40.選択
シータの発言を受け入れるように目を閉じるナーダ。
そこに待ったを掛けたのはサクラであった。彼女はナーダとシータの間を遮るように立つ。
「待ってください!」
「……何でしょうか? サクラさん」
「……っ」
サクラはシータに見られて萎縮する。
恐怖は無い。死の危険も無い。
それなのにサクラは目の前の女性から“赤獅子”の首領レグルスや悍ましい悪魔の群れ以上の、比べ物にならない圧倒的な何かを感じて言葉に詰まる。
もしそれが殺気であったならそれだけでサクラは気を失っていた。サクラが何とか言葉を紡げたのはシータには害意も敵意も無かったからである。
「ナ、ナーダを、どうするつもり、なのでしょうか」
「先に伝えた通りよ。私達の手で教会まで同行して頂きます」
「その、後は?」
「然るべき処遇を」
罪には罰を。
「そんな―――」
「サクラ」
食い下がろうとするサクラをナーダは手を上げて押し留める。
「もういい。俺は受け入れてる」
「―――っ」
ナーダは“赤獅子”の指示の元、犯した悪事は貴族の邸宅にまでその手を伸ばしていた。その罪が発覚しているならその時点で彼の処遇は決まっている。
身寄りの無い孤児。暴力団の下で幾つもの犯罪行為に手を染めていた庇う者無き子供。そんな者が貴き身分の者へ危害を加えた。なら求められる『罰』は重く苦しい物となる。
「ナーダが連れて行かれるなら私も行きますっ!」
だからサクラは引かない。
「はっ? お前何言って」
「私はナーダがしてたことが悪いことだって知ってて止めてませんでした! なら私も同罪の筈です!」
本当ではない。しかし嘘でもない。
詳細は知らなかった。サクラが知っていたのはナーダが子供達には絶対に説明しないような仕事をしている、それだけである。そして感じたのはナーダの重く暗い空気。
あのような孤児院が真っ当な方法で運営されている訳がないとサクラは理解出来るだけの知識と道徳を備えていた。それは幸運であったとも言えるし不幸だったとも言える。
サクラが愚かであったなら悩まずにのうのうと生きられていたかもしれない。
だが、それではナーダの心は救われていなかった。ナーダを救ったのはサクラの相手を理解しようとして受け止めるその慈愛の心だったから。
少年が心まで堕ちきらなかったのは、そんな少女の心の光に触れていたから。
「だから私もっ」
「―――お言葉ですが」
サクラの言葉を遮る別の声。それはシータではなくもう1人の聖女の声。
「教会に来て頂くのはサクラ様も同様です」
サクラは驚きで虚ろな目を見開き、ナーダは立ち上がって今の発言をした微笑みを浮かべるルミーを見る。
「……これも主のお導きなのでしょう。サクラ様は教会にとって重要な人物に成られました」
「どういうことだっ」
噛み付くようなナーダの言葉。彼はまさかサクラにまで何か罪が掛かるのかと危惧し、そうであるなら無謀を承知でこの場で牙を剥くつもりであった。
ルミーは少女の為に戦おうとする少年に優しく言葉を掛ける。
「サクラ様は“聖女”と成りました。……人類を守る光の一つと成ったのです」
サクラが聖女と成った。
その言葉でナーダの戦意は霧散する。
「……こいつが?」
「私が……せい、じょ様?」
人を救い導く“勇者”、その片割れたる雲上の存在だと考えていた“聖女”。突然それが自分であると告げられたサクラはそれを受け止めきれず戸惑う。
そしてナーダは……安堵した。彼は先まであった攻撃的な表情は鳴りを潜め、笑みを見せる。
「……なんだよ。……じゃあサクラはあのデカい教会で引き取って貰えるって訳か」
今のナーダには安堵しかない。
「ナーダ? 何を」
「そうですね。サクラ様は聖光教会で保護され、これからはそこで生活することになります」
「んだよ、心配して損した。じゃあさっさと行こうぜ」
「そうですね。そうして頂くとこちらも助かります」
サクラを置いていくようにナーダとルミーは話しを終わらせて動き出す。
ルミーは扉を開き、シータはナーダへと手を伸ばす。シータほどの戦士であれば拘束具など不要、彼女が手を取ればそれだけで相手から逃走という選択肢を潰すことが可能である。ナーダは気負いなど一切なく手を伸ばしてシータの手を取る。
その時、ナーダの逆の手が引かれる。
「……どうした」
「お、おかしいよ」
震えた声。少年の手を引いたのはサクラだった。
サクラは両手でナーダの手を握る。
