5.『魔王は死んだ』
『―――次で最後か?』
11組目の挑戦者、その最後の一人を斬り伏せたラーヴァナ。彼らの死体が光に包まれて消えていくのを視界の端に入れながら時間を確認する。残された時間は既に3分を割っていた。流石の正義も3分以下でトッププレイヤーを屠れる能力は無い。なら必然的に次に入ってくるパーティが最後であろう。
ここでの戦闘の受付は1秒でも残っていれば受諾される。そこからどちらかが力尽きるまで戦う事になり、ラーヴァナからすれば延長戦染みた感覚となる。
『……保つ、か?』
〈Nirvana Story Online〉にログインしている間は病室の様子を見る事が出来ない。だから正義には現実の自分がどのような状態でどれだけ時間が残されているのか窺い知れない。パーティの数なら目標を超えられたので満足と言えば満足ではあるが……少し欲が出てきたのも確かだった。
この世界で3年近く、魔王ラーヴァナと云う正義の為に用意されたアバタ-も2年近い付き合いになる。
人の一生ではそう長くない、しかし正義にとっては長かった年月。それを手放す時が……刻一刻と迫っている。
苦しさは無い、だが意識が最初の時よりも遠くなってきたと感じている。戦闘時の反応が遅くなっているのが実感として理解出来ていた。
「『……本当に、先生にはお世話になったなぁ』」
声は魔王ラーヴァナ、しかし口調は正義の物。普段であればログアウトするまで役に徹するのだが……今だけは。
この時だけは……自分で居ようと思った。
この姿の時は全周囲を視界に収められる。だけど正義は顔を上げて真っ直ぐ空を見る。
「『こうやって目で見る感覚も最後。物に触れるのも最後。息をするのも、言葉を出すのも……痛みを感じないのも、苦しみを感じないのも……体を動かせるのも……全部が最後』」
病室で横たわる抜け殻の肉体。
VR技術が救ってくれた、正義の心。
病によって体の自由を失ってから10年以上。そうした中で生まれたVR技術で正義は自分の体を自分の意志で動かせる喜びを得た。医療用の試験機から始まった正義の電脳世界での生活。様々な経緯を辿って〈NSO〉に特殊な就き方をしてからこのような立場になった。
振り返れば色々な思い出が駆け巡るが―――そんな人生にも終わりがくる。
「『皆満足してくれたかな? それともまた掲示板でボロクソにされてるかな?』」
魔王ラーヴァナには引き継ぎが在る。……だがやはりこれが最後で間違いは無い。運営が用意した引き継ぐ為のプレイヤーもAIも、正義以上にこの魔王を使いこなせる者は居なかった。
そもそもラーヴァナが正義の“全力を受け止められる事”をコンセプトに製作されたアバター。引き継ぐ者でさえ【百死轟拳】は自前の腕と合せて5対が限界だった。それ以上の数はまともに動かせず、2・3本を固めて1本と見なして運用するのが関の山。
一般のプレイヤーもラーヴァナに影響を受けて多腕に挑戦していたが……それも限度が在った。だからラーヴァナの中身は人間では無いとネットで言われる事になったのだ。
そんな現実では到底不可能な事も出来るのが〈NSO〉。正義は与えられた自分だけの肉体でこの世界を満喫した。一般プレイヤーと足並みを揃えるような普通の遊び方では無かった、仕事を兼任する魔王役だったが……『自分の意志で肉体を動かせる』と云うその一点だけで正義の心は喜びに満たされた。
「『……本当に……楽しかったなぁ』」
魔王ラーヴァナの批判掲示板が一ヶ月で50も消費された時は軽いお祭り状態だった。ある意味伝説になった。今ではそれも正義にとっては笑える思い出になっているが、それでも初めの頃は多少は落ち込んだのは仕方が無い。その頃アシュラマンと言う渾名も定着した。
そうして過去の思い出に浸る正義。
少ししてある違和感に気付いた。
「『……あれ、人が来ない?』」
時間が過ぎていく。残り時間は2分を切った。
「『……このまま来てくれなかったら1人か』」
こういう日もある。
はっきり言って、他の場所でアイテムを収集したり最新のボスを倒した方がプレイヤーにとって有意義である。
1年前のボスキャラの落とし物などアップデートの度に強化されていく新装備の前では霞む。
正義は魔王が倒された時にドロップされる武器、繊月の剣を脳裏に浮かべる。このアイテムがプレイヤーの手に渡ったことは無く、常にこの魔王の手の中にあった相棒。戦闘が終わった今では再び月光に溶けてしまった愛剣。
「『最後くらい、誰かに手に入れて欲しかったな……』」
かといって手を抜く気はさらさら無い。だからこそ繊月の剣は持ち主以外の手に渡った事は無い。
