事も睡眠も満足に取れるようになったのだ。それなのにセーギはそんなことをのたまうのだ。
「じゃあ帰ろうか」
セーギは笑顔のまま軽々とナーダを抱き上げると歩き出す。
「っ!? ちょっ、自分、で歩く、よっ」
抱かれて帰ることにナーダは抵抗を見せる。12歳にもなってこんな子供扱いを受けることに羞恥を強く感じるのだ。
「まあまあ。体力なんて残らないぐらいに痛め付けから帰りぐらい責任を持って運ぶよ」
「じゃあっ、歩く、体力、ぐらい……残してよっ」
「それは俺にスキルを使わせられるようになってからね。基礎はまあまあだから、とにかく経験を積もう」
「……ああ……くそっ」
そうしてセーギがナーダを引き取って10日目になる朝の訓練が終わりを告げた。
◆◆◆
教会の一室。見た目は少し広めなだけの普通の部屋であるがその実、魔法の訓練用に特別な補強を施されている。中にあるのは教本が収められた本棚とイスやテーブルぐらいである。そのテーブルは現在脇に寄せられて中央にはイスが置かれているだけである。
この部屋は魔法の訓練といっても実際に発動して撃つわけではなく、その1つ前の段階の訓練の為の場所である。実際に魔法を発動させて行使するなら屋外にある専用の修練場へ移って行うことになる。
イスに座ったサクラが自身の内側から、魔力を汲み取り、練り上げ、形を成し、そしてそれを維持している。精錬された魔力は祈りを捧げるように組まれた両手に集中していく。
「……っ」
少しでも集中を切らせば散って消えてしまう魔力。それをサクラは額に汗を滲ませながら留める。
震えそうになる手。その手の上から別の手が重ねられる。
「落ち着いて、大丈夫。……そう、その調子です」
その声は優しく温かい。サクラの視覚以外の感覚で『見る』彼女の姿はまるで大地の精が人に成ったような広大で豊かな神聖さを感じさせる。
大地の力を身に宿す聖女ルミーはサクラの向かいに座り手を繋いで導いていく。
「散らしては駄目です。そのままゆっくりと……出来ますね?」
「……ぁ、……はいっ」
崩れて外に放出されそうになる魔力をサクラは慎重に解いていく。
解かれた魔力は徐々に集中させていた手から体の中へと還っていく。紅茶に落とした砂糖のように溶けて消えていく。
サクラが集めた魔力は汲み取る前の状態に戻り、再び体の奥深くで循環するようになった。
「お疲れ様です」
「っ! ……はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「ゆっくりと息を整えて。深く吸ってー……少し止めて、……はい、ゆっくりと吐いてー……」
魔力操作で精神力と体力を削られ喘ぐサクラの手を握ったままルミーは彼女の容態を落ち着かせる。サクラはその声と手に縋るように、覚束ないながらも必死に息を整えていく。
「上手ですよサクラちゃん。これなら次からは【浄化】や【治癒】の実技に移っても良いですね」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。サクラちゃんは魔法への適性が高いです。私と同じですね」
サクラは魔法の実技、特に“神聖魔法”である【治癒】を習熟出来るとして表情を綻ばせる。疲労は深く体にのし掛かっているのにも関わらず目に見えて機嫌が良くなる。
繋いでいた手を放してルミーは笑みを浮かべる。
「ふふ。ご機嫌ですねサクラちゃん」
「え?」
「あら、無意識ですか?」
「ええと、その……、そんなにわかりやすかったですか?」
「そうですね」
「そ、そうですか」
照れたサクラは指をもじもじさせる。
「やっぱりナーダ君を自分で治療できる方が嬉しいですよね?」
「……はい」
ルミーは顔を赤くした目の前の少女を微笑まし気に見る。
サクラは顔を赤くしたままチラチラと視線をルミーに向ける。“反響定位”の力でサクラの脳裏には目で見ているような風景が映し出されており、それに対して瞳も連動して動くようになっている。もし知らない者がシータを見れば彼女が盲目だと信じられないほど自然な動きである。
「他の方が治療をしている時、何時もそわそわしてましたものね」
「み、見てたんですか?」
「サクラちゃんを見てた人は皆知ってると思いますよ」
「あのっ、私、別に不満があったわけじゃなくて、その……」
「ふふ。大丈夫ですよ」
サクラの頭を優しく撫でる。その手は慈しみに満ちている。
「ナーダ君はサクラちゃんの大切な人。だからやっぱり自分の手で治してあげたいですものね」
「…………」
サクラが自分で言ったように、彼女は他の人が治療をしてくれることに不満があるわけではない。ただ自分にも他者を癒やす力がある筈なのにそれをきちんと使えない現状に気持ちがそぞろとしていたのだ。
サクラが一番に強く思っているのは、自分の力でナーダを助けること。故にわだかまりの原因は自分の力が不足していたこと。
「大丈夫です。サクラちゃんは絶対に立派な治癒士に成れますよ」
そんな不安を無くして思いを後押しする。
ルミーは席から立ち上がり、頭を撫でていた手を今度はサクラの手に回す。
「では早速訓練の成果を発揮してみましょうか」
「こ、これからですか?」
「善は急げですよ」
休憩を取ったことで呼吸が落ち着いたサクラは手を引かれるままに立ち上がりこの訓練室から退室する。
ルミーはサクラが胸に抱える思いが何なのか察している。それをサクラ自身は自覚していないことも。サクラの中ではナーダに対する思いは『家族愛』という名の袋に包まれている。
(ゆっくりで、良いのかもしれませんね)
他人が紐解けば早いかもしれない。だがルミーはサクラが自分の手で『それ』取ることを望んだ。
(シータちゃんも、……それに、私も)
心の距離に鈍い友人。そして奇しくも『彼』に対して友人と同じ思いを抱いたルミー。
その胸に焼き付いた姿は違うのに、本当は同じだった、2つの姿を持つ『彼』。
彼女は望む。誰もが笑顔で手を繋ぐ未来を。そこには彼女が大切している人達や、これから大切になる人達の姿がある。
(……『彼』が私達にとって運命であるなら、それはとても―――)
ルミーはサクラの手を引いて外へと向かう。互いに思う相手は違えど、共に帰ってくる彼らを出迎える為に。