「どうして?……皆の為に、皆を守ってくれてたのはナーダなのよっ?」
「…………」
「どうして、ナーダは……」
「……お前何泣きそうになってんだよ」
ナーダは呆れた顔でサクラを見る。
少年の手を取ったシータはまだ握り返していない。だからナーダはシータに伸ばした手を戻し、彼はサクラの頭を撫でる。
「俺は『悪い子』なんだからしょうがねえだろ?」
「そん、なの違う、わ」
「合ってるんだよ。聞いただろ? 俺がやった悪い事」
サクラはナーダの肩に顔をうずめ、幼子がイヤイヤするように頭を振る。
「聞いてないっ」
「お前がそう言っても俺がやった事は消えねえよ」
「そんなのっ」
乾いた音が鳴る。
空気が破裂した軽快な音が室内に響き全員がその音の発生源に目を向ける。
「……兄ちゃん?」
それはセーギが両手を叩き合わせて起きた音であった。
セーギは手を下ろして立ち上がる。薔薇色の瞳がシータを真っ直ぐに見る。
「……シータさん。聞きたいことがあるんですが?」
「はい、何でしょうか?」
怜悧な気を纏うシータが紺碧の瞳で青年を見返す。
「このまま行けばナーダはどんな罰を科せられるんですか?」
「……そうですね」
シータの目がナーダに少し向けられ、セーギに戻る。
「罪の重さに応じた誓約を掛けられての苦役、ですね」
誓約は人の身に刻印を入れる“国有魔法”である。
国有魔法とはその術式を一般に公開していない、国がその仕組みや使用方法を占有している魔法の総称である。
国有魔法、その一つ“誓約”。
対象に誓約を結ばせてそれを遂行することを義務づける魔法。それによって定められた誓約を破れば対象は怖ろしい苦痛を味わうことになる。
最初に解除条件を決めておけば、誓約を遂行してしまえば体に刻まれた誓約は消える。
これらは犯罪者や戦争によって発生した捕虜に刻まれることもある魔法による『首輪』である。
一部の国では貴族や富裕層などが己に都合の良い労働力を手に入れるのに誓約を刻まれた者を買い取って使役している。服従を強制されるその扱いは奴隷、それ以下であるとさえ言える。
この城塞都市クルルスを擁する〈アヨーディ王国〉や聖光教会の総本山〈プリティヴィー大聖国〉は『奴隷制度』を容認しているが、誓約を掛けた者の売買は固く禁じて管理されている。
誓約とはそれほどまでに個人が管理するには危険な魔法なのである。
「どんな苦役を?」
「普通の者には任せない過酷な環境にある作業、貴族への奉仕、剣闘士……それ以外にも選択肢としては色々とあります」
「……そうですか」
つまり物によっては『死』に直結する。
苦役を科す者が望めばナーダという少年は不可避の死へと進むことになる。それを理解しているのかサクラは顔をうずめたまま震えだす。そんな彼女をナーダは困ったように見る。
そんな2人を見てセーギは決めた。
「……ねえシータさん」
セーギの目には迷いは無い。だから思ったまま言葉を出す。
「ナーダの罪、無かったことにはなりませんか?」
その言葉に反応があったのはナーダとサクラだけ。
驚愕する2人とは違い、シータとルミーは特に反応らしい反応は無い。ただ静かにセーギに目を向けている。
「……つまりセーギさんはナーダさんを無罪放免にして欲しいと?」
「そういうことに……なりますね」
淡々としたシータの質問に、セーギは薄く笑いながら答える。
呆然としたサクラを抱き付かせたまま、ナーダが慌ててセーギに言葉を掛ける。
「に、兄ちゃん。悪い事は言わねえから止めとけよ。俺には絶対に重い苦役が掛かる。貴族に手を出したんだから。そんな奴に肩入れなんかしたら兄ちゃんが危ないぞ」
嘘偽り無くセーギを心配しているナーダ。
そんな優しい少年、彼の頭にセーギは手を伸ばす。
「……俺が言ったこと忘れた?」
「え?」
ナーダの頭を撫でる。突然セーギに撫でられた彼は目を白黒させる。
「言っただろ? 『俺に任せて欲しい』って」
「……それ」
門の外で初めて出会った時、セーギが少年に掛けた言葉。
「大人……って言うには、俺はまだまだ人生経験浅いけど。それでも―――」
ナーダの頭から手を放し、セーギはシータに向き直る。
「―――ナーダ達を助けたい気持ちに嘘は無いから」
「…………」
決意を持った声でセーギはシータへと自身が決めたことを言おうとする。
「だからシータさん、俺は」
「シータ」
それをシータは遮った。彼女のまとう空気が少し、柔らかくなる。
「シータと呼んで。セーギ君」