そうして経過した一年という歳月で上位互換の武器も幾つか出てしまった。今更誰かが手に入れた所で「下位互換乙」と無情な言葉がスレに書き込まれて終わるかもしれない。……しかし、もしも一人でもこれを手にした者が居れば……使い続けてくれていた可能性も在ったかもしれない。
(まあ俺が死んでも魔王は引き継がれるから……これも引き継がれるか)
そう考えればここに在る魔王の全ては〈NSO〉に残ることになる。それが少し嬉しかった。自分と云う存在がこの世界に生きていた何よりの証であると思えた。
正義はタイマーを表示する。残り30秒。これが0になるまでの誰かが入らなければ締め切られる。
(……なるようになる。それに、これままた皆の日常―――)
気が付けば……魔王は膝を着いていた
「『―――……あ?』」
瞳の光が1つずつ消えていく。
唐突に。何の前触れも無く―――否、前触れはずっと在った。
正義は最後のわがままの一つに、身体異常が発生した場合の緊急強制ログアウトの機能を切ってもらっている。その機能が生きたままなら戦いをするまでも無く現実に縛られていただろう。それだけ彼は無理を押して〈NSO〉に留まっていた。
そうした無理も、限界が訪れた。
(これ……もしかして……)
残り時間が視界の端で減っていく。ゲームに於ける時間だけの意味しか持たないそれが……この時だけは自分の命と繋がっているように錯覚する。
(……終わり。命が……終わる……)
両脚の感覚が無い。神経が丸ごと抜き取られたように動かせない。その感覚は正義に現実の自分を思い起こさせて……恐怖した。
(……死ぬ? 現実と同じように、動けなくなって?)
腕が震える。掌が地面に着く。
(それは……嫌だっ)
まだ動かせる、神経が生きている上体。その全てを稼動させて正義は脚を吊り上げた。
そうして魔王の肉体は両足で荒野に立つ。立ち上がらせた下半身に重心を合わせ上半身を置くようにし、魔王は再び立ったのだ。
威風堂々とした佇まい―――しかし中身を伴わない形だけの姿。
(はは。立つだけで精一杯……でも……)
その見栄は正義に残された最後の意地。
終わりが避けられぬ物だとしても、現実の自分のように地に伏せるだけの最期は受け入れられなかった。
タイマーが10秒を切り、カウントダウンが始まる。
それを正義は幾つも減った眼光で眺め、次に目を向けたのはプレイヤーの出現地点。……腕が動かなくなり、瞳の光が更に消える。
(……死んだら)
瞳の光が完全に消失。集中力の低下によってスキル【十対の瞳】が効果を失う。それによって補正の無い正義自身の視界に切り替わるが……しかしその視界さえも黒く塗り潰されていく。
(……どうなるんだろう)
微かにあった体の自由さえ失われる。そうして立つ姿はただのオブジェクト。思考だけが遮られる事は無く、故に正義は最期に許された思考にだけ意識を割く。
6、5、4―――
(死後の世界に行くのかな?)
天国、浄土、楽園……言い方は数あれど、共通の認識として死後の世界は苦しみと無縁と云うのが在る。正義にとってそれは中々に心惹かれる考え方であったが……しかしそれよりも彼には望みが、願いが在る。
3―――
(……でも、出来るなら)
この世には輪廻転生という死後に何か別の存在に生まれ変わる考え方が在る。
2―――
(人間じゃなくてもいい。……動物、魚、虫、植物……何でも良い)
少年は消えていく意識の中で強く想う。
1―――
(だからどうか……次があれば―――)
……―――
(―――自分の意志で生きられる“生”をください)
―――……0.
◆◆◆
翌日の事。初めに〈羅刹の荒野ランカー〉へと踏み入ったプレイヤー達。彼等はそこで待ち構えていた魔王と戦い―――これを撃破した。
それはあまりにもあっさりと。
その次も。
そのまた次も。
成長限界したプレイヤー・パーティなら誰もが魔王を倒せた。魔王がドロップした剣は多くのプレイヤーの手に渡った。
魔王討伐に付随する称号・仮想通貨・アイテム。それらは1年前に実装されたボスに相応しい物であり、有り体に言ってしまえば安くはないが決して高くないありふれた戦利品。
誰かが……一部のプレイヤーが〈Nirvana Story Online〉の運営に尋ねた。
「『魔王』は何処に行ったのか?」
彼らが欲したのはアイテムや通貨では無かった。
運営からの明確な返答は無く……1ヶ月後には特殊エリアであった荒野と共に『魔王ラーヴァナ』は無くなった。
その代わりに『魔人六腕のラーヴァナ』が新エリアで登場するようになった。―――通常モンスターとして。
後日。〈NSO〉の魔王の掲示板にはただ一言……『魔王は死んだ』と、そう書き込まれた。