シータの目がセーギからナーダとサクラに向けられる。その目は怜悧だけではない、優しさを感じさせる物であった。
「貴方の『助けたい』という気持ちは、私も同じだから」
「それは私もですよシータちゃん」
何時の間にか、シータとルミーが発していた緊迫した空気が霧散していた。
ナーダは2人の変わりように混乱気味である。
「は? いや、これ、どういう……」
セーギは彼女達の様子に苦笑いする
「……多分、ナーダがどんな子か推し量ってたんだと思う」
シータとルミーには最初からナーダに重い罰を科す気など無かった。
ただそれでも、ナーダの人柄や性質によっては然るべき対処を行うつもりであった。セーギはそんな2人の考えをこの瞬間に察した。
「……ちょっと意地悪じゃないですか、シータ?」
「実際に被害報告が出ている以上、優しくし過ぎるのも彼の為になりませんから」
セーギはポケットから出した“漆黒の角”をシータに渡す。可能であるなら『襲撃者は悪魔であった』という証拠に使ってほしいという、彼の下手な悪だくみである。これを広く伝えるにはセーギの力では無理である。
角を受け取ったシータはセーギに怜悧さの戻った瞳で鋭い瞳を向ける。
「例え『襲撃者』としての彼の罪が誤魔化されようと、彼へ向けられる目が変わることはありません」
ナーダは産まれながらに“忌み子”として扱われてきた。
鬼人の角は命の証。生きている限り、折れようが砕こうが、それが失われることはない。それは常に彼らの額に存在し続ける。それが鬼人にとって普通の白い角であったなら問題は少なかった。
ナーダの角は黒。それは悪魔の如き漆黒の角であった。その黒い角を持つ少年はこれからも周囲から嫌悪の目で見られることになる。
「セーギさんはそれをどうにか出来る策があるのですか?」
隠れ住むようになった鬼人という種族。例え角が黒くなくても、悪魔に酷似した角を持つ人間という見られ方をされた彼らに対して人々は冷たい。それは人食いの“羅刹”がこの世に存在することも差別の目に拍車を掛けている。
ナーダは自分以外の鬼人が何処に住んでいるかを知らない。彼にとって家族とは同じ孤児院で過ごした子供達、そしてサクラだけ。
ナーダはその家族に対して、鬼である自分と親しい姿を他者に見られないように外では顔を合わせることも言葉を交わすこともしない。差別とは何も本人に浴びせられるだけの物ではない。それに関係する物全てに類が及ぶのが普通である。
それに対してセーギが出した答えは―――
「―――人に仇為す悪魔の根絶」
単純明快である。
「俺の『力』。それを使って、少し人と違うだけの鬼人達を迫害するような人々の目を全部ひっくり返して塗り替える」
黒い角が悪魔に似ているからという理由で忌み嫌われ迫害されるなら、その迫害の根底にある邪悪な悪魔を全て消してしまえば良い。そうすれば後に残るのはただ『角が黒いだけの鬼人』である。
「そしてそれを実行する者の立場や存在はとても重要な物になる」
悪魔が居なくなっても、今ある民衆の意識を一朝一夕で変えることは非常に難しい。
そんな世界の中で今も産まれてくる子が居る。謂われの無い悪意を浴びせられ、生きている人達が居る。それでも大切な人の為に悪意に呑まれずに足掻く少年が居る。
だからセーギは決めたのだ。
「だから俺は……鬼を『救世の英雄』にする」
それがセーギがたった今ここで考えたついた世界を変える『力技』であり、自身の正体をこの世に晒すことを決意した瞬間でもあった。
細かいことなんて何も考えていない。ただセーギがするのは世界に対して『青い鬼』の存在を英雄として打ち立てることだけである。
そしてそれを実行する時は、望む望まないに関わらずにやって来た。
「―――ちょっと良いかしら?」
部屋の扉。開けられていたそこからロベリアが姿を現わす。
「ロベリアさん? どうして―――」
ここへ何用かとセーギが尋ねる前に、ロベリアは手を突き出してそれを止める。先に自分がここへ来た用件を伝えることが重要であると考えての行動である。
「ちょっと大きな事件があったみたいなの。私の部下がその情報を拾ってきたわ」
ロベリアは何時もの煙管を取り出すことも無く、急いで伝えにきた情報を口にする。
その情報はこの城塞都市にとって未曾有の事件。
「……1万になるオークの軍勢が来るみたいよ。悪魔が指揮を執っている、ね」
邪悪の塊のような危機がこの都市へ迫ろうとしていた。




